けっこう好きになってきた
数時間後、そろそろ就寝しようとしたタイミングで。
スマートフォンに着信があった。
ラッコからだった。
「もしもし」
『あ、パイセン。お疲れ様っす。少しお話いいっすか』
「おう」
言いながら、俺は部屋の電気を消してベッドに横になった。
通話を終えたらそのまま寝る体勢である。
『あの、パイセン、さっきはお父ちゃんがホントに――――』
と、そこでラッコの言葉が途切れた。通話が突然切れたかと思ったが、そうではない。電話の向こうで、野太い声がきこえる。たぶんラッコパパだ。ラッコとなにかを言い争っている様子だった。なるべく聞かないようにした。
数分たち、うっかりまぶたが閉じかけたところでラッコが戻ってきた。かと思いきや、
『……透真せんぱい、またすぐかけ直すんで』
「お、おう?」
どうしたどうした。
絶対俺のせいで揉めてるじゃねえか。
眠気が薄らいでくる。
宣言通り、ラッコ再び着信があった。
『……おまたせしましたっす』
「おう。なんか不機嫌ボイスだな」
『お父ちゃんが透真せんぱいを悪く言うから』
いつから付き合っている、別れたほうがいい、ああいう胡散くさい顔つきの男は好かん、もっとマシな男を探せ、お父ちゃんのようにな――――みたいなことを言われたらしい。
『お父ちゃんうざいっす』
「今はいいのか」
『話が長そうだったんで逃げてきたっす』
「逃げてきた……?」
問いを重ねるより早く、衣擦れの音が耳に届いた。
俺は耳を塞いで、しばし待った。あーね、自分の部屋に逃げ込んだってことね。
『パイセン? パイセーン!』
「うん? ああ、はいはい。なに」
『ちゃんと聞いてます?』
「聞かないようにしてた」
『なんでだし』
「もしかして着替えてるのかと」
『それはもう終わったっす』
「そっか」
『全部脱いだんで』
「………」
『パイセン?』
「あのさあ。これは俺の勘違いだろうし、そうであってほしいんだけど」
『はいっす』
「お前もしかして風呂入ってる?」
『そっすね』
やけに声が反響すると思ったら、これだよ!
裏付けのようにシャワー音が追加される。
「どういうサービス?」
『……ん? あ、すんませんっす。今、髪洗ってて。よく聞き取れなかったっす』
「いい、いい。言わんでいい」
『身体洗い終えるまで待ってもらっていいすか?』
「いちいち報告すんな。寝れなくなる」
既に遅かった。血の巡りを感じる。
俺は身体を起こし、部屋の電気をつけた。スマートフォンに毛布をかぶせ耳栓もする。耳に入ってくる情報をすべてシャットアウトしていたら、今度はスマホがブルブル震えた。ラインの通知音だった。ラッコからのスタンプ攻撃である。
『パイセン聞いてる!? ずっと呼んでるんだけど!』
「聞くわけねえだろ。最大限プライバシーに配慮した結果だ。っていうかいっそ風呂上がったあとで話さないか」
『だってお父ちゃん、聞き耳立ててくるんすもん。ここでしかお話できないっす』
そこまでして話すようなことあったっけ。
正直いっさい話に集中できないけど。
俺とは逆で、ラッコはリラックス状態らしい。まあ、風呂場って何かを話すうえでうってつけの場所だったりするけどさ。落ち着くというか。
『まずは、ごめんなさいっす』
少し予想外の切り出しだった。
「謝られるようなことあった?」
『お父ちゃんが追い出すようなこと言って』
「いきなり家に知らん男が上がりこんでたら当然だと思う。……スイカ渡してくれた?」
『あんな男からの手土産なんぞいらん、って』
「あちゃー、そっか」
少しでも機嫌をとっておきたかったけど、考えが甘いか。
『でも、パイセンのチャーハンはめっちゃ美味しそうに食べてました!』
「あ、そうなの?」
『男のくせに料理なんか――って言いながらペロリと完食っす』
ラッコがおかしそうに笑う。よほど愉快だったらしい。
『それと自転車のことですけど、アタシはいつでもいいっすよ。あんな律儀にお父ちゃんに言わなくたって……』
「いや。今更だけど、申し訳ないことをしたんだなって改めて思っただけ。あの家から学校に通うのだって大変だろ」
『それは……』
「お父さん、怒ってなかったか」
正直そこが一番不安だ。
ああいう感じの気性だから特に。
『ああ、そこは大丈夫っすよ』
「そうなのか」
『お父ちゃん、チビたちによく言ってるんで。悪いことをしたら、隠したり誤魔化したりするな。正直に謝りなさいって。たぶんパイセンは100点の対応をしたっすよ』
「めっちゃいいお父さんじゃん」
ちゃんと子どもの言い分聞いてくれるのかよ。
その時点で俺のオヤジよりずっとまともだ。
「良いこと聞いた。満足だ。じゃあ俺はこれで。」
『ちょっと! なんですぐ切ろうとするんすか!』
