図書室の攻防
「ふぅ……」
双葉は倒れそうになるナイトの体を支えていた。見ようによっては誇りある騎士を最期まで健気に讃えようとする少女のように見えなくもないが実際はスナイパーの楯にしているだけだった。ナイトが死んでから追加で三発のボールペンが彼の体に刺さっている。どうしてだろう。ナイトが誇りある戦士だったからか、祐樹は双葉を素直に下種だと思ってしまった。
双葉がナイトの手から三角定規をひったくると、祐樹の前に投げた。
「ほら、あんたもこっち来なさい。こんな風にボールペンぶっ刺されて死にたくないでしょ? 私が囮になってるから大丈夫だとは思うけど、念のためそれで急所だけは隠して早く死角に入っちゃいなさいよ」
「ああうん。それはいいけど、囮になってるのはどっちかっていうとナイトの方だよな? 囮というか身代わりというか……」
「何言ってるのよ。騎士様っていうのはか弱い少女を守るものでしょ」
「さっきはかっこつけてアサシンだとか言ってたくせに」
「か弱い少女のアサシンよ」
「言ってること滅茶苦茶だぞお前!」
そんなやり取りを挟みつつ、二人はなんとか図書室の扉の目にたどり着いた。ちなみに身代わりの役目を終えたナイトの死体はタグトロムを持っていないことを確認すると、舌打ちと共に双葉が適当に投げ捨てた。こんな状況だし敵なのだし供養をしろとは言わないが、せめて見開いたままの目くらいは閉じてやれよと祐樹は抗議したが「嫌よ気持ち悪い」と一蹴された。
下種だ。祐樹は素直にそう思った。
「なんであんた、そんなにナイトに肩入れするのよ」
「いやだって、そんなノリだったじゃんかよ。戦いの中でお互いを認め合って敗者を悼みながらも讃える勝者の姿がそこには……みたいな?」
「そんな気持ちのいい戦いを期待していたらこの先辛いわよ? あいつだって、途中までは冷静で紳士みたいだったけれど、最期は結局私を恨んで死んでいったはずよ。私のせいであいつはタグトロムを手に入れられなかったんだから」
表面に現れる態度がどうであれ、この学校では誰もがタグトロムを欲しているのだと彼女は言った。
「全員が全員同じものを奪い合うライバルなのよ。恨みが残らない方がおかしいわ。私もあんたも、そういう恨みつらみを重ねてここまで来てるんだから」
そう言いながら、双葉は図書室の扉を開けた。少し湿っぽい空気が漏れて祐樹の頬を流れた。中に入り、扉を閉めてしまえば、そこは完全にスナイパーの目の届かない安全地帯になった。
「ああ~、やっと一息つける」
連続した戦闘でさすがに疲れたのか、双葉は真っ先に図書室の椅子に腰かけた。祐樹は彼女の対面に座った。
図書室の中は嫌なくらい静かだった。本の臭いというよりはかび臭い匂いがした。
「で、ここからどうすんだよ」
「もう次の話? やめてよね、せっかく休憩できそうなのに」
「そうは言っても……」
「スナイパーがいる以上大っぴらには動けないわ。結局安全な場所で待機しか私たちにできることはないの」
双葉にそう言われてしまえば祐樹は納得せざるを得ないが、しかしそれでもやはり疑問は残る。
「なあ双葉、そんなにスナイパーが邪魔なら直接倒しには行けばいいんじゃないか? あいつの武器は遠距離戦には優れているけど、近距離なら双葉の鋏の方が分はある。なんとかあいつの攻撃をかいくぐって新校舎まで行ければ……」
「無理よ」
「でも、あいつだってこの旧校舎の全ての場所を一度に狙い打てるわけじゃないんだ。さっきみたいな一時的な死角だって存在する。そういうところを選んでいけば大丈夫なんじゃないのか?」
祐樹の意見はごくまともだった。だが双葉はそれを無理だと言った。そうじゃないとも続けた。
「そうじゃない。そうじゃないのよ。あんたの言う通り、スナイパーの攻撃をかいくぐることは可能よ。でも、問題はその先……旧校舎から新校舎に行くには、一度外に出なくちゃいけない。それがまずいのよ。多分今の私たちが外に出たら、確実に殺される」
「外に何かがあるのか?」
「あいつがいるのよ。外には墓守がいる」
「墓守……?」
その名の意味を問おうとした、その時だった。
