第3話(中編)「伯爵夫人の情報」 1774年3月11日~3月20日
3月11日、シャーロットは約束どおりレイヴンズクロフト邸を訪れた。
昼食にはキャサリンも同席していたため、シャーロットは服や劇場について話すだけで、東インド会社には一度も触れなかった。
食後、キャサリンが家政婦と話すため席を外した。使用人が紅茶を置いて部屋を出たところで、シャーロットが本題へ入った。
「私の夫は、東インド会社株をかなり持っていたの」
「夫人だけではなかったのですか」
「夫の持ち分は私の10倍以上よ。先週、そのかなりの部分を売ったわ」
エドワードはカップを置いた。
「理由を聞かせてください」
「会社の資金事情が、シティで思われているより悪いらしいの」
「どの程度です?」
「そこまでは私も知らないわ」
シャーロットは周囲に人がいないことを確かめてから続けた。
「先週、夫のところへ東インド会社の関係者が2人来たの。途中まで私も同じ部屋にいたけれど、あの人たちは私が金の話を聞いているとは思っていなかったのでしょうね。インドから入る予定だった金と手形が、予想よりかなり少ないと話していたわ」
「それで会社の資金繰りが苦しくなる?」
「去年、政府に助けてもらったばかりでしょう。それなのに、また金が足りなくなるかもしれない。そのことを近いうちに公にしなければならない、と話していた」
前年、東インド会社が大きな財政難に陥り、政府の支援を受けたことはエドワードも知っていた。市場が会社の経営は落ち着いたと思っているところへ、再び資金難の話が出れば、株価に影響する可能性は高い。
「伯爵は、その話を聞いて株を売ったのですか」
「ええ。私は夫に言われて自分の持ち分を売ったわ」
「訪ねてきた2人は?」
「少なくとも1人は売っているそうよ」
「いつ公になるのです?」
「分からない。でも夫は、2週間もかからないだろうと言っていた」
十分に価値のある話だったが、エドワードは聞いたその場で25ポンドを賭けようとは思わなかった。シャーロット自身が東インド会社の帳簿を見たわけではなく、彼女が聞いたのも夫と会社関係者の会話である。
「夫人は、なぜ僕に教えるのです?」
「あなたが知りたがったからよ」
「それだけですか」
「25ポンドしか持っていないと言いながら、それを増やそうとしているあなたが面白かったの。それに、本当に何かするのか見てみたいわ」
「情報が間違っていたら?」
「私も自分の株を全部売ったのよ。何の根拠もない話をあなたへ教えているわけではないわ」
「それなら、信用する理由にはなります」
「ずいぶん用心深いのね」
「僕にとって25ポンドは全財産ですから」
シャーロットは笑った。
「そこまで慎重なら、自分でも確かめてきなさい」
「そのつもりです」
◇ ◇ ◇
翌日、エドワードは1人でシティへ向かった。
王立取引所の周辺には商人や書記、銀行家、仲買人が集まり、Exchange Alleyでは政府証券、東インド会社株、南海会社株などの値段が飛び交っていた。
東インド会社株は160前後で取引されている。
シャーロットが聞いた悪材料は、まだ広く知られていないらしい。それどころか、前年の危機を乗り越え、政府の監督下に入ったことで会社は落ち着いたと話す者もいた。
エドワードは金を出さず、午前中いっぱい周囲の会話を聞いた。
昼近くになって、大口の売り注文について話す男たちがいた。誰の注文なのかまでは分からなかったが、ここ数日、まとまった株を持つ者が何人か売りに回っているという。
それはシャーロットから聞いた話と一致していた。しかし、大口保有者が売っているだけでは、会社の財政難まで確認したことにはならない。その日も取引はせず、さらに材料を待つことにした。
◇ ◇ ◇
3月14日、シャーロットから短い手紙が届いた。翌日の午後、ウェストベリー伯爵邸へ来るよう書かれている。
エドワードは姉に手紙を見せた。
「シャーロット夫人から呼ばれました」
キャサリンは文面を読んだ。
「何の用なの?」
「株の話だと思います」
「本当にそれだけ?」
エドワードは姉を見た。
「夫人が僕に興味を持っていることは分かっています」
「エドワード」
「隠しても仕方がないでしょう」
キャサリンは困った顔をした。
「私はあなたの母親ではないから、何から何まで止めるつもりはないわ。でも、あの方は人妻よ。伯爵もまったく何も知らないわけではないでしょうけれど、家名が傷つくような騒ぎになれば話は別よ」
「分かっています」
「新聞に名前が載るような真似だけはしないで」
「そのくらいは考えます」
翌日、エドワードがウェストベリー伯爵邸へ行くと、シャーロットのほかに50歳ほどの男が待っていた。
「ナサニエル・ウェッブ。私の株を扱っている人よ」
紹介されたウェッブはエドワードを見た。
「グレイミア男爵のご子息ですな」
「そうです」
「夫人から伺いました。東インド会社株が下がる方へ金を賭けたいそうで」
エドワードはシャーロットへ目を向けた。
「そこまで話したのですか」
