第10話「策士と、猪武者」
学園に、少しずつ、慣れてきた、ある日のこと。
談話室の一角は、いつものように、ざわめいていた。
その中心には——アンジェ。
聖女候補の少女の周りには、まるで陽だまりに集う蝶のごとく、常に、幾人もの生徒が、寄り集まっている。
『見て、武士さん。あれが、原作の構図だよ』
ひかりが、囁く。
『ヒロインを中心に、攻略対象が集まる。乙女ゲーの、王道。……で、あの中でも、特に厄介なのが——あの、二人』
アルフォンスは、静かに、視線を、向けた。
◇
ひとりは、すらりとした、長身の青年。
銀色の髪を、きっちりと撫でつけ。切れ長の目には、氷のような知性が、宿っている。物腰は、優雅。けれど——その双眸は、笑っていても、決して、温度を持たなかった。
「ふむ。あなたが、噂の……アルフォンス殿下、ですか」
青年は、にこやかに、近づいてきた。
「お初に、お目にかかります。セドリック・メルツ。——以後、お見知り、おきを」
如才ない、挨拶。
だが、その視線は、アルフォンスの全身を——まるで、検品でもするように、舐めるように、走っていた。
『……セドリック・メルツ。宰相の、息子』
ひかりの声が、低くなる。
『頭脳明晰、冷徹、腹の底が読めない。原作の断罪イベントでは——ロザリンドの"罪"の証拠を、次々と突きつける、検事みたいな役どころ。理詰めで、令嬢を、追い詰めるの』
アルフォンスは、セドリックの微笑を、じっと、見返し。
やがて、ひかりにだけ、聞こえる声で、呟いた。
「……笑うておるが。目が、笑うておらぬ。刃を、隠し持つ手合いよ」
『……うわ。一発で、見抜いた』
◇
そして、もうひとり。
「——おい。そこの、呪い児」
無遠慮な、大声と共に、近づいてきたのは。
熊のように、大柄な、青年だった。日に焼けた肌。逞しい体躯。まっすぐすぎる、双眸。
「俺は、ローラン。騎士団長の、息子だ。……いいか、よく聞け」
彼は、ずい、と、アルフォンスに、顔を、近づけ。
「お前が、何者だろうと、知ったことか。だが——アンジェ嬢に、妙な真似をしてみろ。この俺が、叩き斬る。覚えておけ」
『……ローラン。騎士団長の、息子。脳筋で、直情径行で、でも——正義感だけは、本物』
ひかりが、解説する。
『原作の断罪だと、こいつが、実行犯。剣を突きつけて、ロザリンドに"追放"を言い渡す——物理担当だよ。証拠のセドリック、武力のローラン。この二人が、断罪の、両輪なの』
ところが。
凄まれた当のアルフォンスは——なぜか、感じ入ったように、深く、頷いていた。
「——良き、面構えよ」
「は?」
「曲がったことが、嫌いと見える。守るべきものを、まっすぐに、守らんとする心根。……あっぱれ。武士として、見上げた、気性だ」
「な……っ、なんだ、お前!? 馬鹿に、してるのか!?」
「いや。心から、褒めておる」
きょとん、とした、アルフォンスの、世辞ひとつない言葉に。
ローランは、毒気を抜かれて——耳まで、赤くなり、わたわたと、後ずさった。
「うっ……う、うるさい! 覚えてろよ!」
捨て台詞を残し、逃げるように去っていく、大男の背を見送って。
ひかりは、半笑いで、呟いた。
『……武士さん、たぶん今、何人かの心、無自覚に折ってってるよ』
それから、ひかりは。
ふと、思い出したように、付け加えた。
『……あ。そうだ。攻略対象、もう一人、超重要なの、忘れてた』
「ほう?」
『原作の断罪ってね。本当は、いちばん偉い人が"筆頭"になって、令嬢に引導を渡すの。しかもその人、ヒロインの、最有力攻略対象でもある——第一王子』
「第一王子、とな」
『そう。断罪を、仕切る、顔。……でもさ、武士さん。この国の第一王子って——』