バタバタ、と本が落ちる音。二人が咄嗟にその方向に向くと、そこには一人の女生徒がいた。本棚の後ろに隠れていたのだろうか、体の殆どを本棚で隠してじっとこちらを見ている。祐樹と女生徒の目があった。瞬間――
「いやああああああ」
女生徒は脇目も振らずに逃げ出した。
「…………」
「…………祐樹、あの子に何か酷いことでもしたの?」
「してねぇよ! 顔も知らない子だよ!」
「こういうのは素直に自首した方が罪が軽くなるものなのよ」
「だから何もしてないって!!」
二人のやり取りも聞かずに女生徒は逃げる。しかし海棠高校の図書室は別段広いわけでもなく、すぐに壁に当たり行き止まりになってしまう。相当慌てているのか壁を前にして女生徒はあたふたして、とりあえずまた身を隠そうと隣の棚に隠れるために右を向いた瞬間、思いっきり転んだ。
「ドジっ娘ね……」
「ドジっ娘だな……」
同じことを呟きながら二人が女生徒を見守っていると、彼女は倒れたまま頭を抱えて、
「いやああああああ殺さないでくださいいいいいいいいいいいいいいい」
と言いながらがたがた震えだした。表紙抜けがするというか、毒気が抜かれてしまった祐樹は苦笑いと共に双葉に尋ねた。
「って言ってるけど、どうする? 殺すのか?」
「……とりあえず話だけでも聞いてあげましょうか」
ため息をつきながら、双葉はしょうがないないと笑っていた。
******
何かおかしな状況になってしまったなぁ、と祐樹は肩を落とした。
ナイトとの戦闘後、無事図書室に逃げ込むことができた祐樹と双葉だったが、ナイトが固く守っていた扉の向こうには一人の女生徒がいた。名前は厚木美樹。黒い髪をおさげにして眼鏡をかけた大人しそうな雰囲気の女生徒。海棠高校二年の図書委員だそうだ。二人とは同級生だったが二人とも聞いたこともない名前だった。あまり目立つ方ではないからと厚木は苦笑いしていた。
そんな図書委員の厚木と一緒になってどうしてか祐樹は双葉に向かって正座をさせられていた。元々は椅子に座った双葉がふんぞり返りながら厚木を正座させたのが最初なのだが、それを見た祐樹がぼそりと「下種だな……」と呟いたのを聞かれてしまい一緒になって正座させられていたのだ。
一体どうしてこんなおもしろい状況になってしまったのか祐樹には皆目見当もつかなかったが、とりあえず双葉の怒りが収まるまでは大人しくしておこうと思った。
「で、厚木だっけ? どうしてあんたはここにいるのよ」
椅子の上で足を組んだ双葉が厚木にここにいる理由を聞いた。
「さっきまでここはナイト……あの三角定規男が守っていたはずなんだけど?」
「えっと、あのそれなんですけど……」
厚木の声は小さく、消え入りそうだった。声に迫力がないのだろう。妙に聞き取りにくい。
「そもそもここは私が最初にいたんです。朝の集会が終わってすぐ、ここに逃げ込んで……そしたらそのナイトさん? が扉の前に陣取っちゃって出ることもできなくなって…………」
「まさか今までじっと何もせずにここにいたの?」
「いやその……本を読んだり? はしてました……はい」
面白い人だなぁ、と祐樹は思ったが、双葉は呆れてものも言えない様子だった。若干不機嫌にも見える。それを見て厚木はまたあたふたする。
「あ、あの私何かおかしなこと言ったでしょうか……?」
「おかしいっていうか……マヌケよね」
「ま、マヌケ」
厚木は絶句する。初対面の人に面と向かってマヌケと言われれば誰だってこうなるだろうなという顔だ。
「まあそれを言うなら一番マヌケなのはナイトよね。中に人がいることも知らずに守っていたんですもの。後ろから狙われたらどうするつもりだったんだか」
「でもあれじゃないか? お城に住まう姫を守っていたんだと思えばそれこそナイトらしいぜ」
「死ね」
「せめて、せめてまともなコメントを!」
祐樹の懇願を無視して、双葉は話を進める。
「それで、あんたはナイトを殺してここを出ようとは思わなかったの?」
「それが、一つ問題があって……」
「問題?」
「えっと、私の武器なん、ですけど。それがその……」
はっきりしない厚木の物言いに双葉は見るからにイライラを溜めていく。はっきりしない奴、うじうじした奴が彼女は嫌いだった。
「ああもう面倒ね! 武器がなんなのよ!」
「…………!」
