第8話(後編)「冬を越す値段」 1779年12月21日~12月31日
12月21日。
エドワードはハロウデンへ向かった。
冬の街道は秋より進みにくかった。前夜の雨で地面はぬかるみ、日陰には薄い氷が残っている。馬車の車輪が深い轍へ入るたび、車体が大きく揺れた。
アメリアはロンドンに残った。
体調に大きな問題はないが、出産予定の3月上旬が近づき、長い馬車移動では以前より疲れやすくなっている。
ハロウデンへ着いた翌朝、エドワードは管理人と所領を回った。
収穫を終えた農地は静かだった。夏や秋には人が働いていた畑も、冬になれば仕事が大きく減る。
一方で、秋の雨で傷んだ道路や屋根、補修を待っている橋や倉庫は残っていた。
最初に訪れた村では、小作農の家の屋根を2人の男が修理していた。
エドワードは馬を降り、管理人へ尋ねた。
「雨漏りしている家は、ほかにもあるのですか?」
「この村にあと2軒ございます。別の村にも何軒かありますが、急がないものは春まで待つ予定でした」
エドワードは屋根を見上げた。
板の一部が外され、その下には黒ずんだ木材が見えている。
「雨漏りしている家まで春へ回す必要はありません。仕事の少ない者がいるのでしょう?」
「おります。ただ、大工仕事ができる者ばかりではありません」
「大工の下で材料を運ぶ者もいるでしょう。古い板を外したり、片付けたりする仕事まで職人だけでやる必要はない。できる仕事を分けてください」
管理人は納得した。
「それなら人数を増やせます」
「道路も同じです。冬に無理な工事は待てばいい。しかし排水溝をさらったり、石を運んだりすることまで春まで残す必要はないでしょう」
「費用は増えます」
「その代わり道路も家も直り、仕事のない者へ賃金が出る。金を配るだけではなく、こちらにも残るものがあります」
その日、エドワードは複数の村を回った。
橋の欄干が傷んだ場所があった。
農場の倉庫には扉が歪んでいる建物もあった。
水路には泥と枯葉がたまり、春になれば流れを妨げそうな場所もある。
働ける人間へ出せる仕事は、探せば十分にあった。
難しかったのは、働くこと自体ができない家だった。
ある小作農の家では、主人が秋に脚を痛めていた。杖がなければ歩けず、春まではまともな農作業が難しいという。
エドワードは家の中で話を聞いた。
「医者は何と言っています?」
「骨は治りかけているそうです。春になれば、また畑へ出られるだろうと言われました」
「これまで小作料を遅らせたことは?」
管理人が答えた。
「ございません。昨年までは毎回期日どおりです」
エドワードは男へ言った。
「なら次の支払いは待ちます。春に働けるようになってからで構いません」
男は驚いた。
「よろしいのですか?」
「今あなたを追い出したところで、この家と畑を任せる別の小作人を探さなければならない。春に治るのなら、こちらにとっても待った方が都合がいい」
男の妻が頭を下げようとした。
エドワードはそれより先に続けた。
「ただし、無理をして悪化させないでください。子供に大人と同じ仕事をさせて怪我をされたら、もっと困ります」
「分かりました」
事情は家ごとに違った。
病気の老人がいる家もあれば、夫を亡くし、幼い子供を育てている女もいた。
出産を控えて十分に働けない女もいる。
仕事を作れば全員が助かるわけではなかった。
エドワードは管理人へ言った。
「働ける人と、働けない事情のある人を分けてください。前者には仕事を出す。後者は何が足りないのか確認する。食糧が足りない家に薪だけ渡しても意味がないし、薪を持っている家へ同じ量を配る必要もないでしょう」
「村ごとに調べさせます」
「医者が必要な家もまとめてください。所領の収入から出せるものはそこから出す。足りなければ僕に言ってください」
管理人は帳面へ書き留めた。
「かなりの支出になるかもしれません」
「まず金額を見ます。必要なら払います。ただ、来年も続けられる形にしてください。今年だけ気前よく金を撒いて終わるのは嫌です」
◇ ◇ ◇
翌日、ロンドンからアメリアの手紙が届いた。
彼女も牧師や管理人を通して、働き手の少ない家や病人のいる家について調べていた。
幼い子供を何人も抱えた未亡人。
冬になって体調を崩した老人。
出産が近い女。
夫が軍へ行ったまま戻らない家。
手紙の最後には、こう書かれていた。
「あなたなら働ける人へ仕事を用意できるでしょう。私は仕事を与えるだけでは助けにくい家を見ます。春になればまた働ける人も多いのでしょうから、今の数か月を越えられないために家族が離れたり、子供が遠くへ働きに出されたりするのは惜しいと思います」
エドワードは管理人に手紙を渡した。
「妻が挙げている家も調査と照らし合わせてください。すでに見ている家もあるでしょう」
管理人は手紙を読み終えると感心した。
「伯爵夫人は、随分細かいところまで調べておられます」
「僕よりこういうことを見るのが上手いのでしょう。船ならカートライト、商売ならウェッブに任せるのと同じです」
「では奥様には、人の暮らしを?」
