第14話『微睡みの中の勇気』
「抵抗せずに質問に答えろ」
呼吸が止まる。
全身の震えが止まらない。
忘れかけていた恐怖が何倍にも膨れ上がって押し寄せる。
今にも叫び出したい衝動に駆られる。
「これをやったのはお前か?」
「これ」とは、この異様な光景のことだろう。私は何もやっていない。私はただ、トイレでガタガタ震えていただけの臆病者だ。何もしていない。何もできていない。
だから……だからどうか、私を見逃してください――喉元まで出てきた言葉を、発する寸前で飲み込む。こんなに怖いのに、それだけはできなかった。
「……おい、質問に答えろ。10秒以内に答えなければ撃つ」
否、怖いからこそ言えなかった。正確に言えば、声が出なかった。私の喉から出てくるのは、ひゅうひゅうという掠れた過呼吸の音のみ。
怖い。嫌だ。逃げ出したい。身内の死を経験しているからこそ、死が身近にあるものだとわかる。これはそれだ。私のすぐ後ろには「死」があった。
「10、9……」
私の心臓は、とっくの昔に限界を迎えている。この状況が続くぐらいなら、撃ち殺された方がマシだと錯覚しかける程に。今も死の気配が私の心臓をキリキリと締め付ける。
しかし、私はすんでのところで耐える。私をそうさせているのは、他の誰でもない――九頭龍くんだった。
「8、7、6――」
九頭龍くんは強い。あの柳沢くんを一撃で倒すほどに。
それだけじゃない。九頭龍くんは心も強かった。その場の皆が恐怖し、震え、泣き叫び、逃げ惑う中で、彼1人だけは違った。冷静に状況を把握し、パニックになっていた私を宥め、安全な場所まで逃がし、テロリストにも勇敢に立ち向かったのだ。
「5、4、3……」
そんな彼の勇気が羨ましかった。彼の強さに憧れた。周りの誰一人から信じてもらえなくても、決して諦めない彼が輝いて見えた。
たとえ、彼から聞こえる心音の全てが嘘にまみれているとしても。私には、彼の発言の真偽が全くわからない。どうして彼からは嘘の心音しかしないのかもわからない。それでも、私は九頭龍くんを信じたいと思った。
これはきっと、神様が私に与えた試練なのだ。この耳で聞こえる心音しか信用できない臆病者に与えられた、「九頭龍巳禄」という試練。私に求められているのは、きっと――それすらも信じてみせる勇気。
それに比べたら、こんなものどうってことはないだろう。命の危機ならつい2週間前にも味わったじゃないか。それから私は生還した。1度できたなら、2度目もできるはずだ。
逃げてばかりの人生は、もうたくさんだ。
だから、今。
私はここで変わる。
「2、1――」
――『あ、ああ……わざわざありがとう』
――『安浦さんが俺に尽力してくれるならすごく心強いよ。ありがとう』
――『これも安浦さんのおかげだよ! ありがとう!』
こんな私に「ありがとう」って言ってくれたから――!
「……はい、そうです。全部私がやりました」
「ようやく口を開いたか、餓鬼が……これ以上黙ってたら、お前よりも先に人質を1人ずつ殺してくつもりだったんだがな」
「何が……目的なんですか……!」
「誰に向かって質問している? お前にそんな権利は無い。四の五の言わずにこちらの質問に答えろ。お前、何をした? 管理室に配置した奴らとも連絡がつかん。それもお前か?」
何をした? そんなもの私が知るわけない。私は何もしていない。私が知る由なんて無い。でも、推測することならできる。
この男は、管理室の仲間と連絡がつかないと言った。つまりそれは、九頭龍くんが管理室の奪還に成功したということを意味している。……まさか本当にこなしてしまうなんて、やはり九頭龍くんは凄い。
管理室――細かいことは全くわからないけれど、大雑把に何があるかは予想できる。頭を働かせろ。思考を止めるな。推測し続けろ。
これだけ大がかりな仕掛けがあるんだ。きっとどこかに予兆はあったはず。思い出せ、思い出せ、思い出せ。私が個室から出てきた時、何か、何か、何か変化があったはず――!
