七篠祐樹という男
それがスナイパーかどうかの確証はない。双葉でさえ、スナイパーが何者であるのかは知らなかったし、勿論記憶を失くしている祐樹にわかるはずもない。ただ、血まみれのボールペンが散乱し、クロスボウまで一緒に落ちていたのだ。まずスナイパーで間違いないというのが二人の共通意見だった。この争奪戦を自ら作り上げたクロスボウとボールペンで乗り越えてきた男だ。例え殺されることになっても自分の武器を放そうとはしないだろう。
一つ不可解な点を挙げるとすれば、屋上を根城にしていたはずのスナイパーが一階下の家庭科室にいることと、スナイパーの死体に首から下がなかったことだ。
「首だけ死体……ねぇ」
首だけになってしまったスナイパーを見下ろしながら、双葉は小さく呟く。
「首なし死体と言えば、入れ替わりトリックの常套手段ではあるけれど、首だけっていうと……」
「この頭の主は完璧に死んでるってことだろ」
「ならスナイパーはもう死んだってこと?」
双葉の質問に答える者はいなかった。そもそも質問するべきことでもない。二人の間でこれがスナイパーだという結論に至ったのだ。なら必然的に、スナイパーはもう首だけになって死んでいるのだ。
「まさか、こんなにあっさりと死ぬなんて……さっきまでは生きていたのよね? 私たちが図書室に入る前までは、生きていたはずよ。その時まで確かに私たちはこいつに命を狙われていたんだから」
「その後に、誰かに殺されたってことだろ、つまりはよ」
「でも、誰に? 今の今までこいつに近づくことができた奴なんかいないのよ」
「墓守なら、それができるんじゃないのか?」
祐樹の質問に双葉はすぐには答えず、少し思案するように黙ったあと、どうしてと祐樹に尋ねた。
「俺は墓守って奴にあったことも見たこともないけれど、お前の話を聞く限りスナイパーのもとにたどり着けるのは奴だけのように思うぜ」
「……ええ、多分その通りよ。でもどうして今になって? 今まで墓守はスナイパーには手を出さなかったのに……」
「今だから、だよ。最初墓守にとってスナイパーは都合のいい存在だったんだ。黙っていても、他の生徒を殺してくれるんだからな。そしてその必要が無くなったから殺したんだ」
スナイパーを生かしておく意味がなくなるということ、それはつまり。
「この争奪戦も、いよいよ終わりに近づいてきてるってことなんだろう。もう残った生徒は五人もいないんじゃないか? 墓守は生徒一人一人の墓を掘っているんだろ。だったら残りの人数を把握していてもおかしくない」
「じゃあ墓守がスナイパーを殺したとして、どうして家庭科室で死んでるのよ。それに、首だけ残っているのはどういうこと? 墓守なら死体は全部持って帰るはずよ」
「いや、多分そもそもこの血はスナイパーのものじゃないんじゃないか?」
「はぁ? どういうことよ」
「つまり屋上でスナイパーを殺して校庭に変える途中、家庭科室でもう一人生徒を見つけて戦闘になった。首やらボールペンやらが散乱しているのは墓守がスナイパーの死体を楯に使ったからじゃないか?」
丁度、ナイトの死体をスナイパーの射撃の楯に使った双葉のように墓守はスナイパーの死体を敵からの攻撃を防ぐ肉壁としたのではないか。その結果、死んでも放しはしまいと持っていたクロスボウやボールペンははずみで落ちて、ついでに首まで落としてしまったのだろう。
「墓守はうっかりそれに気づかずにいたんだ。それで頭のかけた体だけの死体を校庭まで引っ張ってっただろう。多分時間的に考えて、俺らがここに来るために階段を上ってる時にあいつは階段を下りていたんだ。新校舎の階段は西と東に一つづつ。俺らが上ってきたのが東側。家庭科室に一番近い階段は西側だから鉢合わせもせずに来れたんだ」
淡々と思ったことを口にしていく祐樹。そんな祐樹を双葉はおかしな目で見つめていた。笑っているような、驚いているような、そんなよくわからない視線。自分の推理が変だったのかと祐樹は慌てる。
「ご、ごめん。やっぱうっかりってとこに無理があったよな……」
「ううん。違うわ。本気のあんたは頼りになるなぁって思っただけ」
くすくすと、見たことない笑顔で双葉は笑った。
「いつだっけ、私が筆箱を失くした時。あの時もあんたこうやって凄い真剣な顔して一緒に探してくれたよね」
