第7話(前編)「フランスがアメリカを選んだ」 1778年1月1日~2月28日
1778年1月1日、21歳になったエドワード・ヘイルは朝からグレイミア号へ来ていた。
冬のテムズには冷たい風が吹き、川面を小さな波が走っている。岸の倉庫や工房から上がる石炭の煙に潮と泥、タールの匂いが混じり、甲板では水夫たちが索具を点検していた。前年のうちに整備と補給を済ませてあるため、船はいつでも出せる。
船尾へ上がってきたカートライトが声をかけた。
「21歳、おめでとうございます。今年は何をなさるおつもりで?」
「フランス船を捕まえる」
「まだ敵国ではありませんぞ」
「新年くらい、景気のいいことを言わせてくれ」
この話を何度も聞かされてきたカートライトは、今さら驚きもしなかった。
「本当に戦争になれば、去年までとは海が変わります。フランスには戦列艦もフリゲートもおりますからな」
「大型軍艦とは戦わない。勝てない相手から逃げるためにも、グレイミア号を速く造ったんだ。僕が欲しいのは商船だよ」
「しかも積荷の高い商船でしょう」
「当然だ」
カートライトは砲手たちの作業へ目をやった。
「その考えを忘れないでください。敵が増えれば、獲物だけではなく危険も増えます」
「分かっている。そのために去年から準備してきたんだ」
◇ ◇ ◇
1月中旬、エドワードはウェッブの事務所で前年秋から保有している帆布や麻縄、鉄製品などの帳簿を見ていた。
フランス参戦の噂が強まるにつれて値段は上がっており、約5,000ポンドで仕入れた品を今すべて売れば、諸費用を除く前で6,000ポンドを少し超えるという。
「まだ上がると思うか?」
「本当に戦争になれば、さらに買い手は増えるでしょう。ただし、フランス政府が何を決めるかまでは私にも分かりません」
「それなら3分の1だけ売ろう。ここまで上がった分は取っておく」
ウェッブは帳簿から顔を上げた。
「残りは?」
「まだ持つ。フランスが動けば、もう一段上がるかもしれない」
「海へ出る時より慎重ですな」
「海では敵船が見える。こっちはフランス王が何を考えているのか見えないからな」
その日のうちに一部を売ることが決まり、ウェッブは取引先への連絡を始めた。前年秋にはまだ予想にすぎなかった戦争が、噂だけでも商品の値段を動かしている。
「砲を1発も撃たずに利益が出るのも悪くないな」
「あなたは戦争そのものより、戦争で金が動くことの方がお好きなのでは?」
「どちらも嫌いじゃないよ」
ウェッブはそれ以上追及せず、売却する品と数量の確認へ戻った。
◇ ◇ ◇
2月中旬、パリから届いた知らせを持ってウェッブの使いが来た。
エドワードが事務所へ入ると、机には何通もの手紙が広げられていた。ウェッブはその中から1通を取り上げた。
「2月6日、フランスがアメリカ側と条約を結んだという情報が入っています。通商だけではなく、同盟も含まれているようです」
「確かなのか?」
「複数の筋から同じ話が来ています。かなり確度は高いでしょう」
サラトガで英国軍の大部隊が降伏した時から、エドワードはフランスが動く可能性を考えていた。それでも密かな援助と正式な同盟では意味が違う。
「フランスは、アメリカ側を国として扱ったわけだな」
「そう考えてよいでしょう」
「それなら、いよいよ英国とも戦争になるんじゃないか」
「その可能性は高まりました。ただし、今この瞬間からフランス商船を捕らえてよいという話ではありません」
先回りして釘を刺され、エドワードは不満そうにウェッブを見た。
「まだ駄目なのか」
「駄目です。条約を結んだことと、あなたがフランス船を奪ってよいことは別です」
「半年も待たせる気じゃないだろうな」
「私に聞かれても困ります。英国政府も黙ってはいないでしょうが、外交の進み方まで断言はできません」
「便利な言葉だな。分からないと言えば何でも済む」
「分からないことを分かったふりで話すより安全ですぞ」
その返事にはエドワードも反論できなかった。
ウェッブは別の帳簿を差し出した。
「ただし、市場の方はすでに動いています。条約の話が伝わってから、帆布と麻縄への問い合わせが増えました」
「皆も戦争になると思っているのか」
「少なくとも、その可能性に備え始めています」
エドワードは売り残している品の数字を確かめた。
「なら、まだ持つ。今売る必要はない」
「1月に一部を売っておいて正解でしたな」
「あれで急ぐ理由がなくなった。残りはもっと高く買いたい人間が出てくるまで待つよ」
2月末になっても、英国とフランスはまだ正式に海上で戦ってはいなかった。しかし、ヘイル商会の倉庫にある物資の値段は、政府の決定より先に上がり始めていた。




