第十三節.峠に潜む獣
見下ろす石段は大きく螺旋を描きながら松林の中へと続いている。手すりなどは当然無く、もしも足を踏み外そうものならどこまで転げ落ちるか分かったものではない。よくもこんな場所を登ってきたものだと感心しながら鷹丸は慎重に石段を下り始めた。
「兄貴ぃ!」
鷹丸の呼び声が松木坂に響き渡る。
「翠扇様ぁ!」
返事は無い。まさか精根尽き果てたまま登り口の前で呆けているのではあるまいか? 嫌な予感を感じながら鷹丸がさらに下へと下っていくと、不意に木々の間から石段に立つ人影を発見する。目を凝らしてよく見るとそれは茜を背負った富士重に違いなかった。
「おーい、兄貴ぃ!」
鷹丸がいくら呼びかけても富士重は少しも動く様子が見受けられない。不審に思いながらも鷹丸は急いで富士重のもとへと向かった。
「どうした兄貴? 翠扇様も」
鷹丸が近づいて声をかけても富士重は石段を見つめたまま肩で息を続けている。茜に至っては富士重の背中に張り付いたまま死んだように動かない。
「たか、まる……」
消え入りそうな声で富士重は弟の名を口にした。
「大丈夫か兄貴?」
「……もう……うごけない……」
動けない茜を背負ったまま石段を上っていた富士重だったが、どうやら無理が祟って道半ばで力尽きてしまったらしい。鷹丸は富士重の背中から慎重に茜を降ろすと、三人はその場に座り込んだ。
「はぁ……助かったよ鷹丸」
「どうだ、一人なら登れるか?」
「あぁ、なんとか……。しかし翠扇様を置いていくわけには……」
「翠扇様は俺が背負っていくよ」
鷹丸は立ち上がると茜に背を向け、足元を十分に確認しながら腰を落とした。
「翠扇様もうすぐ峠の頂です。茶屋があるのでそこまでがんばりましょう」
「……ちゃや? ……ほんとうか?」
死んだ魚のように濁っていた茜の瞳に僅かな光が蘇る。鷹丸は後ろ向きのまま「ええ」と答えた。
「いい……あるく……」
茜はヨロヨロと立ち上がると、まるで呪いのように「ちゃや……ちゃや……」とつぶやきながら石段を登り始めた。
何とか峠の茶屋まで到着した茜は出されたお茶を一気に呷り大きく息を吐きだした。
「はぁぁ……生き返ったぞ……ご老人、すまんがもう一杯茶を頼む」
「はいはい、ただいま。そちらさんももう一杯お出ししましょうかね?」
「ええ……お願いします」富士重が青い顔で答える。
「それと、串団子があれば人数分出してもらえるか?」
茜は店の奥へ戻ろうとする老婆を呼び止め注文を付け加えた。
「はいはい、すぐお持ちしますよ」
「……よろしいのですか?」
疲労困憊の富士重は茜の方に顔を向ける余力も無いのか、地面に視線を落としたまま問いかける。
「構わん。少し腹も空いたところだ」
「流石翠扇様だ! 有難く頂戴いたします!」
縁台を離れ周囲の景色を眺めていた鷹丸だったが、団子の言葉を耳にするなり茜のそばへと駆け寄ってきた。
「あの、私、お団子はちょっと……」
申し訳なさそうに慈螺が言うと「そんなら慈螺の分は俺が食べてやるよ」と茄蔵が名乗り出る。
「おい、独り占めかよ?! 俺にも分けろ」
鷹丸は茄蔵に詰め寄るが「駄目です。鷹丸にはあげません」と、慈螺がピシャリと言い放った。
「ぶざけんな、なんだそれ!」
「鷹兄ぃ、半分分けてやるから心配するなよ」
「茄蔵さんこんな情の薄い人に分けてあげる必要なんてありませんよ!」
慈螺は蔑むような横目で鷹丸を一瞥した。
「このクソ猫!……」
「はぁ……本当に騒がしい連中だな……」
呆れる茜に気付く様子もなく一人と一匹の団子論争は続いた。争いは団子が運ばれてからも治まる気配はなく、やむなく富士重が仲裁に入るも鷹丸と慈螺は一歩も引く姿勢を見せない。見かねた茜が団子をもう一本注文すると、鷹丸は「そういうことじゃないんですよ!」と不満を漏らしながらもしぶしぶと矛を収め、茶屋は再び平穏を取り戻した。
茶屋での休憩を終え勘定を済ませると、一行は老婆に礼を述べ再び中州守の屋敷を目指して歩き始めた。
「登りでだいぶ時間を使ってしまいました。少し急いだほうがいいですね」
富士重が心配そうに茜の顔を覗き込む。茜は気にもしない様子で「そうだな」と答えた。
「しかし、あの茶屋の婆さんもよくこんな山奥で商売するよな。材料の仕入れとかどうしてるんだろうな」
鷹丸は茶屋を振り返りながら独り言のように話した。すると富士重もチラリと茶屋を見るなり鷹丸に答える。
