スナイパー・ナイト戦
廊下に出ると、そこは戦場だった。
いや、どちらかといえば戦場跡と言った方が正しいだろう。割れた窓ガラス。傷ついた壁や天井。いたるところに塗りつけられた赤い血。だが不思議なことにどれだけ大量の血だまりを見つけようと、そこに死体はなかった。それを不審に思いながら廊下を歩いていると、祐樹の前方を歩いていた双葉が前を向いたまま祐樹に話しかけた。
「あんたはさ、タグトロムのこともさっぱり覚えてないのよね」
「ん。ああそうだな。全然何も覚えてないよ」
「そっか。じゃあもしこのまま私たちが最後の二人になった時、あんたが私にタグトロムを譲ってくれるって選択もあるってことね」
「……んー、まあそれでもいいよ。そのタグトロムってやつがどういうものなのか気にはなるけど、別に欲しいわけでもないからな」
「あんた、本当に何も覚えてないのね」
少し驚いた風に双葉は言ったあと続けて小さく「ま、そっちの方が幸せかもしれないけど」と呟いた。
「なんだ、随分意味深な言い方だな。覚えていた方が不幸だって言うのかよ」
「そうかもしれないわね。あれは本当に素晴らしいもので、だからこそ誰もが欲しがる。私も例外じゃない。でも、誰もが欲しがるからこそ手に入らないのよ」
双葉は自分の右腕で左の腕を抱くようにしてぎゅっと体を縮めた。
「私はタグトロムが欲しくて欲しくて仕方ない。そのためなら他の全てを諦めてもいいほどに。きっとこの欲望はタグトロムを手に入れなければおさまらない。他のどんな欲を満たしても満たされないわ。喉の渇きと一緒よ。喉が渇いてどうしようもない時、水以外のものを口にしたってしょうがないでしょ? それと同じでタグトロムを渇望すればするほどに私たちは渇いていく。今ここに残っている生徒たちはみんな渇ききって飢えている。意外とこれが苦しいのよね」
双葉は少しだけ振り向いて力なく笑った。
「だからいっそ忘れちゃった方が楽なのかなぁって」
祐樹は何も言えなかった。それだけの渇望が、望むものが自分の中にないからだ。
与えられるものを与えられるままに享受するだけだった祐樹の人生にはこれじゃないといけないというものがなかった。全てが全ての代替品でしかなく、唯一無二のものを祐樹は持っていない。ただ一つの唯一無二も、別に手に入らなくてもいいとさえ思っている。
だからだろうか、苦しいと言いながらも、これしかないと、諦めきれないと言った双葉のことを羨ましいと思ってしまったのは。
「止まって!」
突然、双葉が声を荒げた。祐樹は驚きながら立ち止まる。すると彼女が止まれと言った意味がすぐに理解できた。廊下の向こう。階段の踊り場から一人の男が出てきたのだ。バッドを担いだ坊主頭の男。見たことのない顔だったが、彼の来ている制服は確かに海棠高校のものだった。
「味方……じゃないよな?」
「ええ。敵よ」
言って双葉は腰を低く落とした。男は徐々に近づいてくる。現在の距離は五メートル。
「あんたはまだ記憶も戻ってないんだし、とりあえず後ろで支援よろしく!」
早口で言うやいなや双葉は駆けだす。五メートルの距離を一気に詰める。男は驚愕しながらも冷静にバッドを振りかぶり、双葉の脳天目がけて振り下ろした。だがその一撃は双葉にかすりもしなかった。双葉はわかっていたことのように当たり前にバッドを避けて、そのまま男の懐に入り込んだ。これには男も、祐樹も驚いた。正面からバッドを振りかぶられて双葉は臆するどころか一歩も退かなかったのだ。それも双葉の回避行動は踏み込みにもなっていた。回避と同時に懐に入り込んでしまった。男の武器はバッドだ。この距離ではバッドのリーチはむしろ邪魔になる。
それでも男はなんとか抗おうとバッドを振り上げたが、それよりも早く双葉が持っていた鋏が男の首に突き刺さった。反撃する隙を与えない一瞬の殺戮。男が振り上げようとしていたバッドは主を失い、そのまま祐樹の足元に転がり落ちた。金属製のバッドが床にぶつかる乾いた音。それと同時に男も絶命し、体を支える力も失い倒れ伏した。
具体的にどんな支援をすればよいのか、そう聞こうと思っていたが、聞く前に戦闘は終わってしまっていた。いやそもそも最初から支援なんていらなかったのでないだろうか。双葉の強さは男を圧倒していた。あの身のこなしは普通ではない。
