第8話(後編)「21歳の伯爵」 1778年9月21日~10月31日
9月下旬。
グレイミア号が英国の港へ入ると、その後ろには砲撃で傷ついたフランス私掠船と、奪還した英国商船3隻が続いていた。
岸にいた者には、船団を見るだけで大きな戦果だと分かった。
敵船を捕らえて帰ってくること自体は、すでに初めてではない。しかし今回は、フランスに奪われた英国商船3隻を積荷ごと取り戻し、そのうえ敵私掠船まで捕らえている。
入港の知らせを聞いた船主や商人が次々に集まり、岸からは歓声も上がった。
ウェッブもその中にいた。
エドワードが渡し板を降りると、ウェッブは傷ついたフランス船を見た後、その向こうに並ぶ英国商船3隻を確かめた。
「本当に3隻とも連れ帰りましたな」
「約束したからな。それにフランス私掠船も1隻増えた」
「念のため申し上げますが、英国船3隻は所有者へ返します。あなたが受け取るのは救助料です」
「分かっている。そこまで欲深く見えるのか?」
「私掠の取り分を早く10万ポンドへ乗せたくて仕方がない方ですから、確認くらいはしておきます」
「信用があるのか、ないのか分からないな」
「金の扱いについては信用しています。欲深いことも含めて」
そこへ船主の1人が駆け寄ってきた。
「積荷も無事なのですか?」
「船倉を確かめてもらえば分かる。負傷者はいるが、乗組員も大半は無事だ」
船主は言葉を失い、しばらく3隻を見つめた後、エドワードの手を強く握った。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「礼はウェッブにも言ってくれ。救助料の話はこの男がきちんと進める」
船主は一瞬目を丸くした後、笑った。
「もちろんお支払いします。それでも、3隻とも戻ってきた方がはるかにありがたい」
「それなら双方得をしたな」
◇ ◇ ◇
帰港後の処理はウェッブに任せた。
フランス私掠船は所定の手続きを経て売却され、英国商船3隻についても所有者への返還と救助料の算定が進められた。
エドワードが先に確かめたのは、今回の戦闘で出た死傷者だった。
グレイミア号側では3人が死亡し、十数人が負傷している。
これまでより損害が大きかった。今回は砲撃だけで決着をつけず、敵船へ接舷して甲板上で直接戦ったためである。
エドワードは負傷者を見舞うため、グレイミア号へ戻った。
腕を吊った水夫の1人が、エドワードを見るなり声をかけた。
「旦那、あのフランス船はいくらくらいになりますか?」
「お前は腕を切られたばかりだろう。金より先に自分の傷を気にしろ」
「腕がなくなったわけじゃありません。それに、俺たちの取り分も出るのでしょう?」
「もちろん出る。今回はフランス船の戦利品だけでなく、英国船3隻を取り戻した救助料も加わる。ただ、金額はまだ決まっていない」
周囲で休んでいた水夫たちも会話を聞いていた。
「1万ポンドくらいにはなりますかね?」
「僕に聞くな。ウェッブが計算している。僕が今ここで適当な数字を言えば、外れた時にお前たちが怒るだろう」
それを聞いて水夫たちから笑いが起きた。
別の男が今度は尋ねた。
「旦那、敵船で拳銃を5発撃って、全部当てたというのは本当ですか?」
「誰から聞いた?」
「乗り込んだ連中が皆そう言っています」
「5人を倒したとは言っていないぞ。当たった相手がその後どうなったかまで確認していない」
「では、外してはいないんですね?」
エドワードは戦闘中の光景を思い返した。
「少なくとも、外した覚えはない」
周囲から声が上がった。
「やっぱり本当だ!」
「騒ぐ元気があるなら傷を治せ。働けるようになった者は次も乗せる」
腕を吊った男が笑った。
「次も乗せてもらえるなら、早く治しますよ」
「最初からそのつもりで治せ」
また周囲に笑いが広がった。
今回の戦闘で、乗組員たちがエドワードを見る目は以前より変わっていた。
これまでも船主自身が航海へ同行し、危険な海へ出てきた。しかし今回は、自ら敵私掠船へ乗り込み、水夫たちと同じ甲板で戦っている。
金を出して船と武器を用意するだけではなく、必要なら本人も前へ出る。しかも拳銃を持たせれば、揺れる船上でもほとんど外さない。
その話はグレイミア号の中だけには収まらなかった。
港の酒場から商人の事務所へ伝わり、やがてロンドンの社交界にも広がった。21歳の男爵家跡取りがフランス私掠船へ自ら乗り込み、拳銃で敵を次々に撃ったという話は、救助料や戦利品の金額以上に人々の興味を引いた。