「……あ……!」
「早く言え。お前は何をした?」
「……か、簡単なことです。管理室を奪還したあと、魔法で強力な催眠ガスを生成してダクトに充満させました。あとは、空調の設定をいじって終わりです」
これが今の限られた時間で組み立てられる精一杯の予測。この結論に至ったのは、私がトイレの個室に逃げ込んだ前後――つまり、九頭龍くんが管理室の奪還に向かった前後での変化。
それはずばり、ショッピングモール内の気温だ。あれは悪寒なんかじゃなく、本当にこの空間が寒かったからだ。現に、今も鳥肌が止まらないほど寒い。では、どうして春も終わりかけの時期にこんなに寒くなる? ……それは、冷房が効きすぎているからだ。
催眠ガスに関しては、自分でも驚くくらいの閃きだった。思いついたきっかけは、私が情報収集のために読み続けている新聞……の、端の方に書かれていた記事の1つ。
その記事の見出しは、『銀行強盗の現場で謎の集団睡眠。催眠ガスによるものか』。今回の異様な光景は、その事件を彷彿とさせるものだった。催眠ガスの生成も、植物魔法などであれば可能だ。真偽はともあれ、私がそんな魔法を使えると誤認させられれば十分。
「管理室の奴らもお前が倒したのか? お前にそんな力があるようには見えんな」
「この街で外見なんて意味を成しませんよ。これでも私は渋谷第三魔導学園の生徒です。人質になっている方々と同じレベルだと思わないでください」
ああ、これも半分は真っ赤な嘘だ。
確かに私は渋谷第三の生徒だけれど、魔法の才能はあまり無い。学園でも下から数えた方が早いし、戦闘能力で言えば最下層。筆記テストの成績が平均より少し上なだけで、その他に関しては完全に劣等生だ。
嘘、嘘、嘘。私の最も嫌う虚言と偽りを並べ立て、もっともらしい理由でテロリストを納得させる。
この状況に腹が立つ。こんな事でしか時間稼ぎができない自分が自分で嫌になる。でも、今はそれでいい。それしかできないなら、いくらでもやってやる。
「く、ぅ……っ」
頭がクラクラする。視界もぼやけてきた。瞼は異常に重く、立っているのもやっとな状況――詰まる所、まだガスは残っている。薄くではあるが、確実に私とこの男を蝕んでいるのだ。
だから、この男に催眠ガスが効くのも時間の問題。そこまで粘れば、私の勝ち――
「渋谷第三……? あそこの生徒か……! 物質界の民を惑わす魔法界の狗めがッッッ!!」
直後、男が急に怒鳴りだした。先程まで淡々と私に問いを投げかけていたのが嘘のように、モール全体に響き渡る程の怒号で激しい怒りを露わにする。
あまりに突然のことで、驚きのあまり私は全身をビクリと震わせた。その良すぎる聴覚が仇となり、頭が割れるような耳鳴りが止まらない。しかし男は怒鳴るのをやめない。
「魔法界は……あの汚物はッ! 我々の故郷たる物質界を汚した! 危機をもたらした! 争いをもたらした! そして、数え切れない程の死をもたらしたッ!! 何故そのような汚物の狗に成り下がる!? 何故お前たちは平和を脅かす!? そんなものは決まっている、薄汚い支配欲と自己顕示欲のためだろうがッ!! そのような下らない欲望で我々の故郷を弄ぶなど、許せるものかッ!!」
男が吐露したのは、魔法界への憎悪。
偏りすぎた思想。
激しい思い込み。
罵詈雑言。
歪んだ正義感。
私にとっては考えたこともなかった差別意識。
「魔法などいらぬ! そんな安っぽい奇跡で世界を塗り潰そうなど、人類賛歌の否定にも等しい! 魔法界は我々から人間性を、価値を、信念を奪い踏みにじる!!」
「そ、そんなことはありません! 魔法は人を幸せにだって――」
「黙れ、黙れ黙れ黙れ!! それが虚構だと言うのだ! 人々を破滅へと導く悪魔めが! 貴様らのような屑がいるから、我々が立ち上がらねばならぬのだ――敬虔なるマグダラ教会の名において!!」
「マグ……ダラ……?」
名前だけは、どこかで聞いたことがある。正体不明の宗教結社、マグダラ教会。目的も規模も不明。反社会組織の疑いがあるなんて噂も耳にした。耳がいいだけに、そんな噂には敏感だった。