「峠越えをする旅人を癒すために昔からやっているそうだ。茶や団子の材料は旦那さんが麓の宿場町から仕入れてくるそうだぞ」
「あんな年寄りがこの山道をか?!」
「あぁ。高齢の身で大変でしょうと言ったら山家者は足腰だけは丈夫だから苦は無いと笑い飛ばされた」
「そいつは……大したもんだな」
すると富士重と鷹丸の会話を聞いていた茜がニヤニヤとしながら二人に近寄る。
「鷹丸、お前も団子一本ごときでグチグチ文句を垂れず、あのご老人のように他人を思いやれる大きな心を養わねばならんぞ」
「いや、だからあれは慈螺が悪いんですって翠扇様!」
ムキになって弁解をする鷹丸。その少し後ろを茄蔵と慈螺が並ぶように歩いていく。茄蔵は慈螺がどこか浮かない表情を浮かべていることに気が付いた。
「まぁ、鷹兄ぃも根はいい人なんだけど食い意地が張ってるからなぁ。面白くねぇかもしれねぇけど許してやってくれなぁ」
「……違うんです茄蔵さん」
「ん?」
「……見られています。先程からずっと……」
見られている? こんな山奥で一体誰が見ているというのだ。不審に思いながらも茄蔵は眼だけを縦横に走らせてみるがそれらしい人影は見当たらない。
「……本当に誰かいるのかぁ?」心なしか茄蔵の声が小さくなる。
「こちらに気付かれないように隠れているようです。……三、四……恐らく四人か五人……油断しないでください、友好的な相手とは思えません」
「そんなら姫さん達にも知らせねぇと」
茄蔵と慈螺は足を早めた。
すると突如山側の茂みから人影が飛び出したかと思うと、前方に二人、後方に二人、一行は為す術も無いままに進退を塞がれてしまった。
現れたのは四人の男達だった。それぞれ顔や体格、髪型こそバラバラではあったが、片手に武器を持ち百姓兄弟も眉をひそめるような汚らしい衣と括袴で身を包んでいるという点だけは共通していた。
「……なんだお前達は?」
物怖じすることなく茜が問う。
「へへへ、こんな綺麗な姐さん方がまともな護衛も付けないで函嶺越えたぁちょっとマズイんじゃねぇかなぁ? それじゃ山賊共に襲われちまうぜ」
前方に立つ無精髭のハゲ頭が下品な笑みを浮かべながら言った。
「私はお前達の素性を聞いているのだ。ふん、悪いのは外見だけではないようだな」
「へっ、生意気な小娘だ。まぁいいや。……しっかしこう毎日上物の女が舞い込んでくるたぁな。へへへ、俺達にもようやく運が向いてきたみてぇだぜ。山の神様に感謝しねぇといけねぇやな」
男達はジリジリと包囲を狭めるように茜達ににじり寄る。
「鷹丸、前を頼む。茄蔵は後ろだ」富士重は小声でつぶやいた。
「おうよ」「まかせとけぇ」鷹丸と茄蔵が答える。富士重は茜を庇いながらそばに慈螺を招き寄せた。
「翠扇様とバカ猫は任せたぜ、兄貴」
鷹丸は露を払うように大折檻を振るとハゲ頭の前へと進み出た。男達の足が止まる。
「なんだこの小僧、木刀持って剣術のお稽古か?」
ハゲ頭は覗き込むように鷹丸を見た。
「おうよ。俺がお前らに稽古つけてやるよ」
「そいつはありがてぇが生憎と俺達は忙しいんだ。強がってねぇで引っ込んで――」
次の瞬間、ハゲ頭の持つ刀は大きく跳ね上げられた。言葉も追いつかず唖然とするハゲ頭。鷹丸は大折檻を左に斬り上げていた。
ハゲ頭が目を離したわけではない、木刀を振る動作も見えないまま気が付けば刀が弾かれていた。――妖術? 否。鷹丸は妖術など使えはしない。鷹丸は相手に生じた刹那の虚を突いていた。連続する意識下に生まれる一瞬の空白に付け入ることで相手は過程に気付かぬまま結果だけを突き付けられる。
常人には到底真似できないこの離れ業を鷹丸は幼い頃から直感的に行っていた。とは言え完全に自分のモノにしているとは言い難く、成功率は良くて半々といったところだった。もっとも虚を突き損ねたところで鷹丸には天性ともいえる剣術の腕前と小柄な体を活かした俊敏性がある。……村の人間や小鬼が鷹丸に勝てないのも道理であった。
鷹丸は大折檻に右手を添えると、一歩踏み込み袈裟懸けに振り下ろす。「ゴッ」という打音と共に大折檻はハゲ頭の右肩に食い込んだ。
「っがっ?!」
ハゲ頭は苦痛の声を吐き出すと肩を押さえながらその場に崩れ落ちる。そばにいた短髪のちぢれ毛男は咄嗟に後ろへ下がりながらも、酷く慌てた様子で鷹丸に威嚇の奇声を浴びせた。
「稽古はもう始まってるんだぜ、おっさん」
鷹丸はちぢれ毛を睨みつけながら不敵な笑みを浮かべた。




