第1話(中編)「兄の値踏み」 1779年5月11日~5月20日
妹の婚礼から数日後、エドワードとアメリアはフェアフォード伯爵夫妻のロンドン邸を訪れた。
結婚式の慌ただしさも落ち着き、エリザベスは新しい暮らしを始めていた。応接室へ入ったエドワードは、まず妹の顔色を確かめた。疲れ切っている様子はなく、むしろ実家にいたころより落ち着いて見える。
「先ほどから私の顔ばかり見ていますけれど、何かおかしなところでもありますか?」
「いや、元気そうだから安心しただけだ」
「結婚してまだ10日もたっていません。今から寝込んでいたら先が思いやられます」
アメリアがエリザベスの隣へ座った。
「お兄様は、あなたが新しい家で無理をしていないか気になっているのですよ」
「それは分かっています。ただ、ジョナサンについて調べた量を考えると、少し心配しすぎだと思います」
エドワードも向かいの椅子へ腰を下ろした。
「妹が嫁ぐ相手なのだから、それくらいはする。領地収入や借金だけでなく、賭博や女性関係、交友関係についても一通り調べた」
エリザベスはさすがに驚いた。
「女性関係まで調べたのですか。それなら私に聞けばよかったでしょう」
「本人や婚約者から聞く話と、周囲で知られている話が必ず同じとは限らない。結婚する前に確かめられることは確かめておきたかった」
「そういうところは、やはり商人ですね」
「伯爵になっても商人をやめた覚えはないからな」
そこへジョナサンが入ってきた。
「私の話をしているようですが、何を調べられていたのでしょう」
エリザベスが夫を見上げた。
「お兄様が、あなたの女性関係まで調べていたそうです」
ジョナサンは少し驚いたものの、怒る様子はなかった。
「そこまでお調べでしたか。もっとも、私にも妹がいて、その結婚相手を選ぶ立場になれば、似たようなことをするかもしれません」
「話が分かるな」
「ただし、本人には気付かれないようにやると思います」
エリザベスがすぐに続けた。
「そこがお兄様との違いです。昔から隠し事が上手ではありませんから」
「そんなことを言われたのは初めてだぞ」
「私が今まで言わなかっただけです」
アメリアも笑っていた。
エリザベスは改めて兄へ向き直った。
「そこまで調べて、何か問題は見つかりましたか?」
「結婚を止めるようなものはなかった。だから僕も賛成した」
ジョナサンは椅子へ腰を下ろしながら尋ねた。
「もし何か見つかっていたら、私は決闘を申し込まれていたのでしょうか」
「結婚する前なら、エリザベスに事情を話して考え直させる方が先だ。いきなり撃ち合うほど短気ではない」
「普通の人は、その説明に『いきなり』を付けません」
エリザベスに言われると、アメリアも頷いた。
「私も同じことを思いました」
「君たちはずいぶん気が合うな」
「エリザベスがいてくれると、私も心強いのです」
女性2人が同じ側についたのを見て、エドワードは苦笑した。
「分かった。今日はこれ以上、自分の評判を悪くする話はやめよう」
ジョナサンは楽しそうにそのやり取りを眺めていた。
◇ ◇ ◇
昼食後、エリザベスとアメリアが別室へ移ると、エドワードとジョナサンは酒を少し飲みながら2人で話を続けた。
5月の日差しは明るく、もう暖炉を使うほどの寒さではない。開けた窓からは、通りを行く馬車の車輪と人々の声が聞こえてきた。
ジョナサンは酒杯を持ちながら、先ほどの話を蒸し返した。
「先ほどは冗談にしましたが、本当に私の借金まで調べたのですね」
「領地経営に伴う負債はあるが、返済に困るほどではないと聞いた。賭博で大金を失った記録もなく、女優を囲っているという噂もなかった」
「そこまで正確なら、私から訂正するところはありません。結婚相手の兄としては頼もしいですが、調べられる側からすると少々怖い義兄ですな」
「今さら後悔しても遅いぞ」
ジョナサンは笑って酒杯を机へ置いた。
「ただ、あなたがこれほど妹思いだとは知りませんでした。聞こえてくるのは、海へ出て敵船を捕らえたとか、大きな商売をまとめたという話ばかりでしたから」
「エリザベスは13歳のころから、僕に遠慮せず物を言ってきた妹だからな。伯爵夫人になるまで育ったと思えば、兄として気になるのは当然だ」
「私が求婚したのは、あなたが伯爵になったからではありません。そのことだけは信じていただきたい」
「そこは疑っていない。もし僕の財産やエリザベスの持参金だけが目当てだったら、いくら妹本人が気に入っていても、僕はお前を好きにはなれなかっただろう」
「その心配ならありません。レイシー家は自分の土地からの収入で十分暮らしていけます」
「それも調べてあるから知っている」
「やはり、かなり面倒な義兄ですな」
2人は顔を見合わせて笑った。
やがて話題は領地経営へ移った。
ジョナサンは代々続く大地主の家に生まれ、幼いころから農地や地代、借地契約、森林、狩猟地などを身近に見てきた。エドワードにも1万エーカーを超える土地があるが、所有するようになったのは成人してからである。土地について積んできた経験には、はっきりと差があった。
