第10話(中編)「残された命」 1780年3月1日~4月20日
3月2日の夜、アメリアの陣痛が始まった。
医師と産婆が呼ばれ、屋敷では使用人たちが湯や布を運んだ。エドワードにできることは少なく、部屋の外で知らせを待つほかなかった。
海でも商売でも、自分の判断や金で動かせることは多い。しかし妻の出産だけは、自分が代わることも、早く終わらせることもできなかった。
夜が明けても出産は続いた。
3月3日の午前、部屋の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。
しばらくして医師が出てきた。
「母子ともに無事です」
「アメリアの容体はどうなのですか?」
「かなりお疲れですが、今のところ問題ありません」
「子供も無事なのですね?」
「はい。男のお子様です」
エドワードはようやく肩の力を抜いた。
部屋へ入ると、アメリアは寝台に横たわっていた。そのそばには、生まれたばかりの息子がいる。
「男の子です」
「聞いた」
「あなたより随分小さいですね」
「僕くらいの大きさで生まれたら大変だろう」
「私もそう思います」
アメリアには疲労の色が濃く残っていたが、夫の冗談に笑う余裕はあった。
エドワードは寝台の横へ座った。
「よく頑張ったな」
「本当に海へ行きませんでしたね」
「約束しただろう」
「約束を守っただけで褒めるのも変ですけれど、今回は褒めてあげます」
「産んだ方も褒める」
「それは当然です」
エドワードは息子の小さな手へ指を差し出した。
赤ん坊は、その指先をしっかり握った。
◇ ◇ ◇
レベッカは3月中旬から作業場へ戻った。
喪服のまま仕事をしていたが、以前と同じ量をすぐに抱え込むことはせず、品質確認と注文の調整を中心に見るようになった。
エドワードが訪れた時も、2人が話すのは必要な材料、ハロウデンからの注文、外部の船主へ納める寝具の数など仕事のことだけだった。
3月下旬になると、レベッカは朝に吐き気を覚える日が増えた。
最初は夫を亡くしてからの疲れだと考えたが、数日が過ぎても体調は戻らず、月のものも来なかった。
レベッカは日を数え直した。
トーマスとは何年も夫婦として床を共にしていない。心当たりは2月18日の夜しかなかった。
4月初旬、レベッカは産婆へ相談した。まだ早いため断言はできないと言われたものの、体の変化を合わせれば妊娠している可能性は高かった。
翌日、レベッカは封をした手紙をエドワードの屋敷へ届けさせた。仕事とは別に2人で話したいことがあるとだけ書き、理由は記さなかった。
◇ ◇ ◇
4月5日の夕方。
仕事を終えた後の作業場で、エドワードとレベッカは2人きりになった。
扉を閉めると、レベッカは遠回しな話をしなかった。
「子供ができたようです」
エドワードはしばらく彼女を見た。
「僕の子なのですか?」
「はい。夫とは何年も、そういう関係ではありませんでした」
「体は大丈夫なのですか?」
「今のところは大丈夫です。産婆にも相談しました」
「医師にも診てもらってください」
「そうします」
エドワードは椅子へ腰を下ろした。
「これからの暮らしは、どうするつもりなのですか?」
「アメリカへ戻ります」
「アメリカへ行くのですか?」
「アンとダニエルがニューヨークへ行きます。私とサミュエルも一緒に行きます」
「いつ決めたのですか?」
「トーマスが亡くなった後です。ダニエルは以前から戻るつもりでしたし、アンも父親が生きている時から知っていました」
「戦争中です。ニューヨークを英国軍が押さえていても、海を渡る以上、安全とは言えません」
「ロンドンに残れば何も起こらないとも限りません」
エドワードは反論しなかった。
「いつ出るつもりなのですか?」
「6月を考えています。船団に入る商船を探しています」
「僕の船を使ってください。船賃も護衛の費用も出します。子供は僕の子でもあるのだから、生活に困る必要はないでしょう。必要なら家も用意できます」
「受け取りません。トーマスが亡くなった直後に、あなたの家とお金で暮らすつもりはありません。形を変えても、私には同じです」
「この先、赤ん坊を抱えて暮らすことになるのですよ」
「それでも、自分たちで暮らします」
「僕には助ける金がある」
「それも知っています」
レベッカはエドワードを見た。
「この子を産むことは後悔しません。あなたの子であることも否定しません。でも、私の暮らしまで買おうとしないでください」
エドワードは黙った。
しばらくして頷いた。
「分かりました」
「本当に分かったのですか?」
「受け取らないと言っている人へ、無理に押しつけても仕方がないでしょう」
「その言葉は信じます」
「ただし、子供については考えさせてください」
レベッカは少し考えた後、頷いた。
「それなら構いません」
◇ ◇ ◇
数日後、エドワードは法律家を呼んだ。
自分の資産から10万ポンドを切り離し、生まれてくる子供が18歳に達した時に受け取れるよう手続きを進めた。出生後に受取人を確定することとし、それまではレベッカにもエドワードにも使えない形にした。
法律家には受け取りの条件だけを伝え、父親については記録に残さなかった。
その夜、エドワードは自宅の書斎で便箋を広げた。
10万ポンドを管理する仕組みは法律家へ任せられる。
だが、自分が何者なのかを子供へ伝える文章だけは、自分で書くことにした。




