第7話 第7話 顔合わせ
翌週。
会議当日。
京子は朝から機嫌が悪かった。
「行きたくない……」
大型案件。
利用部門との顔合わせ。
要望が増える。
予算は減る。
納期は短くなる。
経験上わかっている。
「絶対無茶言われる」
後ろから鉄雄が笑った。
「京さん顔死んでます」
「知ってる」
「頑張ってください」
「鉄…代わりに行って~」
「無理です」
即答だった。
★
会議室。
既に各部署の担当者が集まっていた。
法務。
広報。
セキュリティ。
システム管理。
芸能事業部。
京子は資料を並べる。
プロジェクトリーダーとして。
今日から正式スタートだった。
「では定刻になりましたので始めます」
真紀が会議を進行する。
「利用部門側代表をご紹介します」
ドアが開く。
「失礼します」
聞き覚えのある声だった。
京子が顔を上げる。
固まった。
「え?」
入ってきたのは。
青木駿だった。
青木も止まる。
「え?」
数秒。
沈黙。
全員が二人を見る。
「お知り合いですか?」
若手担当者が聞いた。
京子が先に復活する。
「あー……」
「同じアパートです」
青木も頷く。
「同じアパートです」
会議室がざわつく。
「そんな偶然ある?」
「あります?」
「漫画みたいですね」
真紀が吹き出した。
「京子」
「何」
「世間狭くない?」
「私に言わないで~」
京子は頭を抱えた。
★
会議が始まる。
だが。
始まった途端。
京子の目つきが変わった。
仕事モードだった。
「まず運用要件を確認します」
プロジェクターが切り替わる。
「禁止ワード辞書は事業部管理ですか?」
青木が答える。
「最終決定は広報部です」
「承認経路は?」
「担当マネージャー」
「緊急停止権限は?」
「役員まで含みます」
「二十四時間運用が前提ですね」
「その想定です」
会話のテンポが速い。
周囲の担当者が必死にメモを取る。
青木は少し驚いていた。
いつもの共有スペースでは。
「おはようございますー!」
「ジャム食べます?」
そんな人だった。
だが今は違う。
質問が鋭い。
視点が広い。
抜け漏れを見逃さない。
真紀がニヤニヤしている。
知っているからだ。
これが本来の上杉京子。
仕事中の姿。
一時間後。
会議が終わった。
参加者達が帰っていく。
青木は資料を片付けながら呟いた。
「すごいですね」
京子が顔を上げる。
「何がです?」
「上杉さん」
京子は首を傾げた。
「普通ですよ」
「普通じゃないですよ」
青木は苦笑した。
「今日それを実感しました」
京子は照れくさそうに笑う。
「ただのSEです」
「いや」
青木は思った。
ただのSEではない。
誰かを守るための仕組みを作る人。
それが上杉京子だった。
★
参加者が帰り始める。
会議室には、
京子。
真紀。
青木。
数人の担当者だけが残っていた。
京子は資料を片付けながら言う。
「では要件整理版作って来週持ってきます」
「よろしくお願いします」
青木が頭を下げる。
「大変そうですね」
「まぁ大型案件ですから」
京子は苦笑した。
「でも面白そうなので」
そう言って資料を抱える。
「じゃあ失礼します」
会議室を出ようとした。
その時。
真紀がぼそっと呟いた。
「京子まだ気付かない(笑)」
青木が振り返る。
「え?」
真紀が吹き出した。
「いや」
「本当に気付いてないんだなと思って」
「何をです?」
青木が首を傾げる。
真紀は笑いを堪えながら答えた。
「京子」
「はい?」
当の本人はまだ資料を整理している。
「あなた今誰と打ち合わせしたか分かってる?」
「利用部門の青木さん」
即答だった。
真紀が天井を見上げた。
「あはははは!」
ついに笑い出した。
「駄目だこの人」
青木も少し笑う。
「上杉さん」
「はい?」
「私の会社知ってますよね?」