◇ ◇ ◇
10月上旬、ウェッブから金額がまとまったとの連絡が来た。
エドワードが事務所へ入ると、ウェッブは分厚い帳簿を開いた。
「フランス私掠船については、船体、砲、備品などを売却し、必要な費用を差し引いた後の分配対象額が約1万2,000ポンドになりました」
「英国船3隻の救助料は、いくらになった?」
「3隻はすでに所有者へ返還されています。船と積荷を合わせた価値は3万6,000ポンドを超えましたが、認められた救助料は約8,000ポンドです」
「つまり今回の分配対象は、合わせて2万ポンドか」
「そうなります。従来どおり船主8割、乗組員2割ですから、あなたの取り分が1万6,000ポンド、乗組員全体で4,000ポンドです」
ウェッブは帳簿をめくり、これまでの数字と合わせた。
「これで私掠によるあなたの取り分は、累計10万8,800ポンドになりました」
エドワードは帳簿の数字を見た。
17歳の誕生日を迎えたころ、自分の手元には自由に使えるまとまった金などなかった。母から10ギニーを借り、自分の持ち物まで売って、ようやく25ポンドを作った。
それから4年半余りが過ぎた。
今では、私掠による取り分だけで10万ポンドを超えている。商会の利益や炭坑、土地、所有する船はそれとは別だった。
ウェッブが尋ねた。
「25ポンドから始めたころを思い出しておられますか?」
「ああ。ずいぶん遠くまで来たとは思う」
「これで少しは満足なさいましたか?」
「満足したら商売をやめることになるだろう」
「では、次は20万ポンドを目指すおつもりですか?」
以前なら、エドワードは迷わずそう答えたかもしれない。
しかし今回は、港へ連れ帰ったフランス私掠船と英国商船3隻のことを考えた。船を取り戻した船主から直接感謝され、グレイミア号では乗組員たちが敵船へ乗り込んだ自分の話をしている。
金とは別に、エドワード・ヘイルという名前そのものの価値が上がり始めていた。
「今回の戦いは、ロンドンでどのくらい知られている?」
「かなり広がっています。英国商船3隻を奪還した話も評判ですが、あなたが敵船へ乗り込んだ話の方が人気ですな」
「救助した3隻より僕の拳銃か?」
「21歳の男爵家跡取りがフランス私掠船へ自分で乗り込み、拳銃を撃ってほとんど外さなかったとなれば、酒場でも社交界でも話しやすいのでしょう。救助料8,000ポンドでは、金に詳しくない者には面白さが伝わりません」
「実際に5発全部命中したか、一人ずつ確かめたわけではないんだがな」
「今さら本人が否定しても、誰も聞かないでしょう」
「困った話だ」
「顔はあまり困っておりませんぞ」
「少しくらい嬉しくてもいいだろう」
「それなら結構です」
◇ ◇ ◇
同じころ、セント・ジェームズ宮殿では、ジョージ3世がエドワードに関する報告を読んでいた。
王命による海賊討伐、英国商船の護衛、戦時物資の供給、私掠による敵国船の拿捕。エドワードが王室と英国へ提供してきた働きは、すでに一度の功績として片付けられるものではなかった。
今回は、自らフランス私掠船へ乗り込み、奪われた英国商船3隻を積荷ごと取り戻している。
しかも、まだ21歳である。
ジョージ3世は報告書を机へ置いた。
「子爵にするか」
そばにいた王妃シャーロットが顔を上げた。
「子爵になさるのですか?」
「父親は男爵だ。その跡取りが21歳で子爵になれば、十分な褒賞だと思うが」
「若いことを理由に、爵位を抑えるおつもりですか?」
国王は妻を見た。
「年齢も考える。当然だろう」
「では、同じ働きを40歳の者がしていたなら、陛下はもう少し上の爵位をお考えになりますか?」
「何が言いたい?」
「年齢ではなく、働きに見合う褒賞をお与えになった方がよいと思うのです」
「子爵でも十分に大きな爵位だぞ」
「もちろんです。ただ、エドワードは父親の財産で遊んでいるだけの若者ではありません。自分で商売を始め、自分の金で船を造り、王命があれば海賊討伐へ出ました。戦争になれば英国商船を守り、今回はフランスに奪われた船を3隻取り戻しています。それも、部下だけを危険な場所へ送り込んだわけではないのでしょう?」
ジョージ3世は報告書の一節へ目を落とした。
「自分で敵船へ乗り込み、拳銃まで撃ったらしい」
「でしたら、なおさらでしょう」
「拳銃の腕で爵位を決めるつもりはないぞ」
