第9話(前編)「伯爵の信用」 1778年11月1日~11月30日
1778年11月1日、ウェッブの事務所の机には、売りに出ている船と新造船についての資料が広げられていた。
エドワードの向かいには3人の男が座っている。船の売買を仲介する商人、造船所の経営者、それに銀行家である。伯爵になってから、こうした人間が向こうから話を持ち込んでくることが増えた。
エドワードは最初の資料を手に取った。
「約430トン、3本マスト、船齢6年。砲は18門か」
「はい。商船としてはかなり速い方です」
仲介商人が答えると、エドワードはその言い方に引っかかった。
「商船としては?」
「グレイミア号と比べられては、多くの船が遅くなります」
「それはそうだな」
次の船は約390トンで、船齢4年だった。現在は14門の砲を積んでいるが、船体と甲板を補強すれば20門ほどまで増やせるという。
造船所の経営者が説明した。
「ただし、重い砲を載せすぎれば速力が落ちます。20門すべてを9ポンド砲にするより、6ポンド砲を主体にして一部だけ9ポンド砲にした方がよろしいでしょう」
「敵商船を追えなくなったら意味がない。速さを優先してくれ」
「その方がよいと思います」
3枚目は中古船ではなく、新造船の案だった。まだ起工していないため、船体も武装もエドワードの希望に合わせられる。
「これを造るなら、いくらかかる?」
「仕様によりますが、伯爵閣下がお求めの速力と武装を考えますと、1万5,000ポンド以上は見ていただきたいところです」
エドワードは3枚の資料を並べた。
「では、最初の2隻は買う。新造も1隻頼む」
ウェッブがすぐに顔を上げた。
「3隻まとめてですか?」
「そのつもりで呼んだんだ」
「先月、船を増やすとは聞きましたが、いきなり3隻とは聞いておりません」
「1隻だけ増やしたら、今回私掠に出す主力はグレイミア号と合わせて2隻にしかならないだろう」
「算数の問題ではありません。費用の話です」
430トンの船は7,800ポンド、390トンの船は6,500ポンドだった。そこへ武装変更、船底への銅板張り、帆と索具の交換、船内の改修、新造船の建造費を加えれば、3万ポンドを軽く超える。
しかも金がかかるのは、船を手に入れるまでではない。
エドワードはすでにハンター号も所有している。しかし、グレイミア号が完成してからは自ら乗る船をそちらへ移しており、今回編成する私掠隊にもハンター号を加えるつもりはなかった。
6ポンド砲を備えたハンター号はテムズに残し、新しく雇った水夫や砲手の訓練に使う。主力船の修理や事故があれば代船として出せるため、売却するより予備船として手元に置いた方が使い道があった。
ウェッブが続けた。
「船長が3人、乗組員も3隻分必要です。火薬、砲弾、食糧、給金、修理費も増えます。獲物が見つからなければ、その間の費用はすべて出ていくだけですぞ」
「分かっている。それでも3隻を増やした方が利益を出せると思うから買う」
「何も捕まえられなければ?」
「その時は損だ。商売なんだから仕方がない」
ウェッブはそれ以上同じ話を繰り返さず、購入費と改修費の見込みを書き始めた。
エドワードはそこで、まだ話していなかった銀行家へ目を向けた。
「あなたは船を売りに来たわけではないな」
「はい。融資について、一度お話しさせていただければと思いまして」
「僕は借りたいとは言っていないぞ」
「承知しております。必要になった時に、当行を思い出していただければ結構です」
頼んでもいない相手が、金を貸したいと言って訪ねてきた。エドワードには、その方が船の値段より興味深かった。
「仮に借りるとしたら、いくらまで出せる?」
ウェッブが横から言った。
「聞くだけにしてくださいよ」
「そのつもりだ」
銀行家はエドワードの資産や事業を前提にした上で答えた。
「目的と担保にもよりますが、5万ポンド程度まででしたら十分にご相談できます」
「5万ポンドか」
17歳の元日、グレイミア家が抱えていた1万5,000ポンドの借金を知った時には、それだけで家が潰れるのではないかと思った。今はその3倍を超える金を、銀行の方から貸せると言ってくる。
「伯爵になる前なら、そこまで貸した?」
銀行家は少し考えてから答えた。
「ヘイル商会や伯爵閣下ご自身の財産を拝見すれば、かなりの額はご用意できたでしょう。ただ、5万ポンドまでとなれば、今ほど容易ではなかったと思います」
「なるほど」
エドワードはウェッブを見た。
「伯爵位にも値段が付いたな」