「ええ……まだなにか?」
『本当はお礼を言いたかったんす』
電話の向こうで、ラッコが深く息を吸った。
そして究極にマジメくさった口調で告げられる。
『今日は本当にありがとうございました』
「………」
俺はリアクションに困って、ぶっきらぼうに言い放つ。
「なにマジになってんだ」
『てんちょーが倒れたとき、アタシどうしていいかわからなくて……』
「目の前でいきなり人が倒れたら、まあそうなんじゃない?」
『まず救急車を呼べばよかったのに、真っ先に思い浮かんだのが透真せんぱいで……なんかアタシ、いつも助けてもらってばっかりっすね』
「そうだっけ」
『うん。すごく頼りにしてる』
頼りにされているらしい。
なんて、他人事みたいにしておかないと頭がぼーっとしてくる。
ここまでストレートに感謝を受けるとどう振舞っていいかわからない。後輩の手前、カッコつけたがる自覚もあるからに余計に。
『ぱ、パイセンは』
「お、おう」
『なんか、アタシにしてほしいこととか、ない?』
アニメで死ぬほど聞くセリフが飛んできた。
ヨウキャ、助けてくれ。こういうときはなんて言ってあげたらいいんだ。親の顔より見た展開のはずなのに正解が分からないよ……。
「早く風呂から上がってゆっくり休んでほしいと思う」
『もう、さっきからそればっかり。なんすか。そんなにアタシと話すのイヤなんすか』
「そうは言ってないけど」
『あーあ。ちょっとエロいことでも今ならきいてあげたのに。パイセンはもったいないことをしました』
「え。……じゃあ色々頼みたいこと思いつくんだけど」
『ざんねーん。もう受け付けてませーん、っす』
「………」
『………』
なんか、素に戻ってしまった。
会話が不自然に途切れたせいで余計に恥ずかしい。なんだ今のバカップルみたいなやりとり。たぶんラッコも同じダメージ受けてる。ムリムリ、きつい。静かすぎて水滴が落ちる音まできこえる。耐えられない。
『もうすぐ夏休みになるっすね』
「そ、そうだな」
『そしたら、しばらくパイセンと会うこともないっすね』
「………」
『夏休みもパイセンと会いたいな』
「ラッコ――――」
『あ、いや冗談。じょーだん、っす。パイセンがこういう感じのこと言われるの嫌だってわかってるんで』
「ラッコってば」
俺はラッコの言葉をさえぎって告げた。
「夏休みはバイト先で会えるよ」
『……? あ、お客さんとして来てくれるってことっすか?』
「いんや。また働かせてもらうって意味」
かなり長めの沈黙があった。
俺が言ったことを受け止めるのにそれだけの時間がかかったんだと思う。それもしょうがない。ずっとラッコの誘いを断ってきたのに、ここにきて急にその気を見せてしまったんだから。
『ま、マジ? ウソじゃない?』
「うん。今日、そうしたいって思った」
ひさしぶりにあの店で働いてみて俺は思った。結構楽しいって。
ニコさんは相変わらずよくサボるしちゃんとしてくれって感じだけど、あのゆるい感じが面白い。ザクロさんは一生懸命だけどちょっと空回りしていて放っておけない。恋の行方も気になるし。
そんで店長は――――
「店長にあんまり無理させないほうがいいでしょ。赤ちゃんが元気に生まれてくるまで、俺がほんわかのパシリになってあげてもいい。おおいに感謝してくれ」
『ど、どうしちゃったんすか、透真せんぱい。昨日までと別人じゃないっすか。ドッペルゲンガーだったりします?』
「可愛い後輩がずっと誘ってくれてたし」
『そんな、見え透いたお世辞―――』
「いいや、マジマジ。大マジ。言っておくけどラッコのせいだよ。この心変わりは」
今日1日だけで、俺は彼女のいろいろな面を知った。
学校でのラッコ。職場でのラッコ。そして家でのラッコ。
それらを見てきて、俺はどうしようもなくこの女の子に好感を持ってしまった。
誤解させないように明記しておくけど、これは恋愛感情じゃない。
そういう浮ついた気持ちとは少しちがう。オヤカタやヨウキャを応援したいときの気持ちに似ている。
「俺、けっこうラッコのこと好きになってきたよ」
『ふぁっ』
「だから力になれるならなりたいんだけど――――って、きいてる? もしもーし!」
今度は俺がラッコを何度も呼ぶことになった。
でも全然反応してくれない。なんなら通話が切れていた。
「は?」
と、今度はラインが飛んできた。
『よくよく考えたら、お風呂入りながらパイセンと話すのは恥ずかしいのでここまでにします』
「俺はずっとそう言ってただろうが!」
なんやねん。
急に羞恥心おぼえたのかな。
はいはい、解散。俺は電気を消した。毛布もかぶった。
寝落ちする寸前、スマートフォンが一度だけ光る。途切れそうな意識のなか、メッセージを凝視した。
『また明日。待ってます』




