第9話(前編)「仕事を買う」 1780年1月1日~1月10日
1780年1月3日、エドワードはヘイル商会の従業員宿舎を訪れた。
ロンドンには年明けから厳しい寒さが続いていた。テムズから吹く風は湿っており、倉庫街では石畳の水たまりに薄い氷が張っている。荷役人夫たちは外套の襟を立て、白い息を吐きながら樽や木箱を運んでいた。
宿舎の事務室では、レベッカが石炭と食料の帳簿を調べていた。
エドワードが入ると、彼女は帳簿を閉じた。
「今日は宿舎の確認ですか? 石炭なら今月分は足ります。食料も値上がりする前に少し多めに買いました」
「それも見るつもりですが、ウェッブから別の話を聞きました。仕事を求めてここへ来る人が増えているそうですね」
「増えています。宿舎で働けないかと毎日のように聞かれますが、必要な人数はもう足りています」
「どのような人が来るのですか?」
「いろいろですよ。夫を亡くした女性もいれば、船乗りの夫が何か月も帰ってこない人もいます。怪我で荷役ができなくなった男性も来ました。働きたいのに、自分にできる仕事が見つからない人が多いのです」
レベッカは机の引き出しから紙を取り出した。
「実際に見た方が早いでしょう。今日も何人か来ています」
宿舎裏手の部屋には、仕事を求める5人が待っていた。
30歳前後の女は夫を海で亡くし、幼い子供が2人いるという。縫い物はできるが、子供を置いて一日中外へ働きに出ることは難しかった。
別の女には洗濯と料理の経験があった。50歳ほどの男は荷役中に腰を痛め、重い樽を運べなくなっていたが、座ってできる仕事なら働けるという。若い男は片手の指を2本失っていた。以前は船大工の下働きをしており、簡単な木工なら今もできると話した。
最後にいたのは14歳の少年だった。父親が病気になり、家計を助けるため仕事を探していた。
5人から事情を聞いた後、エドワードはレベッカと事務室へ戻った。
「全員を宿舎で雇うのは無理ですね」
「ええ。必要のない仕事を作って給金だけ払うことになります。それでは長く続きません」
「縫い物のできる女性は多いのですか?」
「かなりいます。船乗りの妻なら、夫の服を繕うことにも慣れています。洗濯や料理も同じです」
エドワードは窓の外に並ぶ倉庫を見た。
自分の艦隊には12隻の武装船がある。乗組員にはシャツやズボン、寝具が必要で、商会でも荷を包む布や袋を絶えず使っている。
「うちが必要な物を作ってもらえばいい」
「どういうことですか?」
「金を配るのではなく、必要な品を作ってもらい、出来上がった物をヘイル商会が買います。船員の衣類や寝具なら艦隊でも使える」
レベッカはすぐに意味を理解した。
「縫い物そのものを仕事にするのですね」
「それだけではありません。壊れた木箱の修理、荷札の整理、古い縄の選別、船員の寝具の洗濯もある。重い荷を持てなくてもできる仕事はあるでしょう」
「あります。ただし、誰に何ができるのか確かめる必要があります。艦隊へ出す物なら、縫えるというだけで出来の悪い品を渡すわけにはいきません」
「その辺りを、あなたに見てもらえませんか?」
レベッカはエドワードを見た。
「私が作業場まで見るのですか?」
「宿舎の管理だけでも十分働いてもらっています。ただ、こういう仕事は僕よりあなたの方が詳しいでしょう。帳簿と給金はウェッブに見てもらいます。何を作らせ、誰に任せるかを見てほしいのです」
「伯爵様は、簡単に仕事を増やしますね」
「無理なら断ってください」
「嫌だとは言っていません。ただ、人手も場所も道具も必要になりますよ」
「人は必要なだけ雇う。使っていない倉庫もあります。道具も買いましょう」
レベッカは呆れたように見ていたが、やがて笑った。
「それだけ迷わずお金を出せるなら、話は早いですね」
「金があっても、無駄には使いません。必要な物を作って、その代金を払う。それなら商会にも使い道があります」
「働けない人については、どうするのですか?」
「そこは別に考えます。病気や怪我で一時的に働けない人まで放っておくつもりはありません。ハロウデンでも同じようにしています」
レベッカは先ほどの紙へ目を落とした。
「では、まず何ができる人なのか調べます。こちらで作れる物と、商会や船で必要な物を合わせてみます」
「お願いします」
「伯爵様も手伝ってくださいね。全部私へ任せて海へ逃げるのは駄目ですよ」
「逃げるつもりはありませんが、近いうちに海へ出る可能性はあります」
「やっぱり」
「フランスとスペインがいますからね」
「今度も大金を積んだ商船を探すのですか?」
