第十節.椿姫
立ち並ぶ木々に覆い隠された境内は不気味なまでに暗闇と静寂の底へと沈んでいた。茜達三人は僅かに漏れこむ月明かりと足元の感覚だけを頼りに石段を上り進めていたが、頂上に潜む何者かを警戒してか段を重ねるごとに自然と腰が引けていく。その姿は事情を知らぬ者に「賽銭泥棒!」と咎められても申し開きができぬような有様であったが、夜の境内に人の気配などあろうはずも無く、三人の奇行が余人の目に触れる心配は皆無であった。
頂上付近に人がいないことを確認すると、茜は亀のように首を伸ばしながら残り僅かな石段を上っていく。石段の先には開けた場所に小さな拝殿が一つ立っているだけであり、辺りには怪しい人影も見当たらなかった。とは言えこの場所に何者かが潜んでいることは誰の目にも明らかだった。
「拝殿の中か」
茜が小さくつぶやくと背後の二人も小さくうなずく。拝殿正面の格子戸からは淡い光が漏れ出しており、耳をすませば微かな話し声のようなものも聞こえてくる。三人は息を殺して拝殿へと近づいた。
「……そうですか、お疲れさまでした。――それで、例の物はお持ちいただけましたか?」
「――お納めください」
拝殿内から聞こえる男の声は富士重のものに間違いなさそうだった。となるともう一人の女の声が椿姫とやらなのだろうか? 何とか中を確認しようにも正面の格子戸から堂々と覗くわけにもいかない。さりとて腕の良い宮大工の手によるものであろうこの拝殿は外面に光の漏れ出している隙間が一つとして見当たらない。三人は拝殿の側面に回り込み濡れ縁に上がると、外壁に張り付きながら内部の会話に耳を澄ませた。
「まぁ! 銭束が二つも――でも流石にこんなにはいただけませんね……そうですね、少ないほうの銭束はお持ち帰りください。それと、この小袋は何でしょうか?」
わずかな沈黙に続き女は驚いたような声を上げた。
「金?! 大粒の砂金じゃないですかこれ!」
「――お納めください」
「いやいやいやいや、こんなモノ他人に差し出しちゃダメでしょ! あ、いえ、私がそうさせてるんでしたね……えっと、とにかくダメです! こんな高価な物はいただけません!」
「――お納めください」
「……言っても無駄でしたね……コホン、えー、いいですか? あなたはこれから旅籠に戻ってこれを元の場所に戻すんです。いいですね? 元の場所に戻すんですよ? 戻し終わったら自分の部屋でくつろいでいてくださいね。――さぁ、行ってください」
その直後に拝殿正面の戸が開き、抑圧されていた明かりと共に富士重が外へと歩み出る。富士重は相も変わらず主体性の無さそうな様子でトボトボと石段のほうへと歩いて行った。ややあって白い小袖を着た娘が戸口に現れると、戸に片手を添えながら去っていく富士重を見守るように静かに佇んでいる。その衣に浮かぶ椿の花を見ながらやはりコイツが噂の椿姫かと茜は確信した。
やがて富士重の姿が石段の先にすっかり消えてしまうと、椿姫はクルリと向きを変えるなり手提げ提灯を片手に茜達のいるほうへと嬉しそうに駆け寄ってきた。
「あとは頃合いを見て術を解いてあげれば一丁上がり、と。今回もお疲れ様でしたぁ――あにゃ?」
拝殿に張り付く三人を認めた椿姫は頓狂な声を上げた。一人と三人は見つめ合い、長い長い一瞬がその場を支配する。
「お、押さえたぞ女狐!」
茜は濡れ縁から飛び下りるなり椿姫を指さし声を上げた。
「何の因果で富士重に妖術をかけたかは知らんが、私の金子に手を付けたのがお前の運の尽きだ!」
「え? あ……」椿姫は困惑気味にたじろいだ。
「持って生まれた下心、捨てに捨てれぬ男のサガを媚態露に惑わすは、夜に花咲く白椿。花の色香に魅せられた馬鹿な男と笑うとも、笑えぬ徒花悪の華! 罪を恥じ入る慙愧の念が花弁一片残るなら、忸怩の思いに頭を垂らし袖を濡らして縛につけ!」
威勢の良い啖呵と共に椿姫へと詰め寄る茜。壁際では鷹丸と茄蔵が「おー」と感心したように小さく拍手を送っている。
「な、なんですかあなた達は」
「とぼけても無駄だ! 恐れ多くも神の社で不義悪行とは見下げ果てたヤツめ。鷹丸、茄蔵! こ奴を懲らしめてやれい!」
「――え? 懲らしめるって……?」
驚いたように鷹丸が聞き返す。
「二度と悪さができないくらいブチのめしてやれ」
「姫さん、俺こんな綺麗な人を殴れねぇよ」
「翠扇だと言っておるだろう!」
「翠扇様、俺も娘さんを木刀で殴りつけるってのは……とっ捕まえて宿場の自営団に突き出してやればそれでいいじゃないですか」
「バカ者、こっちは金子を奪われておるのだぞ! 何を手緩いことを言っておる!」
茜達が押し問答に終始していると椿姫はにわかに笑い出した。
「あはははは。――何をガヤガヤやっているかと思えば、懲らしめる? ウフフフ……あなた方が私を懲らしめると?」
「何がおかしい。どこで習ったか知らんが妖術の一つや二つ使えるからといって図に乗るでないぞ小娘」
「小娘って、翠扇様よりも年上に見えますが……」
「いらぬ横槍を入れるな!」
「術の一つ二つねぇ、……フフ、可愛いお嬢さん、まさか私を人間の妖術使いか何かとお思いですか?」
椿姫の言葉に茜は眉をひそめた。その直後、一陣の風が一同の間を吹き抜けたかと思うと周囲の空気が小刻みに振動し、茜は目に映る景色が歪むようなにじむような奇妙な錯覚を覚える。
「……分をわきまえぬ詮索は身を滅ぼしますよ、可愛いお嬢さん」
言葉と同時に椿姫の足元からは夜よりも暗い何かが立ち昇り、それは徐々に彼女の体を包み込んでいった。
――まさか……妖の類か?