厚木は怯えたようにぶるっと震えながら手にしていた一冊の本を顔の前に持ってきた。最初それは双葉の睨むような視線を遮るための壁なのだと思ったが、違った。双葉はまた呆れた顔で言った。
「まさか、それがあんたの武器?」
「え、マジで!?」
思わず祐樹も声をあげてしまった。厚木美樹の武器は本だったのだ。
「最初に手にしたものが武器になるってことをすっかり忘れてて……そのナイトさんが扉の前に来ちゃって出られなくなって暇だったんで本を読もうとしたら…………」
「おっどろいた。本当にマヌケなのね、あなた」
「す、すみません」
「私に謝ってどうすんのよ」
厚木美樹の武器は本。いやこんなもの武器と呼んでいいかどうかも微妙だ。今までは学校の備品とはいえ、使いようによっては凶器になりえるものを誰もが自らの武器として使っていた。しかし厚木は別だ。本で人は殺せない。ましてやナイトを殺すことなど不可能だ。だから彼女はここでじっとしているしかなかったのだ。
「ごめんなさい、私昔っからトロくて……」
「そんなこと私に言ってどうするのよ」
「で、ですよね」
「まったく」
双葉は終始呆れ気味だ。幾度ない戦いを勝ち抜いた彼女にとって、厚木の存在はなんというか拍子抜けする要素でしかないのだ。祐樹でさえもさっきから毒気を抜かれっぱなしである。それでも双葉は最低限の緊張を保とうと厳しい視線を厚木に向ける。双葉の視線が辛いのか、厚木はさっきから一度も彼女と目を合わそうとしない。
「ね、厚木」
そこで初めて双葉は厚木の名前を呼んだ。厚木は少し裏返りそうな声で「はい!」と答えた。
「な、なんでしょうか?」
「タグトロム、欲しい?」
それはナイトに尋ねた問いと同じもの。しかし厚木はナイトと違い即答することはなく、首を傾げてしまう。
「答えなさい。厚木美樹はタグトロムを欲しているのかどうか。考えるような質問じゃないはずよ」
「タグトロム、ですか……?」
厚木は視線を自身の膝に向けて俯く、そうしてしばらくたってから口を開いた。
「欲しい……です。でも、そのために戦うのは嫌というか、怖いかな。こんな武器じゃ勝てないし……」
「そ、ならあんたは戦わないのね」
それだけ言って双葉はすっと立ち上がる。そして祐樹を一瞥しながら「いくわよ」と言った。祐樹は首を傾げる。
「行くって、どこにだよ」
「ここ以外のどこかよ」
「おい待てよ双葉!」
一人でさっさと出て行こうとしてしまう双葉を祐樹は呼び止める。双葉は不機嫌そうな顔で振りむく。
「何よ」
「ここで一休みするんじゃなかったのかよ」
「そのつもりだったんだけどね、その子がいるなら無理よ」
その子、と双葉は厚木を顎で指しながら言った。
「例え戦う気がない子でも、味方ではない奴と一緒にいることはできないわ」
厚木を敵だと双葉は言った。その意味を祐樹はなんとなく理解する。厚木美樹は言った。戦う気はないけれど、でもタグトロムは欲しいと。積極的にタグトロムを得ようというつもりがなくとも、同じものを欲する以上、双葉にとって厚木は敵なのだ。
双葉えいりは本気でタグトロムを手に入れようとしている。だからきっとこういうところで妥協はしないのだろうと、祐樹にはわかっていた。それでも先程から不安そうにびくびくしている厚木を見ると祐樹は何か言わずにはいられなくなった。
「そんなに警戒する必要があるのか……? 厚木の武器は戦えるようなものじゃないって、お前も認めてるじゃないか」
「ボールペンを弾丸にするような奴だっている。あんたは覚えてないだろうけど、校庭に敷く石灰を武器にした奴だっていたわ。警戒するに越したことはない」
「だけど、だけどよ」
祐樹は躊躇いながら口にした。
「ナイトは死んだ。もういない。ここに俺たちみたいに逃げ込んでくる奴がいるかもしれない。そいつがもし見境のない殺人鬼だったらどうすんだよ。厚木は、何もできず死んじまうんじゃないのか」
「そうなるでしょうね。というか普通はそうよ。私たちは全然優しい方。おかしいのは私たちよ。まともな参加者ならすでに厚木は死んでいるでしょうね」
「なら尚更だ! 厚木を一人でここに置いていけはしない!」
祐樹は思わず声を大きくした。双葉は少しだけ驚いた後、すぐに険しい顔を祐樹に向けた。
