第2話(中編)「妻に宮殿を」 1779年6月11日~6月20日
6月11日。
エドワードは、ハロウデン所領を72万ポンドで購入することで合意したとアメリアへ伝えた。
「最初は78万ポンドだったのに、6万ポンドも下がったのですね」
「向こうはまとまった現金を必要としている。借金せず一括で払えることが、こちらには大きな武器になった」
「これから暮らす土地まで、あなたの手にかかると商売になりますね」
「金を払う以上、そこは同じだ。ただ、買った後は僕たちの家になる」
エドワードは机にハロウデンの地図を広げ、高台の位置を指した。
「前に見た場所へ本邸を造りたいと思っている。君もあの高台を気に入っていたのだろう?」
「ええ。私もあの高台がいいと思います」
「それなら建築家に現地を見せよう。正面を南へ向け、門から本邸まで長い進入路を取れるかも確認したい」
アメリアは地図を見ながら笑った。
「門を入ってすぐ玄関が見えるような家では、あなたは満足しないのでしょうね」
「52,000エーカーあるんだ。景色も土地の広さも生かした方がいい。伯爵家の本邸なのだから、ある程度は堂々としていてほしい」
「少しは見せつけたい気持ちもあるのですか?」
「それは否定しない」
「正直で結構です」
数日後、ロンドンで名の知られた建築家がハロウデンへ呼ばれた。
エドワードとアメリア、ウェッブも現地へ向かった。
高台には測量の杭が打たれ、建築家と助手たちが土地の高低を調べている。夏の日差しは強かったが、高台には風が通り、眼下には濃くなった緑と、日光を反射する川が見えた。
建築家は最初に、一般的な伯爵家の大邸宅を想定した案を説明した。中央に本館を置き、左右へ翼棟を伸ばす。正面には車寄せ、背後には庭園を設け、内部には主人夫妻の居室、晩餐室、応接室、客室、使用人区画を配置するという。
説明を聞き終えたエドワードは、必要な設備をまとめて伝えた。
「正式な晩餐会だけでなく、大人数の舞踏会を開ける部屋も欲しい。絵画を置ける長い画廊と大きな図書室も必要だ。それから、国王陛下と王妃陛下をお迎えする可能性を考え、通常の客室とは別に十分な広さの客室群を用意してほしい。随員や護衛の宿泊場所も必要になる」
建築家は一瞬驚いたものの、すぐに紙へ書き込み始めた。
「そこまでの規模を想定するのでしたら、最初の案よりかなり大きくする必要があります。王族用の客室は寝室だけでは足りませんので、居間や控室を含む一続きの部屋として設計いたします」
「王妃陛下の部屋も別にしてくれ。実際にお越しになるかどうかは別として、迎えられる家にはしておきたい」
「承知しました」
少し離れて見ていたアメリアが、ウェッブへ視線を向けた。
「建築家の顔を見ていると、エドワードがお金を使う話を始めた時のあなたを思い出します」
ウェッブは平然と答えた。
「私は5年ほど付き合っておりますので、最近では驚く前に帳簿を用意するようになりました」
「聞こえているぞ」
「聞こえるように申し上げております」
その日の午後までに、新本邸の規模は当初案よりかなり大きくなっていた。
中央本館には大広間と大階段を設け、正式な晩餐会に使える大食堂、大人数を招ける舞踏室、長い画廊、大きな図書室、音楽室、複数の応接室を配置する。エドワードとアメリアには寝室だけでなく、居間や衣装室などを含む一続きの私的な居室を用意することになった。
国王夫妻を迎える場合に備えた客室群も別に設け、左右の翼棟には多数の客室を置く。使用人が客の前を横切らずに厨房や客室との間を行き来できるよう、裏側の通路も計画へ加えられた。厨房、貯蔵庫、洗濯場、使用人食堂などは表側から目立たない場所へまとめる。
さらに、大厩舎と馬車庫も必要だった。
建築家が一般的な伯爵家なら30頭から40頭の馬を収容できれば十分だと説明すると、エドワードは首を横に振った。
「僕たちの馬だけでなく、宿泊する客の馬や狩猟用、馬車用まで考える必要がある。最初から全部を埋めるつもりはないが、将来困らないよう100頭まで収容できる規模にしてほしい」
ウェッブはさすがに数字を確認した。
「100頭分を最初から造るのですか?」
「後で厩舎だけ継ぎ足すより、その方がいい。飼料庫、馬具室、馬車庫、厩務員の区画も一緒に考えておいてくれ」
アメリアは夫を見た。
「今すぐ100頭を飼うわけではないと聞けただけでも安心しました」
「必要になった時に入らなければ困るから、場所だけは用意しておきたい」
「あなたの場合、空いている場所を見ると本当に馬を増やしそうですね」
「それは必要になってから考える」
建物正面には広い芝地を取り、その先へ長い進入路を延ばす。背後には整形式の庭園を置き、さらに外側には既存の林や牧草地を生かした広い庭を設ける。川から水を引き、一部を広げて湖を造る案まで出た。
アメリアは増えていく図面を眺めた。
「これでは、伯爵家の邸宅というより宮殿に近くなりそうですね」
「名前はハロウデン・ハウスでいい。僕たちが暮らし、客を迎えるための家だ」
「名前を控えめにしても、建物の大きさまでは控えめになりそうにありませんね」