「5万ポンドですか?」
「違う。以前より有利な条件で金を借りられるということだ」
銀行家もうなずいた。
「そのご理解でよろしいかと思います。爵位だけで融資するわけではございませんが、伯爵閣下の実績と資産に王室からの評価まで加われば、信用は当然高くなります」
「それなら覚えておく。今回は借りない」
ウェッブはようやくペンを置いた。
「最後の一言が一番大事です」
「必要になれば使うけどな」
「それも予想しておりました」
◇ ◇ ◇
11月中旬には、購入予定の2隻について詳しい検査が終わった。
カートライトは自分で船へ入り、船体、帆柱、索具、船底、砲甲板まで確かめた上で、グレイミア号の船長室へ報告に来た。
「430トンの方は買って構いません。必要な手入れをすれば十分使えます。390トンの方も悪くありませんが、こちらは砲を欲張らないでください」
「20門にはしたい」
「6ポンド砲を主体にするなら問題ないでしょう」
「それでいこう」
船そのものに大きな問題はなかった。カートライトがむしろ気にしていたのは、誰に任せるかだった。
「船を3隻揃えるだけなら、金を払えば済みます。しかし船長はそうはいきません」
「お前を3人に増やせれば簡単なんだが」
「できても断ります。あなたの相手を3人分するのは御免です」
「では別の人間を探すしかないな。候補はいる?」
「何人か心当たりはあります。ただ、操船ができるだけでは足りません」
今回の私掠隊4隻が常にまとまって行動するなら、カートライトが全体を見て判断できる。しかし別々の海域へ出す以上、それぞれの船長が敵を見つけた時に追うか離れるかを決め、拿捕後の人員や損傷まで考えなければならない。
「欲張りすぎる人間も困ります」
「僕への当てつけか?」
「経験から申し上げています」
「なら僕も候補から外されるのか?」
「最近は引き際を覚えられましたから、何とか」
「厳しいな」
船長には通常の給金に加え、戦利品の取り分を厚くすることにした。ただし船主の8割は変えず、乗組員側へ回す2割の中で船長や士官の持ち分を調整する。
「そこは譲らないのですな」
「船代も維持費も僕が払うからな」
候補者の選定では役割を分けた。航海歴や操船、戦闘時の判断についてはカートライトが見る。過去の契約や借金、賭博、酒、以前の雇い主との揉め事についてはウェッブが調べる。その上でエドワードが本人と会い、自分の船と乗組員を任せるか決めることになった。
新しく雇う水夫や砲手については、まずハンター号へ乗せて訓練させることにした。人数を増やしたからといって、船の上で何をすればよいか分からない者をそのまま実戦へ連れていくわけにはいかない。
カートライトにとっても、ハンター号ならグレイミア号を私掠の準備から外さずに新人を鍛えられる利点があった。
◇ ◇ ◇
11月末、購入した2隻は造船所へ入り、船底への銅板張りと索具の交換、武装の調整が始まった。新造船も設計に入り、グレイミア号ほどの大きさではなく、敵商船へ追いつける速力と、拿捕に必要な人員を乗せられることを優先する方針が決まった。
その分、ウェッブの帳簿には支払いが次々に増えていった。
「今月だけで、ずいぶん金が出ていきましたな」
「船になって残っている」
「まだ造船所に置いてあります」
「来年には働かせるよ」
ウェッブは支払いの記録を確かめながら尋ねた。
「私掠に出す4隻が揃ったら、全部一緒に動かすおつもりですか?」
「いや。別々に出す。僕がグレイミア号で1か所を探している間に、ほかの3隻も別の海域で敵船を探せる」
「4隻とも利益を出せれば大きいでしょう。ただ、1隻を失うこともありますぞ」
「それも分かっている。1隻が外れても、ほかが当たればいい。逆に主力が1隻しかなければ、その船が修理に入っただけで全部止まる」
「予備にはハンター号もありますが」
「ハンター号は何でも屋だ。今は新人を鍛える仕事をしてもらう」
「船まで働き方を変えますか」
「持っているものは使うよ」
「その考えなら、船を増やす意味はありますな」
「全部を僕1人でやろうとする方が無理だ」
ウェッブが帳簿を閉じたところで、事務所の扉が叩かれた。
入ってきたのは王室からの使者だった。
渡された封書には、王妃シャーロットから12月の小規模な夕食会へ出席するよう記されている。
「王妃陛下からか」
ウェッブが尋ねた。
「ああ」
「船の相談ではないでしょうな」
「では何だ?」
「私に分かるはずがありません」
エドワードは招待状をもう一度読んだ。