それこそ、祐樹の知る双葉えいりとは違っているように見えた。
「なあ、双葉」
彼女の名前を呼んだ。その瞬間、祐樹のいた位置から一番近い部屋の窓が突然割れて中から人が飛び出してきた。その男は右手と左手にダンベルのようなものを持っていて、その一つを祐樹に向かって振り上げる。
まずい、と祐樹の本能が叫んだ。あれに頭を殴られれば死んでしまうとわかった。祐樹は咄嗟に足元にあったバッドを手にして飛び出してきた男に向かって振るった。しかしそのバッドは男のダンベルに直撃したかとおもうと音をたてて粉々に砕けてしまったのだ。
男と祐樹の驚愕はほぼ同時だった。一瞬遅れて双葉の「馬鹿!」という声が響いた。祐樹が思わず振り向いた時、祐樹の頬の真横を何かがかすめた。後ろで男のうめき声。苦痛の混じったその声は男の腹部に双葉の投げた鋏が突き刺さることで発せられたものだった。
なんて女だろうと祐樹は身震いした。なんの躊躇いもなく鋏を投げた。凶器を投げた。あと数ミリずれていれば祐樹の頬は切り裂かれていたであろう。
男は涙か汗かわからないものを顔中からダラダラと流しながら腹に刺さった鋏を抜こうとする。その際両手からダンベルを放す。それを双葉は見逃さなかった。男が自身の間違いに気づいた時にはすでに双葉の握った鋏が彼の眼前に迫っていた。
******
「お前、格闘技か何かやってたのか?」
ダンベル男の眼球に突き刺さった鋏を平気な顔をして抜いている双葉を見てなんとも言えない気持ちになりながら祐樹は尋ねた。双葉はすぐに「やってるわけないじゃない」と否定する。
「急にどうしたのよ」
「いやだって、さっきの動き。明らかに普通じゃない気がして」
「……ああそっか。記憶がないってことは武器に関しても忘れちゃってるってことか」
双葉はしまったなーと言うように額に手を当てて唸る。
「ごめん。説明し忘れてた。今から説明するわ。その、武器について」
「双葉先生の争奪戦講座ってとこか」
「記憶も何もないくせによくおちゃらける余裕があるわね……ま、あんたのそういうとこ嫌いじゃないけど」
双葉の言葉に一瞬ドキリとしてしまった祐樹はそれを隠すように説明を求めた。
「教えてくれよ。これでも気になってんだよ。お前の武器についてっていうのはわざわざこの男がダンベルを武器にしていることとかと関係があるのか?」
ダンベル。重さと硬さを併せ持った凶器ではあるが、しかし武器というには程遠い。リーチは短すぎるし、よほどの筋力がなければメリケンとしての機能も果たさない。重さのせいで拳が遅くなっては本末転倒なのだ。にも関わらず男はダンベルを選んでいた。その理由が祐樹にはよくわからなかったのだ。
「へぇ、鋭いじゃない。そうよ、まさにそのことに関係することだわ」
双葉は腕を組む。それこそまるで女教師のようにだ。
「いい。この争奪戦において個人が使用できる武器は一つだけなの。私なら鋏、さっきの奴らならバッドやダンベルっていう風に一人一つだけ。それ以外の武器は使えない。そういうことになってるの。おわかり?」
「わかったけど、わからない」
「つまり?」
「仕組みは理解した。でもそんな仕組みがある意味がわからない。双葉の言う通りタグトロムが何が何でも欲しくなってしまうようなものなら、その程度のルールなんか破る奴はいるはずだ」
「ほんとあんた、こういう時も冷静にモノを考えるわよねぇ。そういうところ、好きよ」
またまたドキリとする心情を悟られまいと祐樹は軽口はいいとそっぽを向く。しかしその行為によってむしろすべてを見透かされたのか双葉はおかしそうに笑う。
「いやでも、あんたの言う通り。これがただのルールなら破る奴は確かにいるでしょうね」
笑ってはいるが、しかしそれ以上の追及はせずに双葉は話を武器の方に戻した。
「だけどこれはルールじゃない。この世界の法則とでもいうのかしら。……祐樹、あんたさっきバッドを使ったじゃない。そのバッドってどうなったんだっけ」
「お前も見てただろ。粉々だよ。ダンベルとごっつんこして負けちまった」
「そ。ならよく考えなさいよ。いくらダンベルが重くて硬くても金属バッドを粉々に砕けるわけがないわ。そもそもバッドの中身って空洞でしょ? よほどの威力がない限り砕けるんじゃなくて凹むわよ」
「ああ、確かにそうだな……気が付かなかった」