「ところで、かなり大きな土地を探しているという噂を聞きました」
ジョナサンが切り出すと、エドワードは眉を上げた。
「もうそんな話まで広まっているのか」
「あなたが次に何を買うのかは、社交界でも結構な話題です。それに、100万ポンドを超える現金を持っているという噂まで出ています」
「正確な金額を人前で話した覚えはないんだがな」
「14隻の商船と2隻の私掠船を捕らえ、50万ポンド以上を得た話は知られています。それ以前から商売でも利益を上げているのですから、おおよその計算をする人間はいるでしょう」
「困った話だ。こちらに金があると知られれば、土地でも船でも高く売ろうとする」
「それなら確かに、金持ちであることを知られすぎるのは不利ですね」
ジョナサンは納得した後、少し身を乗り出した。
「本気で大所領を買うのでしたら、面積と地代収入だけで決めない方がよいでしょう。道路や水利、森林、借地契約、村の状態、建物の修繕まで調べる必要があります。広ければ広いほど、状態の悪い土地や建物も混じります」
「僕もそこが気になっている。大きな土地が見つかったら、実際に何を調べるべきか教えてもらいたい」
「私でよろしければ、いくらでもお話しします」
「海や商売なら僕にも経験があるが、土地についてはお前の方が詳しい。知らないことまで自分で判断するつもりはない」
ジョナサンは酒杯を上げた。
「では、土地のことなら遠慮なく頼ってください。義兄上のお役に立てるのでしたら、私としても悪い話ではありません」
「こちらこそ頼りにしている。エリザベスと結婚した以上、これからは長い付き合いになるからな」
「それはこちらも同じです」
2人は杯を合わせた。
◇ ◇ ◇
5月18日の朝、エドワードはアメリアと2人で食卓に着いていた。
結婚してまだ1か月もたっていない。ロンドンの住まいでは、卵や焼いた肉、パン、果物を前に、夫婦だけでゆっくり朝食を取れる日もあった。
アメリアがパンを切りながら言った。
「エリザベスは、新しい暮らしにも馴染んでいるようでしたね。あなたも安心したのではありませんか?」
「今のところはな。まだ結婚して半月ほどだから、これから先も仲良く暮らしてくれれば、それが一番だ」
「きっと何年たっても心配するのでしょうね」
「妹だから仕方がない」
「では、妻のことも同じくらい心配してください」
「もちろんしている」
アメリアは夫を見て笑った。
「頻繁に海へ出る人から言われると、少し説得力に欠けます」
「それを言われると反論しにくいな」
アメリアはパンを皿へ置いた。
「ところで、ジョナサン伯爵とはずいぶん長く話していましたね。何の相談をしていたのですか?」
「土地のことだ。今持っている現金の一部を、もっと大きな土地へ移したいと考えている」
「現金のまま持っておくより、土地へ変えた方がよいと考えているのですか?」
「現金は使えば減るが、土地なら残るし、毎年収入も生む。僕たちに子供ができれば、その子にも残せる」
アメリアの手が一瞬止まった。
「まだ子供もいないのに、ずいぶん先のことまで考えているのですね」
「いずれできるかもしれないだろう。できなかった時は、その時にまた考えればいい」
「そういうところは本当に商人ですね。家族のことまで帳簿の先を読むように考えるのですから」
「さすがに子供の予定を帳簿へ書く気はないぞ」
「書いたら本気で怒ります」
「それは覚えておく」
アメリアは苦笑した。
「それで、どれほどの土地を探しているのですか?」
「良いものが見つかるなら、1万や2万エーカーにこだわるつもりはない。もっと大きくても構わないと思っている」
「そこまで大きな土地を買うつもりなのですね」
「100万ポンドほどの現金を金庫に置き続けるより、安定した収入を生むものへ変えた方がいい」
「100万ポンドを普通の預金のように話す人は、あなたくらいでしょうね」
「持っている以上、使い道を考えるのは当然だろう」
「その感覚に慣れるまで、私はもう少しかかりそうです」
その時、使用人が部屋へ入り、ウェッブから急ぎの使いが来ていると告げた。
「朝からウェッブさんが人を寄越すなら、何か見つかったのでしょうか」
アメリアに尋ねられ、エドワードは席を立った。
「土地の件かどうかは、手紙を読むまで分からない。ただ、急ぎならすぐ確認してくる」
「朝食はまだ途中ですよ」
「用件だけ確かめたら戻る」
「以前もそう言って、夕方まで帰ってきませんでした」
エドワードは返事に困りながらも笑った。
「今日はできるだけ早く戻る。最初から断言すると、また叱られそうだからな」
「それなら少しは学習しましたね」
使いの者が持ってきたウェッブの手紙には、探していた規模の土地が売りに出たと記されていた。
エドワードは読み終えると、その場でウェッブの事務所へ向かう支度を命じた。先ほどまで食卓へ戻るつもりだったが、この知らせを聞いてしまえば、朝食を続けている場合ではなかった。




