第7話(後編)「スペイン帝国の財布」 1779年11月21日~11月30日
11月21日。
ヘイル艦隊は、拿捕した8隻を加えた19隻で英国へ向かっていた。
戦闘で帆を傷めたスペイン護衛艦2隻には応急修理を施し、ヘイル側から水夫と船大工を移している。捕虜は武装を取り上げたうえで監視下に置き、航海に必要な作業だけを行わせた。
19隻がまとまって航海するため、帰路の速度は往路より遅い。今回はエドワードも急がせなかった。
「珍しく、もっと速く走れとはおっしゃいませんな」
カートライトが言った。
エドワードは船尾を指した。
「後ろに銀と商品を積んだ船が8隻もいる。急がせて1隻失う方が嫌だ」
「ようやく船を大事にする理由が分かりました」
「前から大事にしている」
「値段が付く時は特に、でしょう」
「当然だ」
帰路でも積荷の確認は続いた。
6隻の商船からは、砂糖、煙草、カカオ、コチニール、インディゴ、皮革、染料などが大量に見つかった。
銀貨と銀塊も1隻だけではなかった。さらに2隻から銀が確認され、合計3隻が大量の銀を積んでいた。
ある船倉で、若い水夫が袋を見ながら首を傾げた。
「伯爵様、こちらは銀ではないようですが」
「コチニールだ。銀貨ほど分かりやすくはないが、高く売れる」
「そんなに値打ちがあるのですか?」
「相場と量による。ただし、こぼした分だけお前たちの取り分も減るぞ」
水夫は袋を抱え直した。
「大事に運びます」
そばで聞いていたカートライトが口元を緩めた。
「随分分かりやすい説明ですな」
「自分の金にもなると分かれば、扱いが変わる」
「戦利品の2割という契約は効いておりますな」
「ああ。僕にもその方がいい」
積荷を無事に英国へ運ぶことは、乗組員自身の取り分にも直結する。船倉から荷を失わないよう扱う者たちの目は、往路よりずっと厳しくなっていた。
◇ ◇ ◇
11月25日。
19隻の船団が英国側の港へ姿を見せた。
先頭のグレイミア号に続き、ヘイル艦隊の船が入り、その後ろには応急修理を施したスペイン護衛艦と大型商船が連なっている。
出航時より8隻も増えた船列を見れば、港が騒ぎになるのも当然だった。
エドワードが上陸すると、知らせを受けて来ていたウェッブが待っていた。
ウェッブはまず伯爵本人の姿を確かめ、それから沖へ目を向けた。
「ご無事で何よりです。奥様には先に使いを出してあります」
「無事だということを最初に伝えたのか?」
「もちろんです。前回、奥様から念を押されましたので」
「助かる」
ウェッブは長い船列を見渡した。
「出航時には11隻だったはずですが、今回は何隻を捕らえたのですか?」
「護衛艦2隻と商船6隻だ。逃げた船はない」
「やはり11隻持たせても増えて帰ってくるのですな」
「そのために数を揃えたんだ」
「そういう目的だったかどうかは疑問ですが」
ウェッブは商船へ目を移した。
「積荷は、どのような内容でしたか?」
「砂糖、煙草、カカオ、皮革、コチニール、インディゴ、染料。それに銀貨と銀塊がある」
「銀は1隻だけですか?」
「3隻から出た」
ウェッブの表情が変わった。
「それは相当な額になりそうですな」
「僕もそう思う」
「喜んでおります。ただ、伯爵閣下が次に何を買うか考え始めるのが少し怖いだけです」
「カートライトも同じことを言っていた」
「船長と意見が一致するとは珍しい」
「嬉しくない一致だな」
拿捕した船は必要な確認と手続きへ回され、船籍や積荷の所有関係、銀貨と銀塊の数量が調べられた。
商船6隻は売却することになった。
護衛艦2隻については、今後も使う価値があるかをカートライトに判断させた。
翌日、エドワードは造船所で2隻を見た。
カートライトは、30門前後を積める大型の護衛艦を指した。
「こちらは速力もあり、帆と索具を直せば十分使えます」
「それなら残す」
「そうおっしゃると思いました」
もう1隻はそれより小さく、船体にも修理を要する箇所が多かった。
「こちらも使えない船ではありません。ただ、速力では最初の船に劣り、修理にも金がかかります」
エドワードは少し船体を眺めた。
「こちらは売ろう」
カートライトが顔を向けた。
「売るのですか?」
「ああ。使う予定の薄い船まで残せば、給金と維持費ばかり増える」
「ようやく、取った軍艦を全部残さない日が来ましたな」
「僕だって何でも欲しがるわけではない」
「これまでの実績がありますからな」
「今回は1隻だけだ」
「それでも艦隊は12隻になります」
エドワードは満足そうに船を見上げた。
◇ ◇ ◇
11月28日。
ロンドンへ戻ったエドワードは、自宅でアメリアと朝食を取っていた。
「本人の顔を見ると、やはり安心します」
アメリアは向かいに座る夫を見た。
「怪我はしていない」
「あなたは、ですね。乗組員の被害はどうだったのですか?」
「負傷者も死者も出た」
アメリアの表情が変わった。
「亡くなった方は何人だったのですか?」
エドワードは、報告を受けていた死者と負傷者の人数を伝えた。
船を8隻捕らえ、大量の商品と銀を得ても、戦闘で死んだ者が戻ることはない。負傷者の中には、長く仕事へ復帰できない者もいる。
