第十一節.泥棒猫
「 ……買い物、してたの」
猫又は小さくつぶやいた。その様子に茜が不審そうに問い続ける。
「買い物? 何を?」
「……ぶし」
「なに?」
「だから! 鰹節よ か・つ・お・ぶ・し! 仕方ないでしょ! 好きなんだから! ……自分では作れないし」
「そんなことで旅人に妖術をかけて銭をちょろまかしていたのか……」
「そんなことって何よ! それにちょっとだけ、ちょっとだけお金を分けてもらっただけです!」
「分けてもらった? 妖術で操っていただけだろ。本人の意思に反して金品を出させているのだから立派な窃盗だ」
「それは!……」
「どんな悪党が出てくるのかと思えば……ハァ、あまりの拍子抜けに疲れたわ……鷹丸、ある程度灸を据えたらさっさと帰るぞ」
「そ、そんな!」
「翠扇様、なんかやり辛いんですけど……やっぱり懲らしめないとだめですか?」
猫又を見下ろしながら鷹丸が言った。
「当然だ。銭の多寡に関わらず悪事を働いたら相応の報いを受けねばならん。なに、この程度の木っ端妖怪なら命まで取る必要はあるまい。適度に痛めつけて二度と悪さができないように思い知らせてやれ」
鷹丸は気乗りしない様子で構えると、恐怖のあまり硬直している猫又に勢いよく木刀を振り下ろした。
「バンッ」乾いた打撃音が夜の境内に響く。
妖怪を誅する一太刀は縮こまる猫又のはるか頭上で静止していた。
「おい、何すんだ茄蔵!」驚いた鷹丸が声を上げる。
茄蔵は片手で木刀を受け止めたまま、いつになく険しい表情で茜を見つめていた。
「――姫さん、本当にこの子を痛めつけるつもりなのかい?」
茜は無言のまま何も答えない。
「手を放せ茄蔵、翠扇様に逆らうつもりか?」
「いんや放さねぇ。放したらまた殴り付けるんだろぉ?」
木刀を掴む茄蔵の腕に力がこもり、隆起する筋肉が絡み合う木の根のような輪郭を描き出す。鷹丸がどれほど力を込めて引き離そうとしても木刀は茄蔵の手に張り付いたように動かなかった。
「お前……まさか、妖術をかけられたのか?!」
鷹丸は咄嗟に猫又へと目を向ける。猫又は驚いたように首を左右に振った。
「茄蔵、お前本気か?」茜は冷たい視線を茄蔵に向ける。
「あぁ本気だぁ。こんな小さい猫ちゃんを木刀でぶん殴るなんて正気の沙汰じゃねぇ」
「そいつは人を騙して金を奪っていた妖怪だぞ。それでも庇うというのか?」
「……金を奪うのは悪いことだぁ。でも、これに懲りてもう悪さなんかしねぇさ。なぁ、猫ちゃん?」
猫又は無言のまま何度も首を縦に振った。
「ほれ、もう悪さはしねぇって。だから姫さん、どうか許してやってくれよ」
「……翠扇様」
鷹丸が困ったように後ろを振り返ると茜は大きくため息を吐き出しながら肩を落とした。
「……ああ分かった、分かった! お前たちの好きにせい。――これではまるで私が悪人のようではないか……」
「姫さんありがとうごぜぇます!」
「す・い・せ・ん、だ!」
「よかったなぁ猫ちゃん。もう大丈夫だぞ」
茄蔵は木刀を放してしゃがみ込むと、伏せたまま硬直している猫又の頭を何度も撫でてやった。
「あの、あ、ありがとうござい、ます……」
感謝の言葉を述べながらも茄蔵の手が触れる度に身を強張らせる猫又。
「もう人から銭なんか取っちゃなんねぇぞ? さもねぇとまたおっかねぇ目に合うからな」
「は、はい。分かりました……あ、えっと、これ……お返しします」
猫又はいつの間にか富士重の銭束を咥えていた。
「おめぇは本当にいい子だなぁ。よしよし、ありがとなぁ」
「おい茄蔵、さっさと宿に戻るぞ」
茜の呼び声が聞こえる。茄蔵が振り返ると二人はいつの間にか石段のそばへと移動していた。
「じゃぁな猫ちゃん。もう悪さしねぇで達者に暮らせよ」
「……慈螺」
「ん?」
「私……名前は慈螺と言います」
「慈螺かぁ、いい名前だなぁ。俺は茄蔵ってんだぁ。それじゃぁな、慈螺」
茄蔵は「よいしょ」と立ち上がると、何度も慈螺のほうに手を振りながら神社をあとにした。慈螺はその場を動くこともなく茄蔵の姿が見えなくなってからもずっと石段のほうを見つめていた。
部屋では富士重が目の前の膳に手を付けることもなく呆然と座り込んでいた。三人が戻ったことに気付くと富士重は顔を上げ、複雑な表情を浮かべながら「どちらへ出られていたのですか?」と茜に尋ねた。
「その様子だと術は解けたようだな」
「翠扇様、私は一体何をしていたのでしょう……湯屋へ向かったはずが、気が付けばこうして一人座っております……今しがた“術”と言われましたが、それは一体どういうことでしょう?」
「お前のお陰で多少の退屈しのぎにはなったわ」
茜は言葉少なく屏風の向こう側へと座り込んでしまった。……やはり不可解な空白の間に何かあったのだ。空恐ろしくなった富士重はその後部屋に入ってきた弟達に力無く視線を送った。
「兄貴、何があったか知らねぇけど災難だったな」
鷹丸と茄蔵は含み笑いをしながら富士重のそばで胡坐を組む。事態の飲み込めない富士重は益々混乱した。
「鷹丸、茄蔵、退屈しのぎとはどういうことだ? 私は何かとんでもないことを仕出かしてしまったのか?」
