第16話『悪性慈悲』
べちゃり、という音と共に血溜まりの床に落下する。真っ二つになった胴の断面は驚く程の熱を帯び、その熱は血液と共にみるみる流れ出ていった。
だが死に慣れている俺は、悲鳴を上げることもなく急変した事態を冷静に受け止める。
まずは、振り返った直後に見えた光景。ガラスを破るように空間を突き破り、俺が察知できない速度で一撃を振るってきた魔物がいたのを見た。
空間の裂け目から現れた魔物は、あのカトブレパスと同等の巨体を誇る大鬼。鋼のように強靭な筋肉の鎧と、天を衝くように伸びた一対の角、そして右腕には俺を真っ二つにした、荒削りの巨大な石斧。
危険度AAレートの特別指定危険種――オーガ・ジェネラルだ。現在魔法界に生息するオーガ種の中では最強クラスの、オーガの将。A級騎士5人がかりでやっと相手になるレベルの怪物だ。
しかも、裂け目から現れたのはジェネラルだけではなかった。親玉に率いられるようにして次々と低〜中級クラスのオーガがなだれ込み、騎士や機動隊に襲いかかる。
「う、うわあぁぁぁッ!!」
ジェネラルの威圧感に、パニック状態になった数名の機動隊員が銃を出鱈目に乱射する。しかし、数が数だ。明らかにリソースが足りていない。
ジェネラルに至っては直撃しても傷一つ付いておらず、大量の銃弾はジェネラルを刺激するだけという結果に終わってしまう。
「おい馬鹿やめろ!」
と、騎士の1人が叫ぶも手遅れだった。
オーガ・ジェネラルは非常に凶暴かつ短気だ。自分に対する敵意にはとりわけ敏感で、見つけた敵を皆殺しにしても暴れ回る超危険な魔物である。目の前の個体も、その例からは漏れなかった。
ジェネラルが雄叫びを上げながら5メートル近くもある石斧を振り下ろし、萎縮した機動隊員たちの命を1秒にしてに10以上奪ってしまう。
「あ……ぁあああぁぁッ!?」
「やめろ来るな! 来るな化け物ォオオォォッ!!」
「うわああああぁぁぁ!!」
その残虐な光景に、訓練された機動隊であるにもかかわらずパニックが伝染していく。それに反応したジェネラルが再び暴威を発揮して死が連鎖する。まさに地獄というほかない光景だった。
「マ……《マインド・ダウン》……ッ!」
潰れた肺と気管をようやく再生しきった俺は、まずこの地獄を少しでも鎮めるために精神干渉魔法をこの場の全員にかける。
無理をして一度に何十人にも魔法をかけたことで、脳を直接突き刺されるような激痛が走る。だがこの程度の激痛なら慣れっこだ。俺は構わずに大声を上げて指示をする。
「残った機動隊員は避難が済んでいない人質とテロリスト共の回収! どっちも絶対死なせないように! 騎士団はスリーマンセルで散開して雑魚オーガの殲滅! 避難が終了次第、すぐに離脱してください! ジェネラルは俺が抑えます!」
身を削って魔法を使用したおかげで機動隊員はパニックから立ち直り、眠っている人々を次々に外まで運び出してくれた。やはり人命救助の手際はあちらの方が上だ。
そこへ取り巻きのオーガが襲いかかれば、騎士団が冷静に対処。避難は思ったよりもスムーズに進みそうだ。
が、ここにはいない民間人が1人いる。
「ハユルちゃん……!」
ジェネラルが暴れまわっているこの状況で、まず優先すべきはジェネラルの処理だ。あれを何とかしなければ機動隊の人命救助に影響が出る。
しかし、かと言ってハユルちゃんを放置すれば、ジェネラルの暴走や落ちてきた瓦礫に巻き込まれて彼女が死ぬ。そして、そのタイムリミットはそう遠くない。
騎士として皆の命を優先するか。
「九頭龍巳禄」としてたった1人を優先するか。
そんなものは、もう決まりきっていた。
「どっちもに決まってんだろ!」
水魔法によって血を触手のように操り、上半身を下半身へと引き寄せ瞬時に再生。続いて、血液を猛毒へと変換して大量の杭としてジェネラルに射出する。
しかし、ジェネラルは血の杭を視認した瞬間に石斧を振るい、全てを弾き返してしまった。