「何か勘違いしているようだか言らっておくけど、この戦いは基本的に個人戦なのよ。特に終盤戦の今じゃあ今まで手を組んでいた人間だって敵になりかねない。おかしいのは私たちなんだってば」
「だけど、だからってそんな……」
放っておけば死ぬかもしれない人間を置いていくことは、いけないことなのではないのか。普通の高校生の七篠祐樹がやってはいけないことではないのかと、祐樹は自問する。だが自分自身の答えがでる前に双葉がおかしな顔をして尋ねるのだ。
「どうしちゃったのよ。さっきまで私が誰かを殺すのをたいした疑問も持たないで見てたくせに、女の子は別ってこと? らしくないわよ、それ。祐樹らしくない」
あれ? と祐樹は思わず首を傾げてしまう。そうだ、そもそもどうして自分はさっきから人を殺す双葉を当然のように受け入れてしまっているのだろう。この戦いを当たり前のものとして考えてしまっていたのだろう。記憶も何もないくせに、そういうことなんだと認めることが何故できたのか。それに、自分らしさというのは……? 七篠祐樹のらしさとは一体――――
その時だった。双葉が大声で何かを言ったような気がした。その声で落ち込んでいく思考の渦から無理矢理引っ張り出された祐樹は直後に双葉に体を思い切り押された。突然の不意打ちのようだったからか、祐樹の体はいとも簡単に双葉に押されるがままに飛んだ。次に聞いたのはミシィという嫌な音。それは祐樹が何度か聞いたことのある人の骨の折れる音。脳髄にまで響くような不快な音。その音は双葉の右腕から発せられたものだった。
「ああ。ぐぅ……!」
苦痛に顔を歪め、思わずしゃがみこんでしまう双葉。そんな彼女を見下ろすようにして、厚木は立っていた。
「あ、あは、やった。わ、私でも、私なんかでもやればできるんだ……!」
厚木の顔からさっきまでのおどおどした表情は消えていた。今はただ張り付くような笑顔だけが彼女の顔を作っている。不気味なまでに口角を吊り上げ、彼女は笑っていた。やった、やったと。
状況が理解できず、祐樹はしばらくボケッとしていたが、厚木の持っていたものをみるとすぐに今のこの状況の意味を悟った。彼女が持っていたのはハードカバーの何かの図鑑かと思われる本。問題はその厚さと大きさだ。とにかく分厚く、また本自体の大きさも大きい。まるで何かの鈍器を思わせるような……。
「鈍器、そうか鈍器か!」
悔しさと共に祐樹は口にした。全く役にたたないと思っていたはずの厚木の本という武器は、ものによっては鈍器になりえるのだ。よく考えればすぐにわかりそうなものだった。結局祐樹は気づかなかったが、彼女はずっとこの図書室にこもっていたのだ。その間、彼女はここにある蔵書の全てを好きにすることができた。本を武器とする彼女が凶器となり得る本を探すのは簡単なことだったはずだ。
「だ、大丈夫ですか?」
厚木はしゃがみこむ双葉にじりじりと近づく。
「い、今骨が折れましたよね? 痛いですか? ごめんなさいでも大丈夫ですよ! ちゃんと頭に当てれば三回くらいで死ぬはずですから! だから次は動かないでくださいね」
近づく厚木を視界に収めながらも、双葉は痛みに耐えかね動けないでいた。
厚木がその手の鈍器をゆっくり振り上げる。
「次は、ちゃんと狙って……頭に、頭に……」
ぶつぶつと呟く言葉はもう祐樹の耳には入ってこなかった。今はただ祐樹は悔しさと不甲斐なさで押しつぶされそうになっていた。
なんてまぬけだ。敵かもしれない相手を無闇に助けようなどと口にして、その上くだらない思考に飲まれて双葉まで傷つけてしまった。自分のせいで彼女が傷ついた。その事実は祐樹にとって許しがたい現実だった。
「ふざけんな! 畜生!!」
自分を罵りながら、祐樹は体を起こして駆けだした。そして双葉の楯になるように厚木と双葉の間に割って入った。
「……! 邪魔、しないでください!」
厚木は振り上げた本を祐樹に向かって振り下ろした。思わず腕で受けそうになったがすんでの所で双葉の腕がいとも簡単に折れてしまったことを思い出して止まる。しかしだからといって真正面から頭で受け止めるわけにもいかない。とにかく避けようと体を動かすが、避けきれず、厚木の本が祐樹の右肩に直撃する。
「があああ!」
