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推しが隣人でした  作者: はるかかなえ


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6/10

第6話 仕事と私

上杉京子の平穏な社畜生活は終わりを告げようとしていた。


いや。


終わってはいない。


むしろ加速した。


例によって残業中。


午後七時。


開発フロア。


京子はレビュー地獄に沈んでいた。


「上杉さん」


「はい」


「設計書レビューお願いします」


「置いといて」


「こっち障害です」


「順番ね」


「こっち仕様相談」


「順番!って言うか仕様相談なら鉄しなさい!」


「え!!!俺ですか~無理~ぃぃぃぃ」


「無理じゃない!やれ!」


後輩たちが笑う。


「今日も大人気ですね」


「人気じゃないの」


京子は真顔だった。


「仕事が集まってるだけ」


「それを人気って言うんです」


そんな時だった。


フロア入口から声がした。


「京子ー」


真紀だった。


全員が振り返る。


「黒木さん!」


「真紀さんだ!」


「今日は何ですかねぇ?」


後輩たちがざわつく。


真紀は大きな紙袋を抱えていた。


「差し入れ」


「ありがとうございます!」


歓声が上がる。


だが。


京子は気付いた。


真紀の顔。


完全に仕事モードだった。


「で?」


京子が聞く。


「何かあるんでしょ」


真紀が笑う。


「バレた?」


「同期だから」


二人は会議室へ移動した。


会議室。


真紀がノートPCを開く。


画面には資料。


プロジェクト名。


『統合SNS監視・投稿制御システム構築』


京子が固まる。


「でかい案件ね」


「でしょ」


真紀が頷く。


実は真紀。


芸能事業グループ全体を統括するゼネラルマネージャーになっていた。


アイドル部門。


俳優部門。


声優部門。


タレント部門。


全部管轄している。


「最近ね」


真紀がため息を吐いた。


「SNSトラブルが増えてる」


京子は頷いた。


芸能人にとってSNSは生命線。


だが同時に危険でもある。


誤投稿。


炎上。


誹謗中傷。


個人情報漏洩。


コンプライアンス違反。


一瞬でニュースになる。


「だから?」


京子が続きを促す。


真紀は資料を切り替えた。


「全SNSを一括管理したい」


「全部?」


「全部」


画面に並ぶ。


X


Instagra●


TikTo●


YouTub●


動画配信サービス


公式ブログ


ファンクラブアプリ


「全部公式アプリからの(既存システム)同期」


京子の目が細くなる。


完全に仕事スイッチが入った。


「面白そう」


真紀が笑う。


知っていた。


京子は難しい案件ほど燃える。


「やりたい?」


「仕様次第」


即答だった。


真紀は資料をめくる。


「投稿時に危険ワードを自動検知」


「ふむ」


「禁止ワード入力時は投稿停止」


「辞書方式?」


「最初は」


「将来的にはAI判定ね」


「その予定」


京子のメモが増えていく。


「画像は?」


「OCR」


「動画は?」


「字幕抽出」


「ライブ配信は?」


「リアルタイム監視」


「ファンを規制出来ないから自社側の規制強化が目的」


真紀が答える。


後ろで同席していた若手マネージャーが青ざめた。


二人の会話が速すぎる。


理解できない。


「俳優部門も?」


「もちろん」


「アイドル部門も?」


「もちろん」


「全事務所共通?」


「もちろん」


京子が腕を組む。


数秒。


沈黙。


そして。


「半年」


真紀が笑った。


「ですよねー」


「最低半年」


「やっぱり?」


「要件次第なら九か月」


若手マネージャーが叫んだ。


「そんなに!?」


京子が振り返る。


「逆に聞くけど」


真顔だった。


「数万人の芸能人アカウント守るシステムを何か月で作る気?」


若手が黙った。


その通りだった。


京子は資料を閉じる。


「やる価値はある」