「なぁに大したことじゃねぇよ。なぁ鷹兄ぃ」
「あぁ、大したことじゃねぇ」
二人は富士重に食事をすすめながらも今夜起こった猫又騒動の一部始終を楽しげに語り始めた。
◇
翌朝、寝起きに運ばれてきた朝食を四人はゆっくり胃の中に落とし込むと、下膳に来た昨晩の女中にもう椿姫が現れることは無いだろうと伝えてやった。それを聞いた女中は当然のように理由を聞き返したが、茜が「まぁ、何となくそんな気がするだけだ」と話をはぐらかし一行は宿をあとにした。
四人は小糸宿に別れを告げると盆地に芽吹く緑の生気に包まれながら再び街道を北へ北へと向かって進む。清浄な朝の空気が一行の胸を満たし、風呂と食事と十分な休息を得たことでその足取りも弾むような軽快さを見せる。
そんな中にあって富士重だけは憂鬱な表情を浮かべながら一行の最後尾をとぼとぼと歩いていた。
富士重は弟達の話を聞くうちに木橋で椿姫らしき娘に出会ったところまでは思い出していたが、そのあとのことについては全く覚えが無いようだった。しかし操られていたとはいえ茜から預かった大切な金品を持ち出してしまったという事実は富士重の心に暗い影を落としていた。
「どうせ鼻の下でも伸ばしてホイホイと付いていったのであろう」という茜の冗談にもただ「申し訳ありません……」と頭を垂れるばかりであり、一夜明けた今に至ってもその悔恨の念が富士重の内から消えることはなかった。
「あー、もう! いつまでグジグジしているつもりだ! お前に非が無いことは皆承知しておる。いい加減シャキッとせい、シャキッと!……」
突然叱責された富士重はハッとなって顔を上げるが、茜の視線は自分ではなくその後方に向けられているように見えた。
「……おい、あれ、昨日の猫又じゃないのか?」
茜の言葉に兄弟達が振り返る。
「ほれ、あの……一里塚の松の根本だ」
茜が指さす先には確かに昨晩見た茶白柄の猫の姿があった。
「慈螺でねぇか!」
言うが早いか茄蔵は慈螺の元へと駆け寄った。三人が不審そうに見守る中、一人と一匹は木の下で何事かを話し込んでいるようだった。
「……まさか仕返しの機会を狙っていたのではあるまいな?」
「そんな度胸がある妖怪には見えませんでしたが……」
茜と鷹丸が小声で話していると、やや遅れて富士重も二人に合流する。「まさか、あの猫が例の猫又ですか?」富士重の問いに二人は無言でうなずいた。「あの猫が……」慈螺を見つめる富士重の目には恨みや憎しみの感情は無く、むしろ感心したような面持ちさえ浮かんでいた。
三人が遠目で様子をうかがっていると、しばらくして茄蔵が立ち上がりこちらに向かって走り寄ってきた。
「茄蔵、あの妖怪は何と言っていた?」
「姫さん、慈螺も一緒に連れて行ってくれねぇか?」
「――なに?」
「慈螺が俺と一緒に行きたいって言うんだよ。だから頼むよ姫さん」
「バカ者! あんな泥棒猫と一緒に旅ができるわけなかろう!」
「大丈夫だぁ、慈螺はもう悪いことはしねぇって約束してくれたで」
「そんな口約束が何の役に立つ。あの泥棒猫のことだ、きっと油断した隙に妖術をかけて私の金子を奪い去る腹積もりに違いない。……茄蔵、人が好いのも結構だが大概にせんといずれ大怪我をするぞ?」
「そんなことねぇ、あいつにそんな大そうな力はねぇんだよ。時間をかけて人一人操るのが精一杯だって言ってたもの」
「ほう……ではもし“そんなこと”があったときはお前が責任をとってくれるのだな?」
「あぁ、もちろんだで」
「……あのなぁ茄蔵、お前、意味が分かっておるのか?」
「頼むよ姫さん、俺が行っちまったら慈螺はまた独りぼっちになっちまうんだぁ……そんなのかわいそうでねぇか……確かにあいつは普通の猫ちゃんじゃねぇかもしんねぇけど、根は優しくて寂しがりで……とにかく俺ぁ放っておけねぇんだよ!」
真っすぐに訴えかける茄蔵の目に曇りはなかった。そのあまりにも純粋な思いに気圧されたのか、さしもの茜も言葉を継ぐことができなかった。そこへ二人の会話を聞いていた富士重が茜の意を汲み、弟を説得しようと口を開く。
「茄蔵、あまり翠扇様を困らせるな。お前の動物好きは今に始まったことではないが、いくらなんでもあれは――」
「もうよい富士重……好きにさせろ。ただし! もしあいつが悪事を働くようなことがあれば、その時は茄蔵、お前があの妖怪を始末するのだぞ?」
「……わかった。でもそんなことは絶対ならねぇよ。ありがとな姫さん!」
そう言うと茄蔵はその大きな体に似合わぬ機敏な動きを見せながら再び慈螺の元へと走っていった。
「だから翠扇だと!……もうよいわ……」
「翠扇様、本当にアレを連れていくんですか?」
鷹丸は心配そうな面持ちで茄蔵の背中を見つめた。
「仕方なかろう。あの調子では駄目だと言ってもこっそり連れてくるぞ」
「しかし、妖怪を連れて旅など……」
「……ふん、それも一興だ」
三人の視線の先では茄蔵に勢い良く飛び付く慈螺の姿が見える。うれしそうに戯れ合う茄蔵達を眺めながら茜は苦笑いを浮かべていた。