「亡くなった方の取り分は、ご家族へ渡すのですね?」
「ああ。出航前の約束どおりだ。負傷者の治療費もこちらで出す」
「それならお願いします」
アメリアはそこで初めて戦利品の話へ移った。
「今回は8隻を捕らえたそうですね」
「商船6隻と護衛艦2隻だ。ただし艦隊へ加えるのは護衛艦1隻だけにする」
「1隻だけなのですか?」
「速くて、30門前後の砲を積める。もう1隻は修理費と維持費を考えて売ることにした」
「カートライト船長に褒められたでしょう」
「なぜ君まで同じことを言うのか?」
「今まで捕らえた軍艦を次々に残してきたからです」
「必要だったからだ」
「今回残す1隻も必要なのですね?」
「もちろんだ。これで12隻になる」
アメリアは笑った。
「結局、そこは嬉しいのですね」
「使える船が増えたんだから当然だろう」
「銀はどの程度あったのですか?」
「まだウェッブが計算している。ただ、かなりある」
「それでは金額が確定するまで使わないでください」
「使わない」
「本当に何も買わないのですか?」
「まだ何を買うか決めていない」
「それは、使わないとは違います」
「君までウェッブみたいなことを言うようになったな」
「ウェッブさんの心配が正しいのでしょう」
◇ ◇ ◇
11月30日。
ウェッブの事務所に、今回の戦利品についての計算書が揃った。
机の上には商船ごとの評価、積荷、銀貨、銀塊、売却する護衛艦などの書類が重ねられている。
エドワードは席へ着くと、ウェッブを見た。
「すべての金額が出たのか?」
「現時点で分配対象として確定できる分は出ました」
「いくらになったのか?」
ウェッブは計算書を差し出した。
「142万ポンドです」
エドワードは紙に書かれた数字を見た。
1,420,000ポンド。
「間違いではないのだな?」
「何度も確認しました。今回の金額を大きく押し上げたのは銀ですが、砂糖、煙草、コチニール、インディゴ、カカオも高値が付きました。商船6隻と売却する護衛艦にも値段があります」
エドワードは計算した。
「僕の8割が113万6,000ポンド。乗組員には28万4,000ポンドか」
「そのとおりです」
1回の航海で、エドワード自身の取り分だけでも100万ポンドを超えた。
「ハロウデンを買った72万ポンドより多いな」
「新本邸の予算を加えた約100万ポンドよりも上です」
エドワードは計算書を見ながら笑った。
「スペインは金持ちだな」
「帝国ですから」
「敵になってくれて助かる」
「英国人として、もう少し言い方があると思いますが」
「フランスとスペインに勝つため、今後も力を尽くす」
「急に立派になりましたな」
「意味は同じだ」
ウェッブも笑った。
「乗組員側の28万4,000ポンドについても、各船の持ち分や役職、戦闘への参加などに応じて分配します。一般の水夫でも、通常の給金とは比べものにならない額を受け取る者が出ます」
「約束どおり払ってくれ。死者の分は遺族へ、負傷者の分も減らすな」
「すでにそのように進めています」
ウェッブは別の紙を取り出した。
「もう1つ、今回の航海で状況が変わったことがあります」
「何が変わったのか?」
「乗組員の募集です。港ではすでに、ヘイル伯爵の船団がスペイン船8隻を捕らえ、銀を持ち帰ったことが広まっています。それに、戦利品の2割が乗組員へ分配されることも知られ始めました」
「乗せてほしいという者が来ているのか?」
「ええ。経験のある水夫や砲手まで志願しています。数十人では済まないでしょう」
「それなら12隻目の人員も集めやすいな」
「ただし、誰でも乗せるわけにはいきません」
「選ぶのはカートライトに任せる。経験者を優先して、新しい船にも古参を混ぜればいい」
「これまでと同じやり方ですな」
「ああ。急いで人数だけ揃える必要はない」
そこへ事務所の扉が開いた。
外出の途中で立ち寄ったアメリアだった。
「計算が出たと聞きました」
「ちょうど出たところだ」
「いくらだったのですか?」
ウェッブが答えた。
「分配対象額が142万ポンド。伯爵閣下の取り分は113万6,000ポンドです」
アメリアは一瞬黙り、それから夫を見た。
「それだけあれば、しばらく使い道を考えなくても困りませんね」
「僕もまだ何も買うとは言っていない」
「では、その計算書を見ながら何を考えていたのですか?」
「12隻目の乗組員のことだ」
ウェッブが口元を緩めた。
「それは本当です、奥様。少なくとも今のところ、新しい土地を買う話は出ておりません」
「『今のところ』なのですね」
「2人とも僕を何だと思っているのか?」
アメリアとウェッブは顔を見合わせた。
エドワードは答えを聞く前に計算書を取り上げた。
「もういい。今日はこの113万6,000ポンドを使わずに帰る」
「今日だけですか?」
「少なくとも今日はな」
造船所では、スペインから奪った30門級の護衛艦が修理を待っている。港では、その船へ乗りたいという経験者も集まり始めていた。
エドワードは113万6,000ポンドと書かれた計算書を手に、アメリアと一緒にウェッブの事務所を出た。