「話さなければ、この人を呼べないでしょう」
ウェッブが本題へ入った。
「おいくらお持ちです?」
「25ポンドです」
ウェッブはすぐには返事をしなかった。
「25ポンドですか」
「はい」
「その金で東インド会社株を?」
「現物を買うつもりはありません。値段が下がった時に利益が出る取引ができると聞いています」
「できます。ただし、25ポンドしか持たない方が普通する取引ではありません」
「仕組みを説明してください」
ウェッブは紙へ数字を書いた。
「たとえば、東インド会社株を現在の160で将来売る約束をします。決済時に135まで下がっていれば、その差額が利益になります」
「今、株を持っていなくても?」
「そういう取引もできます」
「僕の25ポンドで、どのくらいの取引ができます?」
「普通なら、その資金では相手にしません」
そこでシャーロットが口を挟んだ。
「私の取引として扱えば?」
ウェッブの表情が変わった。
「夫人が保証なさるのであれば話は別です」
エドワードはすぐに意味を理解した。
「僕が払えない損失を出した場合、夫人が負担することになるのですね」
「そうなるわ」
「その分は僕が夫人へ返さなければならない」
「後で返せばいいでしょう」
シャーロットは簡単に言ったが、損失が数百ポンド、まして1,000ポンドに達すれば、今のエドワードには簡単に返せない。
ウェッブが言った。
「やめるなら今のうちです」
エドワードは紙の数字を見た。
「名目1万ポンド分なら、1ポイント動くといくらです?」
「100ポンドです」
「1ポイント下がれば100ポンドの利益で、上がれば100ポンドの損失になる。それなら5ポイント上がれば500ポンドの損ですね」
「そのとおりです」
自分が持つ25ポンドの20倍になる。危険の大きさは分かったが、フリート街で1シリングずつ稼ぐ方法では父が領地を売るまでに間に合わない。
「やります。名目1万ポンド分を160で売ります」
ウェッブはエドワードを見た。
「決済は月末です。それでも?」
「構いません」
シャーロットが尋ねた。
「25ポンドはどうするの?」
「全部預けます」
エドワードは革袋を机へ置いた。
ウェッブは最後に念を押した。
「相場が逆へ動けば、その25ポンドだけでは済みません。損失が膨らんだ場合には、夫人の口座を守るため私の判断で取引を閉じます。その時点の不足分は、あなたが夫人へ返すことになります」
「分かっています」
シャーロットが尋ねた。
「怖くないの?」
「怖いですよ。でも25ポンドを失うのが怖くて何もしなければ、家の1万5,000ポンドの借金は減りません」
ウェッブは条件を確認して書類を用意した。
エドワードは署名し、1月から守ってきた25ポンドをすべて預けた。
◇ ◇ ◇
ウェッブが帰った後も、エドワードはしばらく屋敷に残った。
「これで、本当にやる人だということは分かったわ」
シャーロットが言った。
「失敗するかもしれません」
「それも含めて見ているのよ」
「ずいぶん高い見物料になりそうですね」
「あなたが負ければ、私にも請求が来るものね」
2人は笑った。
それからエドワードとシャーロットは、社交の場で会えば以前より長く話すようになり、人目を避けて言葉を交わすことも増えた。シャーロットには伯爵家での生活があり、エドワードもそれを変えようとは考えていないため、将来について約束することはなかった。
エドワードは彼女と過ごす時間を楽しむ一方で、シャーロットが自分には届かない場所から情報を得られる人物であることも理解していた。本人にとって、その2つは矛盾するものではなかった。
◇ ◇ ◇
取引開始から最初の2日間、東インド会社株は159から161の間を動き、大きな変化はなかった。
ところが3日目に162、翌日には164まで上がった。160で売っているエドワードにとって、4ポイントの上昇は400ポンドの損失になる。
ウェッブからも連絡が来た。165を超えるようなら、シャーロットの口座を守るため取引を閉じることを考えるという。そうなれば、エドワードは500ポンド前後の借金を負う。
その夜、シャーロットと会うと、夫人から尋ねられた。
「やめる?」
「今閉じれば400ポンドほどの損です。逃げても借金だけ残ります」
「それでも上がり続けるかもしれないわ」
「その場合はウェッブが閉じるでしょう。それより、会社について新しい話はありませんか」
シャーロットは、夫が前日も東インド会社について話していたことを教えた。
「発表が遅れているだけで、出さずには済まないらしいわ」
「いつ頃です?」
「数日から1週間ほどだと言っていた」
「それは夫人が直接聞いたのですね」
「ええ」
エドワードは取引を続けることにした。
「持ちます」
「私が嘘をついていたらどうするの?」
「夫人は僕へ話す前に自分の株を売っています。その点は信用しています」
「私自身は?」
「それは株とは別でしょう」
シャーロットは呆れたように笑った。
「本当に可愛げがないわね」
「夫人が株の話を持ってくるからです」




