『デジタル・ステップ』 第12話 「痛覚というシグナル」
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それでは、本編をお楽しみください!
保護局での、あの重苦しく息の詰まるような涙の決壊から一夜明けて。
何事もなかったかのように、完璧で穏やかな日常が戻ってきていた。
「おはよーユヅキ! 今日の一時間目、移動教室だから早く行こ!」
教室に入るなり、シオリがいつもより少しだけ高い、張り上げたような声で手を振ってきた。マナミもその隣で「急がないと遅れるよー」と笑っている。
二人の目は少し腫れぼったかったが、昨日の待合室での絶望など嘘のように、明るく振る舞っていた。いや、昨日の出来事を『なかったこと』にするために、必死で元の世界の女子高生という日常を上塗りしているのだと、ユヅキにはすぐにわかった。
「おはよう。うん、すぐ準備するね」
ユヅキもまた、その上塗りに付き合うように、いつも通りの笑顔を作って自分の席についた。
周囲のクラスメイトたちも相変わらずだった。
「昨日、保護局どうだった? メンテできた?」とケントが軽く聞いてきたが、ユヅキが「旧式すぎて何にもできなかったよ」と肩をすくめると、「マジか、生肉ハードはサポート対象外かよ、大変だなー」とあっさり笑って終わった。
彼らにとって、ユヅキたちがシステムから弾かれたことは、悲劇でもなんでもなく、単なる『規格の違い』でしかないのだ。
移動教室先での理科の実験中。
アルコールランプの火力を調整していたリナが、ふいに「あっ、つっ!」と声を上げて指先を押さえた。
「ちょっとリナ、大丈夫?」
同じ班だったマナミが驚いて身を乗り出す。
「うん、ごめん。ピンセットの先が熱くなってるの気づかなくて、ちょっと火傷した。いっったぁ……」
リナは涙目で赤くなった指先を水で冷やしながら、ふう、と息を吐いた。
「機械の身体でも……熱いとか、痛いとか、ちゃんとあるんだね」
マナミが、少しだけホッとしたような、不思議そうな声で呟いた。昨日までなら「機械のくせに痛がるなんてキモい」と言っていたかもしれないが、今日の彼女はただ純粋な疑問として口にしていた。
「そりゃあるよー」
指を冷やしながら、リナは当然のように笑った。
「痛覚がないと、自分の身体が壊れる前に危険を察知できないじゃん。もし熱さを感じなかったら、火に触ったまま気づかずに腕が炭になっちゃうかもしれないでしょ? 痛みって、命を守るためのすごい大事なアラート(警告)なんだよ」
「……そっか。そうだよね」
マナミは妙に納得したように頷き、シオリも「痛いのは嫌だけど、ないと死んじゃうもんね」と相槌を打った。
ユヅキはビーカーの液体をかき混ぜながら、リナの言葉を反芻していた。
(痛みは、命を守るための大事なアラート)
彼らの身体は、不要な老いや致命的な欠損のバグは完全に排除されている。しかし、環境の変化や危険を知らせるための『痛み』は、生体パーツの必須機能として意図的に残されているのだ。
彼らは痛みを恐れる。熱さを嫌がる。だからこそ危険を回避し、安全に生きようとする。それはプログラムされた無機質な機械の反応ではなく、自然界を生き抜く生命体として、あまりにも正しく、美しい設計だった。
「はい、冷やしたからもう平気。ちょっとヒリヒリするけど、これくらいなら放っておいても明日には細胞が修復するし」
リナはケロリとした顔で実験に戻り、マナミやシオリと楽しげに笑い合っている。
そこには、生身だのアンドロイドだのといった深刻な壁を感じさせない、ただの高校生たちの平和な日常があった。
シオリもマナミも、この『何事もない日常』に必死にすがりつき、元の世界と同じように振る舞うことで、自分たちの孤独を薄めようとしている。
(これでいいのかな)
ユヅキは、和やかに実験を進める彼女たちの横顔を見つめながら、ひっそりと息を吐いた。
昨日の保護局で、すがりつく二人の体温に負けて決断を先延ばしにした。その結果として、今この穏やかな時間が保たれている。
自分が生肉の不便さと、いつか来るかもしれない健康の不安に目を瞑りさえすれば、この優しい世界で、三人でずっと一緒に笑っていられる。
それが正解なのだと、自分に言い聞かせる。
しかし、ユヅキの胸の奥では、不器用なアナログの心臓が脈打つたびに、『本当にこのままでいいのか』というノイズが、微かに、けれど確実に鳴り続けていた。
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アナログの肉体が抱えるノイズ(脆弱性)と、デジタルの最適化。
もし病気も寿命もある「完璧に理にかなった機械」が存在したら、生肉であることの価値はどこにあるのか。そんな思考実験のようなヒューマンドラマです。
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