「今回は少し違います。英国商船が襲われている場所があるので、護衛と敵の私掠船狩りを考えています」
「では、なおさら寝具とシャツを用意しないといけませんね。伯爵様は海へ出ると服を汚して帰ってきそうですから」
「僕の分だけ上等にしてください」
「同じです」
「伯爵ですよ」
「船の上で寝る時まで、爵位で縫い目が変わるのですか?」
エドワードは返す言葉を探したが、レベッカはもう帳簿へ目を戻していた。
◇ ◇ ◇
翌日、ウェッブを交えて具体的な相談が始まった。
場所には、ヘイル商会が借りている倉庫のうち、現在ほとんど使っていない建物を1棟回すことにした。道路に面した1階を作業場とし、奥へ材料を置く。2階の一部は帳簿と完成品の保管場所に使う。
ウェッブは最初に経費を確認した。
「何人雇うおつもりですか?」
「まだ決めていない。必要な仕事があるだけ雇えばいい」
「その答えでは給金の見込みを出せません」
レベッカが間に入った。
「最初は30人ほどでどうでしょう。全員を同じ仕事にはしません。縫い物のできる人、洗濯のできる人、木箱や家具を直せる人に分けます。仕事が増えれば、その時に人数を増やせばよいと思います」
ウェッブは頷いた。
「それなら計算できます。材料費と給金を出し、商会や艦隊が今まで外部へ払っていた金額と比べましょう」
エドワードは尋ねた。
「外から買うより少し高くなった場合は、どうするのか?」
「少しくらいなら構わないでしょう。ただし、あまり高ければ事業として続きません」
「僕もそう思う。安物を作って無理に使うのも嫌だ。普通に売れる物を作らせてくれ」
レベッカが続けた。
「それなら、最初から基準を決めます。縫い目が雑な物はやり直してもらう。材料を勝手に持ち帰るのも駄目。働いた分は必ず払う。その代わり、仕事をしなかった分までは払いません。それでよろしいですか?」
「それでいいです」
方針が決まると準備は早かった。
数日後には最初の30人が働き始めた。女性たちは長い机へ並び、船員用のシャツや寝具を縫う。破れた衣類の修繕や寝具の洗濯も引き受け、作業場の奥では男たちが傷んだ木箱を直していた。
重い物を運べなくなった男には、材料と完成品の数を確認する仕事を与えた。14歳の少年は倉庫の見習いとなり、日中は荷札や材料を運び、夕方には商会の書記から計算を習った。
レベッカは作業場を歩きながら、仕上がった品を確かめていった。
縫い目の粗いシャツを見つけると、作った女性へ返した。
「これでは洗った時に開いてしまいます。ここをもう一度縫ってください。材料は商会の物ですから、このまま出すわけにはいきません。でも、直せば給金は同じです」
女性は謝り、すぐに作業をやり直した。
作業場を出た後、ウェッブが帳簿を見ながら言った。
「今の規模なら続けられそうです。艦隊が外で買っていた衣類と寝具の一部をこちらへ回すだけでも、かなりの仕事になります」
「利益は出るのか?」
「まだ大きくは出ませんが、赤字にもならないでしょう」
「それなら十分だ」
「慈善事業なのに、利益まで求めますか」
「赤字を出し続ければ、いずれ止めることになる。利益が出るなら、僕が細かく口を出さなくても続けられる」
ウェッブは帳簿を閉じた。
「それなら、慈善事業とは呼ばない方がよさそうですな」
「では、何と呼ぶのがよいのか?」
「ヘイル商会の仕事です」
エドワードは笑った。
「それが一番いい」
◇ ◇ ◇
1月10日。
夕食の席で、エドワードはアメリアへ作業場について話した。
アメリアは出産が近づき、長時間の外出を控えている。それでも所領から届く報告や屋敷の支出には目を通していた。
「船員のシャツや寝具を作っているのですか?」
「今はそれが中心だ。木箱の修理や洗濯も始めた。商会と艦隊で使う物を、外から買う代わりに作ってもらっている」
「売れる物まで作れるようになれば、もっと仕事を増やせそうですね」
「ウェッブも同じことを言っていた。商会で使うだけでは限界があるから、品質が安定したら外へ売ることも考えている」
アメリアは少し考えた。
「ハロウデンでも、春から本邸の建設がまた大きく動くでしょう。使用人の寝具や布類は大量に必要になります。出来が良いのなら、そこから買っても構いませんよ」
「本当に買うのか?」
「必要な物を買うだけでしょう。安ければなお良いですし、少し高くても品質が良ければ問題ありません」
「レベッカが喜ぶ」
エドワードは何気なく口にした。
「マーサー夫人が見ているのでしたね。宿舎の管理も上手だと聞いています。頼れる方が増えるのは良いことです」
アメリアはそのまま、ハロウデンで必要になる寝具の数について話し始めた。