「もちろん」
「芸能事業グループですよね」
「そうです」
「マネージャーですよね」
「そうです」
そこまで言って。
京子が止まった。
数秒。
沈黙。
真紀がニヤニヤしている。
青木も何となく察した。
そして。
京子の目がゆっくり開く。
「……え?」
「はい」
青木が頷く。
「もしかして」
「はい」
「ミックス?」
「はい」
会議室が静かになった。
京子。
完全停止。
「……」
「……」
「……」
真紀は腹を抱えていた。
「あはははは!」
「やっと繋がった!」
京子は真っ白になる。
脳内で情報が整理されていく。
四〇一号室。
青木。
マネージャー。
ミックス。
推し。
毎朝会う。
ジャム。
共有スペース。
全部繋がった。
「えええええええええええ!?」
会議室に悲鳴が響いた。
青木が思わず笑う。
「気付いてなかったんですか」
「だって!」
京子は真っ赤になった。
「マネージャーさんって聞いてましたけど!」
「はい」
「芸能関係って聞いてましたけど!」
「はい」
「まさかミックスとは思わないじゃないですか!!」
真紀が椅子を叩いて笑う。
「だから言ったのに!」
「言ってません!」
「匂わせた!」
「分かるか!」
青木まで吹き出した。
こんなに取り乱した京子を初めて見た。
普段は冷静。
仕事では完璧。
後輩の憧れ。
大型案件のリーダー。
その人が今。
顔を真っ赤にしている。
真紀が追撃する。
「ちなみに」
「何」
嫌な予感しかしない。
真紀がニヤニヤしている。
「京子」
「何」
「ファンクラブ歴何年?」
青木が固まる。
「え?」
真紀はあっさり言った。
「結成当時から八年」
「真紀ぃぃぃ!!」
「ライブ全通未遂三回」
「やめろぉぉぉ!!」
「年遠征五回」
「やめなさい!」
京子が机に突っ伏した。
青木が目を丸くする。
「そんなに長く応援してくれてるんですか」
「違います」
「違わないですよね?」
「違わないです……」
消えたい。
今すぐ消えたい。
京子は頭を抱えた。
しかし。
その時だった。
ふと。
ある違和感が頭をよぎる。
待て。
ミックスのマネージャー。
青木駿。
美都乃荘。
四〇一号室。
…………。
「え?」
青木を見る。
「え?」
青木も首を傾げる。
京子の脳内で点と点が繋がり始める。
ミックス。
青木駿。
四〇一号室。
青木。
四〇一号室。
……あれ?
「あの」
「はい?」
青木が答える。
「青木さん」
「はい」
「ミックスのマネージャー?」
「そうです」
「今まで?」
「ずっとです」
京子が固まる。
脳内で何かが爆発した。
待って。
待って待って待って。
美都乃荘の住人。
いや。
待て。
牧田さん。
林さん。
徳永さん。
如月さん。
…………。
…………。
…………。
「え?」
真紀が吹き出した。
来た。
繋がった。
京子の目が見開かれる。
牧田学。
林蘭。
徳永大地。
如月健斗。
四〇一号室の住人青木駿。
マネージャー。
ミックス。
ミックス。
ミックス。
ミックス。
「え?」
青木がちょっと心配になる。
「上杉さん?」
京子の顔色が変わっていく。
青ざめる。
赤くなる。
真っ白になる。
そして。
「え」
誰も動かない。
「え?」
真紀だけが笑いを堪えている。
「え??」
周囲が見守る。
そしてついに。
「EEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!」
会議室が震えた。
青木はびくっとした。
「嘘でしょ!?」
京子が立ち上がる。
「牧田さん!?」
「はい」
「林さん!?」
「はい」
「徳永さん!?」
「はい」
「如月さん!?」
「はい」
青木が苦笑する。
「全員ミックスです」
京子。
完全停止。
「…………」
「…………」