この危険察知能力こそが、ジェネラルのAAレートたる所以。どれだけ暴走していようが、自分への攻撃には神がかった反応速度で認識し、魔物とは思えないほどの技量で対応してしまうのだ。
加えて、その学習能力も桁外れ。どこから血の杭を飛ばそうが、もうジェネラルには通用しないだろう。
「クソっ……!」
ガスとして散布してしまえば回避などしようがないのだが、そうすると俺以外の全員が死ぬ。それは論外だ。
ジェネラルだけを殺すには、血の杭による不意打ちのピンポイント狙撃か、接近して強引に猛毒を送り込むかの2択。だが前者は失敗し、後者はジェネラルの運動能力に俺が追い付けない。
これが「殺すこと」に特化しすぎた俺の最大の弱点。
ただ敵を殺すだけなら誰よりも強いが、人命救助が絡むと誰よりも弱くなってしまうのだ。
「何か手は――」
と、焦燥感に駆られて周囲を見回した時。
そんな俺を嘲笑うように、ジェネラルを召喚したマグダラ教徒が高笑いしたながら叫び始めた。
「ククク……ハハハハッ! 流石AAレートの魔物だ! 素晴らしい! 惰民共がゴミのようだ!! ハハハハッ!!」
お決まりというか何というか、小物臭い台詞だ。実際に言われる立場になると意外と苛つくものだが……使える。
ジェネラル単体ならどうしようもなかったが、あの男がいるなら付け入る隙はあるだろう。俺は即座にそこを突いていく。
「おーい、そこのお前! よりによってオーガ・ジェネラルなんてのを召喚しやがった馬鹿!」
「……何だ貴様、まだ死んでなかったのか?」
「あー、いや正確には1回死んでんだけど……まぁいいや。どんな気分だ? 借り物の力で大虐殺する気分は」
「ククッ……聞くまでもないだろう!? 最ッッッ高だ! 魔法界なんぞに傾倒した屑どもを粛清する至福ッ! これに勝るものなどあるものか! 教祖様もお喜びになることだろう! ハハハハハハハッ!!」
焦点の合わない目をした男が気持ちの悪い身振りで狂喜乱舞する。召喚魔法を使っておいて魔法界を全否定するなんて、まさに「お前が言うな」と突っ込みたくなる。
俺はその言葉を飲み込み、精一杯の嘲笑を浮かべながら、
「へー、それは良かったねって感じだけど……ぶっちゃけショボくね?」
「……何?」
「だってお前が召喚したのって、AAレートの中でも割とえげつない個体だぞ? 確かに暴れまくってはいるけど、結局俺1人に足止めされてるし……ははっ、マグダラ教もジェネラルも思ったよりショッボイなぁ」
「貴ッ……様ァ!!」
見事に挑発に乗った男が額に青筋を浮かべて怒鳴る。本当に小物すぎて面白いくらいだ。
そして、このタイプの小物はこういった場合、相手ではなく物に八つ当たりする。今回の場合であれば――
「おいグズ鬼! 何をボサッとしている! あの背信者をさっさと血祭りに上げろッ!!」
男はジェネラルに向かって唾を飛ばしながら罵声を浴びせ始めた。
「何のために魔力を全てつぎ込んで召喚したと思ってる!? さっさと働け化け物が! お前は主人の命令だけ聞いてりゃいいんだよ!!」
オーガ・ジェネラルの特性など知らずに。
自分が発しているのが「敵意」であるとも知らずに。
ジェネラルの怒りの矛先が変わりつつあるとも知らずに。
それが、どんな結末を呼ぶかも知らずに。
「これが最後だカス!! 目の前にいる不愉快な羽虫をぶっ殺――」
直後、咆哮と地響きによって男の怒号はかき消された。
ジェネラルが振り下ろした石斧によって破壊されるフロア。その一寸先で、何が起こったのか全くわからない様子のマグダラ教徒。徐々にその顔面は蒼白になり、震えた叫びが漏れる。
「どっ……何処を狙ってやがる!? 敵はあっちだ馬鹿野郎!! あ、頭沸いてんのかクソ鬼がっ! 誰に歯向かって……ひぃッ!?」
ジェネラルは、この場で最も自分に「敵意」を向ける輩――召喚主であるマグダラ教徒の男を最優先で殺すことに決めたようだ。
男は「召喚魔法さえ使えば制御もできる」と思い込んでいたのだろう。低級の魔物ならまだしも、ジェネラルなんて制御できるわけないだろうに。自業自得だ。
この隙に、俺はハユルちゃんの下へと駆け出した。
