トライアスロン特訓開始!
8月8日になった。
時間が飛んでいるんじゃないかって?
体感そのままだからいいんだよ。
サッカー部の合宿での記憶がない。覚えているのは馬車馬のように働かされたこと。給料をねだったらひっぱたかれたこと。最終日に試合に駆り出されたことだ。敵ゴール前で膝をついていたら顔面にボールが飛んできて、かわそうとしたらイイ感じのヘディングになってゴールが決まってしまった。胴上げってけっこう怖いんだな……。
結衣山に帰っていくサッカー部を見送る。俺も同じバスに乗りたかった。
が、まだ帰るわけにはいかないのだ。不本意ながら。
「はあ~~~~、いくか」
世界一やる気のない決意をしてみる。
目的地がそう遠くないことだけが救いだ。数日分の着替えだけが入ったカバンを担ぎ直す。
速水の指定した宿は徒歩で30分くらいでたどりついた。次のバスが2時間後だったから歩くしかなかった。結衣山はクソ田舎だ。
「あー。意外とちゃんとしてるな」
古いけどそこそこ小綺麗だし広い建物だった。そして駐車場もだだっ広い。俺ら以外にも宿泊客を迎えているらしく、人の出入りがある。どうせ中年のおっさんしかいねえだろと決めつけていたが、やたら若い声が聞こえてくる。しかも1人2人とかじゃなくて大勢の。
「え、やば!」
見間違いかと思った。
俺と同世代――――つまり高校生くらいの男女がうじゃうじゃいる。
まさか県外から来ているのか。ジャージに書かれた学校名は見慣れないものばかりだった。
あたりを見回す。すぐ近くにデカい体育館が2つもあった。
なるほど。合宿先としてよく使われる宿だったのか。
速水のやつ、すごい親戚がいたもんだ。
「おーい! 透真くーん!」
黒髪ショートヘアー女子が名前を呼んでくる。彼女は宿の前で大きく手を振っていた。
約1週間ぶりの下野うらかだ。すごく目立っていた。やかましい声と動きのせいだけではない。ずっと一緒にいると忘れそうになるが、うらかはそれなりに美少女なのだ。どこぞの学校の男子がチラチラとうらかに見惚れていて、よそ見のせいで壁に顔面をぶつけていた。
小走りでうらかが駆けてきた。
が、走ってくる勢いが若干強い。このままではぶつかってしまう。
俺は反射的に回避しようとして――――理性的にその場に留まった。
「うわっ、ごめん!」
「うん。いいぞ」
「……。ひょっとしてわざと動かなかった?」
「そんなわけない」
俺はうらかから離れた。なんかいい匂いがした。夏なのに。
「っていうか遅い! ずっと待ってたのに!」
「そっか」
「早くいこっ?」
どうしよう。
さっきから、うらかが可愛い。
理由はわかる。あの男まみれのサッカー部合宿のせいだ。女子への免疫が一時的に低くなっているだけだ。だから、落ち着けばなんとかなる。
と、言い聞かせてみるが心拍数がどんどん上がっていく。やばい。
「透真くん?」
不思議そうに首をかしげる。動きに合わせて髪も揺れていた。
「少し待ってくれ。精神統一する」
「またバカなこと言ってる。ホントはただ帰りたいだけでしょ。逃がさないから」
うらかが俺の手をとる。
「!?」
さらに腕を絡めてきた。
「!?!?!?」
「観念しなさいよ」
イイ笑顔でうらかは言う。口の端がにんまりと上がっている。
からかいや冗談の延長なんだろう。けど、俺は限界だった。
心の声がセーブできなかった。
「可愛い」
呟いた瞬間、うらかが腕を離した。
すすっ……と距離も取られる。怒っているのか照れているのか絶妙に分かりづらい表情をしていた。
「ねえ。透真くん。前から聞こうと思ってたんだけどさ。透真くんって」
「おっ、あの子たちも可愛いな」
「は??」
俺のすぐ真横を通った女子たちを指差す。博多女子かも。
声が聞こえてしまったのだろう。名も知らない女子たちは俺を見てクスクス笑っている。控えめだが手を振ってくれた。え、ワンチャンあります? 追っかけていいですか。
「……透真くん。さっきから可愛い可愛いって言ってるのは」
「もちろん、いまの娘たち。やっぱ県外はレベル高いね。なんかもう、女の子ってだけで全員可愛く見えてくる」
「あっっっっそ」
うらかがスタスタと先を行く。俺は3歩くらい遅れてついていった。
