第12話「策、破れたり」
その日の、放課後。
ひかりが、ふいに、緊張した声を、上げた。
『……武士さん。あれ、見て』
中庭の、向こう。
アンジェが、見慣れぬ下働きの少年に、何事か耳打ちされ——人気のない、校舎裏の方へと、誘われていく。
『あの感じ……まずい。原作に、あったやつだ。"あのイベント"』
「あのイベント、とな」
『悪役令嬢の失脚が、始まる、きっかけの事件。ヒロインが、人気のない所で襲われて——その罪を、令嬢が、着せられるの。"あの女に、やらされた"って。……断罪への、最初の一歩』
アルフォンスの、紅の瞳が。すっ、と、細められた。
『しかも、見て。あっち』
別の、方角。
ロザリンドもまた、一枚の紙片を手に、同じ校舎裏へと、足早に、向かっている。
『あれ、たぶん、偽の呼び出し状。ロザリンドを現場におびき寄せて、"居合わせた=黒幕"に、仕立てる気だよ。……証拠のセドリックらしい、念の入った、やり口』
「——なるほど。獲物を、二方から追い込む、罠の組み方よな」
アルフォンスは、すでに、駆け出していた。
「ひかり殿。先に、参るぞ」
◇
校舎裏。
人気のない、石壁の、陰で。
アンジェは、見上げるような大男——人相の悪い、ならず者に、退路を、塞がれていた。
「ひっ……だ、誰か……!」
ならず者の手には、鈍く光る、短刀。
「恨みは、ねえがな。お嬢ちゃんには、ここで、ちょいと、痛い目を——」
——その刃が。
アンジェに、向けられた、刹那。
「狼藉者が」
低い、声。
次の瞬間。
ならず者は、己の身に何が起きたのか——理解、できなかった。
ただ、ひゅん、と。
涼やかな、風が、鳴って。
握っていたはずの短刀が——刃の半ばから、すっぱりと両断され。地に、からん、と、落ちている。
そして、喉元には。
冷たい、切っ先が——ぴたり、と。
抜き打ちの、一閃。
ならず者には、白銀の青年が、刀を抜いた瞬間すら、見えていなかった。
「ひ……ぃ……」
恐る恐る、見上げた、その顔は。
噂に聞いた、麗しい呪い児——では、なく。
眉を吊り上げ、墨を刷いたような陰影を纏った——鬼神のごとき、劇画の、武者。
「動くな。——次に動けば、その首。地に、落ちるぞ」
『(うわ、相手からしたら、最恐の絵面……! 作画、こういう時は、完全に味方だな……!)』
ならず者は、がくがくと、震え上がり——その場に、へたり込んだ。
「ま、待ってくれ……! お、俺は、ただ、雇われた、だけで……!」
「雇われた? ——誰に」
切っ先が、わずかに、喉へと、近づく。
「し、知らねえ! 顔は、見てねえ! ただ……この娘を脅した後で、"ヴァレンシュタインの娘に、やらされた"と、触れ回れって……それだけ、頼まれたんだ……!」
——その、自白が。
石壁の、陰に、響き渡った、ちょうど、その時。
「……これは、一体」
紙片を手にした、ロザリンドが。
角を、曲がって、現れた。
罠に、おびき寄せられ。本来ならば——この場に"居合わせた黒幕"として、仕立て上げられるはずだった、彼女が。
だが、その目に映ったのは。
すでに、取り押さえられた、ならず者と。"自分が、嵌められかけた"という——自白の、一部始終。
「……っ」
ロザリンドの、琥珀の瞳が。
状況を、即座に、読み取って——大きく、見開かれた。
◇
アルフォンスは、すっ、と。
刀を——光丸を、鞘へと、納める。
その、流れるような所作と共に。
鬼の形相は、嘘のように、解け——元の、涼やかな美貌が、戻った。
「——怪我は、ないか。アンジェ殿」
「あ……は、はい……た、助けて、くれて……ありがとう、ございます……」
それから、アルフォンスは。
呆然と佇む、ロザリンドへと、向き直る。
「ロザリンド殿。——どうやら、そなたを陥れんとする、企てが、あったらしい。危ういところで、あった」
「……あなたが。どうして、ここに」
「アンジェ殿が、人気のない方へ、誘われるのを、見てな。胸騒ぎが、した。——間に合うて、何よりよ」
ロザリンドは。
何か言いかけ——けれど、言葉に、ならず。ただ、きつく、唇を、噛んだ。
(なぜ……この男は。罪人と、蔑まれる、わたくしのために。こんな——)
凍てついた胸の、その奥の奥が。
また、小さく——軋んだ。
◇
ならず者が、駆けつけた衛兵に引き渡され。
騒ぎが、収まった、後。
『……武士さん。あんた、今、とんでもないこと、したよ』
ひかりが、興奮気味に、囁いた。
『原作だと、この事件で、ロザリンドの失脚が、始まるはずだったの。ヒロインが襲われて、令嬢が犯人にされて、"やっぱり罪人の娘は危険だ"って空気ができて——断罪への、レールが、敷かれる。それが——』
「ただの、狼藉者の、捕り物に、終わった、か」
『そう! セドリックの、第一手。証拠を作るための、入念なお膳立て。それを——あんた、丸ごと、ひっくり返したの! しかも、ロザリンドを、庇う形で!』
だが、アルフォンスは。
きょとん、と、首を、傾げるばかり。
「はて。それがしは、ただ。女子を襲う狼藉者を、捨て置けなんだ、だけだが」
『……うん。知ってる。あんたは、いっつも、そうだ』
ひかりは、ふっと、笑い——それから、少し、感心したように、付け加えた。
『どんなに巧妙に、策を張り巡らせても。"そもそも、悪事を成立させない"っていう、まっすぐな正しさの前には……無力なんだなあ』
◇
——そして。
その一部始終の、報せを受けた、セドリックは。
人気のない、生徒会室で。
ひとり、長い指を、組み合わせていた。
(……雇った男が、捕らえられ。あろうことか、自白まで。しかも、それを阻んだのが——あの、呪い児の王子、とは)
(妙な、男だ。陰謀の気配を、読んでいる風でも、ない。ただ、まっすぐに——目の前の悪を、断つ。……だからこそ。こちらの絵図が、ことごとく、噛み合わない)
ことり、と。
彼は、机上に並べた駒のひとつを——静かに、指で、倒した。
(……面白い。ならば、次は。もっと、込み入った盤を、用意するとしよう)
酷薄な唇が、薄く——弧を、描く。
策士の、第一手は。
武士の、まっすぐな一刀に——あっけなく、両断された。
だが、盤上の戦いは。
まだ、始まったばかり、なのである。




