キヨくんの特別で
◆
やっばい。緊張する……。
美術室の中央で、華麗で妖艶なキメ顔をする私。
そしてその周りで羨望の眼差しと賛辞を送る生徒たち。
……みたいなシチュエーションを想像したことはあるくせに、実際にそうなってみるとガチガチに身体が硬くなった。ただ椅子に座って、外を眺めているだけでいい。そう指示されたのに、たった1人に見られているという意識だけで落ち着かなくなる。
そんな私を意に介さず、ヨウキャくんの手元はずっと動き続けている。
スケッチブックに視線を落とし、ときどき被写体の私を見て、またスケッチブックに向き合う。その繰り返し。ずいぶん長い時間そうしていた感覚があるが、実際には5分も経っていなかった。
耐えられない。
ただじっと座っているのは性に合わない。
「なんかカッコいいポーズとろうか……!?」
ライダーポーズで宣言する私に、ヨウキャくんは苦笑した。
タブレットに手を伸ばす。また文字を書くのかと思ったが、何かのアプリの起動音が聞こえた。片手でポチポチと何かを入力する。すると、タブレットから人口の音声が流れた。
『疲れちゃうでしょう。楽な姿勢でいいから』
「おおっ!? なにそれ!?」
『入力した文言をそのまま読み上げるアプリだよ。できるだけ僕の声に近いものを調整しているけど』
「すごーっ!」
ヨウキャくんは困ったように笑う。
また何かのアプリを起動させたみたいだ。遠目に見てみる。みんな大好きYouTubeだった。
『退屈だよね。何か聴く?』
「うん、お願い」
私はおとなしくさっきと同じ姿勢で腰掛ける。
流れ始めたのはYOASOBIの群青だった。まさしくこの状況にふさわしい選曲だった。1曲終わった後からはメドレーになった。知っている曲が流れるたびに、私は上機嫌に口ずさんでいた。自分がモデルをしている、ということすら忘れて。
「……ハッ!?」
我に返り。
私は冷や汗をかいた。
「ごめん! 私ちゃんとできてた……?」
『うん。すごくよかった。自然体で』
なんかよかったらしい。自覚ないけど。
しかし、あんまり隙だらけの状態を見せるのは恥ずかしい。
「お喋りしながらでもいい?」
『うん。いいよ。もうすぐ仕上げだから』
右手でスケッチ、左手でタイピングをして答えてくる。すごく器用だ。
「ヨウキャくんは、透真くんの親友3号だったよね」
『そうだね』
「どんな風に仲良くなったの?」
何の気なしにした質問に、ヨウキャくんは過剰な反応をみせた。
スケッチとタイピング、どっちの動きも止まったのだ。
突如として訪れた沈黙に、私は怖くなった。え、やばい。聞いちゃまずいこと聞いた?
ヨウキャくんはしばし考え込む姿勢でうなっていたが、やがてタブレットを手元に引き寄せた。両手を使って。
スケッチのほうはお休みにするらしい。
『実を言うとね、僕も下野さんと同じで転校生だったんだ』
「そうなの!?」
『うん。小学5年生の頃だったね』
「私みたいに、親の転勤とか?」
『どうなんだろうね。お父さんはそう言ってたけど、僕は違うんじゃないかなって勘繰ってる』
「?」
どういうことだろう。
私がそう問いかける前に、ヨウキャくんは答えを教えてくれた。
『僕はね。神奈川の小学校でいじめられてたんだ。1年生のときから。ずっと』
「あ……」
『見るに見かねて、環境を変えようとしたんじゃないかな』
言葉とは裏腹に、彼はどこか他人事みたいに話す。
私は、どうしようもないくらい動揺していた。さらりと告げられた事実が重たくて、何と言っていいのかわからない。
いじめ。
私はそういうものとは無縁な生き方をしてきた。
もちろん、世の中にはそういうのがあるって理解してはいるけど。この前までの透真くんだって似たような目にあってたんだし。
でも、それとは一線を画す、重苦しい響きだった。
『僕ってこんな感じで、人とちゃんと話せないんだけどね』
「そんな、こと、ないけど」
『嬉しいけど、やっぱり僕は普通とはちがうよ。吃音っていうんだけど、下野さんは知ってる?』
力なく、首を横に振る。
ヨウキャくんがタブレットから手を離す。深く、息を吸い込む。そして吐き出す。また息を吸って吐き出す。そして意を決した眼差しで私を見つめる。
「ここここ、こん、こーーんな話し方。――――ん、んんっ、普通じゃないでしょ?」
「――――」
『3、4歳くらいからこの調子でね。今日まで全然治る気配がない。一番大変だったのは神奈川の学校に通っていた時期かな。僕がなにか話そうとするたびに笑われちゃって。やっぱり小学生って遠慮がないから』
「……ひどい」
私は心の底からそう思った。
人が一生懸命話すのを笑うなんて。
内心でとどめておくはずだった言葉に、ヨウキャくんが反応した。
『下野さんは優しいね』
ヨウキャくんの指先は少し震えていた。
『小さいころ、下野さんみたいなタイプの子が羨ましかったんだ』
「羨ましい……? どうして?」
『たとえば、僕が下野さんみたいに運動が得意だったら』
「うん」