ひかりは、にやり、と、笑った。
『あんたの、兄者。ユリウス殿下、だよ』
「——おお、兄者か!」
ぱっと、顔を、輝かせる、アルフォンス。
『で、その兄者ときたら……もう、十年、あんたに稽古をつけられて。基本だの葉隠だの、みっちり叩き込まれて——すっかり、心酔しきっちゃってるからね』
『はたから見てると、もう……弟を溺愛してる兄なんだか、師匠を敬ってる弟子なんだか、判然としないレベル。"ブラコン"なのか、"師弟愛"なのか。——どっちにしろ、断罪を仕切るどころか、全力であんたを守る気、満々。つまり、断罪の"筆頭"の椅子は、最初っから、空席ってわけ』
「左様か。——心強い、限りよ」
『だからメルツも、本来の"王子が令嬢に引導を渡す"って王道が、使えない。仕方なく、証拠と武力で、無理やり組み立てるしかないの。……さっき言った両輪は、言っちゃえば——その、穴埋め、ってこと』
◇
と——その時。
談話室の、空気が。
ぴり、と、張り詰めた。
セドリックの、氷の視線が。
部屋の、隅へと——ひとり、静かに佇む、漆黒の髪の令嬢へと、向けられたのだ。
ロザリンド。
「これは、ヴァレンシュタイン嬢。今日も……ご機嫌、麗しいようで」
慇懃な、言葉。
だが、そこには、隠しきれぬ——刺が、あった。
ロザリンドは、琥珀の瞳で、セドリックを、射抜き返す。
一言も、発さぬまま。けれど、その瞳の奥の焔は——いつにも増して、激しく、燃えていた。
二人の間に、火花のような、沈黙が、走る。
やがて、セドリックは、ふっと、笑みを浮かべ、踵を返した。
『……ねえ、武士さん』
ひかりが、ひときわ、声を、落とした。
『今の、見た? あの二人の、空気』
「うむ。——尋常な、間柄ではないな」
『……メルツ家。セドリックの家こそ——ロザリンドの家、ヴァレンシュタイン家を。謀反の濡れ衣を着せて、取り潰した、張本人なの』
アルフォンスの、紅の瞳が。
わずかに、細められた。
『当主は、今の宰相。つまり——ロザリンドの復讐の、最終標的は。セドリックの、父親。そして、セドリックのほうも、生き残った彼女を、ずっと、警戒してる。いずれ"邪魔者"として、完全に、消すつもりで』
「……」
『原作の断罪はね。表向きは"ヒロインいじめ"が罪状だけど。その裏で——目障りな復讐者を、合法的に始末する、っていう。メルツ家の、筋書きでも、あったんだよ』
「——それに、だ」
ひかりは、ふと、声を、さらに、低くした。
『忘れちゃ、だめだよ、武士さん。……その断罪で、裁かれるのは。ロザリンドだけ、じゃ、ないの』
「うむ?」
『あなたも、なの。——原作のアルフォンスは、アンジェに執着して、暴走して。卒業の、断罪で。婚約者のロザリンドもろとも、何もかも、奪われる。地位も、名誉も、行き場も』
「……」
『そして、その逆恨みで——闇に、堕ちる。国を、滅ぼす、ラスボスに。……それが、この物語の、"そもそもの結末"。あなたが、生まれて三秒で、腹を切ってでも止めようとした——あの、未来だよ』
静かに、語られた、その真相を。
アルフォンスは、瞑目して、聞いていた。
そして——ゆっくりと、目を、開く。
「——あい分かった」
その声は、いつもと、変わらず。
けれど、どこか、深く。
「策の、セドリック。武の、ローラン。聖女の、アンジェ。——その三つが噛み合うて、回るのが、その"断罪"とやら、だな」
『……うん。そう』
「ならば」
アルフォンスは、静かに、腰の光丸に、手を、添えた。
「その歯車、ひとつ残らず——それがしが、噛み合わぬように、してくれよう」
呪い児の王子の、その横顔を。
ひかりは、頼もしげに——そして、少しだけ、わくわくと、見つめたのだった。