「更にもう一つ。あんたが使ったバッドはもとは誰のものだった?」
「最初に襲ってきた坊主だろ? ……あ」
そこで祐樹はハッとした。気づいたのだ。双葉の言う世界の法則の意味が。
双葉は何か気づいた様子の祐樹を見て微笑むと、自分が殺した男が持っていたダンベルを手にした。そして無言のままにそのダンベルを振り上げて、祐樹の脳天目がけて振り下ろした。祐樹はそれをただ見ているだけだった。避けようともしない。その必要がないからだ。
祐樹の頭に直撃した瞬間、双葉の持っていたダンベルは祐樹に振り下ろされた衝撃を伝えるよりも早く粉々に砕け散った。
「……なるほど、確かにこれは世界の法則だな」
全くなんの痛みも感じなかった自分の頭を触ってみながら祐樹は呟いた。
「その通り。世界の法則。光が波となって伝わるように、水が上から下へ流れ落ちるように、私たちは限られた一つの武器しか使うことができない」
それ以外の武器は全てそれを手にして使った瞬間に砕け散る。それがこのタグトロム争奪戦における世界の法則だった。
「残念だけれど、どういう原理でこうなっているかは知らないわ。このことを私たちに教えてくれた校長は自分で自分の喉を掻っ切って死んでしまったもの」
「説明不能。おかしな話だけど、目にした以上は真実だよな」
ダンベル男の驚愕の意味も理解できた。このタグトロム終盤において、その程度のルールも知らない奴がいることにあの男は驚いていたのだ。結果的にはそれが功をそうして祐樹は生き延びることができたのだが。男に驚愕という隙が生まれなければ、祐樹は今頃頭を潰されて死んでいただろう。
「よくわかったよ。あの時お前が馬鹿なんて叫んだのも俺が他人の武器を使おうとしていたからなんだな。それで他にはないのか? 武器について説明していないこと。例えばそう……お前は鋏を武器に、他の奴はバッドやダンベルを武器にしていたけど、個々の武器ってのはどういう基準で選ばれているんだ? 最初に分け与えられたのか?」
「いいえ。分け与えられたんじゃなくて、自分で手にするものよ。具体的には朝の集会終了後から自分が一番最初に手にした学校の備品がその人の武器になる」
「最初に手にしたもの、じゃあ例えば最初に椅子に触れたら、そいつの武器は椅子になっちまうってことか」
「そういうこと。ちなみに自分や他人が学校に持ち込んだ荷物は武器にできない。出来たとしても無理ね、だって集会が終わって戻る頃にはみんなの荷物は何故か跡形も無く消えちゃってたから」
そしてここからが重要なところよ、と念を押してから双葉は説明した。
「手にした武器が椅子だとしたら、学校中の椅子がそいつの武器になるわ。武器は一人一個ではなく一種類ってこと」
「じゃあ、双葉の武器は鋏だから……学校中の鋏が双葉の武器になるってことか?」
「そいうこと、見る?」
言って双葉はポケットから、袖口から、挙句の果てにはスカートの裏地からあらゆる場所から何本もの鋏を出して見せた。
「小さいサイズのはさっきみたく投擲に使って、中くらいのはナイフ扱いね。そしてこれよこれ」
双葉は嬉々として一本の鋏を取り出した。しかしそれはさっきまでの可愛い文具とは全く趣の違う鋏だった。まず目をひいたのは長さだ。全長は30センチを優に超している。更に刃の先端は鋭く尖っていて、持ち手が鋏のものでなければナイフだと錯覚するほどだ。
「刃渡り25センチ! 超ロング鋏よ! 用務員室のタンスの奥から発見したのよ。結構古いものみたいだから今のものみたく先端が丸まってたりしないし、これはかなり使えるわよ。奥の手だからまだ使ったことはないけどね」
ブンブンと鋏を振り回す双葉に若干恐怖して祐樹は笑顔が引きつった。とりあえず話を進めようと双葉を促す。
「それで双葉、一つ疑問だ。答えてくれるか?」
「勿論。何が疑問なの?」
「武器は一人一種類。最初に手にしたものが椅子なら、学校中の椅子がそいつのものになる。そして他人の武器は使えない。……どう考えても、全校生徒に対して武器の数が足りない。おそらく殆どのやつが武器を手にすることなく、もしくは全く役に立たない武器を手にしたまま死んでいくことになるぞ」