「私も、そのようなことは申し上げておりません。ただ、必要な時には自分も危険を引き受ける男だということです」
国王はしばらく考えた。
「つまり、お前は伯爵にしろと言いたいのだな」
「はい。私はその方がよいと思います」
「21歳の伯爵だぞ」
「21歳で伯爵に相応しい働きをしたのであれば、年齢だけを理由に下げる必要はないでしょう」
「随分あの若者を買っているな」
「陛下ほどではありません。何度も宮殿へ呼び、ご自分で話を聞いていらっしゃるでしょう?」
「それを言われると弱いな」
シャーロットは続けた。
「それに、英国のために働いた者へ王室がきちんと報いると示すことにもなります。生まれだけではなく、実際の働きを陛下が評価なさる。それは悪いことではないと思います」
ジョージ3世は、奪還された英国商船3隻の船主から寄せられた報告にも目を通した。
「子爵では足りないと言うのか?」
「私はそう思います」
「分かった。伯爵にしよう」
王妃は満足そうに国王を見た。
◇ ◇ ◇
数日後、エドワードはセント・ジェームズ宮殿へ呼ばれた。
今回の航海について直接話を聞かれるのだろうと考えていたが、謁見の場にはジョージ3世だけでなく王妃シャーロットもいた。
礼を終えると、国王はすぐに本題へ入った。
「今度は英国船を3隻取り返して帰ったそうだな」
「はい、陛下。フランス私掠船も1隻捕らえております」
「そちらもしっかり金にしたそうだな」
「敵船を捕らえた以上、売らない理由がありません」
ジョージ3世は笑った。
「お前らしい。しかも自分で敵船へ乗り込んだと聞いている」
「乗組員だけに危険な仕事をさせるわけにはいきません」
「拳銃の話までロンドン中に広がっているぞ。実際、5発とも当てたのか?」
「少なくとも、外した覚えはありません。ただ、戦闘中に一人ずつ確かめる余裕はありませんでした」
「それで十分だ。戦っている最中に命中記録まで付けられては、こちらも困る」
王妃も楽しそうに口を挟んだ。
「では、5発命中ということにしておきましょう」
「王妃陛下まで噂を広げないでください」
「すでに私のところまで届いているのです。今さら止まりませんよ」
ジョージ3世は笑いを収め、声を改めた。
「英国商船を取り戻した船主たちも大いに喜んでいる。もっとも、お前は救助料もしっかり受け取ったようだな」
「法律で認められた分だけです。陛下から法を越えるなと言われたことは忘れておりません」
「それでよい。忘れた時には、お前も海賊の仲間入りだからな」
「それだけは御免です」
国王は報告書を置いた。
「エドワード。お前はこれまで十分に働いた。王命による仕事にも応え、英国商船を守り、自分の金で船を用意して戦ってきた。今回に至っては、フランスに奪われた英国船を3隻取り戻している。口で褒めて終わりにするつもりはない」
エドワードは国王を見た。
「お前に爵位を与える」
父リチャードは今も存命であり、エドワードはいずれグレイミア男爵位を継ぐ立場にある。その相続とは別に、自分自身の功績へ新しい爵位が与えられるという意味だった。
「ありがたく存じます」
「最初は子爵にするつもりだった」
エドワードは思わず顔を上げた。
「最初は、ということは、お考えが変わったのですか?」
「王妃に反対された」
エドワードがシャーロットを見ると、王妃は笑っていた。
「若いという理由だけで、褒賞を小さくする必要はないと申し上げました」
ジョージ3世が続けた。
「その結果だ。エドワード・ヘイル、お前を伯爵にする」
エドワードはすぐには返事ができなかった。
子爵でも十分すぎるほどの出世である。それが伯爵となれば、驚くのも当然だった。しかも父から受け継ぐ爵位ではなく、21歳の自分がこれまでの働きによって得る伯爵位である。
「伯爵とは……そこまでのお取り立てを頂けるとは思っておりませんでした」
「不満ではあるまいな?」
「まさか。身に余るお取り立て、ありがとうございます」
「身に余ると思うなら、余らなくなるまで働け」
エドワードは思わず笑った。
「それでは、まだ相当働かなければなりませんね」
「お前なら、こちらが止めても働くだろう」
エドワードは王妃にも礼を述べた。
「王妃陛下にも御礼申し上げます」
「私は意見を申し上げただけです。お決めになったのは陛下ですよ」
ジョージ3世が横から言った。
「随分強い意見だったがな」
「陛下も最後には納得なさったのでしょう?」