『言葉なんて話せなくたって絶対周りと馴染めていた。鬼ごっこもドッジボールも、クラス対抗リレーでだって、色々な場面で自分を表現できたのに』
自分を表現……。
『僕は、みんなと同じなんだよって、そう言えたんだ』
「………」
『なんて、実際のところはどうだったんだろうね』
ヨウキャくんは照れ笑いを浮かべて、
『仮に僕がスポーツ万能のイケイケ陽キャだったとして、本当にそれで上手くいってたかなんてわからないよね。どちらかというと、本を読んだり絵を描いたりするほうが落ち着いたんだ』
「……うん。そうだよね」
『結衣山に転校してきてから、ずっと1人でいたんだ。話しかけられても絶対に喋らないようにした。そうしたらどんどん人が離れていったけど、でもこの話し方を笑われることもなかった』
「………」
『僕は、1人でもいいやって思ってた。―――思い込もうとしていたんだ』
「………」
『でもそんな僕の前に、急に現れたのがキヨくんだった』
やっと出てきたわね、透真くん。
もっと早く出てきなさいよ。
『わざわざ他クラスからやってきてさ。釣りでもどう? って』
「釣り?」
脈絡のない誘い方は、今の透真くんと通ずるものがある。
指先が踊るように、リズミカルに転調する。
『今思い出してみても、ひどいくらい準備不足だったなあ。エサは現地調達のムシで、釣り竿もないから適当な木の棒に糸をくくり付けただけで』
「釣れたの?」
『ぜんっぜん』
なんやねん。
『あ、でもオヤカタくんだけは釣ってたかな。ムラサキさんはすぐに飽きてどっか行っちゃってた。僕も途中からスケッチに切り替えてて、キヨくんはムキになってじっと水面を睨んでた。結局坊主だったけど』
聞き出さなくたってわかることだけど、それでも言わずにはいられない。
「楽しかった?」
彼は大げさなくらいに頷いた。
『そうだね。うん。楽しかった。釣れるとか釣れないとか、全然気にならなかった。同級生と遊ぶとか初めての経験で。ただ川の流れを見ているだけでも飽きなかった。水が冷たいとか、風が気持ちいいとか、そんな当たり前なことを僕は忘れていたんだろうね』
――――心が死んでしまうくらいに。
その声は、ヨウキャくんの生の声だった。
『帰り道、初めてキヨくんの前で喋ってみたんだ。ありがとうって言いたくて。案の定、どもりとつまりがひどかったけど。あ、あ、あああ、あーーりがと、みたいな感じで』
「そうしたら?」
『はっきり覚えてる。「なんだ、普通に話せるじゃん」って、キヨくんは言った』
ふふっ。
私は自然と口元が緩んでいた。
そうだろうな、という期待通りだったから。
『僕はびっくりしたよ。だってそんなの嘘に決まってる。そうしたらキヨくんのお母さんの話になってね。それで納得できた』
「―――お母さん? どういうこと?」
ヨウキャくんは、意外そうな顔になった。
タイピングの動きが再開する。
『そっか。下野さんはまだキヨくんの家にいったことないか』
「―――透真くんのお母さんに会ったことは、ないね」
実は家には行ったことがある。そのとき彼のお母さんは留守だったけど。
咄嗟に嘘をついてしまった。別に隠さなくてもいいのに。
『そのうち知るだろうから話すけど、キヨくんのお母さんも、言葉を話せない人なんだ』
「え、そうなの?」
『僕の吃音とはまたちがくて、かなり複雑そうなんだけどね』
それ以上、透真くんのお母さんの話にはならなかった。
詳しい事情を知らないのか、知ったうえで話さないようにしたのか。
今は、それより気になる部分があった。
「なにそれ。知らなかった」
私は頬杖をついた。
「普通、そういう大事なことって話すもんじゃない? 友達なら」
『キヨくんは自分のこととか、家族の話とか全然しないからね』
「ほんとうにね」
『でも、あんまり怒らないであげてほしい。僕はキヨくんに出会えて本当によかった。キヨくんが、僕たちを結びつけてくれた』
不貞腐れていた私は、横目にヨウキャくんの顔色をうかがった。
そして、こう思った。
さきなも、オヤカタくんもヨウキャくんも。
透真くんの話をするときが1番楽しそうだな、と。
『下野さんとも、こうして普通の高校生みたいな付き合い方ができて嬉しいよ。将来的にみんなと離れ離れになって関係が途切れちゃっても、僕はこの思い出さえ持っていれば生きていける』
「ならないよ。この関係がなくなるなんてありえない」
私は強く言い切った。
そんな悲しいことは、あっちゃいけないから。
ヨウキャくんが何度か瞬きをした。
その瞳が、どこか真剣味を帯びていくのを私は見逃さなかった。
ヨウキャくんはタブレットを手放した。
スケッチブックに手を伸ばす。仕上げが残っていると言っていた、私の絵だ。私は頬杖を解いて、姿勢を正した。
おしゃべりはここまで―――それは間違いだった。
「変なお願いをしてもいいかな」
ヨウキャくんが、自分の声で言う。
どもり、つまりが全くない。なめらかに言葉を紡いでいく。
「な、なにかな」
「下野さんは、これからもキヨくんの特別でいてほしい」
「と、特別!?」
なに!? 何か勘違いされてる!?
