第5話(前編2)「66隻の敵艦隊」 1779年9月6日~9月10日
王宮でエドワードを待っていたのは、普段のような戦果報告の場ではなかった。
ジョージ3世の前には大きな海図が広げられ、英仏海峡、英国南岸、フランス西岸の各所にいくつもの印が付けられていた。
エドワードが入ると、国王は挨拶もそこそこに海図を示した。
「見ろ」
エドワードは机へ近づいた。
「フランスとスペインの連合艦隊ですか?」
「そうだ。時期によって数は変わっているが、最も集まった時には戦列艦だけでも60隻を超えたと見られている。66隻という報告もある」
エドワードは海図から国王へ目を移した。
「それは私の船団で相手にする規模ではありません」
ジョージ3世は笑った。
「余も分かっている。お前に66隻へ突っ込めとは言わぬ」
「それを聞いて安心しました」
「本当に安心した顔をするな」
「陛下でも、たまには無理な命令をされるのかと思いました」
「お前は余に対して遠慮がなくなったな」
「伯爵にしていただいてから少しだけです」
「少しではない」
国王は海図へ目を戻した。
「敵の大艦隊は病気と補給不足にも苦しんでいるらしい。天候にも恵まれておらぬ」
「それなら、近いうちに引き揚げる可能性もあるのですか?」
「ある。だが、退き始めたからといって安全になったわけではない。英国海軍は敵主力から目を離せぬ」
エドワードは海図に記された敵艦隊の位置を追った。
「それで、私には何をさせるおつもりですか?」
「主力とは戦うな」
「それなら得意です」
「胸を張って言うな」
「勝てない相手と戦わないのは大事です」
「それは認める」
ジョージ3世はフランス西岸とスペイン北岸を指した。
「これだけの艦隊を動かすには食糧も水も火薬も要る。帆、縄、木材も必要だ。病人が増えれば薬も要る」
そこまで聞けば、国王が求めている仕事は分かった。
「連合艦隊へ向かう補給船を捕らえればよいのですね」
「捕れるなら捕れ。沈めるだけでも意味はある」
「できれば沈めずに拿捕したいところです」
「理由は聞かなくても分かる。沈めれば売れなくなるからだろう」
「そのとおりです」
国王は呆れたように笑った。
「相変わらずだな」
「陛下が私を呼ばれた理由にも、そのあたりが含まれているのでしょう」
「海軍だけでは手が回らぬ。お前には8隻ある。しかも速い」
「補給船を探すための情報はいただけるのですか?」
「海軍側から出せるものは出させる。だが、お前のウェッブとやらも使え」
「最初からそのつもりです」
ジョージ3世は改めて念を押した。
「敵主力へ近づきすぎるな。戦列艦が数隻見えた場合は、どうするつもりだ?」
「逃げます」
「10隻もいた場合は、どうするつもりだ?」
「見つかる前に逃げます」
「よし。それくらいでいい」
英国海軍が敵の大艦隊を監視している間、その周囲を動く補給船まで十分に追い回す余裕はない。
エドワードの船団に求められたのは、戦列艦へ挑むことではなかった。敵の主力を養い、戦い続けさせるための物資を途中で奪うことだった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、エドワードは約束どおり夕食に間に合った。
「今日は本当に帰ってきましたね」
アメリアは夫の姿を見ると、少し意外そうに言った。
「約束しただろう」
「努力すると言っただけでした」
「結果は同じだ」
「今日は認めます」
食卓には魚料理、野菜、パン、スープが並んでいた。アメリアは最近、脂の多い肉より魚の方が食べやすいらしい。
エドワードは食事を取りながら、王宮で聞いた話を妻へ説明した。
「戦列艦が66隻も集まったのですか?」
「それくらい集まった可能性があるらしい」
「まさか、あなたがその艦隊と戦うわけではありませんよね」
「陛下にも最初に、僕の船団で相手にする規模ではありませんと申し上げた」