肩を揺らす鈍い痛みに声が出た。重く響くような一撃だ。
「避けちゃ、駄目じゃないですか。痛くなっちゃいますよ?」
厚木が再び本を振り上げた。それが祐樹か双葉のどちらかに狙いを定められる前に祐樹は大丈夫な方の腕で双葉の肩を掴んで強引に引っ張って厚木から距離を取った。厚木はゆらりと体を動かし祐樹たちを見ていたが、不思議と急いで追いかけてくる様子はない。とにかく図書室の中で離れられるだけ厚木から離れてようやく祐樹は双葉の肩から手を放した。、
「馬鹿……」
いつもよりも覇気のない声で双葉が呟いた。
「無茶すんじゃないわよ」
「大丈夫だ。死ぬほど痛いけど、骨がやられたとかじゃない。痛みがひけばちゃんと動かせる。双葉こそ大丈夫なのかよ」
「痛くはないけど骨が折れてるわ」
「強がるな、頼むから……」
辛そうな顔で言う双葉を見て、祐樹はますます自分が情けなくなった。ごめん、と反射的に口にすると、双葉に怒られた。
「謝ったって仕方ないでしょ。最初のは確かにあんたの不注意だけど、その後こうして私を助けてくれたんだからおあいこよ」
「だけど……」
「いいから、自分を責める前にまずここから生き残る術を考えなさい」
双葉の視線に迷いはない。彼女はもうすでに次のことを考えている。過ぎたことに思考を回しているばかりの自分と違い、この現状をどうするのか考えているのだ。祐樹もまた彼女に倣うようにして後悔や悔しさを振り払い、生き残るための思考を始めた。
様々な考えが頭を巡るが、しかし祐樹が自身の武器を思い出さないことには、どうしたって双葉の力を借りる他ない。
「双葉、あいつに勝てるか?」
「勿論……と言いたいところだけど」
双葉は難しそうな顔をする。
「あの子の持つ武器は確かに凶器足りえているけれど、決して優れた武器というわけじゃないわ。その点、私の方が分がある。でも今私は片腕使えなくなっちゃったし……どうなるかはわからないわ」
「でもあいつはさっきまでここに引きこもってただけのやつだ。戦闘経験なら双葉の方が上なんだろう? だったら……」
「経験とか、そういうの関係ないのよ。さっきも言ったでしょう? 武器を持つと、それだけで戦い方が頭に浮かぶ。それを行動に移す度量さえあれば、すぐにでもあの子も私と同じようになれるわ」
それに、と双葉は続けて不安要素を口にした。
「あの子はナイトとは毛色が違うけれど、勝つことへの執着は同等よ。騙し討ちっていうのは騙す方にも結構リスクがあるものなの。特に個人戦のこの争奪戦において、騙し討ちなんて殆ど成功しないというか、誰も考えたりはしないわ。人を見れば殺すのが基本だもの。ま、だからこそ半分くらい信じちゃって、私も少し油断しちゃったんだけれど……きっとそこまで含めてあの子の演技だったんでしょうね。狡猾な子よ、本当に」
祐樹は完全に厚木の演技を信じていた。そして双葉は厚木を侮っていた。この状況はそれらの油断の結果なのだった。不甲斐なさを感じているのは祐樹だけではない。双葉もまた現状の打開策を考える中で時々悔しそうに唸っていた。
「せめてあんたが私を連れて図書室から出てくれたらよかったんだけど……」
「悪い。混乱しててよく考えもせずに動いちまった」
「責めてるわけじゃないのよ? 外にはスナイパーもいるし、当然の判断だと思う。でも、これは……」
双葉の言っていることは祐樹にも理解できた。二人は現在図書室の奥、背の高い本棚に挟まれた狭い通路にいる。窓のないこの場所の出口は最初に二人が入ってきた扉だけ。仮に戦闘を回避しようとすれば、どうしたってその扉に行かなくてはならなくなる。だがそう簡単にいくわけがない。図書室の奥に逃げ込んだ二人を厚木は追ってはこなかった。その意味をようやく祐樹は理解したのだ。
単純な話。逃げ道が一つしかないのならわざわざ追いかけることもなく、そのただ一つの逃げ道の前にいればいいのだ。そうすれば敵は自ずと姿を現してくれる。
祐樹はここに逃げてきてしまったことを後悔した。図書室から出るとまではいわなくても、扉を視認することもできないようなこんな奥にまで逃げ込んでしまったのは明らかに失敗だった。
「ま、おかげで腹はくくれたわよ。これでどっちにしても戦うざるを得なくなったわ」
