第3話「喋るな、と妖精は言った」
離宮へ移されて、すぐのこと。
ひかりは、それはもう、真剣な声で言った。
『いい? 武士さん。これから言うこと、ぜっっったいに守って。——三歳になるまで、喋っちゃ、だめ』
(なにゆえ)
『あなたのその“喋る”が、全部の元凶だからだよ!! 生まれた瞬間に渋い声で「首を落とせ」なんて言ったから、城中が「魔物だ」って大騒ぎして、離宮送りになったの!! これ以上やったら、今度こそ“始末”の話が、本気で出かねない。だから、喋れて当たり前の歳——三歳くらいまでは、ふつうの赤ちゃんのフリ! お願い、これだけは!!』
(……ふむ。つまり、寡黙で、あれと)
『そう! 武士、得意でしょ!? 黙ってるの!!』
(あいわかった。——元より、武士は、多くを語らぬもの)
かくして。
天下無双の(自称)寡黙な赤子が、誕生した。
それからの数年。アルフォンスは、ひたすらに、黙った。
乳母が恐る恐る抱き上げても、無言。あやされても、無言。ただ、紅い瞳で、じっと相手を見つめ返すばかり。
『いや、それはそれで怖いのよ……! もうちょっとこう、赤ちゃんっぽく……うん、無理か』
そのかわり、頭の中だけは、毎日が、賑やかだった。
ひかりが、この世界のことを、片端から教えてくれたのだ。
国の名。王家の血筋。離宮を囲む森の、その向こうに広がる、王都の賑わい。そして——いずれアルフォンスが放り込まれることになる、“原作”という名の、筋書き。
『この世界はね、元は乙女ゲーム——女の子が主人公の、恋愛物語の世界なの。ヒロインがいて、攻略対象の素敵な男の子たちがいて。で、あなたは……その中で、ヒロインに横恋慕して暴走する、悪役の王子。最後は学園で断罪されて、国を巻き込んで滅ぶ。それが、“原作”のあなた』
(ふむ。つまり、それがしは、敵役か)
『そう。……でも、もう、ずいぶん違ってきてる。お母さんは生きてるし、塔にも幽閉されてない。今のあなたは、原作のアルフォンスとは、もう別人みたいなもんだよ』
母は、毎日、離宮の窓辺で、穏やかに微笑んでいた。
呪い児と恐れられても、この離宮の壁の内だけは、いつも、静かであたたかかった。
——悪くない、とアルフォンスは思った。
忠を尽くすべき主君も、守るべき家門も、もはやない、この生。されど。守りたいと、そう思える温もりが——たしかに、ここに、ある。
ならば、それで、十分であった。
そして。
——五歳の、春。
『……ね、武士さん。最近、庭ばっかりぼーっと見てるけど。なに考えてんの?』
問われて、幼いアルフォンスは、すっと、立ち上がった。
よちよち、ではない。背筋を伸ばし、まっすぐに、庭へと歩いていく。そして、植え込みの根元に転がっていた、一本の——
棒切れを、拾い上げた。
『……え。なに、それ』
少年は、それを両手に取り、すうっと、正眼に、構えた。
五歳の、細く、小さな体。けれど、その構えだけは——どこまでも、堂に、入っていた。
「ふむ。——口は、三歳で解禁された。体も、そろそろ、思うように動くようになってきた」
ひゅっ、と。
振り下ろされた棒切れが、春の空気を、鋭く斬る。
「ならば。——そろそろ、よかろう」
幼い武士は、紅い瞳に、静かな炎を宿して、言った。
「稽古、開始である」
『えっ、ちょっ、なに始める気!? まだ五歳!! ——っていうかその素振り、サマになりすぎてて、逆にこわいんだけど!!』
離宮の庭に、ひゅっ、ひゅっ、と。
小さな素振りの音が、響きはじめる。
破滅する悪役王子の——否。
武士アルフォンスの、本当の歩みが。今、静かに、始まった。