「中途半端に造って後から困るよりはいい」
建築家は主人夫妻の会話には口を挟まず、増えた要望を図面へ反映していった。
◇ ◇ ◇
6月16日。
ロンドンへ戻ったエドワードとアメリアは、建築家がまとめ直した最初の計画案を確認した。
以前の案とは比べものにならないほど大きな図面になっている。
アメリアは自分たちが暮らす区画を詳しく見た。
「私の寝室の隣に居間、その先に衣装室と来客用の部屋を置くのですね。思っていたよりずっと広くなりました」
「公爵家で暮らしていた君が狭いと感じるような部屋にはしたくない。それに客を迎えるなら、私室と応接の場所を分けた方がいいだろう」
「掃除をするのは私ではありませんから、使用人の動線さえ無理がなければ広い方が便利かもしれません」
アメリアは図面の反対側を指した。
「こちらがあなたの書斎ですね。隣の部屋まで地図を見るために使うのですか?」
「海図だけではなく、所領の地図や商売の資料も広げたい。仕事をするなら、大きな机が置ける部屋が必要だ」
「新婚なのですから、書斎の方が寝室より居心地がよくならないようにしてください」
「そこは気を付ける」
その後はアメリアが中心となり、舞踏室や晩餐室、客室の使い勝手を確認した。
舞踏室には十分な広さを取り、その近くに女性客が休める部屋を用意する。大規模な晩餐会でも料理が冷めないよう、厨房から大食堂までの距離と通路を考える。王族用の客室は十分な格式を持たせる一方、主人夫妻の私室から離れすぎない位置へ置くことになった。
エドワードは、この部分について細かな指示を出さなかった。
船の甲板なら自分にも多くの意見がある。しかし、大規模な晩餐会や舞踏会を開く屋敷の使い勝手については、公爵家で育ったアメリアの方がはるかに詳しい。
話が一区切りしたところで、ウェッブが見積書を開いた。
「では、そろそろ総事業費について確認させてください」
「ここまで大きくすれば、安く済まないことくらいは分かっている。今の計画なら、総事業費がどの程度になるか教えてくれ」
「建物本体と内装に加え、大厩舎、馬車庫、庭園、湖、進入路、使用人棟、家具や一部の調度品まで含めると、最初に確保しておくべき額は約28万ポンドです。工事中に変更が出れば増える可能性はありますが、現在の計画ならその程度を見込むべきでしょう」
アメリアは金額を聞き、改めて図面を見た。
「28万ポンドとなると、私が思っていたより大きな工事ですね。この計画をそのまま進めるつもりですか?」
エドワードも図面へ目を落とした。
自分1人が住めればよい家ではない。ヘイル伯爵家の本邸として、これから家族が暮らし、客を迎え、次の代へ残す建物である。アメリアが公爵家で身につけた経験を生かせる家でもあった。
「今の計画で進めよう。28万ポンドを予算として確保してくれ。ただし、変更が必要になった時は勝手に金額を増やさず、その都度相談してほしい」
ウェッブは満足そうに頷いた。
「それなら私も安心できます。最初から追加費用まで無制限という話では困りますからな」
アメリアは少し迷った後、夫へ尋ねた。
「私の希望をかなり入れてしまいましたが、本当にこのままで構わないのですか?」
「僕だけの家を造っているわけではない。君が暮らしにくい家を28万ポンドかけて造る方がおかしいだろう」
「ヘイル伯爵家の本邸ですから、あなたの家でもあります」
「だから2人で決めている。僕1人ならグレイミア号の船長室でも寝られるが、君にそこで暮らせとは言えない」
「私は絶対に嫌です」
「それなら遠慮せず、必要だと思うことは今のうちに言ってくれ」
アメリアは笑った。
「では、もう少し図面を見ます」
ウェッブがすぐに付け加えた。
「できましたら、28万ポンドの範囲でお願いいたします」
3人の間に笑いが広がった。
◇ ◇ ◇
6月20日。
ハロウデンでは新本邸の建設準備が始まった。
完成図面はまだすべて揃っていないが、高台では測量が進み、建物を置く場所の地盤が調べられ、進入路を通す線も決まりつつあった。所領内の石切り場では、建築に使える石材の確認も始まっている。
石工、大工、人夫、鍛冶職人だけでなく、石材や木材を運ぶ者まで多数必要になる大工事である。今は草地と測量用の杭しかない高台も、工事が進めば姿を大きく変えることになる。
アメリアはエドワードと並んで建設予定地に立った。
「これほどの規模なら、完成までには相当な時間が必要でしょうね」
「建築家にも、急がせすぎればろくなことにならないと言われた。僕は早く住みたいが、壁が傾くくらいなら待つ方がいい」
「そこまで分かっているなら安心しました。船のように急いで造って、すぐ海へ出すわけにはいきませんから」
「家には逃げる敵もいないからな」
高台を風が抜けていった。
土地も本邸も、船や商品を買うためにすぐ動かせる現金ではない。ハロウデンへの大きな投資によって、長い間蓄えてきた手元資金が大きく減ることだけは避けられなかった。
エドワードはその点も承知したうえで計画を進めていた。そして、減った現金を再び増やす方法についても、すでに考え始めていた。