そう思いつつも怯むこと無くその様子を見つめる茜。異変に気付いた鷹丸と茄蔵は茜をかばうように前へと飛び出す。やがて顔だけを残し全身を黒く蠢くモノに覆われた椿姫はその美しい顔を不快に歪めながら三人に向かって言い放った。
「お前達ごときが私を懲らしめようなんて百年早いんですよ!」
その瞬間椿姫の全身は漆黒の内に埋没し、断末魔の叫び声のような異音と共に漆黒は爆ぜて吹き飛んだ。
「くそっ! 一体どうなって――」
咄嗟に顔をかばった鷹丸は刹那の間に現れた一匹の獣に目を奪われた。
怒りに細められた金色の両目には虹彩を二分するように縦長の瞳孔が走り、突き出た口は頬まで裂けながら鋭い牙と血のように赤い舌を見せつけるように大きく開かれている。体中の毛を逆立てながら二本の尾で夜空を衝くその獣は、前足を曲げ大きく前のめりとなりながら今にも飛びかからん勢いで三人を睨みつけていた。
「――可愛い猫ちゃんだなぁ」
懸命に威嚇をする茶白柄の小さな猫又を見つめながら茄蔵は笑顔を浮かべた。
「驚いたか人間共。黙って立ち去るなら今回だけは見逃してあげます。殺されないうちにさっさと――」
猫又は咄嗟にその場を飛び退いた。直後に「ガッ」という鈍い音と共に鷹丸の大折檻が大地を叩く。
「な、何を、いきなり何をするんですか?! 猫又ですよ! 怖くないのですか?!」
猫又は毛を逆立てたまま「シャーッ」と一声、鷹丸を睨みつけた。
「……こんなちっさい妖怪じゃ自慢にもならねぇが、まぁ、覚悟してくれ」
鷹丸は木刀を振り上げると、冷たい目で猫又を見据えた。
「まままま待って待って! ちょっと落ち着いて! 何もいきなり殴りかかることはないじゃないですか!」
「いや、翠扇様が懲らしめろって言ってるし」
「だって、だってあなたさっき殴らないって!」
「いや、妖怪なら別にいいだろ」
「妖怪ならって……そんな自分勝手な話はダメでしょ!」
「いや、自分勝手って言われてもなぁ」
「……何なんだこのちんちくりんは? 本当にこれが音に聞く妖怪猫又なのか?」
茜が呆れ顔で覗き込むと、それを聞いた猫又がキッと睨み返す。しかし何か言い返そうとしていた矢先に再び大折檻が襲いかかり、猫又は再度後ろへと飛び退いた。
「だからっ! 待ってって言ってるでしょう!」
「もう面倒だから銭置いてさっさと成仏してくれよ」
「そんな雑に扱わないでっ!」
木刀の峰で肩を叩きながら面倒くさそうに喋る鷹丸。総身の毛を逆立てて憤慨しながらも、猫又の劣勢は傍目にも明らかだった。
「……なぁお前、妖怪のくせに何故人間の銭など奪っておったのだ?」茜は呆れ顔で問いかけた。
「そんなこと、私の勝手で――」
「鷹丸」
茜の一声で鷹丸が大折檻を振り上げる。
「待って! 言うから、言いますから!」
それから猫又はプイッと顔を背けると、二本の尻尾をぐにゃぐにゃと動かしながら何やら言いづらそうに身をくねらせた。