「え、え、なにどういうこと。私、別に透真くんと変な関係じゃないよ! そんなのさきなに怒られる!」
「僕や、オヤカタくん、ムラサキさんでさえなれない関係に、下野さんはもうなってる。それは友達とか恋人とか、ありふれた形じゃなくて―――ごめん。僕にもわからないんだけど」
「じゃあ混乱させないでくれる!?」
本当にやめてほしい。
確かに透真くんとは仲良くしているけど、それはあくまで友人としてだ。
変な関係になったら、さきなに顔向けできない。
が、ヨウキャくんは変わらずマジメな顔つきでこちらを見つめているので、私は観念することにした。
「わ、わかったわ。よくはわからないけど、これからも透真くんの……と、特別? 特別枠であり続けるから」
「ありがとう」
「というか、ヨウキャくん。流暢に話せているわね」
「あ」
口を大きく開けたまま、ヨウキャくんが固まる。
「ほほほほ、ほんと、だね。たたたたま! たまに、ででで出来る!」
「また戻っちゃった」
ヨウキャくんはスケッチブックで顔を隠すようにして――――そうして数分の時が過ぎた。
『出来た』
ついに完成を告げられる。
ポーズを解いて、私は数十分ぶりに立ち上がった。
どんな絵に仕上がったんだろう。
東京の学校では一応美術クラスだった。
似顔絵を描き合う授業はあったけど、所詮高校生レベル。クラスメイトの大半が、お世辞にも上手くない絵を描き上げてくる。それはそれで面白かったけど……。
可愛く描いてくれたらいいなあ!
『はい、どうぞ』
あっさりとした所作で手渡される。
逆にこっちが緊張してくる。本当に見ちゃっていいのか。
ゆっくりと、目を見開く。
「―――――」
色が見えた。
絵具なんて使ってなかったのだからそんなことはありえない。実際、この絵は白黒の濃淡のみで描かれている。そのはずなのに……。
木製の床は陽の光を受けて鮮やかなオレンジに。
窓からのぞく木々の葉は力強い緑で。
そして、壁際に座っている少女――――私の肌がまぶしく映える。
片方の目を閉じた私は、気持ちよさげに何かを口ずさんで……ああ、これ。歌っていたときの場面か。こんな顔をしていたのか。こんな、楽しそうに。
「これは……」
何秒間、そうしていただろう。
私の視界には、その絵以外何も映らなかった。
たった1枚の、こんなうすい紙に描かれた私は、美しかった。
『どうかな』
ヨウキャくんが少し不安そうな顔をしていた。
私が黙り込むものだから、不満そうに見えたのかもしれない。
ゆるゆると首を振る。
「すごくいい。けど、これは、ちょっと美人すぎじゃない?」
本当に私がモデルか疑うレベル。
確かに私は可愛いが、ここまで誇張しなくても……。
ヨウキャくんは不思議そうな顔をしていた。
『でも、下野さんの美少女感を表現しなきゃと思って』
「えっ!?」
『だって、孤高でクールでミステリアスな美少女なんでしょ?』
「うわああっ、あんなの勢いとノリなんだから真に受けなくていいのっ!」
というかいつまで擦られ続けるのよ!?
春先に言ってただけのことをいつまでもネタにされている。
それもこれも全部透真くんのせいだ。あとで殴る。
『気に入ってくれた?』
「ハイ! それはもう! ええ!」
『良かったらそのスケッチブック、もらって? もう少しで使い切るところだったから』
聞き間違いかと疑った。
確かに残りのページは少ない。だけど、それはつまり他は既に使用済みということで。
「え。ヨウキャ先生の名作を他にも見ていいんですか!?」
『なんだかオタクみたいな話し方になってるよ』
「君には言われたくないよ!」
帰り道、私はヨウキャくんの絵を見ながら家路についた。
いつものみんなが、たくさん描かれていた。途中から私の絵も入るようになった。まだ髪の長い頃の私。スポーツをしている場面が多い。
パラパラとめくる。私はあることに気付いた。
あるページで手を止める。
透真くんとさきなの絵だ。電車の中だろうか。2人が肩を寄せ合って眠っている。どこかで遊んだ帰りなのかもしれない。引きつけられる。さきなの姿に。また色が見える。さきなの頬は赤く染まっていた。
「……こういう絵が1番多いわね」