「別に問題はなかったわ。言ったでしょ? 最初は逃げ回るだけのやつらばかりだった。死ねば所有権は白紙に戻るし、あっという間に人数は減ったから、中盤には全員がある程度使える武器を持って戦っていたわ。それにどんなものでも使いようよ。私たちはジャイアントって呼んでたんだけど、教卓を武器にした筋骨隆々の大男。柔道部の主将だった岡島先輩よ。その人は片手で教卓振り回してそれはもうバッタバッタと敵を薙ぎ払っていったわ。まあ私とあんたのタッグの前じゃあ敵にもならなかったけどね」
得意げに言うところを見るに、確かにその通りなのだろう。祐樹に全く覚えはないが、そのジャイアントとやらを自分たちはタッグで殺したのだ。
まあでも全く想像できないというわけではないな、と祐樹は思った。先程の戦いを思い出す。双葉がいれば、祐樹には負ける気がしなかった。
「と、そうだ双葉。最初の質問に戻ろう」
「最初?」
「お前格闘技やってたのかって質問だよ」
「それについては答えたでしょ。やってないわよそんなの」
「でもその次を聞いてない。格闘技も何もやってないくせに、どうしてお前はそんなに強いんだよ」
「ああそれについても確かに話さなきゃね。これもさっきと同じ世界の法則みたいなものなんだけど、武器を握ると、こう頭に浮かんでくるのよ。戦い方というか、人の殺し方みたいなものがね。私はそれに従って戦っているだけ。こればっかりは自分で武器を持ってみないと理解できないでしょうね」
「それは俺が持ってもそうなるのか?」
「そのはずよ。持ってみればいいじゃない。すぐにわかるわ」
「あ、でも俺自分の武器も覚えてないんだよ。なあ俺の武器ってなんだったんだ?」
すると双葉は何故かすぐには答えず顔を伏せてしまう。口元だけはもごもごと動いているようだったが、よく聞き取れなかった。
「双葉?」
「………………らない」
「は?」
「知らないって言ってるのよ! 私、あんたの武器なんか知らない!」
「は、え……えええええ! 仮にも一緒に戦ってたんじゃないのかよ!」
「仕方ないじゃない! あんたの武器って目に見えないんだもの。気づいたら敵が八つ裂きにされていたーみたいな武器で…………ていうかそもそも、あんたが当てて御覧? なんてかっこつけて教えてくれないのが悪いのよ!」
「いやそんなこと言われても以前の記憶とか俺にはないわけだし……」
「何か持ってないの? ポケットとかに入ってたりは?」
言われるがままに探してみるが、見つからない。祐樹は真実手ぶらだった。首を横に振って何も持っていないと双葉に告げる。
「そんなわけない!」
しかし双葉は納得できないのか、なんと祐樹の服を無理矢理脱がせようとしてきた。
「ぎゃー! 何すんだ変態! やめろ!」
「どっかにあるはずよ! もっと服の裏とかパンツとか靴下とか背中とかパンツとか探してみなさいよ!」
「探したっていうか、そんなとこにあったらわかるから! つうかなんでパンツ二回言った!?」
「パンツパンツうっさいわね! この変態!」
「理不尽すぎる!」
死体の上で女子に服を脱がされているという妙な状況に祐樹が陥っている中、突然足元からぐちゃ、という嫌な音がした。双葉と祐樹は二人ともその瞬間に言葉を消し、音の方を向いた。そこにあったのは双葉が殺したダンベル男の死体。しかし先程と何かが違った。男の胸になんとボールペンが突き刺さっていたのだ。先端部分だけでなく、深々と半分まで突き刺さったボールペン。それを目にした瞬間、双葉はその顔から血の気を失せた。
「走って!」
双葉の声。彼女は祐樹の手を取って廊下を走り出す。脱がされかけていた服を着直しながら祐樹は引っ張られるようにして走り出した。すると、さっきまで祐樹がいた足元にボールペンが飛んできたのだ。さすがに床に刺さることはなかったが、目に見える傷を残してボールペンは床に弾かれ吹っ飛んだ。飛んできた方向は外だった。斜め上からだ。
「双葉! これは!?」
「敵襲よ……一か所にとどまり過ぎた。見つかったのよ、スナイパーに」
「スナイパー?」
祐樹が言葉の意味を尋ねる。ただ先程のジャイアントと同じように人の名前だろうということは見当がついた。
スナイパー。つまり狙撃手だ。
「ボールペンが飛んできたのを見たでしょ? スナイパーはボールペンを武器に使う男よ。誰なのかは顔を見たことがないからわかんないけど、とにかくこの争奪戦優勝候補の一人と言っても過言ではないわ。争奪戦開始直後から一人技術室にこもってクロスボウ作り上げた変態よ。それ持って屋上にこもって、さっきみたいに遠くから狙撃して何人もの生徒を倒してきたのよ。言うなれば最強の引きこもりね!」