真紀が笑顔になる。


「受けてくれる?」


京子は小さく笑った。


「面倒そう」


「褒め言葉ね」


「面白そう」


その瞬間。


真紀がガッツポーズした。


「よし!」


「決まり!」


会議室の外。


後輩たちは耳をそばだてていた。


「何の案件ですか」


「知らん」


「でも」


鉄が呟く。


「京さん楽しそう」


確かに。


会議が始まった時より。


明らかに目が輝いている。


社畜。


推し活オタク。


上杉ファームの娘。


だけど本質は違う。


上杉京子は。


難しい問題を解くことが大好きな。


根っからのシステムエンジニアだった。


会議室を出たあと。


京子は自席へ戻った。


すると。


後輩たちが一斉に集まってくる。


「京さん!」


「何」


「何作るんですか?」


「秘密」


「えー!」


「守秘義務」


全員黙る。


その一言は強かった。


「でも大きい案件なんですよね?」


「大きいね」


「どれくらい?」


京子は少し考えた。


「会社人生でトップクラス」


フロアが静まり返る。


上杉京子がそう言う案件。


それだけで十分だった。


その時。


真紀が突然思い出したように言った。


「あ、そうだ」


「何?」


京子はノートPCから顔を上げる。


真紀はコーヒーを飲みながらさらっと言った。


「佐々木部長いなくなったから」


「は?」


京子が固まる。


「え?」


「飛んだ」


「飛んだ?」


「異動」


「え?」


後輩たちも固まる。


真紀は平然としていた。


「先週付で別部署」


「え?」


「島流し」


「真紀」


「半分冗談」


全然冗談に聞こえなかった。


鉄雄が小声で言う。


「マジですか」


真紀は肩をすくめた。


「コンプライアンス室案件になったから」


フロアが静まり返る。


「え?」


「会議での発言?」


「うん」


真紀は即答した。


「書記の録音に声残ってた」


京子が頭を抱える。


「あー……」


「私だけじゃなくて複数人から上がったみたい」


真紀は続けた。


「子供を産んだとか」


「産んでないとか」


「結婚してるとか」


「してないとか」


「そういうので人の価値を決める発言は今の時代アウト」


後輩たちが何度も頷く。


「ですよね」


「普通にアウト」


「かなりアウト」


真紀は京子を見る。


「だから言ったでしょ」


「何を?」


「落ち込む必要ないって」


京子は少し困ったように笑った。


「別に飛ばしてほしかった訳じゃないよ」


「知ってる」


真紀も笑う。


「でもね」


少し真面目な顔になる。


「会社はちゃんと見てる」


静かな声だった。


「京子が何十年働いてきたかも」


「後輩育ててきたことも」


「システム守ってきたことも」


「みんな知ってる」


京子は黙った。


後輩たちも黙って聞いている。


「だから今回の案件」


真紀は机に置かれた資料を指差した。


『統合SNS監視・投稿制御システム構築』


「この案件を任されたのは偶然じゃない」


京子が顔を上げる。


「会社が信用してるから」


後輩達が一斉に頷いた。


「そうです」


「京さんしかいません」


「いやいるでしょ」


「いません」


即答だった。


「断言するな鉄!!」


フロアが笑いに包まれる。


その中で。


京子は少しだけ肩の力を抜いた。


『生産性』


あの言葉はまだ完全には消えていない。


だけど。


それ以上に。


自分を信じてくれる人がいる。


そう思えるだけで十分だった。


そして真紀は最後にニヤリと笑った。


「まぁそんな訳で」


「何?」


「マーケティング部長いなくなったから」


「うん」


「今後は大型案件全部京子に来ると思う」


京子は固まった。


数秒後。


「最悪だぁぁぁぁぁ!」


開発フロアに悲鳴が響き渡った。


後輩たちは大爆笑だった。


その夜。


また管理人ゆきさんの代わりに京子は共有スペースでノートPCを開いていた。


ノートPCには真っ白な画面。


そこへ文字が増えていく。


統合SNS監視システム


要件定義(初版)