「大丈夫なのか?」
自分が不安な顔をしても仕方ないとわかってはいたが、それでも隠しきれない不安が祐樹の顔に浮かぶ。双葉は妙に優しく微笑んで言う。
「大丈夫だから、あんたは私の後ろで応援でもしてなさい」
******
やはり厚木は図書室の唯一の出口の前にいた。その手に本という名の鈍器を持って、二人を待ち構えていた。
「やっと来てくれた」
図書室の奥から出口にまで足を運んだ二人を見て、厚木はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「こ、ここで待っていれば絶対来てくれると思ってました。でも、遅いから心配しちゃったじゃないですか」
「悪かったわね。作戦会議してたのよ」
双葉は得意げな笑みを浮かべる。厚木が手にした鈍器を構えて完全に臨戦態勢になる。それを見計らい、双葉は突然腰をくの字に曲げて頭を下げた。呆気に取られる厚木に双葉は告げる。
「お願い、厚木。私たちと手を組んでくれないかしら」
ふへぇ!? と厚木は変な声をあげる。それもそうだろう。騙し討ちで仕留め損ねた相手からまさか共闘をお願いされるとは予想だにしていなかったはずだ。
「な、な、な、ななにを言ってるんですか……?」
「そのまんまの意味よ」
双葉はさっさと顔を上げて、いつもの高圧的な態度に戻る。とてもじゃないが、お願いする人間の態度ではないが、それはそれで様になってもいた。
「あんたの騙し討ちのおかげで、私は右腕を負傷。祐樹も骨は折れてないにせよ、しばらくは感覚がマヒしてとてもじゃないけど戦えない。だから、ここはあなたとは戦わずに、手を組むべきだと思った。それだけよ」
「……タグトロムはただ一人にしか与えられません。手を組んだところで、どの道最後には敵同士ですよ?」
「そうはならないわ。最後の三人になった時点で、私たちは降参してあなたにタグトロムを譲るもの」
「は、はぁ? あなた何言ってるんですか! そんなことできるんですか!?」
「できるわよ。タグトロムは一人しか手に入れられないけれど、三人が生き残って二人が諦めた場合だって手に入れるのは一人なんだからおかしくはないでしょ? 別に最後の一人になるまで戦えなんて、校長は言ってないわよ」
「え、いや……あの……」
厚木が言葉を濁した。それもそうだ。彼女が言った「そんなことができるのか」という問いは「あなたはタグトロムを諦められるのか」という問いだったはずだ。しかし双葉はそう捉えず、ただ現実的な可能性の話をした。それは双葉が簡単にタグトロムを諦められるという意味にさえ取れる。現時点で双葉えいりは自分がタグトロムを諦められるかどうかなどということは問題にもしていない。そんなことはできて当たり前、わざわざ問題にするまでもないことなのだと、そう言っているのだ。
だけど祐樹は知っていた。彼女が一度欲した物を簡単に諦めるわけがないことを。何より彼女のタグトロムへの想いを知っている。双葉えいりが諦めるわけがない。
ここまでは全て彼女の作戦。騙し討ちを騙し討ちで返す。図書室の奥でそう微笑んだ彼女の不敵な笑顔が頭に浮かんだ。だけどそんな簡単にいくのかとその時の祐樹は尋ねた。
「別に本当に騙すわけじゃないもの。ただ動揺を誘えればいい。あの子結構テンパり癖あるみたいだし、突発的にわけわかんない事言って混乱させれれば私たちの勝ちよ」
そう言って笑っていた双葉の作戦はもう殆ど成功しつつある。厚木は見るからに動揺し、余裕をなくしている。だが駄目だ、確実に勝つためには、もうひと押し必要だ。祐樹と同じ思いだったのか、双葉もすぐに次の行動に移ることはせず、ただじっと厚木を見つめた。双葉の眼力に見つめられた厚木はおろおろと狼狽して視線を双葉から外した。
ここだ! 祐樹がそう思った時にはすでに双葉は動かせる方の左腕に自らの武器、鋏を持って厚木に向かって特攻していた。数歩で距離を縮め、双葉は手にした鋏を厚木の首に目がけて突きだす。その一連の動作に一切の躊躇いはない。誰もが武器を取り知識だけなら殺人鬼になったこの学校において、強さとはすなわち躊躇わないこと。頭に浮かんだ殺しのイメージを迷いなく行える者こそが強者。そして双葉えいりは確かに強者の資格を持つ者だった。
