第6話(後編1)「ハロウデンの収穫祝い」 1779年10月21日~10月25日
10月21日と22日は、祭りを前に最後の準備へ使われた。
料理に使う肉や野菜、パンが所領内と近隣から集まり、エールとサイダーの樽も次々に運び込まれた。牧草地では机や長椅子の配置を確認し、馬車や馬を置く場所には目印を立てた。
23日の朝は晴れていた。
夜明けのころには草に白い露が残り、吐く息がわずかに白くなったが、日が高くなるにつれて気温は上がった。
古い本邸の南側にある牧草地では、早朝から料理人や使用人、村から集められた手伝いが動いていた。大きな肉の塊が火の近くへ運ばれ、焼けた脂が炭へ落ちるたび、煙と香ばしい匂いが立ち上った。別の場所では大鍋から湯気が上がり、パンを積んだ荷車が次々に到着する。
エールとサイダーの樽も並び、長机には皿や木杯が用意されていた。菓子や果物を置く場所には、準備中の子供が近づかないよう人を立たせている。
午前9時を過ぎるころから、村々から人が集まり始めた。
歩いて来る者もいれば、荷車へ家族を乗せて来る者もいる。馬で来る者、老人の手を引く若者、普段より良い服を着た女性たちもいた。子供は大人より早く牧草地へ走り出し、親に呼び戻されている。
牧草地は急速に人で埋まり始めた。
エドワードは古い本邸の窓からその様子を見ていた。
「思っていたより多いな」
「だから言ったでしょう。まだ来ていますよ」
「食事は本当に足りるのか?」
「昨日、あなたが同じことを3回聞いたので確認しました。十分あります」
「それなら安心だ」
アメリアは夫の服装を見た。
「今日は海へ出る時とは随分違いますね」
「祭りだからな」
「拳銃まで置いてきたのですか?」
「持っている」
「なぜ持っているのですか?」
「普段から持っているからだ。撃ちはしない」
「その言葉を覚えておきます」
「君は僕を何だと思っているのか?」
「的を見ると撃ちたくなる人です」
「今日は的がない」
「それなら安心です」
午前10時ごろ、伯爵夫妻が牧草地へ姿を見せた。
それまで騒がしかった人々の間に、少し緊張が走った。この1か月にエドワードが訪ねた農場や村の者もいるが、大半は新しい領主を近くで見るのが初めてだった。
エドワードは用意されていた一段高い場所へ上がった。長い挨拶をするつもりはなかった。
「今年の収穫、ご苦労だった」
声を張ると、周囲が静かになった。
「僕がこの土地を買ったのは今年だ。去年まで、ここでどんな収穫祝いをしていたのか全部知っているわけではない。ただ、52,000エーカーもあるのに、皆が別々に飲んでいるのは面白くないと思った」
あちこちから笑いが起きた。
「今日は僕が払う。食べて、飲んで、遊んでくれ。ただし、飲みすぎて喧嘩はするな。怪我をしても、今日はフランス人のせいにはできない」
今度は大きな笑いが広がった。
「それから、地代の話はしない。来年の地代に話があるなら、来年きちんと話す。今日は収穫祝いだ。それだけだ」
噂が伯爵本人の耳にも届いていたと知り、気まずそうに隣を見る者もいた。
エドワードはアメリアへ顔を向けた。
「アメリアからも一言頼む」
「そういうことは先に言ってください」
「今言った」
周囲からまた笑いが起きた。
アメリアは前へ出た。
「今日は子供たちにも競走を用意しています。参加した子には小さなお菓子があります。ただし、走る前に食べすぎないでください」
子供たちのいる方から声が上がった。
「奥様方も遠慮せず食事を取ってください。今日は伯爵が払います」
エドワードが横から口を挟んだ。
「そこを強調するのか?」
「大事でしょう?」
「まあいい」
祭りが始まった。
最初に人が集まったのは料理の周囲だった。
焼いた牛肉と羊肉が切り分けられ、パンとともに皿へ載せられる。豚肉も出され、チーズや野菜、温かい煮込みが続いた。普段これほど多くの肉を一度に食べる機会がない者も多い。
子供たちは菓子の置かれた机を何度も気にしていたが、係の者から競走の後だと言われ、名残惜しそうに振り返りながら離れていった。