投稿統合管理


危険ワード管理


画像監視


動画監視


ライブ配信監視


承認フロー


緊急停止機能


京子は黙々と入力していく。


「危険ワード辞書はユーザー別管理かな」


「芸能部門共通も必要」


「未成年タレント対応も必要」


「位置情報検知も欲しい」


「写真の背景解析もいるな」


完全に仕事モードだった。


そこへ。


帰宅した牧田たちが現れる。


「こんばんは~ゆきさんいないんですかぁ?」


「おかえりなさい~うん少し出てます(笑)代わりに私が管理人です!」


京子は笑った。


いつもなら推し話になる。


だが今日は違う。


京子の目が真剣だった。


学達は思わず足を止めた。


「仕事?」


「はい」


京子はモニターを見たまま答える。


「面白い案件で」


面白い。


その言葉に学達は少し驚いた。


疲れた。


大変。


面倒。


ではなく。


面白い。


本当に仕事好きなんだな。


そう思った。



一方その頃。


ミックスの所属事務所。


青木は会議室にいた。


「最近また増えてるんですよ」


広報担当が資料を映す。


誤投稿。


乗っ取り。


炎上。


情報漏洩。


芸能界全体の問題だった。


「特にライブ前が危険です」


「写真一枚でも場所が特定されます」


「メンバーの安全にも関わります」


青木は頷いた。


よく知っている。


何気ない投稿。


それだけで。


駅。


店。


ホテル。


移動経路。


全部特定される。


恐ろしい時代だった。


だから。


新システム開発は必要だった。


しかし。


青木はまだ知らない。


そのシステムを設計している人物が。


毎朝笑顔で


「おはようございますー!」


と挨拶してくる。


四〇二号室の住人だということを。


翌週。


真紀から大量の資料が届いた。


アイドル部門。


俳優部門。


声優部門。


子役部門。


総アカウント数。


二万三千以上。


京子は資料を見て固まった。


「馬鹿じゃないの」


思わず呟く。


後輩が聞き返す。


「何がです?」


「案件規模」


資料の厚みは電話帳並み。


京子は頭を抱えた。


「半年じゃ無理かも」


「えっ」


「八か月?」


「えっ」


「いや九か月だな」


後輩が青ざめる。


過去最高難易度。


それでも。


京子の口元は少し笑っていた。


難しい。


だから面白い。


誰かを守るシステム。


誰かの未来を守るシステム。


それを作れるかもしれない。


その高揚感があった。


そしてまだ誰も知らない。


京子が作ろうとしているシステムの利用者の中に。


京子が人生をかけて応援しているアイドルグループ。


ミックス全員が含まれていることを。


その夜。


美都乃荘。


共有スペース。


今日も管理人のゆきさんの姿がなかった。


また代わりに京子は共有スペースでノートPCを開いていた。


「こんばんは~」


牧田たちが帰ってくる。


「あれ?」


健斗が首を傾げた。


「ゆきさんは?」


京子はパソコンから顔を上げる。


「おかえりなさい~今病院です。代わりに私がまた管理人です!」


京子は笑った。


「病院?」


「幸雄さん(旦那さま)の検査」


五人の表情が変わる。


ゆきさんの旦那は管理人室で一緒に暮らしている。


数年前に大きな病気をして以来、


体調に波があった。


「大丈夫なんですか?」


林が尋ねる。


京子は頷いた。


「うん。血圧の数値が高かったから念のための病院だからすぐ帰ると思います」


「そうですか」


少し安心した空気になる。


ゆきさんは美都乃荘の母親みたいな存在だった。


宅配を受け取り。


困った時は相談に乗り。


体調を崩した住人にはお粥を作り。


時には説教もする。


だから住人たちも自然と心配する。


そこへ。


自動ドアが開いた。


「あら」


ゆきさんと幸雄さんだった。


「ゆきさん幸雄さんおかえりなさい!」


京子が立ち上がる。


「ただいま」


「ありがとうただいま~」