「……小学校の、三年の時だ。俺が必死で探してやってるのに、お前が途中で帰って家でゲームしてたっていうオチの話だろ」
「そうそう。たいした物も入ってなかったし、もういいやって私は言ったのに、あんた一人でずっと探してて……家でゲームしてたら汗だくのあんたが筆箱届けに来てくれたのよね。そのあとは二人で一緒に遊んで……なんだ、記憶喪失なのに覚えてるんだ」
「言っただろ。この争奪戦に関する記憶が丸々抜け落ちてるだけだって。それに、例え全部の記憶がぶっ飛んでも忘れたりはしねぇよ。初めてお前の家に行った時のことだぜ?」
「あんたにとっても私にとっても忘れられないことってことか……というか、あんたとの思い出って大抵色々インパクト強いから忘れられないのよねぇ。あんたの告白の恥ずかしい台詞だって全部覚えているもの」
「それは忘れてくれ……」
「無理。あんな恥ずかしいこと真顔で言われたら一生忘れられないわよ。私もそれなりに告白されたことはあるけど、一言一句残さず覚えてるのはあんたの告白だけよ」
祐樹はその恥ずかしい言葉を一人思い出し悶絶する。その様を面白そうに眺めながら、双葉は祐樹に聞こえないよう小さな声で呟く。
「君のためならなんでもできるとか、君以外いらないだとか、そういう台詞を恰好だけじゃなくて本気で言えるのは、多分あんただけだろうからね……だから忘れられないのかしら」
双葉はしばらく悶絶する祐樹の姿を楽しむと、おもむろに家庭科室を出て行こうとした。祐樹が呼び止めると彼女は振り返って言う。
「あんたの推理が正しければ、家庭科室から屋上に行くまでの道に何かしら跡が残ってるはずでしょ? スナイパーの血だとか、墓守のスコップで擦れた跡だとか……そういうの探してくるから、あんたはその間自分の武器を探していなさい。とにかく手当たり次第に触れること。自分の武器なら触った瞬間にわかるはずよ」
それだけ言って、双葉は家庭科室から出て行った。残された祐樹は双葉に言われた通りに家庭科室にあるものを手当たり次第に触る。
「しかしこれ、本当に見つかるもんなのか?」
一人愚痴をこぼす。いくら最初に見つけた場所が家庭科室だからって、今もまだその武器がここにあるとは限らない。大体、手がかりが少なすぎると祐樹はため息を吐いた。
一緒に戦っていた双葉でさえ、知らなかった武器。気づかない間に、いつのまにか敵を八つ裂きにするような武器。そんな芸当ができる武器が果たして一般の高校の中にあるのだろうか。この場合見えないということがヒントなのだろうが、しかし見えない武器を学校の中から探すことができるとは思えなかった。
海棠高校の家庭科室は二つの部屋に分かれている。調理室と裁縫室だ。フライパンや鍋などの調理器具を一通り触れて、調理室にはないと判断した祐樹は裁縫室へ向かった。しかしここにも何かがあるとは思えない。精々ミシンだとか裁縫針くらいならなんとか武器になるかもしれないが、それはどう扱っても見える武器だ。祐樹の探しているものとは違う。案の定触れてみても何も起こらなかった。
祐樹が半ば諦めかけて。ミシン台に手をついた――――その瞬間、祐樹の脳内にはありとあらゆる人の殺し方が浮かび上がった。それは吹きだす鮮血の温かさや流れ出る臓物の色までもが想像できるほどはっきりとしたイメージ。だが何かおかしい。人の殺し方のイメージと鮮血の想像は似ているようで何かが違っていた。人の殺し方はあくまで知識としてのそれであり、鮮血はその逆。間違いなくそれは祐樹が体験した《記憶》だった。
「うわああああああああああああああ!」
うわずった悲鳴は予想よりも小さかった。悲鳴をあげることすら躊躇われた。その記憶のおぞましさに、祐樹は言葉より先に胃の中の物を吐き出したのだ。
なんだこれは、なんだこれは。
錯乱する意識をなんとか押しとどめ、祐樹は思考を蘇った記憶に向ける。
思い出した。全て、今まで忘れていた争奪戦の記憶を全て思い出した。だけど、なんだこれは。これが俺だって言うのか。こんなおぞましい奴が俺自身だというのか。
祐樹が思い出したかつての七篠祐樹の記憶。それは殺人鬼の記憶に他ならなかった。
一人や二人、十人や二十人ではない。七篠祐樹がはっきりと認識しているだけでおよそ一五〇人。海棠高校の生徒数の役三分の一もの生徒を七篠祐樹は惨殺していた。