その名を今、この男はハッキリと口にした。
いや、そんな事よりも。
私が驚いたのは、そんな事よりももっと別の事。マグダラ教会の正体が何かだとか、その思想が明確になったとか、そんなのはどうでもいい。
この男、催眠ガスが全く効いていない。理由はわからないけれど、少なくともガスが効いていればこんなに怒鳴ったりはできないはずだ。
この可能性は完全に失念していた。だが、気付けたはずだ。背後にいるせいで姿がわからなかったが、この男が最初からガスマスクを着用していた可能性はあったのだ。これだけの銃火器や装備を保持しているんだから、ガスマスクぐらい付けていても何もおかしくはない。
ガスが効いていないということは、つまり私の唯一の希望が途絶えたということ。このまま時間稼ぎをしても、この男は眠らない。少なくとも、私が意識を失うまでは。
それの意味する事は――何か奇跡でも起きない限り、私の死は確定したという事。
「ぁ……ぅ……っ」
その現実に直面してしまった直後、追い討ちのように頭を強く打つような眠気が私を襲った。なんて最悪なタイミング――否、このタイミングだからこそだ。
今まで必死に思考を働かせ、足掻いていたのが全て無駄だったと知ってしまったから。その事実に一瞬でも絶望してしまったから。そして、一瞬でも諦めてしまったから。
「その耳……貴様、魔人だな。魔法界に汚染された忌み子めが。その上、あの忌々しい学園の狗と来た。これ以上ない邪悪の芽――粛清対象だ」
かちゃり、と金属の音がする。
引き金にかけた指に、力をこめた音が。
その音が、絶望しかけた私をもう一度絶望へと叩き落とそうとする。これから私は死ぬのだと、嫌でも意識せざるを得ない。
「最期に懺悔の言葉くらいは聞いてやろう、屑」
……でも仕方ない、私はもう十分頑張った。
――死にたくない。
これだけやれば、九頭龍くんもきっと許してくれる。
――こんな所で終われない。
あっちに逝けば、10年ぶりに父さんに会える。
――母さんが独りになってしまう。
もう楽になりたい。
――まだ、彼に言い残したことがある。
わたしは……
私は……
私は――!
「そん、な、こと……知ったことじゃ、ありません……!」
「……何だと?」
「支配欲と自己顕示欲に塗れてるのは……あなたの、方です! 自分たちの勝手な思い込みを押し付けて……たくさんの人、たちに、怖い思いをさせた……! それだけで、あなたたちは、悪です……! 人々を破滅に導いてるのは、お前たちの方だ!」
タガが外れた。
自暴自棄になって、最後の力を振り絞って叫んだ。
きっと叫びにすらなっていない。
けれど。
それでも。
私は、私の意志を貫く。
足掻き続ける。
「……戯言を! 死ね、塵屑があぁぁぁァァァッ!!」
激昂した男が吠え、とうとう引き金を引く音がした。
私には後悔する暇もなく。
恐怖を覚える猶予もなく。
抵抗する隙もなく。
脳天を貫く鉛玉によって、私はこの世を去った――
「汚ねえ手でその子に触んじゃねえ!!」
――筈だった。
死を覚悟した私が見たものは、フロアの壁まで吹っ飛ばされる男の姿。
そして、背中越しに感じる誰かの気配。
「だ、れ……?」
ゆっくりと振り向いた私は、その人の姿を見た。
頭を覆うフードから、ブーツの先まで真っ黒な騎士団の服。黒い蛇を模した鉄仮面。その奥で怪しく輝く金の瞳。腕章で輝く騎士団のエンブレム。
「東京騎士団第10師団所属、CN:『蛇王』。君を助けに来た。……また会ったね、カトブレパスの時のうさ耳ちゃん」
私はこの人を知っている。
この嘘臭い心音を、私は知っている。
会うのはまだ2度目で、しかも1度目はそんな余裕無かったのに。
何度もこの心音を聞いて、何度も怖がって、何度も敬遠して――何度も憧れた記憶がある。
なぜか、その人がこの人と繋がらない。それがもどかしい。だけど、それ以上に――
「遅くなってごめん。もう大丈夫だ――安浦さん」
あぁ、もう大丈夫だ。
そんな安心感と共に、私はとうとう瞼を閉じて意識を手放した。