エドワードとアメリアにも伯爵夫妻用の食卓が用意されていたが、2人だけ屋敷へ戻って別の料理を食べることはしなかった。牧草地の一角に置かれた席へ座り、管理人や主だった農場主たちと同じ会場で食事を取った。
エドワードは焼いた牛肉を食べながら周囲を見た。
老人たちがエールを飲み、その少し先では子供がパンを持って走って母親に捕まっている。楽師が演奏を始めると、離れた場所からも人が集まってきた。
海の甲板とはまるで違う騒がしさだった。
「2,000ポンドを用意した甲斐はあったな」
「全部使ったわけではありませんよ」
「最終的には、どの程度残りそうなのか?」
「まだ計算は終わっていませんが、かなり残ると思います」
「それなら、もう少し使ってもよかったな」
「そういうことを言わないでください」
◇ ◇ ◇
午後になると競技が始まった。
若者たちの徒競走には、最初から大勢の観客が集まった。1位5ポンドという賞金は、参加する者にとって冗談ではない額である。
管理人が最後に確認した。
「本当に1位へ5ポンドお渡しするのですね?」
「約束した以上、そのとおりに出す」
走者が並ぶと、エドワードはその中に、数日前に訪ねた農場で働いていた若者がいることに気付いた。
「東の農場で見た若者がいるな」
アメリアがそちらを見た。
「名前まで覚えているのですか?」
エドワードは少し黙った。
「そこまでは覚えていない」
「まだまだですね」
「52,000エーカーあるんだぞ」
「だから何度も来るのでしょう?」
「そういうことにしておこう」
競走が始まると、観客の声が一斉に上がった。
若者たちは草地を全力で走り、最後は2人がほとんど並んでゴールした。勝ったのは、エドワードが見覚えのあった若者だった。
賞金を渡す時、エドワードは名前を尋ね、一度聞き返してから覚えた。
「5ポンドだ。全部酒にするなよ」
周囲から笑いが上がる。
「母に渡します」
「それがいい」
次に組み合いが始まると、こちらはさらに盛り上がった。
大柄な農場労働者同士が組み合い、観客が輪になって勝負のたびに歓声を上げる。
エドワードは途中から立ち上がって見ていた。
「自分も出たいと思っているのでしょう?」
アメリアが言った。
「少しだけな」
「駄目です」
「分かっている。伯爵が領民相手に本気で組み合うのも妙だ」
「分かっているなら結構です」
子供の競走では、途中で転んで泣き出す子がいた。別の子は走る方向を間違えた。それでも参加した子供には菓子が渡され、ほとんど全員が満足して家族のところへ戻った。
夕方が近づくと、楽師の周囲で踊りが始まった。若い男女だけではなく、酒の入った中年の農場主まで加わり、妻に引っ張られて輪へ入る男もいた。
アメリアがエドワードへ手を差し出した。
「少し踊りませんか?」
「ここで踊るのか?」
「舞踏会では踊るでしょう」
「靴が泥になるぞ」
「昨日まで自分から泥の農道を歩いていた人が何を言っているのですか?」
エドワードは笑って立ち上がった。
「それもそうだな」
伯爵夫妻が踊りへ加わると、周囲は最初こそ驚いたが、音楽が続けばいつまでも2人だけを見ている者はいなかった。
エドワードは宮廷でも舞踏会でも踊ってきた。しかし牧草地の上は床のように平らではない。靴の底には土が付き、少し油断すれば足を取られる。
アメリアも体に無理のない範囲で夫と踊り、しばらくして席へ戻った。
日が落ちるころ、牧草地の周囲に灯りがともされた。秋の空気は急に冷え始めたが、料理の火はまだ残り、温かい飲み物や食事を求める者もいた。
エドワードは少し離れた場所から祭りの様子を眺めた。
楽師の音楽に、人々の話し声と笑い声が重なる。食器が触れ合う音が聞こえ、子供が走り回っている。風向きが変わるたび、焼いた肉と薪の煙の匂いが流れてきた。
帳簿では農場名と地代の額に分かれていた人々が、今は同じ牧草地を埋めている。
エドワードは、その光景をしばらく黙って見ていた。
24日と25日は祭りの後片付けに使われた。村へ帰る者を見送り、借りた机や長椅子を返し、空になった樽を集めた。大きな事故も起きなかったと聞き、エドワードはようやく祭りが無事に終わったことを実感した。