勝った。祐樹はそう確信したが、しかし勝負はそこで終わらなかった。厚木の首を狙って放たれた鋏は厚木が懐から取り出したもう一つの本で受け止められていたのだ。
鋏の刃のすべてが本に飲み込まれてしまっている光景を見て祐樹は驚愕する。厚木は確かに双葉から視線を外した。外された視線は今もまだ双葉を見てはいない。厚木は双葉を見もせずに、彼女の一撃を防いで見せたのだ。
「あ、あはははは。やっぱり嘘だったんですね。駄目じゃないですかぁ、嘘なんかついちゃ……まあ私も動揺した振りをしてたからおあいこではあるんですけど」
「どうして、私のこと見てなかったのに」
「見てなくても、わかるんです。鋏が武器なら、絶対首を狙ってくるはずです。そうじゃないと、一撃で殺せませんもんねぇ」
そして、と震えるような声を大きくして厚木はもう片方のハードカバーの本を振り上げた。
「片腕を使えないあなたは二度目の連撃をすることができない! ほらほらほらほらほらほらほらほらぁ! 頭に当たって死んでください!」
頭を狙って振り下ろされる本。だが双葉なら避けられると祐樹は思っていた。厚木自身の筋力が足りていないせいか、彼女の攻撃は遅いのだ。厚木もそれがわかっているからこそ騙し討ちを仕掛けたのだろう。だから攻撃がくるとわかっているなら双葉なら避けられるはずだった。
双葉は冷静に後ろにさがろうとした。だが、その顔はすぐに驚愕で塗りつぶされた。少し離れた位置にいた祐樹からでも彼女の驚愕の理由はすぐにわかった。本によって受け止められた鋏。深く本に突き刺さったそれが抜けなくなってしまっていたのだ。抜けないとわかった瞬間に双葉はすぐに鋏から手を放して回避に専念しようとしたが、そこに一瞬のタイムラグが生まれる。もう回避は間に合わないと、そう判断したのだろう。次の瞬間双葉は後ろにさがるのをやめて折れた右腕を無理矢理あげて本を防御したのだ。当然骨の折れた腕で先程と同等の衝撃を受けるのだ。それはとんでもない激痛のはずだった。しかし双葉は喉元まで出かかった悲鳴を押し殺すように奥歯を噛みしめ、防ぎ切った途端にバックステップで後ろにさがって厚木と距離を取った。
「す、すごいですね。避けられないと思ったら、受けるんだ」
厚木は双葉から目を離さずに驚いた調子で言った。
「双葉!」
祐樹は彼女の名前を呼びながら駆け寄った。双葉は痛そうに顔を歪めたまま力のない声で小さく馬鹿と呟いた。
「馬鹿でもなんでもいい! お前無茶しすぎだ!」
「……仕方ないじゃない。無茶しなきゃ勝てない相手なのよ。さっきの頭にくらったら戦うどころじゃなくなっていた」
正直甘く見てたかも、と双葉は悔しそうな顔を見せた。それは祐樹も同じだった。二人が思っていたよりもずっと厚木は狡猾で、頭のいい強い人間だった。騙し討ちや演技だけじゃない。厚木には確固とした実力がある。
厚木が双葉の鋏を受け止めた本は英和辞典。最初に持っていた分厚い図鑑はカラーで写真を載せるためにページの一枚一枚が厚めに作られている。一方英和辞書のページは薄く、鋏なら容易に貫けるものだった。しかし一枚一枚は薄く脆くとも、集まればそれは刃を通さない壁となる。どんなに貫くことが容易でも、辞書の厚さに鋏の長さが足りていないのだ。結果、鋏はその刃の全てを本に飲み込まれてしまう。そうなると、簡単に引き抜くこともできない。厚木はその引き抜くことができないことによる隙を狙ったのだ。
双葉は最悪の事態だけは避けた。しかしあの一瞬の攻防は確かに厚木の勝ちだった。
「またぁ、作戦会議ですか?」
ゆらりと体を揺らしながら、厚木は祐樹と双葉を見ている。だが追撃の様子はない。無闇に扉の前から動けば逃げる隙を与えることになると彼女はわかっているのだ。中に入るために必死になった場所。今はそこで外にでるために必死になっている。入る者を拒み、また出てく者も拒む。ここはそういう空間なのかもしれなかった。事実、厚木はずっとここから出られずにいたのだから。
