第10話『あとちょっとの辛抱』
その翌日、変化は早速現れた。
いつものように肩身を狭くしながら、こっそりと教室に入る。もう慣れたクラスメイトもいたが、半分近くは俺に気付いてぎょっとした顔で一瞬だけ固まる。ここまではもはや見慣れた光景だった。
しかし、今日に限ってはたまたま近くにいた男子が、
「……おはよう、九頭龍」
と、挨拶してくれたのである。繰り返そう、挨拶してくれたのである! 俺から挨拶したわけでもないのに。さらに言えば、喋ったことすらないクラスメイトなのに。
いや、こいつクラスメイトだったか? こんな地味な奴いたっけか? 名前なんだっけ? と頭の中で失礼極まりないことを思い浮かべながらも挨拶を返す。
「お、おはよう……えっと、山田?」
「田中だ」
「おおう、悪い!」
今のはないだろう、俺。中途半端にアピールをするからこんなしょうもない失敗をするのだ。いい加減学べ、俺。
自分を叱咤しながら曖昧な作り笑いを浮かべていると、ジョージと羽多野も寄ってきた。いつもは2人とも遅刻ギリギリなのに。
「おいおい、イメージ改善すんのにクラスメイトの名前間違うなよな! なぁ佐藤!」
「田中だ」
「……お前も間違ってんじゃねえか」
「あれ、お前ら今日は早いな。どうしたんだ?」
「朝からガチめの小テストあっからな! ホームルームまで5分ちょいしかねえのに、お前は余裕そうじゃねえか」
「えっ何それ」
「えっ」
何だそれは。初耳だ……と思ったが、そう言えばそんな事も言っていたような言われてなかったような。
ずっと監察官任務のことを考えているので、授業なんて耳に入っていないことがほとんどだ。この傾向は不味い。非常に不味い。
「ま、まぁ何とかなるだろ!」
「……赤点だったら強制的に評定1だそうだ」
「はい詰んだ! いま俺詰んだよ! 終わった! 死んだ! 不死身だけど死んだよ!」
「不死身って何だよそれ……」
と、自暴自棄になっていたら、
「九頭龍、よかったら俺のノート見るか?」
「え、マジで!? いいのか田中! ほぼ初対面なのに! お前は大丈夫なのか?」
「昨日のうちに勉強は終わらせてあるから問題ない。それに何かの縁だ、気にするな」
「神か! ありがとう、ニュー・マイフレンド! これからもよろしく、木村!」
「田中だ」
急な展開で俺も内心では戸惑っているが、これもハユルちゃんの尽力のおかげなのだろう。彼女には改めてお礼を言わなければ。
ちなみに小テストは、田中のおかげで何とか首の皮一枚繋がった。かなりギリギリだが。別に勉強ができないわけじゃないんだ。ただちょっといきなり過ぎて焦っただけだ。エリート公務員の俺がポンコツなんてあり得ない。ないったらない。
◇◇◇
「――なんて事があったんだよね。これも安浦さんのおかげだよ! ありがとう!」
「いえ! 私なんかが役に立てたなら光栄ですっ!」
その日の昼休みに、いつもの人気の少ないスポットで昼食をとる。今日はハユルちゃんと2人だ。あれから吹っ切れたのか、ハユルちゃんは俺に対して普通に接してくれるようになった。
というのも、何もない所で転んだり、側溝にハマったり、馬鹿2人と馬鹿やってたり、先生を「お母さん」と呼び間違ったりといったクソダサい光景を何度も目撃されたせいだ。ハユルちゃんの中で俺はもう「不良疑惑のあるちょっと怖い人」から「ただのアホ」になってることだろう。経緯はアレだが、警戒されなくなったのは進歩と言える。
こうしてコソコソしなければならないのも、あと少し。このまま上手くいけば俺の評判も完全に回復してくれるだろう……という希望的観測。
「でも、田中くんですか……ちょっと意外です」
「あんまり積極的なタイプには見えないしね、田中」
「それもありますけど……田中くんは中執のメンバーですから。中執の決定に背くようなことをするとは……」
「ちゅうしつ……? 何それ?」
「ああ、九頭龍くんは知らなくても無理ないですね。『中央執行部』の略ですよ。生徒会みたいなものです」