背中の大蛇をワイヤーのように操り、一気に2階へと飛び上がる。目前には意識を失っているハユルちゃん――そして、その頭上には落下しかけている大きな瓦礫。
「《フォルト》ッ!!」
強化魔法で脚力を強化し、一気に距離を詰めてスライディングする。その一瞬でハユルちゃんを抱き抱え、瓦礫が地面に落ちる寸前に救い出すことに成功した。
何とか間に合ったことに安堵しつつ、1階にいた騎士に向かってハユルちゃんを投げ渡した。緊急事態なので雑なのは許してほしい。
「その子、頼みます!」
「りょっ、了解しました! これで最後ですか!?」
「……あと1人! そいつを助けたら全員脱出してください!」
俺は素早く反転し、今度はジェネラルに襲われているマグダラ教徒の下へ。男は絶叫しながらジェネラルから逃げ回っていた。まだ生きているとは運の良い奴だ。
しかしその運も尽きたのだろう。瓦礫に躓いて派手に転び、そこへジェネラルの石斧が振り下ろされていた。今度は外さないだろう。
「や、やめろっ! うわあああぁぁぁぁああッ!!」
そこへ一気に飛びつき、男の襟首を強引に引っ掴んで離脱する。男は一瞬何が何だかわからない様子で目を回してから、俺の顔を見て困惑していた。
「き、貴様……なぜ……」
「なんでって……そりゃ重要参考人だし。帰ったら拷も……尋問だから覚悟しろよ。そんじゃ、寝てろ――《クエイク》」
「ぶおっ!?」
振動魔法で男を気絶させ、ハユルちゃんよりもさらに雑に1階へと投げ捨てる。それを騎士の1人が回収し、ショッピングモールの外へと撤退していった。
その直後に無線から「全員脱出しました!」との通信が入る。ここに残っているのは、俺とジェネラルとなった。互いに睨み合い、半壊したフロアに緊迫した空気が流れる。
「お前も大変だよな。中途半端な召喚魔法で呼び出されたかと思えば、召喚主に逆ギレされて……ぶっちゃけお前には一番同情してるよ」
もちろん虐殺を繰り広げたことは倫理的に許されることではないのだが、相手は魔物だ。そういう習性である以上、ジェネラルには怒るとか恨むとか以前の問題だろう。
こんな同情の仕方をしてしまうのも、俺が魔人の中でもとりわけ魔物に近い所にいるからなのだろうか。
「ま、だからと言って見逃すわけにもいかないんだけどな。個人的な感情は抜きにして、お前を殺すよ」
周囲を巻き込む心配が無くなった以上、露骨に手加減する必要は無くなった。かといって100パーセント本気を出すと毒素が残ってしまうので――三割ほど本気を出す。
「お前には悪いけど、勝負は一瞬だ」
瞬間、俺の周囲の魔力がどす黒い靄のように可視化され、まるで生きているかのように蠢き始めた。
それと同時に、俺は自身の精神と肉体を少しずつ魔物へと近付けていく。
青黒かった髪は、鮮血をぶちまけたかのような不気味な真紅へ。金色の瞳は以前にも増して爛々と輝き、両目の下から頬にかけて黒々とした鱗が浮かび上がる。
背中から伸びる8頭の大蛇はその変化に歓喜するように鎌首を持ち上げ、ガラスを引っ掻くような金切り声を上げ始めた。
『ま&jp@ィg@9t殺s?』
『戦ぁm2¥49@mement?.戦mori闘9tぇqgtたpkゥ&殺?』
『■■■――――■■■■――■■!!』
『32'w2jAwGtt24.死677ヲ094[[想……』
見るも悍ましい毒に塗れた怪物。殺戮の蛇王へと変貌しつつある俺の精神は異様な高揚感に包まれ、眼前の獲物に舌舐めずりするのを止められない。
そうして嗜虐心と殺意に飲み込まれる感覚を、それを上回る自我で咬み殺す。今の俺は魔物であって魔物ではなく、人間であって人間ではない。
これこそが、熟練した魔人のみが会得できる領域。
人の心と魔物の力を両立した秘技――その名も、半魔獣化。神話の力をその身に宿す禁忌の業だ。
「……なんだ、この姿を見てもまだやる気なのか。流石はAAレートの中でも最高危険度の化け物だな」
この禍々しい姿を目にしてなお、咆哮を上げながら石斧を振りかぶるオーガ・ジェネラル。