幸雄さんは少し疲れた顔だったが笑っている。


「どうでした?」


「変わりないって」


ゆきさんはほっとしたように笑った。


「大丈夫だって言ったけどゆきが聞きやしない(笑)」


幸雄さんがぼそぼそ言う。


「それなら良かった」


京子も笑う。


その会話を聞いていた牧田たちも、


どこか安心したような表情になった。


美都乃荘は古いアパートだ。


だけど。


帰ってくると誰かがいて、


「おかえり」と言ってくれる。


そんな場所だった。


その日の夜。


管理人室。


「京子ちゃん、ありがとね」


ゆきさんがお茶を差し出した。


「いえいえ」


「また受付任せちゃった」


「慣れてますから」


京子は笑う。


幸雄さんも穏やかに頷いた。


「いつも助かるよ」


「そんな大したことしてませんよ」


「してるよ」


幸雄さんは笑った。


「美都乃荘のみんな、京子ちゃんのこと頼りにしてる」


京子は少し照れた。


「それはゆきさんでしょ」


「私は管理人だから当たり前」


ゆきさんが言う。


「でも、京子ちゃんは違うでしょ」


「え?」


「誰かが困ってたら放っておけない」


「そうかしら」


「そうよ」


ゆきさんは即答した。


牧田たちも。


後輩たちも。


実家も。


きっと同じことを言うだろう。


「気づいてないのは本人だけね」


ゆきさんと幸雄さんは顔を見合わせて笑った。


「何ですかそれ」


京子もつられて笑う。


その頃。


四〇一号室 駿の部屋。


学はノートパソコンを開いていた。


リビングでは大地と健斗がゲームをしている。


蘭はソファで雑誌を読んでいた。


青木はスマホでスケジュールを確認している。


そんな何気ない夜。


学はふと思い出した。


共有スペースで仕事をしていた京子。


真剣な表情。


複雑な図面。


何千行も並ぶコード。


「意外だったな」


ぽつりと呟く。


「何が?」


大地が聞いた。


「上杉さん」


全員が分かってしまう。


「あー」


「仕事できる人だったな」


「かなりな」


「めちゃくちゃな」


「普通じゃなかった」


全員一致だった。


青木も苦笑する。


「芸能界でもああいう人は貴重ですよ」


誰かを支える人。


表には出ない。


でも。


いなくなると困る人。


そういう人間がいる。


上杉京子は間違いなくその一人だった。


一方。


四〇二号室。


京子はノートパソコンの前に座っていた。


画面には新しいフォルダ。


その下に並ぶファイル。


要件定義書_Ver1


危険ワード辞書設計


画像解析要件


動画解析要件


権限管理設計


緊急停止機能設計


京子は深呼吸した。


「さて」


絶対に難しい。


間違いなく大変。


たぶん今年一番の大型案件。


だけど。


口元は少し笑っていた。


「面白くなってきた」


カタカタとキーボードを叩く。


翌朝。


京子が出社すると。


自席の上に封筒が置かれていた。


プロジェクトリーダー任命通知


上杉京子


「……は?」


京子が固まる。


後輩達が騒ぎ出した。


「出たー!」


「予想通り!」


「京さんリーダー!」


「おめでとうございます!」


「嫌です」


即答だった。


全員爆笑。


そこへ真紀から電話が入る。


『京子』


「何」


『見た?』


「見た」


『リーダーよろしく』


「断る」


『断れない』


「知ってる」


真紀が笑う。


『ちなみに利用部門との顔合わせは来週』


「分かった」


『アイドル部門も来るから』


「へぇ」


京子は何気なく返事をした。


まだ知らない。


その会議室に現れるのが。


ミックスのマネージャー青木駿。


毎朝「おはようございます」と挨拶している、


四〇一号室の住人であることを。


そして。


その瞬間から。


上杉京子の平穏な推し活生活は、


さらに大きく動き始めるのであった。





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