中央執行部――この学園が掲げる「生徒主導」と「実力主義」の象徴とも言える組織なのだそうだ。
この学園の運営に関し、学園側が請け負う最低限のことを除いて絶対的な権利を誇る機関。ハユルちゃんが例えた通り、生徒会のように学園内の細かい方針について決定しているようだ。
そのメンバーは、頭脳・戦闘力・素行・その他諸々の能力を総合した学園ランキングの上位10名。
頭脳や素行に関してはいくらでも誤魔化しが効くらしいが、戦闘力はそうはいかない。つまり、国内最高峰の魔導学園の中でも、極端に戦闘面に傾倒したランキングの最上位者。かなりの猛者達の集まりだ。
「つまり、田中はあんなモブみたいなナリしといてメチャクチャ強い……!?」
「本人も気にしてるみたいなんでやめてあげてください……ちなみに、田中くんは9位ですね」
「へえ、まだ2年生なのに凄いな……それで、さっき言ってた中執の決定ってのは?」
俺と仲良くすることが中執の決定に背くというのは、いったいどんな議決がされたのだろうか。それ軽くイジメじゃね、と思いながら尋ねる。
ハユルちゃんは少し考え込んでから「私が言ったことは秘密ですよ?」と前置きし、内緒話をするように小声で答えてくれた。
「実は九頭龍くんが起こした事件については、少なくとも九頭龍くんが転入してくる1週間前には中執に知れ渡っているようでした。それを踏まえて、九頭龍くんの人格と危険性を判断するのに十分な情報が集まるまでは静観するように、って通知されてたんです」
「つまり、俺についてよくわかるまでは無視しろと。ガチめのイジメじゃん……」
「いえ、元々はここまでオーバーに無視しろとは言われてなかったんです。でも噂に尾ひれがついて一人歩きした結果、みんなが過剰に九頭龍くんを怖がるようになってしまって……そ、それは私もなんですけど」
「あー……それで中執も対応を変えざるを得なかったと」
いくら強者集団の中執と言えど、やはり圧倒的な数の前ではたった10人程度の決定などは揺らいでしまうらしい。
観察するだけなら腫れ物扱いなんてしない方が遥かに安全だ。それは俺も過去の監察官経験から学んだし、当初は中執もそれをわかっていたんだろう。
だが、対象が善良な一般市民を半殺し(噂なんだけど)にするような推定超危険人物(俺なんだけど)なら話は別だ。厳戒態勢を取るのも無理はない。
しかし、そうなると田中の行動の意味がわからない。中執としては、やはり最初の方針に従ってくれた方が嬉しいのか? それとも田中個人が俺が安全だと認識してくれたのだろうか?
よくわからない。よくわからないが、友人が増えるなら願っても無いことだ。監察官としても情報の入手先は多ければ多いほどいいし、それが学園のトップなら尚更だ。
「思ったよりも流れはこっちに来てる、ってことか」
「ですね。中執の定例会は毎月の初めに開かれます。そこで九頭龍くんの監視体制も解かれると思いますよ……多分」
「ってことは、大体あと2週間ってとこか……ま、許容範囲かな」
「許容範囲? 何のです?」
「こっちの話」
噂が解消されるのに数ヶ月単位の時間が必要だと思っていたが、それがたったの2週間弱に短縮されるなら少しの不自由は許容できる。
ハユルちゃんにはいい事を聞いた。あと2週間の辛抱だと知らなければ、俺から下手な行動に出ていたかもしれなかった。本当に彼女には頭が上がらない。
「腫れ物扱いもあとちょっとって事だね! それまで大人しく楽しみにして――」
「オオォォッス! 九頭龍ゥゥゥ!!」
急に大声が聞こえてきて、俺もハユルちゃんもビクリと肩を跳ねさせる。いったい何だと振り返ると、ニヤついているジョージといつも通り無表情な羽多野がいた。まぁ、お前らだろうとは思っていた。
「何だよいきなり……」
「んだよ全然驚いてねえじゃん。脅かし甲斐ねーなお前」
「……これだから九頭龍は」
「うるせえな! お前らのせいで安浦さん失神しかけてんだろうが。おーい大丈夫ー? 帰ってきてー」