旅館の中は冷房がきいていた。朝とはいえ真夏日の暑さにやられた身体が急速に癒えていく。このままトライアスロンの特訓なんかせずにダラダラしたい。眠くなってきた。
「来たか2人とも」
「まったく不本意ながら」
俺たちを巻き込んだ張本人、速水が現れた。
これでメンバーが揃ってしまった。練習が始まってしまう。
なんとか逃れる方法はないだろうか。俺が最後の悪あがきを模索していると、速水の表情がわずかに固いことに気付いた。
「どうした」
「2人に謝っておくことが」
「なにを」
「ここの宿代は払わなくていいと言っていたが……」
「おっ?」
「さすがに1週間もタダで泊められないと」
「妥当な判断」
そりゃあそうでしょうよ。
いくらなんでも話が上手すぎると思っていた。それだけの期間を滞在するのに宿泊費は必要ない――なんて。速水が大丈夫だと断言するから深く考えないようにしたけど。
「そんな……」
うらかがとてもショックを受けている。
俺は――――予想通りの展開に笑みがこぼれそうだった。
「そっかー、困ったなー。さすがにお金に余裕がないしなー? でも速水の家族に迷惑をかけるのも申し訳ないし。解散すっか。トライアスロン大会はまたの機会ということで。あ、結衣山行きのバスは2時間後だからそれまで居座ってもいい?」
「透真くんめっちゃ喋るじゃん……」
よかった。よかった。本当に。マジで。
俺の夏休みが1週間返ってきた。
家に帰ったら何をしようかな。とりあえず好きなだけ寝よう。起きたらゲームして、アニメ見て、無意味に夜更かしして。面倒だけど宿題も片づけておくか。そんで好きなだけ楽しんだら、小旅行の準備をしよう。クソ親父が帰ってくる前に。
夏の計画を立てている俺に、速水が何かを手渡してきた。
なんだ。服か? いわゆる作務衣というやつ。目の前の速水が着ているものと同じに見える。さっきから忙しげに動き回っている旅館従業員も同じ装いだ。
すごく嫌な予感がした。
「おい。速水。まさか」
「旅館の仕事を手伝ってくれるなら、宿泊を許可すると」
「またこういうパターンかよ!!」
いいかげんにしろ!
どんだけ俺を働かせれば気が済むんだよ!
なんか隣のうらかは笑ってるし!
「下野もそれで問題ないか」
「全然オッケーだよ。お金払わないで泊まるの申し訳なかったから。むしろありがたいっていうか」
「よし。全員の了承が取れたということで」
「俺は了承してねえけど!?」
しゃがみ込んで抵抗しようとしたら、うらかと速水に無理やり立たされた。右と左を
固められて逃げ場を失う。
「楽しい1週間にしようね」
おわった。
◇
宿泊客への配膳が、最初の業務だった。
旅館にやってきた高校生たちは運動部所属のせいか、本当によく食べる。空になった器をかかげておかわりをねだってくる。俺たちはそのたびに新しいごはんをよそって渡して、ようやく食事の時間が終わったと思ったら、大量の洗い物と掃除が待っていた。従業員総出で分担する。ちなみに俺は女子風呂の清掃を割り当てられた。興奮したのは一瞬だけ。誰も入ってないから意味ないし、排水溝の髪の毛にげんなりした。ただの作業感強い。
そして昼になった。
配膳業務パート2だ。休憩はまだもらえない。
食堂に入ってきた男子連中が汗臭い。このにおい、俺はつい昨日まで嗅がされる環境にいた。むさくるしい。窓を全開にしてなんとか耐えしのぐ。
「おい、あの子可愛いな」
「今朝もいたよな」
「地元の子か?」
で、案の定うらかは注目の的だった。
横綱食堂や、洋食屋ほんわかでのバイト経験が活きているのだろう。
初日とは思えないほどそつがなく、仕事をテキパキとこなす。あれだけ忙しそうに動き回っているのに笑顔が崩れない。額に浮かんだ汗すらまぶしい。普段はアレだけど、こういう部分だけ切り抜いたら本当に美少女感強いな、あいつ。
「おねえさーん! こっちにおかわりお願いしまーす!」
「はい、ただいまー!」
何度目かのおかわり。
このモブ男子たち、うらかと話したいがために無理をしているのが丸わかりだった。面白くない。午後の練習で吐いてしまえと思う。
「おにいさーん」
「ん?」
怨嗟の視線を男連中に送っていたところ、俺を呼ぶ声があがった。
少し幼い顔立ちの少女たちのテーブルがあった。たしかどこかの中学の吹奏楽部だったはずだ。楽器や課題曲がどうのとかいう会話が聞こえていたから。