「少なくとも僕よりは向いているようです。ただし、最後に金額は僕にも見せてください」
「そこはやはり閣下ですな」
「毎年払う金になるかもしれないのだから当然でしょう」
その日から、冬の修繕仕事が増えた。
農作業の少ない男たちは、道路、排水、水路、薪の伐り出し、倉庫、橋や柵の補修へ回された。
大工や石工には専門の仕事をさせ、経験のない者には材料運びや片付けを任せた。
働いた分には賃金を払う。
働けない家には事情を確認したうえで、食糧や薪、必要なら医師を手配した。
数日後、最初の支出見込みが出た。
エドワードは帳簿を読み、管理人へ返した。
「これなら進めてください。道路が直り、家が残り、小作人も春から働けるなら十分です」
「承知しました」
ハロウデンでは、冬だから仕事を止めるのではなく、冬だからこそできる仕事が始まった。
◇ ◇ ◇
12月26日。
エドワードはロンドンへ戻った。
夕食の席で、アメリアにハロウデンの様子を説明した。
「道路や屋根の修理を前倒ししたのですね?」
「仕事のない者がいるのに、直す場所まで放っておく理由がないからな。働けない家については、君が調べたところも管理人に見てもらった」
「脚を怪我した小作人の家は?」
「春まで小作料を待つ。今まで滞納したことがない家だったし、怪我が治ればまた働けるそうだ。今追い出して別の小作人を探す方が面倒だ」
アメリアは笑った。
「あなたは、良いことをしても必ず自分の得になる理由を見つけますね」
「その方が続けやすいだろう? 誰かを助けるたびに自分が損をする仕組みでは、いずれ助けられなくなる」
「それなら私も賛成です」
アメリアは腹部へ手を添えながら続けた。
「3月までには、ハロウデンの方も落ち着きそうですね」
「君はまず自分の方を心配してください」
「あなたに言われるとは思いませんでした」
「僕は今のところ妊娠していないからな」
「それは安心しました」
2人は笑った。
エドワードは妻を見ながら、レベッカのことを思い出した。
告白してから1週間近くたっている。
レベッカから返事はなかった。
商会で会っても、仕事の話しかしない。
約束どおりである。
エドワードも急かさなかった。
だが、彼女が自分の言葉を忘れたとは思っていなかった。
◇ ◇ ◇
12月30日。
エドワードは年末の確認のため商会へ顔を出した。
トーマスはウェッブと新しい取引について話し、アンは書類を整理していた。サミュエルは計算帳を前にして、姉から間違いを直されている。
レベッカは宿舎の年末分の支出をまとめていた。
エドワードが近づくと、彼女は普段どおりに帳簿を差し出した。
「クリスマス分を入れても、最初の見込みより少し安く済みました。石炭をまとめて買った分が効いています」
「来月もこのやり方で?」
「問題がなければ。ただし真冬ですから、石炭を減らして帳尻を合わせるようなことはしませんよ」
「それでいいです。寒い宿舎にして病人を増やしたら、安くした意味がない」
「安心しました」
それだけだった。
人のいるところでは、何も変わらない。
エドワードも余計な視線を送らなかった。
しばらくしてトーマスが仕事を終え、エドワードへ声をかけた。
「1つ認めておく。ここで働くのは悪くない」
「随分偉そうだな。雇われている側だぞ」
「褒めているんだ。ただし船を取られた件は別だからな」
「まだ言うのか?」
マーサーは笑った。
「お前の言葉を借りれば、それとこれとは別だろう?」
エドワードは一瞬言葉に詰まり、すぐに笑った。
「使用料を取るぞ」
「給金から引くなよ」
周囲にも笑いが起きた。
レベッカも笑っていた。
その表情から、彼女が何を考えているのかは読めなかった。
エドワードはそれでよかった。
返事を急がせないと約束した以上、待つしかない。
ただ、何もしないつもりでもなかった。
レベッカが自分を完全に拒んでいないことは分かった。
ならば、次に2人だけで自然に話せる機会を待てばいい。
押しつけるのではなく、逃げるのでもない。
エドワードはそう決めた。
12月31日の夜。
エドワードはアメリアと年越しの夕食を取っていた。
外では冷たい風が吹いていたが、室内は暖炉の火で暖かい。アメリアの出産予定までは約2か月だった。
「2月の終わりからは海へ行かないでくださいね」
アメリアが念を押した。
「まだ年も明けていないのに、もうその話か?」
「今から言っておかないと、直前になって『少しだけなら大丈夫だ』と言い始めるでしょう」
「僕をよく分かってきたな」
「妻ですから」
「分かった。2月の終わりからはロンドンにいる」
「約束ですよ」
「ああ。子供が生まれる時くらいは家にいる」
アメリアは満足した。
年が変われば、また仕事が始まる。
ハロウデンでは冬の修繕が続き、艦隊では12隻目の船を仕上げなければならない。商会にはマーサー一家も加わった。
そして、レベッカからの返事はまだない。
それを考えると落ち着かなかったが、エドワードは急ぐつもりもなかった。
彼女が迷っているのなら、迷う時間まで奪うべきではない。
今は待つ。
ただし機会が来れば、逃すつもりもなかった。




