あれから何年もたつのに
「てんちょー、って1回結婚して、でも離婚してるんすよね」
「マジで!?」
今明かされる衝撃の真実ゥ!
「いやいや。まてまて。それで妊娠って……もしかして今でも続いている関係なのか」
「そっすね。よく店にも来てますし。パイセンも会ったことありますよ」
「えええ!?」
またも驚かされる。今度は鳥肌立ってきた。ここまでくるとホラーだろ。そんな相手といつの間に面識もってたんだよ、俺。
「誰!? どいつ!?」
「次の出勤で会えるかもっすよ」
「よっしゃ絶対に見つけてやるわ! …………いやもう働かねえって!」
あぶねえ。自然な流れでシフトを組まれるところだった。
「ちぇ~」
ラッコは唇をとがらせて不満そうにしている。
こいつはなんでそんなに俺を働かせようとするんだ。
話題をぶった切りたくて、俺はスマホである人に電話をかけ始めた。電話のむこうの相手に事情を説明し、数分の会話を終えた。
「いまのダレっすか」
「うらかのお母さん」
気を失ったうらかの隣で、俺はそう答えた。
ひょんなことから連絡先を交換していた。いつ活用するんだと思っていたが、ここで役に立ってくれるとは。迎えにきてもらうことになった。
うらかママの車がものの30分ほどで到着した。
おかしい。結衣山から安芸葉町までこんな短時間でこれるわけがない。が、俺はいつぞや暴走ドライブを思い出す。
「びっくりした。病院の、しかも産婦人科だなんて。うらかがおめでたなのかと焦ったじゃないの」
「まぎらわしくてすみません。おめでたなのはウチのバ先の店長で、うらかにはピンチヒッターで働いてもらったんです。……疲れて眠ってしまったみたいで」
いや、気を失っている原因はそれじゃないけど。
なんか俺とラッコがそういう感じに誤解されたままなんだけど。
目を覚ましたときに余計なことを言ってくれるなよ、うらか。
うらかママの目はラッコに向けられる。
「そちらの子は?」
「同じ店で働いているララコっていいます。結衣山高校の後輩っすよ」
「あ、じゃあお家はみんな近いのね。ちょうど良かったわ。透真くん乗っていきなさい。送ってあげる。ひさしぶりにお話もしてみたいし。そっちのバチクソおっぱい大きい娘も」
「……………スゥ~~~~~、はい。ありがたく」
激しい葛藤の末、俺はその申し出を受けた。
またあのジェットコースターみたいな破天荒運転に付き合うのか。俺はいいんだけど、ラッコは耐えられない気がする。
チラ、とラッコに視線を送る。ラッコはきょとん顔だ。
俺はへたくそなウィンクを繰り出した。こ、と、わ、れ。
そのアイコンタクトは通じたのか。
ラッコはこくりと頷いた。よかった。意思疎通できたっぽい。
ラッコがうらかママの前までくる。すると、どうしたことか。
急に俺の手を握ってきた。
「は?」
「あら?」
困惑する俺とうらかママを置き去りにして、ラッコは言う。
「サーセン。アタシのパイセンなんで、お借りしまっす」
「………」
「………」
あれ、どうしたララコちゃん?