「いいですよ。す、好きなだけ考えても。私もずっと考えてましたから。ナイトさんが外に陣取って、ここから出られなくなってからずぅうううううううううううううううううっと、ずぅぅうううううううううううううううううううううううううううううううううっと考えてたんですよ。この本で人を殺す方法をいっぱい考えたんです! もうその内二つは破られちゃいましたけど、でも大丈夫です! まだいっぱいありますから、お二人もいっぱい作戦を考えてくださいね!」
厚木は張り付いた笑顔を絶やさない。狂っているようだと祐樹は思った。いや実際狂っているのだろう。争奪戦が始まってからずっとここに一人で閉じ込められていたのだ。狂わない方がおかしい。
彼女はここで一人、おかしくなっていく頭でずっと人を殺す方法だけを考えてきたのだ。
「双葉」
彼女の名を呼ぶ。自分を見つめる彼女の真剣な眼差しを見て、祐樹は決意する。俺は彼女を勝たせようと。七篠祐樹は双葉えいりの勝利のために戦おうと心に決めた。
「お前が謝るなって怒るから、これで最後にする。さっきは悪かった。その代わりになるかどうかわかんないけど、俺がお前の右腕になってやる」
「祐樹……?」
「勝つぞ、双葉。勝つんだ。タグトロムはお前が手に入れろ」
迷いのない言葉。先程までの頼りなさがどこかに吹き飛んだかのようだった。だからだろうか、双葉は不安を隠さないで口にした。
「でも、今の私じゃあいつには勝てない……!」
「勝てる。俺が勝たせてやる」
「どうやってよ。無責任なこと言わないで!」
「無責任じゃない! 勝てるんだ、勝てるんだよ双葉!」
彼女の肩を掴んで祐樹は強い調子で告げた。
「あいつの作戦には致命的な穴がある。いくら人を殺す方法をいくつも考えようが、ここにこもっていただけのあいつは知らないんだ。あいつは自分の殺し方しか見えてない。相手を見ていない」
だから勝てる、そう言って祐樹は双葉に作戦を耳打ちで静かに伝えた。祐樹の話を聞くと双葉の表情が変わる。不安に塗りつぶされた顔はいつもの得意げな笑みに変わった。
「なにそれすっごい単純。なんで私が気づかなかったのにあんたが気づいたのよ」
「お前は焦ると馬鹿になるからな」
「言うじゃない。ようやくあんたらしくなってきたわね」
またせたわね、と双葉は祐樹から目を離し、笑いながら厚木と対峙する。
「いくわよ厚木……いえ、ブックマン!」
「私女の子なんですけど……」
「細かいことはいいのよ!」
それだけ言って双葉は駆けだす。その瞬間、双葉の後ろから厚木目がけて一本の鋏が飛んできた。投げたのは祐樹だった。あらかじめ双葉から鋏を受け取っておいて、それを双葉のダッシュと共に厚木に投擲したのだ。しかし勿論この鋏は祐樹の武器ではないため、殺傷能力はない。しかし目の前に飛んできた鋏を反射的に厚木は辞書で受けてしまう。
それは双葉が使う常套手段だった。一回目の攻撃をけん制として、次の二回目の攻撃を本命とする二段攻撃。片腕が使えない双葉の代わりに祐樹が一回目の攻撃を担当したのだ。
だがそれで、厚木を倒すことはできない。ナイトの時と同じで厚木の本の楯にはこの戦法は意味を成さない。
「無駄ですよぉ!」
厚木が叫ぶ。双葉は冷えた目つきで彼女を見つめながら「無駄じゃない」とだた一言、小さくそうとだけ呟いた。
そして次の瞬間、厚木は自分の腕から鮮血が噴き出すのを見た。
「ああああああああああああああああああああああああ!」
厚木の絶叫。耳をつんざくような悲鳴。彼女の見つめる先にあるのは鋏によって貫かれた自分の手のひらだった。だがしかしそれは鋏と形容するにはあまりにも無骨だった。全長は30センチを優に超している。刃渡り25センチの刃の先端は鋭く尖っていて、持ち手が鋏のものでなければナイフだと錯覚するほどのそれが厚木が楯にしていた辞書を簡単に貫通し、それを持っていた彼女の手まで貫いているのだ。
刃を飲み込む楯の弱点は楯を凌ぐほど大型の刃。図書室にこもりっきりだった彼女は知らないはずだ。この学校にそんな大型の刃物があることなんて。
祐樹の行った牽制は双葉が手にした巨大な鋏から注意を逸らし、楯で受けさせるためのものだったのだ。
「い、痛い! 痛い痛い痛いいいいい!」
手を抑え、厚木は泣きじゃくる。そんな彼女に近づき、双葉は迷いなく彼女の細い首を鋏で掻っ切った。
ほんの数秒の声にならない絶叫だけを残して厚木美樹は死んだ。