体育館で校長のタグトロムの説明が終わった後、墓守が女生徒をなんの躊躇いもなく殺している丁度その時、七篠祐樹は誰に気づかれることもなく体育館を出た。そうして真っ直ぐにこの家庭科室にやって来て迷わずにある武器を手にした。それこそが見えない武器。七篠祐樹はそれを使い争奪戦初期から誰に気づかれることもなく生徒たちを殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して――――
「嘘だろ……」
ようやく出てきた言葉はそれだけ。こんなの嘘だと、現実を否定するための言葉。しかしそんなもので七篠祐樹が犯した殺人は否定されない。
彼のやり口は主に騙し討ちや不意打ち。厚木美樹なんかよりもよっぽど醜い戦法を七篠祐樹は取ってきたのだ。手を組もうと言って近づいては裏切り、殺されかけていた少女を救って信頼を勝ち取って最後には生きたまま楯にして殺すような、そんな戦法。平気な顔をして仲間を売った。何も言わずに後ろから首を刎ねた。上手いこと言いくるめてスナイパーの射線に引きずり出しもした。窓から突き落とした数なんて数えることもできない。そんな一つ一つを顔色を変えることもせず、さもそれが当たり前のようにこなしていく姿。それはあまりにもおぞましい自分の姿。そして何よりも恐ろしいのはその理解しがたい動機だった。……いや理解できてしまうからこそそれは醜いのかもしれない。
かつての七篠祐樹は気づいてしまったのだ。校長からタグトロムの説明を聞いて、その素晴らしさを知って気づいてしまった。もし自分がタグトロムを手に入れられれば、双葉は自分に振り向いてくれるのではないかと……。
「違う、違う……俺は本当にあいつのことが好きで、だからそんな何かと引き換えみたいな。そんな関係は望んでない!」
しかし事実、記憶を失ったはずの祐樹もまた同じような道を辿っているのだ。
『キスでもなんでもしてあげる』
彼女のただそれだけの言葉でこんなにも自分は本気になっている。全ては双葉えいりのため。ただそれだけのために自分はここにいるのだ。
考えてみれば不審な点はいくつもあった。
血まみれの教室と同級生の死体を見て、ここは驚いていたほうがいいと冷静に考える自分がいた。
双葉の話す荒唐無稽なタグトロムを巡る争いの話をすんなりと信じた自分がいた。
当たり前のように人を殺す彼女になんの疑問も抱かない自分がいた。
そんなこと普通ならありえない。ありえるはずがない。さっきまで普通に授業を受けていたと言っていた人間が突然人殺しのゲームに放り出されて平常にいられたことこそ異常だ。
七篠祐樹は異常だったのだ。最初から、頭がおかしかったのだ。
そもそも祐樹には最初から双葉のことしか見えていなかった。彼女以外どうでもよかったのだ。だからなんの躊躇いもなく他の生徒を殺した。騙し討ちもした。不意打ちもした。なんだってやった。彼女のために祐樹はタグトロムを求めた。
そして記憶を失ったあともこうして彼女のために戦っている。
狂っている。祐樹は素直にそう思った。一度記憶を失い、かつての自分を客観的に見た今だからこそ言える。自分は狂っている。それは殺した人数でもなく、その方法でもない。ましててや全て彼女ためという動機でもない。狂っているのはそういう過去の自分の所業を《まあ、仕方ないかな》くらいにしか思えない今の自分だ。
「結局、どうでもいいのか……」
七篠祐樹にとって唯一無二の存在は双葉えいりだけ。そのほかの全ては全ての代替品でしかない。それは自分でさえも代替品足りえるということだ。どうだっていいのだ。自分が何者であろうと、そこに彼女がいればそれでいい。彼女が喜んでくれるのなら、祐樹は喜んで自分すら捨てて見せよう。
「そうだな、そうなんだな。記憶があるとかないとか関係ないんだな。結局おれは最後にはあいつのために戦うことになるんだ」
やることは何も変わりはしないのだと。
祐樹は再び戦う覚悟を決める。誰のためでもなく、ただ彼女のために戦う覚悟だ。
そして家庭科室を出て校庭に向かった二人はそこで墓守と遭遇する。
対墓守戦。
それはこのタグトロム争奪戦における頂上決戦に他ならなかった。