「納得しなければ決めていない」
しばらくして国王がエドワードへ言った。
「爵位が上がったからといって、急に立派な人間のふりをする必要はないぞ」
「それなら安心しました」
「なぜだ?」
「昨日まで男爵家の跡取りだった人間が、伯爵になった翌日から急に人格者になる方法など知りません」
ジョージ3世は声を上げて笑った。
「そのままでよい」
必要な手続きが整い、エドワードは正式に伯爵となった。
父リチャードは依然として第5代グレイミア男爵である。その息子が父の爵位を継ぐ前に、自分自身の功績によって伯爵位を得たことになる。
◇ ◇ ◇
叙爵の知らせは、エドワードが思っていた以上の速さでロンドンへ広がった。
フランス私掠船へ乗り込み、奪われた英国商船3隻を取り戻した21歳の男爵家跡取りが、国王から伯爵位を与えられた。
社交界にとっては格好の話題だった。
ウェッブの事務所へ行くと、本人より先に知らせを知っていたウェッブが立ち上がった。
「伯爵閣下」
「お前にそう呼ばれると、からかわれているように聞こえる。今までどおりでいい」
「正式な爵位なのですから、間違ってはおりません」
「昨日まで普通に話していただろう。急に変えられる方が落ち着かない」
「伯爵になって最初のご要望が、それですか」
「要望というほどの話じゃない。それより帳簿を見せてくれ」
ウェッブは呆れたような顔で帳簿を開いた。
「叙爵されたばかりだというのに、もう金の話ですか」
「伯爵になったからといって、帳簿の数字が勝手に増えるわけじゃないだろう」
「安心しました。中身は昨日までと同じですな」
「国王陛下にも似たようなことを言われたよ」
ウェッブが帳簿を開く間、エドワードは新しい爵位について考えた。
伯爵となれば社交界での扱いは変わり、商人や金融業者から見た評価にも影響する。王室との距離も、これまで以上に近くなるはずだった。そうであるなら、その立場を飾りとして置いておく必要もなかった。
「ウェッブ。伯爵位にも商売上の価値はあると思うか?」
「爵位まで売るおつもりですか?」
「そんな話をしているんじゃない。僕の名前の信用が、これまでよりどのくらい商売に使えるかという意味だ」
「叙爵された日に、そこを考える人はあまりいないでしょうな」
「使える物を使わない方がおかしい」
「やはり中身は変わりません」
「変わる必要もないだろう」
「私もそう思います」
◇ ◇ ◇
10月31日。
修理がほぼ終わったグレイミア号の甲板へ、エドワードは伯爵となって初めて足を運んだ。
船そのものは何も変わっていない。
変わったのは乗組員たちの反応だった。
面白がって「伯爵閣下」と呼ぶ者もいれば、本気で畏まる若い水夫もいる。
船尾から歩いてきたカートライトまで、わざとらしく頭を下げた。
「伯爵閣下。ようこそお越しくださいました」
「お前までやめろ。船の上では今までどおりでいい」
「では、船主殿とお呼びしますか?」
「それも堅苦しいな」
「爵位を得た途端、注文が増えましたな」
「伯爵だからな」
「もう十分使いこなしております」
エドワードはそれには答えず、テムズに並ぶ船々を眺めた。
カートライトが隣へ立った。
「それで、次はどうなさるおつもりです?」
「同じことを繰り返すだけでは面白くない。商船を追う仕事は続けるが、グレイミア号1隻に全部やらせるつもりはなくなった」
「戦争を遊びにしないでいただきたいですな」
「遊びじゃない。金儲けだ」
「伯爵になっても、そこは変わりませんか」
「爵位だけでは金は増えない。ただ、信用が増えたのなら、その信用は使う」
「やはり次の商売を考えておられるのですな」
グレイミア号1隻だけでも、これまで大きな利益を生んできた。しかし1隻では、同時に別々の海域へ出ることはできない。敵船を捕らえるたびに拿捕要員を分ければ、本船に残る人数も減る。今回のように複数の英国船を取り戻す仕事まで加われば、1隻ですべてをこなすには限界があった。
エドワードは言った。
「私掠の取り分だけで10万ポンドを超えたし、伯爵にもなった。少し前の僕なら、次は20万ポンドだと考えただろうな」
「今は違うお考えなのですか?」
「ああ。1隻で2倍稼ごうとするより、金を生む船を増やした方が早い」
カートライトがエドワードを見た。
「また船を買うおつもりですか?」
「1隻では足りない。次は複数の船を同時に動かす。そのための船を探そう」