双葉の説明の最中もボールペンによる狙撃はやまない。ただやはり通常の弾丸や本物の矢ほどの精度や速さはでないのか、走っている限りは当たらなさそうだと、祐樹は冷静に見極めた。
「双葉またまた質問だ!」
「何よ!」
「クロスボウ使ってボールペン打ち込んでくるって理屈はわかった。でも争奪戦の武器は一人一つまでなんだろ? これじゃルール違反だ! 宇宙の法則が乱れちまってるよ!」
「宇宙の法則は乱れていないわ。クロスボウはあくまでおまけで、最終的にとどめをさしているのはボールペンだもの。それに自分の武器を使用した間接的な殺しは成立するのよ。極端な話、私が鋏でボールペンを掴んで、それを相手の胸に刺すことだってできるわ! 武器本体を使って殺さなくちゃいけないわけじゃないのよ!」
「なるほど……な!」
身を低くして頭上に飛んできたボールペンという弾丸をかわす。走っていれば当たらないと踏んでいたが、スナイパーとやらはこちらの移動速度を計算して打ち込んできている。どんどん精度が上がってきているのだ。確かに優勝候補だというのも頷ける。ただ遠くから敵を倒そうとするだけの卑怯者ではない。こいつは確かにスナイパーだ。
「どうすんだよ双葉ぁ! このままじゃ二人とも頭からボールペンでぶっすりだぞ!?」
「わかってるから情けない声出さないで! このまま真っ直ぐ走れば大丈夫だから!」
「大丈夫ってなにがだよ!」
「よく聞きなさい。うちの高校は一つの旧校舎とそれを挟むようにしてできた二つの新校舎、この三つの校舎に分かれてるわ。今私たちがいるのが旧校舎。スナイパーは新校舎の屋上から私たちを狙ってきている。そして旧校舎にはあの図書室があるわ!」
一瞬、祐樹は双葉の言っている意味がわからなかったが、数秒遅れて理解した。旧校舎の図書室は窓が一切ないのだ。設計上の不備なのかどうかは定かではないが、図書室には窓が存在していない。窓がなければ外から中の様子は見ることができないし、スナイパーが持っているのはロケット砲でも対物ライフルでもない。あくまでもただのボールペンを打ち出すだけのクロスボウだ。壁を壊すことなどできはしない以上、窓のない図書室はスナイパーの攻撃を完全に防ぐ要塞となり得る。
「この廊下を真っ直ぐ行った突き当りを右に曲がれば図書室よ。私たちは元々そこに向かうために行動してたの。覚えてる? 図書室の案を出したのもあんたなのよ?」
「全然全く微塵も覚えていない」
「ほんっと、一気に頼りなくなったわね……」
ため息をつくように言って、双葉は肩を落とす。そして何故か走る速度を急に遅くしたのだ。双葉に引っ張られるようにして移動していた祐樹も釣られて速度を落とす。すると、スナイパーの放ったボールペンが祐樹たちの遥か前方の床に当たり虚しく音を立てた。
スナイパーは祐樹と双葉の走行速度まで見越して攻撃を仕掛けてきている。なら逆に言えば、こちらから大幅に速度を乱してやれば攪乱も可能なのだ。
「すごいな、双葉」
「たいしたことないわ。誰でも思いつくようなことよ。それにそう何回も使えない。速度を落とした瞬間に狙われたらまずいからね。ただ、十分時間稼ぎにはなったわ」
祐樹たちの目の前には廊下の突き当たり。逃げ切ったという安心感が祐樹の中に生まれる。だが直後にそれは絶望へと変わった。
「……そんな」
思わず声がでた。それは落胆、どうしようもない絶望を含んだもの。突き当たりを曲がった細く狭い道の先、図書室の入口、古めかしい木の扉の前には一人の男が立っていた。
身長は一七〇過ぎくらいだろうか、特別大柄ではないが見るからに鍛えられた屈強な肉体をしている。さっぱりとした短髪、切れ目の男。その両手に黒板用の大きな三角定規を一つづつ持ち、じっと立っていた。男は祐樹の声に気づいてこちらを見た。その眼は完全に敵を見る目。何一つ言葉を交わすこともなく、男は手にしていた一組の定規を構えた。左の一つを楯のように体の前に、もう一つを剣のように後ろにした構えだ。
「…………」
双葉は黙っていた。何も語らない。それはこの状況の酷さを表しているようでもあり、祐樹の不安を駆りたてた。
「おい双葉、これって――」
