恋愛沙汰は勘弁
翌日の午前9時頃。
営業開始前の洋食屋ほんわかの前に俺は到着していた。
今日からまた働く決意はぶれてないし、ラッコから店長に話を通してもらっているから問題ないはずだけど、堂々と入りづらい感はある。こっちから辞めた手前うしろめたさがないでもない。
とか、らしくもなくウジウジしていたら突然に扉が開いた。
中から顔をのぞかせたのは我らが店長だった。
「そんなところで突っ立ってんじゃないよ。入ったらどうなんだい」
「あ、うっす」
なんか想定していた再会とちがう。「よくもあたしの前に姿を見せたなあ! 歯ァ食いしばれェェ!!」とか叫んで腹パンしてくると思っていたのに。
不気味なくらい物静かな店長が、事務所に向かっていく。俺は黙ってついていった。
更衣室は使用中になっている。こんな朝っぱらからやってくるアルバイトはこの職場に1人しかいない。けど、あいつマジか。体力オバケかよ。
「わるかったワ」
店長はPC操作をしながらつぶやいた。
どうやら俺に言っているらしい。
「アンタ、ダチといっしょに店を手伝ってくれたんだって? ララコから聞いてるよ」
「なんか急に連絡もらったんで」
すっと、目の前に無地の封筒が置かれた。
「これは?」
「とりあえず、そのダチってのに渡してやんな。それと今度店に連れておいて。顔見ておきたい」
中には1万円札が2枚入っていた。
2人で働いた時間分には多すぎるが、ありがたいので受け取っておいた。
「店長」
「なんだい」
「休まなくていいんですか」
「はんっ、あたしがいなきゃ誰が店をやるんだい。バイト連中だけでやっていけないだろ」
「それはそうですけど」
おもわず、店長のおなかを見つめてしまう。こうしてみても妊婦のようには見えない。妊娠してまだ数か月もたたないってことだろうか。
「ガキが余計な気回してんじゃないよ。黙ってあたしのいうとおり働きな」
「おっす」
「それよりあんた、ララコになにかしたかい」
「なにかって?」
「変なことしてないだろうね」
「変なこと……?」
不埒なことをしたと疑われているんだろうか。心外だ。身に覚えがなさすぎる。
「するわけない。年下の女の子相手に」
「ガキができたら大変だよ」
イマ世界で一番説得力があるセリフだった。
いや、本当になにもないんだけど……。
「あの、パイセン」
いつのまにかラッコが更衣室から出てきていた。
「おう。約束通りきたぞ」
「は、ハイっす」
「着替えてくる」
と、俺は入れ違いで更衣室に入ったつもりだった。
若干汗ばんだシャツを脱いだところで、なぜかラッコが室内にいることに気付いた。
「なんでいる??」
「パイセン、昨日の話の続きなんすけど」
「それはあとでじゃダメか」
既に上半身が裸である。
もちろん俺は恥ずかしいとかない。男だし。結衣山出身だし。
けどラッコの頬が赤くなっているのがすごく気になる。俺がセクハラしているみたいじゃないか?
