『デジタル・ステップ』 第26話 「除夜の鐘と遠い故郷」
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テレビの画面の中で、賑やかなカウントダウン特番が佳境を迎えていた。
テーブルの上には、食べ終えた年越しそばの空のどんぶりが三つ。暖房とこたつの熱で少し息苦しくなった部屋の空気を入れ替えるため、ユヅキはバルコニーに続く大きな窓を少しだけ開けた。
途端に、身を切るような冷たい冬の夜気が部屋の中に流れ込んでくる。
『ゴォォォ……ン……』
遠くから、重く、深く空気を震わせるような除夜の鐘の音が響いてきた。
この完璧に整備された街のどこかに、鐘をつくような古いお寺があるのだろうか。それとも、街のスピーカーから流れる環境音なのだろうか。どちらにせよ、その荘厳で腹の底に響くような音色は、かつて彼女たちがいた元の世界と何一つ変わらなかった。
「……なんか、この音聞くと、一気に年末って感じがするね」
こたつに入ったまま、シオリがぽつりと呟いた。
「うん……」
マナミも、手元の湯呑みを見つめたまま小さく頷く。
「私の地元さ、実家のすぐ裏山にお寺があって。毎年大晦日は、お父さんとお母さんと一緒に、寒がりながら鐘をつきに行ってたんだよね。……今頃、どうしてるかな」
その声は、微かに震えていた。
元の世界から切り離され、この見知らぬ世界に保護されてから、初めて迎える大晦日。
毎日の学校生活がどれだけ楽しくて、優しい友人たちに囲まれて笑っていても、心の奥底に封印した「故郷への未練」が完全に消え去ることはない。
除夜の鐘の音は、そんな彼女たちの心の蓋を、ひっそりと開けてしまった。
「……お母さんの作るお雑煮、お餅が丸くて、白味噌で甘くて……すごく、美味しかったな」
シオリが、膝の上に顔を埋めるようにして呟く。
「私んちの、お蕎麦の出汁……いっつもちょっと濃すぎたのに。今はあれが、無性に食べたいよ」
マナミの目から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ、こたつの天板に小さな染みを作った。
ユヅキは窓辺に立ったまま、夜空に浮かぶ白く冷たい月を見上げた。
帰りたい。
家族に会いたい。あの不便で、面倒くさくて、けれど当たり前だった自分の居場所に帰りたい。
痛いほどの郷愁が、ユヅキの胸を締め付ける。
この世界は本当に優しくて、何不自由ない。ケントやリナ、タクトたちと過ごす時間は、嘘偽りなく楽しくて愛おしい。
それでも、どれだけ彼らと親しくなっても、自分たちが「迷子」であるという事実は変わらないのだ。除夜の鐘が一つ鳴るたびに、元の世界との距離が決定的に遠く、手の届かない場所にあることを突きつけられるようだった。
ユヅキは小さく鼻をすすると、窓を閉めてこたつへと戻り、泣いているマナミとシオリの肩をそっと抱き寄せた。
「……会いたいね。お父さんにも、お母さんにも」
ユヅキの言葉に、二人は声を出して泣き始めた。
しばらくの間、部屋の中にはテレビの賑やかな笑い声と、三人の静かな啜り泣きだけが響いていた。
無理に慰めることも、明るく振る舞うことも必要なかった。今はただ、この喪失感を三人で分け合い、遠い故郷に向けて静かに涙を流す時間が必要だったのだ。
やがて、ひとしきり泣いて少しスッキリしたのか、マナミが腕でゴシゴシと目を擦った。
「……あーあ。せっかくの年越しなのに、目ぇ腫れちゃった」
「ほんとだよ。明日、着物着るのに最悪。マナミのせいだからね」
シオリも鼻をかみながら、少しだけ笑って言い返す。
『ブブッ』
その時、テーブルの上に置いてあったユヅキのスマートフォンが短く震えた。
画面を見ると、グループメッセージの通知が届いている。
『ケント:おーい、俺たちもう神社の鳥居の前にいるぞ。めっちゃ人並んでるから早く来い!』
『リナ:着付け終わったよー! 早くみんなに見せたい! 寒くないようにしっかり着込んでね!』
『タクト:ケントがもう甘酒三杯目飲んでる。早く来ないとこいつ屋台食い尽くすぞ』
スタンプと共に次々と送られてくる、呆れるほど日常的で、温かいメッセージの数々。
それを見たマナミが「ちょっと! 私のりんご飴残しといてって言ったのに!」と慌てて立ち上がる。
「ほら、シオリもユヅキも早く! 準備して!」
「ちょっと待って、お化粧直しさせて! こんな泣きはらした顔で写真撮りたくない!」
「大丈夫、夜の神社暗いからバレないって!」
バタバタと慌ただしくコートを引っ張り出し、マフラーを巻く二人を見て、ユヅキはふっと微笑んだ。
帰る場所は、もうここしかない。
遠い故郷を思って流した涙は、きっとこれからも折に触れてこぼれ落ちるだろう。
けれど、この世界には、こんな夜中に自分たちを待ちわびて、甘酒を飲みながら笑ってくれる友人たちがいる。
泣いた後に、こうして「早く行こう」と手を引いてくれる温もりが、確かにあるのだ。
「よし、行こう。みんな待ってる」
ユヅキは一番分厚いダウンコートを羽織り、マナミとシオリと共に玄関の扉を開けた。
頬を刺すような冷たい夜風の中へ。
新年の足音と、新しく生きていく世界が待つ場所へ、三人は連れ立って歩き出した。
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アナログの肉体が抱えるノイズ(脆弱性)と、デジタルの最適化。
もし病気も寿命もある「完璧に理にかなった機械」が存在したら、生肉であることの価値はどこにあるのか。そんな思考実験のようなヒューマンドラマです。
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