「伏せて!」
瞬間、双葉は叫び、祐樹を押し倒した。祐樹の眼前、双葉の背中を過ぎ去るようにしてスナイパーの弾丸、ボールペンが飛んできた。ここもまた奴の射程範囲内なのだ。祐樹と双葉は這いずるようにして窓枠の下に重なるように腰を下ろし、できるだけ身を低くした。ここならスナイパーもそう簡単には狙えないだろう。祐樹は少しだけ安心感を取り戻す。しかし双葉の表情は曇ったままだ。
「まずいわね……」
無意識に漏らしたであろう言葉には彼女にしては珍しく本当に焦っていると思われる声色だった。
「あの男、小賢しいけど利口だわ。スナイパーに狙われて図書室に逃げ込もうとする奴をあそこで返り討ちにしてきたのよ。相手はみんなこの学校の生徒だもの、図書室に窓がないのは知っているから、当然みんなここに来る……私たちみたいにね。マヌケもいいとこだわ」
「あいつ自体はスナイパーに狙われないのか……? いやそうか、あの位置は大丈夫なのか。他の廊下と違って奥に落ち込んでいて窓もない、スナイパーの位置からは狙えない」
「それに背後が図書室だから、もし反対側にスナイパーがいても狙われることがない。ほんっと小賢しいわね!」
焦りからくる怒りを隠すことなく双葉はキッと定規の男を睨みつけた。男はそれを気にする様子もなく、ただこちらを向いたまま構えを崩さない。こちらに向かってくるようすはない。それも当然、のこのこと出てきてしまえば自身がスナイパーの餌食になる。
手を組んでいるわけではないのだろう。それなら定規の男がスナイパーの死角にいる意味はない。敵や状況を最大限に利用している。頭のいい男だと祐樹は思った。
「どうするよ。ここにいればとりあえずは安全そうだけど……」
「馬鹿言わないで、安全なんかじゃないわよ」
双葉は怒ったように言うが、祐樹はその言葉の意味がわからず首を傾げる。
「どうしてだよ。ここなら角度的にもスナイパーには狙えないはずだろう」
「あんたねぇ、新校舎の広さを知らない訳じゃないでしょ? あのでかい屋上を端からは端までスナイパーは自由に歩けるのよ? 反対側の新校舎に回ることもできる。どっかで私たちを狙える位置が必ずあるわ。この程度で安全になれるんだったらわざわざ図書室なんて目指してないわよ。あそこだけが安全だからこそ私たちは図書室を目指したんだし、あの小賢しい男はあそこにああやって陣取ってるんでしょ?」
つまりここにいてもスナイパーに打ち殺されるのは時間の問題だった。
「…………そこでじっとしているのは勝手だがな」
ただ黙っていた定規の男が口を開いた。その声は思った以上に低く、押し殺すような声だった。
「最期の瞬間まで恋人といたいという気持ちはわからなくもない。あと三分もしない内にスナイパーはお前らを打ち殺すだろうから、それまで好きなだけそうしていればいいさ」
皮肉めいた男の言葉。双葉が奥歯をギリリと噛みしめるのが祐樹にはわかった。
どうすればいい。祐樹は自問するが、答えは出ていた。定規の男を倒して図書室に行くしかない。このまま図書室を背に逃げることもできるかもしれない。定規の男は追ってはこないだろう。彼はあの場所から動かない。しかし、スナイパーは祐樹と双葉を逃がしてくれないだろう。二人が死ぬまで、奴の照準は二人を捕らえたままのはずだ。だから退くわけにはいかない。前に進まなければ生き残れない。
進むしかない。祐樹よりも双葉の方がそのことをわかっていたのだろう。彼女は不敵な笑みを浮かべて定規の男に向ける視線を一層強くした。
「お生憎様、最期の一瞬まで足掻き続けるのが私の流儀よ。――つーかあんたの目にはこの情けない男が私の彼氏に見えるの? 殺すわよ、こいつを」
「やめてください双葉さん。冗談に聞こえません」
「そりゃ本気だからね」
「おいあんた助けてくれ! この女はやると言ったらやる女だ! 殺される!!」
「お前らはここにコントをしにきたのか……?」
呆れたような声で男が呟く。その間も決して構えは崩さない。楯と剣を構えるようなその姿。
「まるで城を守る騎士みたい。そうね、丁度名前も知らないことだしあの男のことはナイトと呼びましょう」
「奇遇だな、俺も騎士のようだと思ってたぜ。俺たち結構相性がいいのかもしれないな。結婚するか?」
「……」
「待て! 黙って鋏を取り出すな! おい助けてくれナイト、この女冗談が通じない!」