「アタシ、チビたちが立派に大きくなるまで家を出ていかないので!」
「うん?」
「それに、アタシがいなくなったらお父ちゃんまたダメ人間になりそうだし」
「はい?」
「って考えると何年も経っちゃいそうなんで、それまで透真せんぱいを待たせるのも申し訳なくって――――」
「ちょっと待て」
俺はパンイチの状態で固まった。
「なんか俺がお前に惚れているみたいだけど」
「え。ちがうんすか」
「ちがう」
シーンと静まり返った。
急な沈黙こっわ。不安になるわ。
「なーんだ! そうだったんすね!」
心底ほっとしたみたいにラッコが笑顔になる。
「なんか好きになってきたとか言われた気がしたんで! 聞き間違いだったみたいっす!」
「いや。それは確かに言った」
「あれー!?」
またラッコの顔が赤くなった。ごめん。
「どっちなんすか!」
「人として好きだよって意味」
「最初からそう言ってくださいっす! 昨日ちゃんと寝れなかったっす!」
それは申し訳ないことをした。
俺は制服用のシャツとズボンに着替え終えて、ようやく一息ついた。結局ラッコに全部見られてしまったけど、全然目をそらさなかったな。もしかして親兄弟姉妹と同じ目線でとらえているんだろうか。
「パイセン!」
ラッコが人差し指をビシッと突きつけてきた。
「アタシもパイセンのこと好きっす!」
「うわ、嬉しい」
「でも本気になっちゃダメっすよ! 困るんで!」
「まかせろ」
不思議とラッコとはそうならない気がする。予感というか。
エロい目で見ない自信はまったくないけど……。
「ちょいとアンタら」
いつのまにか店長までいた。聞かれていたらしい。
「乳くさいやり取りが丸聞こえなんだけどネ。職場で恋愛沙汰は勘弁だよ」
「ん?」
「っす?」
「付き合っているんだろう。アンタら」
俺とラッコは互いの顔を見合わせた。
ガッチリと肩を組んで店長に告げる。
「いえ。微塵も」
「パイセンとは何もないっす!」
「……好きだなんだと言い合ってたろうに」
「それはそれ」
「これはこれっす!」
「最近の若い子はわかんないねェ……」
と、店長は首をかしげて退散していった。
俺は男女での友情肯定派だ。そんな俺に女友達が少ないのは、完全にムラサキのせいだ。あいつ、俺の知らないところですぐ女子と揉めるからね。
「ところでラッコ。チビたちが大きくなるまで家を出ていかないって本当?」
「もちっす。アタシ、みんなのお母ちゃんなので」
「お父さんを1人にさせないっていうのも?」
「トーゼンっす。ここだけの話、お母ちゃんが出ていったの全面的にお父ちゃんが悪いっす。稼いだお金を自分のためだけに使ったり、まだ小さかったアタシを放って家事育児全部お母ちゃんに押し付けたり。あげく人様と喧嘩して仕事辞めたりとか。とにかくひどかったみたいで」
「……これ、俺が聞いちゃって大丈夫な話?」
「いいんすよ、お父ちゃん、この話を持ち出すとすぐ小っちゃくなって面白いっすよ。透真せんぱいも使って。今度お父ちゃんに何か言われたらカウンター決めちゃってくださいっす」
扱えねえよ。デリケートすぎる。その距離感は親子だから許されるもので。
でもこんな風に身内の恥を人に話せるってことは、あくまで過去の話になってるってことだ。今でも問題があるんだったら笑い話にもならない。
「でも、お父さん言ってなかったっけ。ラッコは東京に行くんだって」
特待生になれるくらい勉強熱心で。
毎日毎日バイトに明け暮れていて。
自分のことも家族のこともしっかりしてて。
上京したい人間の典型的なタイプだったから。
「だから、いまそれなりに驚いて――――なにそのブサイクな顔」
「べつに、っす」
と本人は言うが、その口は固く真一文字に結ばれ、頬はぷっくりと膨らんでいた。はっきりと不機嫌がわかる顔だった。
「この話題NG?」
「えぬじー、っす」
どうやら地雷を踏んでしまったみたいだ。
まあ進路すらおぼつかない先輩にあれこれ詮索されたらイヤか。やっちまったなあ……と後悔したのは一瞬だけだった。俺は切り替えが早いのだ。
「ラッコ。全然ちがう話だけど、俺からの提案をきいてくれないか」
「なんすか?」
「店長と、その旦那さん。ヨリを戻させない?」
「――――」
舌の根の乾かぬ内に何を言っているんだと怒るだろうか。
でも俺は、直感的に思った。ラッコならきっと……。
「大、賛成っす!」
そう言ってくれるって。




