『デジタル・ステップ』 第16話 「掃除当番と冬の足音」
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放課後の教室に、机を引きずる鈍い音が響く。
オレンジ色に染まり始めた西日が窓から差し込み、宙を舞うチョークの粉をキラキラと照らし出していた。
「……ぶっくしょい!!」
黒板消し同士をパンパンと叩き合わせていたケントが、盛大なクシャミをした。
「あー、もう。鼻腔の微粒子センサーがチョークの粉に過剰反応して最悪だわ。誰だよこの仕様考えたやつ」
鼻をすすりながら文句を言うケントに、雑巾がけをしていたマナミが呆れたように笑う。
「異物を排出しようとしてるんだから、正常な防衛本能でしょ。ていうか、文句言ってないで早くそっち掃いてよ。水が冷たくて手が凍りそうなんだから」
「へいへい。生肉はしもやけとか出来ちゃうもんな」
ケントはほうきを手に取り、面倒くさそうに床を掃き始めた。
今日は一週間に一度回ってくる、ユヅキたちの班の掃除当番の日だった。すでに他の生徒たちは部活や遊びに出払っており、教室に残っているのは当番の数人と、彼らが終わるのを待っているシオリくらいだ。
「ねーえ、まだ終わんないの?」
ストーブの近くの席に座り、マフラーに顔を埋めたシオリが間延びした声を出す。
「あと少し! ゴミ捨て終わったら帰れるから」
ユヅキは集めたゴミを袋にまとめながら答えた。
「そういえばさ、週末の遊園地、みんな何着てく?」
黒板を背にして、ケントがふと思いついたように話題を振った。
「天気予報だと、土曜日は今季一番の冷え込みらしいぜ。海沿いの遊園地だから、風も強くて体感温度ヤバいかも」
「えっ、嘘でしょ……」
シオリが絶望したように机に突っ伏した。
「私、この前リナちゃんたちと買ったニット着ていこうと思ってたのに。あれ一枚じゃ絶対凍死する……」
「私もー! せっかく可愛いコート引っ張り出したのに、中にめっちゃ着込まないと無理じゃん。着膨れしてダルマみたいになるの最悪なんだけど」
マナミも雑巾をバケツに放り込みながら嘆く。
生身の彼女たちにとって、冬の屋外施設はまさにサバイバルだ。可愛さを取るか、防寒を取るか。女子高生にとって永遠のテーマである。
「俺はまあ、適当なジャケット羽織るくらいかな。ヒーターの出力上げればインナー一枚でも余裕だし」
「……ほんと、腹立つわぁ。その機能だけ私にもインストールしてほしい」
ケントの悪びれない発言に、マナミが本気で羨ましそうに唇を尖らせた。
「でもさ、リナちゃんもタクトくんも薄着で来るってことだよね? 私たちだけモコモコの雪山装備で行ったら、なんか浮かない?」
「あー、確かに。リナちゃん絶対オシャレしてくるもん」
あーでもない、こーでもないと、女子たちの真剣なファッション会議が始まる。
ユヅキはゴミ袋の口を縛りながら、その他愛のない会話のBGMを心地よく聞いていた。
(……平和だな)
この世界に来たばかりの頃は、毎日が生きるか死ぬかのパニックだった。
自分たちが生身であるという事実の重さに押しつぶされそうになり、機械である彼らを理解できずに怯え、絶望に泣き濡れた日もあった。
それがどうだろう。
今はこうして、チョークの粉でクシャミをする機械の友人と、週末の遊園地の服装について真剣に悩み合う生身の友人たちが、夕暮れの教室でただの学生としての時間を共有している。
事件も起きない。命の危機もない。
ただ、季節が秋から冬へと移り変わり、少しずつ寒くなっていくのを肌で感じながら、テストや掃除当番といった退屈なルーティンをこなしていく。
この「何も起きない退屈さ」こそが、どれほど贅沢で得難いものか。ユヅキは今ならわかる気がした。
「よし、掃除終わり! 帰ろ!」
マナミの明るい声で、ユヅキは思考の海から浮上した。
「うん。ケント、ゴミ出しよろしくね」
「りょーかい。じゃあまた明日なー」
ゴミ袋を軽々と担ぎ上げたケントと別れ、三人で校舎を出る。
外の空気は教室よりもずっと冷たく、吐き出す息ははっきりと白く形作られて、冬の夜空へと溶けていった。
「あー、お腹空いた。帰り道、コンビニ寄って肉まん買わない?」
「賛成! 私ピザまんがいい!」
「私はあんまんかな」
ローファーが乾いた落ち葉を踏む音と、三人の笑い声が静かな通学路に響く。
この穏やかな日常が、ずっと、ずっと長く続けばいい。
寒さに肩をすくめながらも、ユヅキの心の中には、ストーブの火のような小さく確かな温もりが灯り続けていた。
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アナログの肉体が抱えるノイズ(脆弱性)と、デジタルの最適化。
もし病気も寿命もある「完璧に理にかなった機械」が存在したら、生肉であることの価値はどこにあるのか。そんな思考実験のようなヒューマンドラマです。
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