「俺も冗談が通じるほど面白い人間ではない。黙って死ねないのか貴様らは」
苛立ちを含んだ声でナイトが言った。双葉は取り出した二つの鋏を両の手にそれぞれ持ちながら返した。
「安心なさい。黙って死んだりなんかしない。私は馬鹿やりながら生きるのよ」
双葉は祐樹の耳元に口を寄せた。彼女の吐息が耳にかかり、死ぬかもしれないというのに妙な気が湧き上がる。赤くなる顔を悟られまいとぐっと目を閉じた。双葉が小さな声で囁いた。
「あんたはここにいて、私がなんとかする」
「なっ! お前何言って――――」
祐樹が止めるよりも早く双葉は壁を蹴るようにして駆けだした。ぐずぐずしていればスナイパーに殺される。ナイトに勝つためにはまずスナイパーの攻撃の届かない位置に潜り込まなければいけない。幸いにもそれは成功、双葉はほぼ一瞬でスナイパーの死角に入り込んだ。そして駆ける速度を落とさないままに左手に持っていた鋏を投擲。しかしその一撃をナイトは冷静に楯にしていた定規で弾き飛ばした。牽制の投擲から本命の一撃が双葉の常套手段なのだろう。単純ながら、効果の高い戦術ではある。しかしナイトには通じなかった。一撃目の投擲が通じなかった以上、二撃目の本命の一撃も通りはしなかった。ナイトは双葉の首を狙った鋏の攻撃をいとも簡単に楯で受け止めると、その後ろに構えていた剣による薙ぎ払いを放ってきた。腕いっぱいに振るわれた横の薙ぎ払い。双葉の鋏と違って刃がついているわけではないが、その大きさやそれを扱うナイトの体格を考えればただの一撃が致命傷になりかねない。
しかし、ナイトの攻撃は双葉には当たらなかった。最初の投擲が外れた時点で反撃されることを考えていたのだろう。双葉は驚くべき速さで後ろにさがりナイトの攻撃をかわした。瞬間、ナイトが一瞬だけその口元を緩めるのが祐樹には見えた。
「駄目だ、さがっちゃ駄目だ双葉!」
祐樹は咄嗟に叫んだがもう遅かった。ナイトが見逃すはずがない。彼は最初からこれを狙っていたのだ。双葉が下がったおよそ二歩分の隙。ナイトはその二歩分だけを的確に詰めてきたのだ。決して双葉の懐に入りはしない。一足一刀の間合いを保ちながら、しかし確実に前へと進んだ。先程まで一歩としてその場を動かなかった男が前へと進んだのだ。祐樹の焦ったような叫び、さがってはいけないという言葉の意味。それを理解した双葉は悔しそうに拳を握りしめた。
「そういうこと、これがあんたの戦法ってわけ?」
「気づいたか」
ナイトは機嫌がいいのか、双葉を見据えながら笑って見せた。
ナイトの戦法、それは彼の位置取りから始まっていた。スナイパーの死角であるこの廊下。彼はこの廊下の奥の扉の前に陣取っていた。考えてみればおかしなことだ。彼が奥に行けばいくほど、スナイパーの死角には誰かが侵入する余裕が生まれてしまうのだ。双葉はその余裕につけこんで彼の前に飛び込んだ。しかしそれこそがナイトの罠だった。彼の持つ武器は黒板用の大きな三角定規。それは攻撃よりもむしろ防御に優れた武器だ。この狭い廊下なら敵はナイトの横や後ろに回りこむことができない。となればナイトはその優れた防御を前方に全て集中させることができる。絶対の防御から放たれる鋭いカウンター。しかしそれもまた彼の狙う本命ではない。回り込むことができない狭さは回避にも向かない。更にそこで彼は横の薙ぎ払いを繰り出した。突きでなく薙ぎ払いだ。この狭い廊下なら、腕いっぱいに振るってしまえば横に飛び退いての回避は不可能。必然的に相手は後ろにさがって避けるほかない。それこそがナイトの狙い。敵がさがった分だけ前に進み、そうして徐々に敵を扉から遠ざけ、スナイパーの射程範囲にあぶり出す。それがナイトの戦法だった。
「だがもう遅い。気づいたからといっても、もうどうしようもない。これはそういう戦法だからな」
今更のこのこ退けばスナイパーの餌食になるのは確実。だからといって相討ち覚悟で突っ込んでもナイトの防御はそう簡単にはやぶれはしない。狭い廊下は彼の安全を保障するものでもあるからだ。
行けども退けども先に待つのは死のみだった。
「諦めろ。見せかけの希望に釣られてこの戦場に出てきてしまった時点で、お前の負けは決まっている」