「……ハッ!? わ、私は何を……って、ふっ、ふふふふふふたりとも、いつの間に!?」
ハユルちゃんのアガリ芸が炸裂。ビビっていたのが俺に対してだけじゃなくて少し安心した。
それより、こいつらは何しに来たんだ。俺の貴重な情報収集兼癒しタイムを邪魔しやがって。脅かしに来ただけならぶん殴ってやる。
「で? 何の用だよ、お祭り野郎共」
「……おい、俺まで一緒にするな」
「オレは九頭龍が安浦とコソコソしてるから、ちょっかいかけに来ただけだ!」
「帰れよバリアーゴリラ」
「バ、バリ……っ!? ま、まあいい! オレぁ何もちょっかいかけるためだけに来たわけじゃねえ。1つ誘いがあってな」
「誘い?」
こいつらの誘いというだけで嫌な予感しかしないのだが、何事だろうか。どうせロクでもない事なんだろうし、せめてハユルちゃんを巻き込むのはやめてほしいのだが。
なんて俺の考えが読めていたかのように、
「……別に変な事は何もしねえよ。メシ食いに行くだけだ」
「そうだ! 非モテ同盟の新たなる同胞の誕生を祝ってな!」
「ちょっと酷い幻聴がするから場所移そっか、安浦さん」
「ストォォォップ! 待て兄弟! 話はまだ終わってないぞ!」
早々に退散しようとするも、腕をしっかり掴まれて逃げられない。こいつの握力はやはりゴリラレベルだ。俺は精一杯の嫌な表情を浮かべて話を聞くことにした。
「言い方が悪かった! つまりただの歓迎会みたいなモンだ! 何なら安浦も加えて九頭龍イメージ向上委員会でもいい!」
「ふぇっ!? わ、私も!?」
「それに安浦なら「モテない男子の原因トップ30」ぐらいの情報集めてんじゃねえか? オレらに女子目線のアドバイスを! 頼む!」
「……あるワケねえだろ」
「ト、トップ20なら……」
「……あるのかよ」
何だこの流れは。結局ハユルちゃんを巻き込んでいるのだが、俺の考え読めてたんじゃなかったのか。せめて羽多野、お前はこのゴリラを止めてほしかった。
別に無視してもいいからね、とハユルちゃんにアイコンタクトを送ると、
「いえ、これも度胸付けの一環と考えれば……! ぜひ参加させていただきますっ!」
「普通に楽しむ気ゼロじゃん……」
「っしゃ、それじゃあ決まりだな! 日程は次の日曜! 場所は……まぁ近くのモールでいいだろ! 集合は――」
と、ジョージがテキパキと色んなことを決めていく。十中八九、前からスケジュールを組んでいたんだろう。そこまで考えてくれていたのは素直に嬉しい事なので、素直に好意を受け止めることにした。
◇◇◇
そんな事がありつつも今日一日の授業を終え、ちょっとした見回りも兼ねて放課後の校舎内をぶらつく。
今日も色々な事があってドッと疲れたが、日曜の歓迎会を思えば頑張れるというものだ。
それに、昨日までと比べると周りの俺に対する反応も少しだけ変化している。
あまり良く思われていないのに変わりはないだろうが、皆少し戸惑うような様子を見せているのだ。ハユルちゃんが流した俺の評判が影響しているのは明らかだ。俺は俺で、あと2週間この変化を見守るとしよう――
「……おっと!」
「おわっ!?」
などと期待を膨らませていると、曲がり角の所で女子生徒とぶつかりかける。今度はハユルちゃんのように猛スピードで走ってきてはいなかったので(というか、あれが例外すぎた)、ぶつかる寸前で足を止められた。
しかし相手の方はそうはいかなかったようで、俺に軽くぶつかってしまってよろめいた。
その拍子に彼女が抱えていた大量の紙が散らばってしまう。女子生徒は「あちゃー」と苦笑しながらプリントを拾い始めたので、俺も手伝うことにする。
「すいません、大丈夫スか?」
「あー、へーきへーき。ごめんねー」
軽い口調でそう話す彼女は、少し特徴的な見た目をしていた。
ウェーブのかかった長い焦げ茶の髪に、制服の上から羽織った大きめの白衣。顔には時代錯誤も甚だしいような大きな瓶底眼鏡をかけており、まさに「ザ・科学部」といった風貌だ。リボンの色からして3年生――俺より1つ上だ。
