第5話(前編)「4隻目は撃たなかった」 1777年7月1日~7月10日
1777年7月1日、グレイミア号はテムズを下り、再び海へ向かった。
朝から日差しが強く、暖まった甲板ではタールを塗った索具の匂いが濃くなっている。川沿いの倉庫や造船所が後方へ流れていく中、船尾に立ったエドワードは前方を眺めながらカートライトに言った。
「今度こそ3隻だ。最初は1隻、次は2隻だったからな」
「海は帳簿ではありません。前回2隻だったから、次は3隻になるとは限りませんぞ」
「目標だよ。勝てる相手を見つけて、人手に余裕があれば取る。それなら文句はないだろう?」
「日暮れまで追い続けない、という条件も覚えておいてください」
「前回の反省を全部言うつもりか?」
「覚えておられるなら結構です」
約1か月ぶりの出航だったが、甲板へ戻ればやることは変わらない。グレイミア号は帆に風を受け、河口へ向けて速度を上げていった。
◇ ◇ ◇
7月5日にはイギリス海峡を抜け、大西洋へ出ていた。
数日間、目当ての船は見つからなかった。エドワードは海図を広げ、北アメリカからフランスへ向かう商船と出会う可能性を考えて、カートライトと相談しながら進路を少し南へ寄せた。
「向こうも英国船を避けて通るでしょうから、簡単には見つかりませんぞ」
「僕たちを見つけたら寄ってきてくれれば楽なんだが」
「そんな親切な敵はおりません」
「それも前に聞いたな」
「同じことをおっしゃるからです」
翌日も船影はなく、ようやく見張りから声が上がったのは7月7日の午後だった。
「左舷前方、帆!」
カートライトが望遠鏡を向けると、東へ進む1隻の商船が見えた。
「2本マストです。フランスへ向かっているようですな」
「近づこう」
グレイミア号が進路を変えると、相手もこちらに気付いて帆を増やした。だが船体はグレイミア号よりかなり小さく、現在の風なら逃げ切れる速さではない。距離が縮まるにつれて船尾の文字も読めるようになり、北アメリカのポーツマスから来た船であることが分かった。
「ニューハンプシャーのポーツマスだな」
「書類を確認するまでは断定できませんが、対象船である可能性は高いでしょう」
エドワードは停船を求めるよう命じた。
相手は信号に従わず、そのまま逃げ続けたため、カートライトは前方への警告射撃を命じた。砲声が響き、商船の進路前方に砲弾が落ちて水柱を上げる。
前回の敵船は、それでも逃げ続けた末に撃ち返してきた。しかし今回は違った。しばらくすると商船の帆が次々に下ろされ、船足が落ち始めた。
「止まります」
カートライトの言葉を聞き、エドワードは望遠鏡で相手の甲板を確かめた。
「撃ち合わずに済んだな」
「28門の9ポンド砲を見れば、向こうも勝ち目くらい分かるのでしょう」
「警告の1発だけなら安い。船も壊していないしな」
「その計算を始める前に、拿捕を済ませましょう」
武装した水夫たちを乗せた小艇が商船へ向かった。相手から抵抗はなく、船長と船員の武装解除、船内と書類の確認が進められた。
やがて一等航海士が戻ってきた。
「対象船で間違いありません。ポーツマスの商人が所有し、フランスのナントへ向かっていました。積荷は亜麻仁、木材、樽材、少量の毛皮、それに鯨油です。船体にも損傷はありません」
「悪くないな」
「ただ、今回は乗客がいます。船主本人のほか、妻と娘、息子、それに使用人が1人乗っています」
これまで捕らえた3隻には船長と船員しか乗っていなかった。家族連れがいる敵商船は初めてだった。
「娘は何歳くらいだ?」
「エドワード様と大きく違わないと思います。息子は10歳ほどでしょう」
船主が何のために家族まで連れてフランスへ向かっていたのかは、本人に聞かなければ分からない。
エドワードは拿捕船を見た。
「僕も行く」
カートライトが尋ねた。
「積荷を見ますか?」
「積荷の報告は聞いた。今度は乗っている人間を見たい」
◇ ◇ ◇
拿捕船は砲撃を受けていないため、甲板にも船体にも目立った損傷はなかった。船員たちは武器を取り上げられていたが、乱暴に扱われた様子もない。
船長室の近くには4人の家族が集まっていた。前に立っているのは38歳の男で、濃い茶色の上着を着ている。
「船主か?」
「トーマス・マーサーだ。この船の持ち分の大半を持っている」
「エドワード・ヘイルだ。グレイミア号の船主だ」
「知っている。北アメリカの商船を3隻捕らえた若い英国人がいるという話は、こちらにも伝わっている」
「随分早いな」
「船乗りの噂は海を渡る」
マーサーのそばには、34歳の妻レベッカと17歳の娘、10歳の息子がいた。少年は武装した水夫たちを不安そうに見ている。
エドワードはカートライトへ向き直った。
「家族の衣服や身の回りの物には手を付けさせるな。食事もこれまでどおり出してくれ」
「承知しました」
マーサーが意外そうに尋ねた。
「随分親切なんだな」
「船と商売の積荷は持って帰るぞ。そこまで譲るつもりはない」
「やはり私掠船の船主か」
「そのために海へ出ているからな」
エドワードは相手の船に並ぶ小さな砲を見た。
「撃たなかったことを後悔しているか?」
「28門の砲を相手に、家族まで巻き込んで戦うほど馬鹿ではない。逃げ切れないと分かった時点で終わりだ」
「僕も正しい判断だったと思う」
「船を取った男に褒められても嬉しくないな」
その時、マーサーの娘が初めて口を開いた。
「私たちは、これからどうなるの?」
ロンドンで耳にするものとほとんど変わらない英語だった。
「英国まで一緒に来てもらう。君たちを傷つけるつもりはない」
「父の船は?」
「持っていく。商売の積荷もだ」
娘は父を見てから、再びエドワードへ向き直った。
「それなら、やっぱりあなたは敵なのね」
エドワードは少し間を置いて答えた。
「今はそうらしいな」
娘はそれ以上何も言わなかった。エドワードも、いつものように積荷の値段を尋ねる気にはならなかった。