普通に断ってくれるだけでよかったんですよ? あ、俺もついでに助けてくれる感じ? それはありがたいんだけど、やり方は考えてほしい。なんで恋人繋ぎになっちゃうんですかね。なんかカップルみたいに思われるじゃないですか。やだー。
「透真くん、透真くん」
うらかの母に手招きされる。
ラッコの手を振り払う。やわらかい感触が離れたことに俺はどうしてか一抹の寂しさを覚えた。本当にどうしてかわからないけど。
うらかママにそっと耳打ちされた。
「浮気はだめよ?」
「………はい」
はいじゃないだろ、俺。
◇
下野親子を見送ったあと。
俺とラッコも結衣山を目指して移動を開始した。いつもみたいに電車に乗って、長い時間を車両に揺られて――――では、ない。
俺たちはなんと徒歩で結衣山に向かっていた。
「おーい。本気か。労働後にどんな苦行だよ。修行僧か」
「あたしはそんなに疲れてないんで!」
そりゃそうね。
「日が暮れちまうよ」
「いつもよりは早く帰れるでしょ?」
そういう問題ではない。
「あと、手」
「はい?」
「この手だよ。いつまで握ってんの」
「んん~、まあ、そうっすねえ」
と、あいまいな返事をしてくるラッコだ。
またしても恋人の真似事みたいなことを……と呆れるところだが。
「いま、なに考えてる?」
「えっ? なんで? っすか?」
「なんか、ちがうだろ。雰囲気」
どこがって言われたら答えづらいんだけど。
でもまさにこの状況そのものが、俺にヒントを与えてくれる。なんだかラッコの指先が冷たいとか。俺を先導するその歩幅がいつもより大きいとか。背中が丸まっていて不安そうとか。
誰かに何かを話したがっている人間特有の空気を感じてしまう。
「……驚いたっす。パイセンってもしかしてエスパー?」
「一応、彼氏なんでね」
「でた、それ」
「笑うな。そっちが言い出しっぺだぞ」
「そうっした」
ラッコは口を閉ざした。
なかなか切り出そうとしないラッコの横顔を眺める。暇だったので。
でも失敗だったかもしれない。普段よく笑う人間が真顔で考え込んでるの、すごいギャップだ。心臓がきゅっとする。
「自分でも、どこに引っかかっているのか、わからなくて」
「うん」
「パイセンさえよかったら、このままでもいいですか。そのほうが落ち着くんで」
ララコが急に腕を高く上げるもんだから、俺は転びそうになった。
「いいけど、なんで」
「お母ちゃんのことを思い出すんで」
「……お母さん?」
ラッコは顔を上げて、沈みかけた夕陽に目を細めた。
「小さいころの話っす。まだチビたちが生まれてない、アタシが一人っ子のとき。夏の真昼間で、ずっと遠くに入道雲が見えてた。初めての夏休みで、早く家に帰ろうと下り坂を走り出そうとしたアタシを、お母ちゃんがこうやって引き止めて……」
「………」
「アタシは文句を言いながらも、なんだか楽しくなって、帰るまでずっとお母ちゃんの手を握ってました。あれから何年もたつのに、どうしてかあの日のことだけ、はっきりと覚えてるんすよね」
と、ラッコの話に区切りがつく。
俺はこの問いかけをためらわなかった。
「お母さん。いないのか」
「はい。いないっす」
聞かれることを想定していたみたいに。
まるで最初から用意していた答えをただ述べたみたいな。
そんな予定調和な会話だった。
ああ、そうか。
誰かに似てると思っていたんだけど。
後ろ姿がムラサキにそっくりなんだ。
「ああ、でも死んじゃってないですからね。どこにいるかはわからないけど、どこかで生きているはずっす。……ただ、アタシたちの家には戻ってこないだけで」
シリアスになりかけた空気をほぐそうと。
ラッコが少しおどけた口調で補足してくれた。
最後に付け加えたセリフのせいで、とても悲しくなったけれど。
だからほとんど条件反射だった。
手にぎゅっと力をこめる。そうしたい、そうすべきだと直感に基づいて。
「いたーい」
ラッコが困った声をあげる。
でも本気で嫌がっている風ではなくて、なんなら対抗して強く握り返してくる。俺は痛みよりもくすぐったさを覚えた。ああ、この子はちゃんと女の子なんだなと思った。か弱すぎる。どうしようもなく。
「お父さんとは仲良し?」
「良いほうっす。同級生たちはみんな父親ぎらいみたいで。ほら、よくあるやつ。洗濯物いっしょにしないでーとか、臭いから近づくなーとか」
「あるあるだな」
「アタシはそういうのナイっすから!」
「イメージ通り」
不仲でないならよかった。
そういえば、例の自転車はお父さんからのプレゼントだって言ってたな。
………。
「なあ。ラッコ」
「はい?」
「今から家にお邪魔してもいいか」
「…………へっ」