「やー、いっぱいプリント運んでたら前見えなくてねー。めんごめんごー」
「通りで大量にプリント散らばってるわけっスね……先輩は科学部か何かですか?」
「んー……ま、そんなトコ?」
先輩の格好もそうだが、散らばっているプリントにはビッシリと数式のようなものが書かれていたのだ。何かの図面が描かれている紙もあり、設計図のようにも見える。
ここは魔法全般を教える学園なので、魔法科学の分野にも精通しているのだろう。先輩はそっち方面を学びに来ているのかもしれない。
「これで全部っスかね」
「ん、ありがと。そんじゃね、ばいばーい」
終始軽い口調のまま、先輩は俺の行く先とは逆方向に進んでいった。全く警戒されていなかったが、これもハユルちゃんのおかげなのか……情報の力というものは中々侮れないな。
もしくは3年生にもなると俺なんか警戒する対象にすらならないという事なのだろうか。それはそれでちょっとな……と、微妙な心持ちで俺も歩き出した。
「……ちょい待ち」
「ん? まだ何か?」
「なーんか嗅ぎ慣れないニオイだけど……もしかして例の転入生クンだったり?」
「そ、そうっスけど……」
振り向いた先輩がキョトンとした顔で俺に尋ねた。俺のことは知ってても、顔までは知らなかったのか。通りで警戒されないわけだ。
しかし、嗅ぎ慣れないニオイって何の事だろうか。そんなに俺って臭いのか? ちゃんと風呂には入っているのだが。嗅覚が敏感なタイプの魔人だと信じよう。
「……ふぅ〜ん?」
先輩は悪戯っぽく……というよりは、品定めするように目を細めながら微笑し俺にゆっくりと歩み寄ってきた。そして、俺と密着していると言っても過言ではないくらいの近距離で停止する。
先輩から発せられる異様な雰囲気に、俺はなぜか身動き一つ取れずにいた。何なんだこの人は、俺になんの用があるんだ、俺に何を……ちょ、顔近……っ……
――ぺろり。
「〜〜〜〜っ!?」
妙に顔を近付けてきたと思ったら、俺の頬に舌を這わせてきた。まるで味見でもするかのように、何の気なしに。その感覚に動揺し、ぞわりと背筋に走る感覚に鳥肌が立つ。
そんな風に硬直する俺に対し、先輩は「うわっ、ナニコレ!」と驚いた様子で、
「苦っ! すっごい苦い! あははははははっ! ナニコレ! すっっっごい苦い! あとエグい! 舌ビリビリするー! ここまでマズい人初めてっ! すごーーーいマズい! あははははっ!!」
「いやいや、なんで大爆笑してんスか!? 勝手に舐めてきてクレームってどういう事!?」
「やー、ごめんごめん! でもホントにコレはヤッバイよー! 複雑なマズさ! コレ何? 毒でも塗ってるの?」
「毒って……まぁ間違いでは無いっスけども」
今は学園内なので毒を最小限にしていたが、粘膜に直接触れれば気分が悪くなるくらいの毒性はあるのだ。こっちも心臓に悪いのでやめてほしい。
からからと笑う先輩に対して、俺はどうすればいいのかわからない。ここは先輩の安全のためにも怒るべきなんだろうか? 一緒に笑えばいいのか? この先輩、謎すぎる。科学者と芸術家には変人が多いって本当だったんだな。
「へー、そーなんだ、ナルホドね〜……うんうん……」
「あの……先輩って何者なんスかね……?」
「……うん! わかったよ!」
俺の問いを完全無視して、先輩は何かわかったようにポンと手を打った。そして再びクルリと方向転換し、
「キミのことはみんなにも言っとくね! ばいばーい♪」
「えっ、ちょっ、先ぱ……行っちゃったよ……」
何なんだあの変人は。3年生ってあんなのばっかなのか。あの人が特殊すぎるだけなのか? いや特殊すぎるだろ。
今の瞬間で心の疲労が10倍ぐらいになった。もう今日はサッサと寮に帰って報告書をまとめたら寝よう。そうしよう。明日もこんなインパクトがあったら精神が持たない。
俺は見回りを切り上げて寮へと直行した。
帰ったらついでにあの人の正体も調べておこう。