「…………」
真紀が耐えきれなかった。
「ぶふっ!」
「真紀ぃぃぃ!!」
「だって!」
「毎日会ってたじゃん!」
「だって普通思わない!」
「美都乃荘に推しが住んでるとか普通思わない!」
青木が思わず笑う。
たしかに。
それはそうだ。
京子は両手で顔を覆った。
京子は両手で顔を覆った。
思い返せば。
共有スペース。
朝の挨拶。
ジャムのお裾分け。
宅配便。
ゴミ出し。
管理人代行。
全部。
全部。
推しだった。
「終わった……」
京子が呟く。
「何がです?」
青木が聞く。
京子は机に突っ伏したまま答える。
「私の平穏な推し活人生が……」
「はい?」
「めちゃ推しに推し活してたわぁ~……」
会議室が静かになる。
一秒。
二秒。
真紀が吹き出した。
「ぶはっ!!」
青木も耐えられない。
「すみません」
「いやだって!」
京子が顔を上げる。
真っ赤だった。
「私!」
「はい」
「普通のファンでいたかったんです!」
「はい」
「遠くから応援して!」
「はい」
「ライブ行って!」
「はい」
「尊いぃぃぃぃって帰るだけだったのに!」
「はい」
「なんで同じアパートなんですかあぁぁぁ!!」
会議室が爆笑に包まれた。
真紀は涙を流して笑っていた。
「ごめん!」
「全然ごめんと思ってない!」
「思ってない!」
「認めるな!」
さらに笑いが起きる。
そんな中。
青木は少し考えていた。
会議中の京子。
冷静。
論理的。
仕事ができる。
隙がない。
だが今は違う。
感情が全部顔に出ている。
まるで別人だった。
「上杉さん」
「はい……」
魂が抜けた返事だった。
「ありがとうございます」
京子が顔を上げる。
「え?」
青木は少しだけ笑った。
「八年間」
京子が固まる。
「応援してくれて」
停止。
完全停止。
「…………」
「…………」
「…………」
真紀がまた笑い出す。
京子の耳まで真っ赤だった。
「やめてください」
「本心ですよ」
青木は穏やかに言った。
「ファンの方がいるから活動できるので」
京子は視線を逸らした。
だめだ。
無理だ。
推しの関係者から直接感謝された。
今日はもう仕事にならない。
会議室を出た後。
京子は机に突っ伏したまま動けなかった。
「帰りたい……」
真紀が笑う。
「帰れば?定時過ぎてるよ~」
「帰りたくない……」
「どっち」
「帰りたいけど帰りたくない……」
真紀がまた笑った。
「意味分かんない」
「分かるでしょ!めちゃ推しに推しの事熱く語って推し活してたんだよ!!私!!」
京子は頭を抱える。
真紀が耐えきれなかった。
「ぶふっ!やばい推しに語るって(笑)」
「真紀ぃぃぃ!!」
「だって~(笑)」
推しがいた。
同じアパートに。
しかも何か月も。
毎日会っていた。
もう顔を合わせられない。
でも会いたい。
ファン心理は複雑だった。
★
一方その頃。
青木は一足先に会社を出ていた。
電車に揺られ。
美都乃荘へ帰宅する。
エントランスホールの指紋セキュリティを通してドアが開く。
「ただいまー」
すると。
共有スペースには。
学。
蘭。
大地。
健斗。
全員集合していた。
「おかえり」
「会議どうでした?」
「無茶言われました?」
「システムの人怖かった?」
質問が飛ぶ。
青木は少し考えた。
そして。
ニヤッと笑う。
「面白かった」
全員首を傾げる。
「何が?」
学が聞く。
青木はバッグを置いた。
「今日の会議」
「うん」
「プロジェクトリーダー」
「うん」
「上杉さんだった」
数秒。
沈黙。
「え?」
「は?」
「え?」
「え?」
全員固まる。
蘭が真っ先に叫んだ。
「上杉さん!?」
「四〇二号室!?」
「管理人代行の!?」
「ジャムの人!?」
「それそれ」
青木が笑う。
全員フリーズした。
「嘘でしょ」
学が呟く。