「なにかな。おかわり?」
「じゃなくてー」
クスクスと笑い声が漏れる。思わず身構えてしまう。
なにを言われるんだろうと覚悟していると、予想外なことを言われた。
「おにいさんのことが気になって。……って、この子が」
「ちょ、ちょっと!? 何言い出してんのよ!?」
にやにやと頬をゆるませる少女と、その隣で慌てだす別の少女。
俺は少しかがんで2人目の少女に目を合わせた。
「どうかした?」
「へっ、あの……」
顔を赤くして俯いてしまう少女。
それを見て、ほかの娘たちがきゃあきゃあ騒いではやし立てた。
あー、そういうことね。
それから質問攻めだった。名前とか、どこに住んでいるとか、部活はやっているんですかとか。全部正直に答えた。何も困るものがなかったから。
「カノジョさんとかいるんですかー?」
「いるよ。最近できたばかりだけど」
偽物の恋人であるラッコを思い浮かべる。
こういう質問にこういう返しができるの、我ながらちょっと感動してる。
「あはは。振られてやんのー」
「もうやめてってば!」
「写真とかありますかー?」
「見せて見せて!」
俺はスマホを取り出した。
こんなこともあろうかと(どんな対策だよ)お互い相手の写真を何枚かフォルダに保存している。俺は1番可愛く見えるラッコの写真を表示した。
「………」
「………」
「………」
「………」
途端、それまでの騒がしさが嘘のように鎮まりかえった。
「え。やば」
「こ、高校生ってすげえ」
「あたしらもこんな風になれるかな」
「無理でしょ絶対」
ラッコの身体のある一点を凝視しているのは明らかだった。
俺にスマホを返しながら誰かが言った。
「お、おにいさんって巨乳好きなんですね……」
なんか屈辱的だった。
◇
「随分楽しそうだったわね」
「あん?」
うらかと2人で洗い物をしていると、出し抜けにそんなことを言われた。
「女の子たちに囲まれてデレデレしてた。よかったわねモテモテで」
「面白がられただけだと思う」
「このロリコン」
「なんでだよ」
「そりゃ……ハッ!?」
何かに気付いたらしい。
うらかの手がピタリと止まった。
「いや、まって。やっぱりロリコンのままでいて」
「なにを想像したか知らんけど、あとが怖いぞ」
ムラサキはロり扱いされると怒るのだ。
「そっちだって、男子にモテてただろ」
「私が? モテてた? いつ? なんで?」
「何度も呼ばれてたでしょ」
「おかわりでね。見てたくせに。運動部の人たちなんだからアレくらい食べるのは普通」
「いいや、違うね! うらかにイイとこ見せようとアピールしてああいうことしてんだよ、絶対。最後のほうは吐きそうな連中ばっかりだった」
「……ご飯をいっぱい食べるとアピールになるの?」
「………」
真顔で聞き返されると困る。
「いや、まあ、それはアレだけど」
「ほら。自信なさげ。それより、誤魔化されてあげないから。今日のことはさきなにもちゃんと報告するからね」
「別にいいよ。だいたい、相手は中学生だぞ」
「女の子は何歳でも立派なレディよ」
さっきロリコン呼ばわりしたくせに。
「歳が2つか3つも離れているのはちょっと。せめて大学生さんだったらな」
「一瞬で矛盾するのやめて?」
そんな会話をしながら洗い物を終える。
午後の指示はまだ受けていない。先輩従業員を探していると、速水がやってきた。俺たちとは割り振られた仕事が別だったせいか、数時間ぶりの再会だった。
で、こいつは何故ランニングウェアなのか……?
「おい。速水。まさか」
「練習の許可が出た。いくぞ」
「いいや! 俺はずっと働くね! こっちの方がマシだ!」
しゃがみこんだ俺をうらかと速水が無理やり立たせる。2人がかりなんて卑怯だ。まったく抵抗できない。
「お前たちも着替えてこい。玄関前に集合」
「りょうかーい!」
「うええ……」
速水は先にいってしまった。
この隙に逃げようとしたけど、うらかに首根っこつかまれてそれも叶わなかった。
「いい加減観念しなよ」
「いやだいやだいやだいやだ」
「そういえば、さっき海まで行ってきたんだけど。若いお姉さんいっぱいいたな~。けっこう際どい水着で」
「……。………。いくか」
「透真くんってこんな簡単だったっけ」