「陛下にはっきりそう言ったのですか?」
「ああ。陛下自身も僕の8隻で相手にできるとは思っていない」
「それでは、何を頼まれたのですか?」
「連合艦隊へ向かう補給船を捕れと言われた」
アメリアは少し考えた。
「66隻もの軍艦には、全部でどのくらいの兵が乗っているのですか?」
「正確には知らない。何万人かにはなるだろうな」
「それだけの人数を毎日食べさせ、水も飲ませなければならないのですね」
「ああ。火薬も砲弾も要るし、傷んだ船を直す材料も必要になる」
「それなら、軍艦そのものより補給を止める方が効きそうですね」
「陛下も同じ考えだ」
アメリアは魚を一口食べてから言った。
「屋敷でも似たようなものです」
「屋敷と同じというのは、どういう意味だ?」
「100人を招く晩餐会を考えてください。大広間がどれほど立派でも、厨房に食べ物が届かなければ何もできません。人数が何万人になっても、食べなければ働けないことは同じでしょう」
「なるほど」
「船の上なら、足りないからといって簡単に町へ買いに行くこともできません。それに、補給船を取れば敵が困るだけではなく、積んでいる物もこちらのものになります」
エドワードは妻を見た。
「食糧や帆布、火薬を英国側へ売るつもりか?」
「品質に問題がなければ、英国海軍でも使えるのではありませんか? 火薬や帆布まで使えるなら、わざわざ別の売り先を探す必要もありません」
「砂糖やコーヒーなら商人へ売り、軍が使う物は軍へ回す。確かにその方が早いな」
エドワードは口元を緩めた。
「君はいつから商人になったのか?」
「あなたと結婚してからです」
「それは悪かった」
「悪いとは言っていません」
アメリアも笑った。
「ただ、1つだけ約束してください。補給船の向こうには66隻の戦列艦がいることを忘れないでくださいね」
「忘れない」
「軍艦を見つけるたび、自分の船にしたいと思って無理な戦いをしてはいけません」
「勝てる相手しか狙わない。そこはカートライトにも判断させる」
「それなら安心できます」
翌朝、エドワードはウェッブを呼んだ。
海軍から提供される情報と、ウェッブが独自に集める商船や補給船の動きを照らし合わせ、フランスとスペインの大艦隊へ向かう物資の流れを探すためである。
事情を聞いたウェッブは海図を広げた。
「今回は、いくら稼ぐかではなく敵艦隊の補給線を狙う仕事なのですな」
「ああ。国王陛下から頼まれた。ただし、捕らえた船と積荷は僕の物だ」
「そこは変わらないのですな」
「変える理由がない」
「では探しましょう。軍需品については、品質や規格が合えば海軍へ売れます。火薬、帆布、索具、食糧などは特に需要があるでしょう」
「アメリアも昨夜そう言っていた」
「奥様も同じことを考えておられたのですか?」
「ああ。僕より先に売り先まで考えていた」
ウェッブは納得したように頷いた。
「奥様は捕らえた後まで見ておられるわけですな」
「僕はまだ捕まえてもいないからな」
「それにしても、よく似たご夫婦です」
「本人には言うな。喜ぶから」
9月10日までに、狙うべき船団の情報が絞り込まれた。
スペイン北岸からフランス西岸へ向かう補給船団があり、そこからさらに連合艦隊へ物資を送る計画があるらしい。船の正確な数は分からないが護衛艦が付き、積荷も食糧だけではなかった。火薬、砲弾、帆布、索具、修理用資材のほか、軍の支払いに使う銀貨まで積んでいる可能性がある。
エドワードは海図を見た。
「これにする」
ウェッブが確認した。
「今回も、見つけた船をすべて狙うおつもりですか?」
「実際に相手を見てから決める。戦力が情報どおりなら、取れるだけ取る」
「その答えなら安心できます。現場ではカートライト船長の意見も聞いてください」
「ああ。そのうえで8隻全部を出す」
出航の準備は、その日のうちに始められた。




