第1話「生後三秒」
白い光に満ちた場所だった。
——天界、というらしい。死してのち、武士の魂が辿り着いた転生待ちの待合所。そこで彼の世話役についたのが、ひかりと名乗る奇妙な装束の妖精であった。
「あ、ちなみに私もね、元はそっち側。前世はフツーの女子高生だったの。転生もの読むの大好きで、乙女ゲームも履修済み」
「ほう。其方も、一度死した身か」
「そそ、あっけなくね。本当なら私も生まれ直すはずだったんだけど——『君、転生もの詳しいじゃん、案内役やらない?』って、上の方にスカウトされちゃって。気づけば待合ロビーの妖精。もう何年やってるんだろ、数えるのやめた」
飼い殺しという言葉が武士の脳裏をよぎったが、娘があまりに屈託なく笑うので、口にはしなかった。
それから、しばし。武士はひかりの講釈を受けた。チート、ステータス、悪役令嬢、断罪、ざまぁ——耳慣れぬ言葉の数々を、腕を組み、一つひとつ実直に頷きながら。
「——なるほど。つまり“ざまぁ”とは、敵に一矢報いる果たし合いのようなものか」
「果たし合いではないけど……まあ、近い! 武士のお兄さん、飲み込み早っ!」
そうして、別れの時が来た。
「はい、こんなとこかな。——で、武士さんの番ね。あのトンネル、まっすぐ進めば次の人生。いい世界だといいねえ」
ひかりが指し示す先に、淡く光るトンネルがぽっかりと口を開けていた。
武士は深く一礼した。
「あい分かった。見ず知らずの身に、ここまで親切に教え導いてくれたこと——かたじけない。この恩、来世にて、必ず」
「いやいや、仕事だし。ていうか、そのノリ重いって(笑)。元気でねー」
——そのとき、だった。
ロビーの隅で、悲鳴じみた声が上がった。
「いやだ! 転生なんてしたくない! 戻りたい、元の世界に帰せ——帰せえええ!!」
一人の魂が半狂乱で暴れている。案内役たちが宥めようとするも、手がつけられない。
ひかりがため息をついた。
「あー……たまにいるんだよね、ああいう子。ごめん武士さん、ちょっと宥めてくる。あなたはもう行——」
言いかけた、その背に。
暴れる魂ががむしゃらに腕を振り回し——どん、とひかりを突き飛ばした。
「——っ、きゃ……!!」
小さな体が宙に泳ぐ。背後は、無数のトンネルが口を開ける、縁。
考えるより先に、体が動いていた。
「——危ういっ!!」
武士は地を蹴り、娘の腕を掴んで引き寄せ、その身をしっかと抱き留めた。
ひかりは、無事だった。
かわりに。
勢いを殺しきれなかった武士の体が、ぐらりと傾いだ。すぐ後ろで光っていた別の——本来、彼が行くはずではなかったトンネルへ。
「……これは、しくじったな」
存外に穏やかな声を残して、武士の体が光の中へ吸い込まれていく。
「——え。えっ、ええええ!? そっち、武士さんの予定のトンネルじゃ……っ、待って、待ってよ! なんで私を庇って、自分が——!!」
板きれが手から滑り落ちる。
案内役失格。それも、史上最悪の事故。けれど、頭をよぎったのは、規則のことなんかじゃなかった。
見ず知らずの自分を庇って、誰かの人生に間違って落ちていく、あの不器用な侍を。
見捨てられるわけが、ない。
「——あーもう!! なんでこうなるのよ〜〜!!」
ひかりは叫ぶなり、勢いよく立ち上がり——同じトンネルへ、頭から飛び込んだ。
ふたりを、光が、呑み込む。
──────
「——お生まれにございます! 王子さまにございます!」
侍医の声が王宮の一室に響いた。
が、続くはずの祝福は、上がらなかった。
かわりに、ざわめきが漣のように広がっていく。
「……あの、御髪を」
「白銀の……まさか」
「紅い、瞳……言い伝えの——」
「呪い児……」
産湯の桶を囲んでいた侍女たちが、じり、と後ずさる。乳母の顔から血の気が引いていく。
——ふむ。
