第2話「国王の御前」
その報せは、瞬く間に王宮を駆け巡った。
——呪い児が生まれた。白銀の髪に、紅の瞳。そればかりか、産声のかわりに「己の首を落とせ」と、はっきり言葉を発したのだと。
魔物だ。災いだ。言い伝えの、通りだ。
怯えと囁きが、回廊という回廊を、満たしていく。
——だが。
本来であれば、この産室は、もっと深い悲しみに、沈んでいるはずだった。
『……ねえ、武士さん。これ、おかしいんだけど』
頭の中で、ひかりの声が、戸惑っていた。
『原作だと、王妃様——あなたのお母さん、もともと体がすごく弱くて。呪いを宿した子を産んだ反動で、この出産で、命を落とすはずなの。なのに……生きてる。まだ青い顔だけど、ちゃんと、息がある』
(……ふむ)
『たぶん、あなたのせいだよ。生まれてくる呪いの子は、本来その力を垂れ流して、母体ごと喰らってしまう。でも——あなたの中身、生命力も気力もカンストした武士でしょ。無意識のうちに、呪いをぜんぶ、抑え込んじゃってるんだ。だから、お母さんが、死なずに済んでる』
母は、生きている。
己が、武士で、あったがゆえに。
腕に抱かれた温もりの、かすかな鼓動を感じながら——アルフォンスは、静かに、目を細めた。
(……左様か。ならば、なおのこと)
この命、無様には、散らせぬ。
——そして、半刻ののち。
産室の扉が、重々しく、開いた。
『——来た』
ひかりの声が、ごくりと、唾を呑む。
『国王陛下。あなたの……父親。これ、原作だと超重要シーンなの。ここで陛下が「呪い児を塔に幽閉せよ」って命じる。日の当たらない塔で独り育ったあなたが、だんだん世界を憎むようになって——後の魔王ルートに入る、最初の分岐』
(ほう)
『「ほう」じゃない!! 原作で一番堅いフラグなんだから!! 頼むから今だけは大人しく——』
その忠告の途中で、国王が、寝台の前に、立った。
白銀の髪の赤子を見下ろすその瞳には、隠しきれぬ怯えと——王として下さねばならぬ、非情な決断の影があった。傍らで、宰相が、低く囁く。
「陛下。言い伝えにございます。この子を生かせば、いずれ国に災いが……どうか、ご決断を」
産室が、しんと、静まる。
王妃が、我が子を抱く腕に、力を込めた。
——その沈黙を。
(——国王陛下、と申されたか。ならば、それがしにも、申し上げたき儀が)
アルフォンスは、父たる男に向け、口を、開きかけた。
己が災いを断つ覚悟。生き様で示す決意。武士として、まっすぐに告げるつもりで——
『——っ、だめ!! 喋っちゃだめ、武士さん!!』
ひかりが、悲鳴のように、叫んだ。
『生まれた赤ちゃんがまた喋ったら、今度こそ「魔物だ」で確定しちゃう!! お願い、今だけは、今だけは——!!』
だが、それより、早く。
「——っ、お、おやめ、ください……!!」
——王妃だった。
まだ立つこともままならぬ体で、寝台から身を乗り出し、我が子を、奪い返すように、かき抱く。そして、開きかけた小さな口を、そっと、己の胸に押し当てて、塞いだ。
(……む)
「この子は……この子は、何も、していません……! ただ、生まれてきただけ。髪の色が、瞳の色が、古い言い伝えに似ているというだけで……どうしてこの子が、討たれなければならないのですか……!」
青白い顔を、涙で濡らして。王妃は、震える声で、ただ必死に、訴える。
「陛下。お願いします。……どうか、この子に。生きることを——どうか、お許しを……!」
しん、と。産室の、誰もが、言葉を失っていた。
呪い児を抱きしめ、命がけで庇う、痩せ細った母の姿。
そして、その腕の中で——暴れも、泣きもせず。ただ、静かに、澄んだ紅の瞳で、まっすぐに父を見上げる、赤子。
そのどこにも、言い伝えの語る“災い”の影は、無かった。
国王の、剣の柄にかかっていた手が、ゆっくりと、離れていく。
「……名は」
絞り出すような、声だった。
「は?」
「その子の名は——もう、決めたのか」
問われた王妃は、腕の中の赤子を、ぎゅっと抱きしめた。そして、震えながらも、はっきりと、たった今、心を決めたように、告げる。
「……アルフォンス。この子の名は、アルフォンス。——わたくしの、息子です」
国王は、しばし、白銀の髪の我が子を見下ろし——やがて、静かに、踵を返した。
「沙汰は、追って下す。それまで、丁重に扱え。よいな」
「へ、陛下!? なりません、言い伝えが——」
「あの母が、命を賭してまで庇う子ぞ。……それに。あの子の目を、見たであろう。あれが——災いの目に、見えたか」
国王は、それだけを残して、産室を、出ていった。
『…………嘘でしょ。原作で一番堅いはずの分岐が、生後一日で……』
ひかりが、呆然と、漏らす。
——そして、数日後。
沙汰が、下った。
呪い児アルフォンス、ならびに母たる王妃は、王都のはずれの離宮にて暮らすこと。そして当面、その門を出ることは、罷りならぬ——と。
『……うーん』
ひかりが、複雑な声を出した。
『独りで塔に幽閉、の最悪ルートは折れた。でも、完全には消えなかったね。「魔物を遠ざけろ」っていう世間の声が、形を変えて、残った感じ。離宮で、母子そろって、軟禁』
(ほう。それの、何が問題か)
『問題ないどころか、なんだよ。原作だと、あなたは塔で“独りぼっち”で世界を憎むの。でも今のあなたは——お母さんと、一緒。独りじゃない。闇落ちの一番の燃料は孤独なのに……それが、最初から、無いんだ』
ひかりは、ふっと、笑ったようだった。
『ほんと、無自覚に最悪フラグ避けてくよね。死ぬのは怖くないくせに、生きるって決めたら、ちゃんと一番きれいな道を選ぶ。……あなた、そういう人だ』
(当然であろう。武士ゆえ)
『そこは、ちょっとくらい照れてよ……!』
——こうして、悪役王子アルフォンスの、最初の破滅フラグが、折れた。
いや、正しくは——へし折られ、形を変えて、牙を、抜かれた。
そのことに、世界が——“原典”が、まだ、気づかぬ、うちに。