勝てるかもしれない、そんな希望、可能性をわざとちらつかせることで逃げてしまうかもしれない相手を確実に戦場に引っ張り出す。言うなればこの戦場は騎士のための闘技場なのだ。そこでは騎士こそが最強。他の者は彼の前に敗北する他ない。憎たらしいほどに抜け目のない戦法だった。双葉はそれにまんまと引っかかってしまったのだ。
まずい。祐樹は焦る。このままでは彼女が殺されてしまう。しかし今の自分には何もできない。自分の武器すら思い出せない自分では彼女を助けることさえできない。それが歯がゆかった。我慢ならなかった。七篠祐樹はここでこうして震えていることしかできないのか。
焦燥を隠せない祐樹とは裏腹に、しかし双葉は落ち着いていた。
「……ごめんなさい」
そして唐突に謝った。これには祐樹もナイトも驚いた。彼女が冗談なんて一ミリも含まない声でごめんなさいとそう言ったのだ。
「なんだ、命乞いか。別に構わんが、それで見逃すとでも思っているのか?」
「いえ、そういう意味じゃないわ。今のは小賢しいだなんて言ってごめんなさいって意味よ。あんたは小賢しくなんかなかった。むしろ誇り高い……それこそ本当に騎士のような奴だわ。ここまで本気で、ここまで必死に勝ちにこようとする奴は中々いない。絶対に勝ってやるって意志を感じる」
「何が言いたい」
「褒めてるのよ。あんたは私が思っていたよりも戦いがいのある奴だって」
双葉は完全に構えを解いている。その戦法のせいか、慎重な性格なのかナイトも攻撃をしようとする気配はない。ただじっと相手の動きを待っている。確実に勝つために。
「ねぇあんた。タグトロム、欲しい?」
脈絡のない双葉の問いにナイトは間髪入れずに答えた。
「欲しい。そのために俺は戦っている」
「そっか。私もね、欲しいのよ、タグトロム。他の誰にも渡したくない」
だから絶対にこんなとこで負けない。双葉はそう言った。絶対に勝ってやると、そう宣言した。闘技場の最強の騎士に勝つと、少女はそう告げたのだ。
「あんたが誇り高いナイトなら、私はナイトを殺すアサシンよ」
「ほざけ! この戦法は完璧だ。行けども退けども貴様は死ぬ!」
「行けども退けども死ぬのなら、私は飛ぶ!」
その言葉通り、双葉は飛んだ。全身を使った跳躍。だが高く飛び上がろうとなんの意味があるのだろうか。むしろ空中に自分の体を投げ出すことで大きな隙ができてしまう。それを騎士は見逃さない。その剣でアサシンを突き殺そうと迫る。しかしその一撃がアサシンに届くことはなかった。
蹴った。暗殺者は壁を蹴り、更なる高みへと飛んだ。
「なにっ!?」
ナイトの驚愕が響く。彼の頭上をゆうに飛び越える大跳躍。頭上を飛び越える一瞬で双葉は鋏を二本ナイトに目がけて投げつけた。それは彼の楯に防がれる。しかしそのせいで彼は上に楯を掲げた状態になってしまう。ナイトが体勢を立て直すよりも先にアサシンがナイトの背後に降り立った。
そこで双葉が取った行動にナイトは再び驚かされることになる。なんと双葉は鋏も持たないままにナイトに全身の力を込めたタックルをかましたのだ。だが実際その行動は正解だった。一撃で殺せなければ、ナイトのカウンターで双葉が返り討ちにされる可能性もある。鋏で人を一撃で殺すには的確に急所を狙う他ないが、ナイトはそれだけは絶対にかわそうとしてくるはずだ。だからこそ全く予想だにしていなかったであろう行動を双葉は取ったのだ。誰しも暗殺者が武器を捨てて特攻してくるとは思わない。
予想外の突撃でナイトは体勢を崩し、双葉に押される。現在双葉とナイトの位置は最初と逆になっている。つまり今双葉が押す先にあるのはスナイパーの死角外、狙撃手の射程範囲。
「ぐっ、おおおおおおおおおおおおお!」
ナイトが絶叫する。だがもう遅い。すでに騎士のための闘技場は幕を閉じていた。
騎士の胸にスナイパーの弾丸が突き刺さる。ナイトは顔を苦痛にゆがめながらも、まだ戦う意志があるのか必死でスナイパーの射程範囲から逃げようともがく。
「終わりよ、ナイト」
凍りつくように冷たい双葉の一言。同時にナイトの足に彼女の鋏が突き刺さった。その痛みにナイトはもがく動きを鈍らせた。立て続けにどしゅどしゅ、と二本のボールペンがナイトの体に突き刺さる。
「――ぐ、とろ……――――」
最期に何か呟くように口を小さく動かしながら、ナイトは死んだ。
誇り高き騎士は暗殺者によって殺されたのだ。