産着にくるまれた赤子は、ぼんやりと天井を見上げ、思考していた。
(生まれた、か。それも、白銀の髪に、紅の瞳。……あの娘の言うておった、“呪われた悪役王子”とやらに、相違あるまい)
『——ちょっ、待って待って待って!!』
頭の中で、聞き慣れた声が爆発した。
『うっそでしょ!? よりによって、よりによってこの王子に転生!? アルフォンス——破滅する、悪役王子。いずれ国を滅ぼす、ラスボス——』
(——あい分かった)
『軽っ!?』
天界から彼を追って、共にこの世界へ堕ちてきた妖精・ひかり。姿は誰にも見えず、その声だけがアルフォンスの頭の中に響く。そして今、その声は、完全に裏返っていた。
『あい分かったって何!? 今のね、人生詰みの宣告だよ!? もっとこう、絶望するところでしょ!?』
だが、赤子——アルフォンスは、すでに得心していた。
そして静かに、紅い瞳を傍らの侍医へと向ける。
「——そこのもの。頼みがある」
ぴたり、と産着を整えていた侍医の手が止まる。
「この首を、今この場で、落としてはくれぬか」
しん——とは、ならなかった。
「ぎゃあああああ!?」
「し、喋ったぞ!! 生まれたての赤子が、喋ったぞ!!」
「やはり呪いか! 魔物か——!!」
侍女は悲鳴を上げ、侍医は腰を抜かし、乳母は白目を剥いて崩れ落ちた。産室は、一瞬にして阿鼻叫喚。
(……はて。皆、何をそう取り乱しておる)
当のアルフォンスだけが、仰向けのまま、きょとんと目を瞬かせるばかりだ。喋る赤子に絶叫するのが、ごく当たり前の反応であることに、この武士、まったく気づいていない。
『そりゃ叫ぶわ!! 生まれて三秒の赤ちゃんが、渋い声で「首を落とせ」だよ!? 完全にホラーだって!!』
それでも武士は引かなかった。誰も応じぬと見るや、紅い瞳を侍医へ、静かに据える。
「聞けば——この身はいずれ国を滅ぼし、万民を巻き添えに、災いをもたらす元凶となるとか」
「な……っ」
「ならば、是非もなし。国を喰らう災いは、芽のうちに討つが武士の本分。たとえそれが、己自身であろうと——刃に、迷いはない」
「そこの、刀を貸していただきたい。介錯は無用。この手で、見事討ち果たしてご覧に入れよう」
産室の空気が、完全に、壊れた。
「お、王子殿下が——ご自分の腹を——!!」
「誰か陛下を! いや、神官を——神官を呼べええ!!」
『理屈は立派なの!! でも結論が“自分を斬る”なのよ!? ていうか今のあなた握力ゼロ! そもそも刀、持てないから!!』
——その時。
「——いいえ。落とさせは、しません」
凛とした声が、阿鼻叫喚をまっすぐに割った。
寝台の上。出産を終えたばかりの王妃が、青白い顔で、しかし揺るぎない瞳で、我が子を見ていた。そして震える腕を伸ばし——呪い児と呼ばれた赤子を、そっと抱き寄せる。
「……たとえ世界がこの子を呪いと呼ぼうと。母にとっては、たった一人の、愛しい我が子です」
ぽたり、と。
王妃の頬を伝った雫が、アルフォンスの額に落ちた。
(……む)
アルフォンスは瞬きをした。
(……まいったな)
抱きしめる腕は、温かかった。義のため、家のため、刀を握り続けた前世では——ついぞ知らなかった、温もりだった。
——この御方の腕の中で、無様に首を落とすは、あまりに無粋というもの。
『……あれ。武士さん、その顔、もしかして』
(あい分かった。死は……ひとまず、預ける)
『預けるな!! 捨てて!! そのまま捨てて!!』
赤子は、ふっと口の端を上げた。生後三秒にして、ひどく、不敵に。
「——ならば。この命、武士として恥じぬよう。咲くべき時が来るまで、使い切るとしよう」
かくして。
破滅する悪役王子に転生した武士のフラグへし折りの日々が——静かに、幕を開けた。
『いやだから、その記念すべき第一歩が“切腹未遂”なの、もう本っ当に先が思いやられるんですけど!?』