「マジ」
「世間狭すぎでは」
「俺もそう思った」
大地が笑う。
「漫画かよ」
「俺もそう思った」
青木は二度目を言った。
そして。
青木は爆弾を投下した。
「あと」
「あと?」
全員が見る。
「今日」
「うん」
「皆がミックスだってバレた」
沈黙。
三秒。
四秒。
五秒。
「ええええええええええええええ!!!」
エントランスが揺れた。
健斗が立ち上がる。
「なんで!?」
蘭も立ち上がる。
「どうして!?」
学も慌てる。
「隠してなかった!?」
青木は肩をすくめた。
「俺がミックスのマネージャーだと気付いた」
「あー」
「そこから全部繋がった」
「あー……」
全員理解した。
確かに。
気付く。
絶対気付く。
青木は笑いを堪えながら続けた。
「ちなみに」
「何?」
「上杉さん」
「うん」
「固まった」
「分かる」
「叫んだ」
「分かる」
「顔真っ赤だった」
「分かる」
全員頷く。
容易に想像できた。
「あと」
青木がニヤリと笑う。
「ファンクラブ八年」
「え?」
「結成当時から」
全員が固まった。
「ガチ勢じゃん」
「ガチ勢だな」
「超古参じゃん」
「古参だった」
青木は頷く。
「ライブ全通未遂三回らしい」
「強い」
「めちゃくちゃ強い」
「本物だ」
全員一致だった。
その時。
自動ドアが開いた。
カラン。
全員が振り向く。
そこにいたのは。
上杉京子。
「ただいまですー……」
言いながら入ってくる。
そして。
エントランスにいる全員を見る。
ミックス。
全員。
勢揃い。
京子。
停止。
「…………」
牧田達。
「…………」
青木。
「おかえりなさい」
京子。
ゆっくり後ろを向いた。
会社に帰ろうとした。
「待ってください」
学が慌てた。
「出かけないでください」
「無理です」
京子はその場でしゃがみ込む。
「もう無理……」
「そんなにですか?」
蘭が苦笑する。
京子は顔を覆ったまま答えた。
「そんなにです」
「だって私……」
全員が聞く。
「推しに」
「はい」
「推しを」
「はい」
「二時間語りました」
沈黙。
全員。
「あー……」
納得した。
京子は続ける。
「ライブがどれだけ神だったとか」
「はい」
「学さんの歌声が最高だとか」
学が固まる。
「蘭さんのダンスが芸術だとか」
蘭が目を逸らす。
「大地さんのバラエティ能力が天才だとか」
大地が吹き出す。
「健斗さんのファンサが命を救うとか」
健斗が真っ赤になる。
「全部語ったんです!!」
エントランスが静まり返った。
青木だけが肩を震わせている。
「しかも」
京子はさらに追撃した。
「推し会だと思ってました」
「はい」
「まさか本人達とマネージャーに」
「はい」
「本人達の話を」
「はい」
「二時間も熱弁してたんです!!」
沈黙。
三秒。
四秒。
五秒。
大地が限界だった。
「ははははははは!!」
そこで全員崩壊した。
学まで笑っている。
蘭も肩を震わせている。
健斗は腹を抱えている。
青木は手で口を押さえていた。
「すみません」
「謝るなら笑わないでください!」
「無理です」
即答だった。
京子は天を仰いだ。
終わった。
社畜人生も。
推し活人生も。
終わった。
そう思った。
だが。
学が笑いながら言った。
「俺達は嬉しいですけどね」
京子が止まる。
「え?気持ち悪くないですか??」
蘭も頷く。
「そこまで応援してくれてる人が近くにいたなんて」
大地が笑う。
「しかも毎日会ってたし」
健斗も笑顔だった。
「ファンやめないでくださいね」
京子。
完全停止。
「尊いぃぃぃぃぃ!!」
再びエントランスに笑い声が響いた。
こうして。
上杉京子の平穏な推し活生活は。
完全に終わった。
そして。
推しに推しを二時間語り続けた伝説だけが。
美都乃荘に残ったのであった。