普通ならば本能的に危険を察知して硬直するはずなのだが、オーガ・ジェネラルほど凶暴になるとそれすらも克服してしまうのか。面白い。大した根性だ。ますます気に入った。しかし――
「そういうのは蛮勇って言うんだぜ?」
俺を真っ二つにしようとしている石斧に対し、微動だにしない。今の俺にとって、そんなもの恐れる必要なんて無い。どうせ不死身だから死ぬこともない、という余裕でもない。こうなった俺はもう、死ぬことすらしない。
その刃がオレまで届く直前――石斧はじゅうっ、と音を立てて溶解し、霧散してしまった。
「おっと、言ってなかったっけ。今の俺は腐敗毒のガスをそのまま身に纏ってるから、近付いただけで溶けて死ぬぞ」
獲物を失ったジェネラルにほくそ笑む。
だが、当のジェネラルは武器を失ってなお俺に立ち向かってきた。凄まじい雄叫びを上げながら、圧倒的な力で俺を叩き潰そうと拳を振りかぶる。が、今度はその拳が腕ごと消し飛んだ。
「……痛い目見てもまだわからないのか、脳筋」
AAレート最強クラスとは言っても所詮は知力の欠片も無い魔物。この程度の相手ならば、このまま突っ立っているだけでも討伐できてしまうだろう。
しかし、八つ当たりで被害を広げられても困る。建物ごと倒壊なんてすれば大惨事だ。だから、宣言通り一瞬で終わらせる。
「このまま自滅すんのも辛いだろ。すぐ楽にしてやる」
そう言って俺がジェネラルに向かって手を伸ばすと、大蛇の1匹がするすると俺の腕を這ってきた。その直後、大蛇は思い切り俺の手首を噛み砕いた。
飛び散る鮮血。地面に咲く赤黒い花。それらがまるで生きているかのように震え、うねり、絡み合い――やがて、一振りの細身の剣の形状に凝縮した。
最恐最悪の猛毒によって形成された、この世に2つとない死の刃。万物を「殺す」ことに特化しすぎたその赤刃に、さらに深く、昏く、濃厚な呪いを詠唱と共に染み込ませていく。
「――『我は悪意なり』『始祖を誑かし、堕落させ、死を与えし長蟲なり』」
それは、この世界にたった1つの呪術。
代償は「血」と「苦痛」と「あらゆる負の感情」。
それらを「呪術」という火に薪をくべるように捧げる。
「『命の失落あれ』『虚無を謳え』『黒死を嘆き給え』『堂巡り、目眩み、零に還れ』」
四肢を焼かれ、五臓六腑をすり潰され、心臓を刻まれ、脳を溶かし崩されるような苦痛が俺を襲う。
しかし、屈しない。すでに数えるのが馬鹿らしくなるほど体験した痛みだ。もう慣れた。心の痛みに比べれば、こんなの些細なモノだ。
「『頭を垂れよ』『此れは慈悲の刃である』――」
詠唱が終わり、血の剣が禍々しさを増す。
赤の絵の具に黒が混ざるように、黒く、黒く、黒く。
そうして錬成された、闇を象ったかのような漆黒の病毒。
これこそが物質界最凶最悪の呪術。
腐食という概念超えて解体・霧散の域にまで達した毒。
魂を一切の苦痛無く解体する呪い。
それら2つが絡み合った、「解体」という概念が刃の形を成したモノ。それは「殺す」という悪でしか悪を罰することのできない「九頭龍巳禄」という人間の極致。
これを俺は、「神の悪意」と呼ばれた天使になぞらえてこう名付けた。
「――『悪性慈悲・赫蛟』」
そう呟くと同時に、呪いの剣を一閃する。
すると、ジェネラルの膝から下が両断――ではなく、文字通り消滅した。支える脚を失ったジェネラルの巨体が前のめりに倒れ、図らずも俺に「頭を垂れる」姿勢となる。まるで、斬首するのを待つばかりの罪人のように。
「これでトドメだ。……安心しろよ、痛みなんて感じさせずに逝かせてやる」
そして、音も無く呪毒の刃を振り下ろす。
断罪に抗うような大鬼の呻きが、首を刎ねられたことで途切れる。その首が断面から呪いと毒に侵食され、塵と化し、やがて無に帰した。
先刻までの騒乱など無かったかのような、あまりにも静かな幕引き。そんな静寂に包まれたフロアを、俺は半魔獣化を解除しながら後にした。
そして、耳元の通信機に向かってぽつりと呟く。
「――任務完了。後のことは任せました」




