第2話(前編)「最初の獲物」 1777年4月11日~4月15日
4月11日、グレイミア号はイギリス海峡を西へ進んでいた。
テムズを出た時には春らしい暖かさも感じられたが、沖へ出れば風は冷たい。船首が波を切るたびに海水が白く砕け、細かな飛沫が甲板まで飛んできた。空には雲が多く、海も灰色に沈んでいた。
それでも船内には、これまでの護衛航海とは違う高揚感があった。正式な私掠免許を得てから初めての航海だった。
これまでは商船を守るため、怪しい船を遠ざけるのがグレイミア号の仕事だった。今度は敵船を見つければ追い、捕らえて英国へ持ち帰る。合法な戦利品と認められれば、船も積荷も金になる。
乗組員にも戦利品の2割が分配されるため、甲板では水平線へ向けられる望遠鏡の数が明らかに増えていた。
船尾楼からその様子を見ていたエドワードが、カートライトに声をかけた。
「随分熱心に見張るようになったな」
「海の向こうに自分の金が浮いていると思えば、目もよくなるのでしょう」
「それなら給金を増やすより安かったかもしれない」
「船主らしいことを言いますな」
「僕は8割取るんだ。お互い得をする」
「まず獲物を見つけてからです」
ところが初日は何も見つからなかった。翌日も遠方に英国商船を2隻見ただけで、3日目にはオランダ船らしい商船とすれ違ったが、当然ながら手を出す相手ではなかった。
エドワードも、私掠免許を持てば海上の船を好きに捕らえられるとは考えていなかった。相手を間違えれば、船や積荷を返すだけでなく、賠償を求められ、商会の信用にも傷が付く。
4月14日の夕方、船長室で海図を見ていたエドワードは、カートライトに言った。
「ロンドンにいると、敵船なんていくらでも海を走っているように聞こえたんだがな」
「捕まえた話だけが港へ戻ってくるからです。10日探して何も見つからなかった船の話など、誰も聞きたがりません」
「それでは困る」
「何がです?」
「今度は僕らが獲物を連れて帰りたい」
「それなら、明日も探すしかありませんな」
◇ ◇ ◇
4月15日、日の出から2時間ほどたったころ、見張り台から声が降ってきた。
「右舷前方、帆!」
甲板にいた水夫たちが一斉に顔を上げた。
カートライトは望遠鏡を受け取り、見張りが示した方向を確認した。エドワードも船尾から前方へ移った。
「1隻です。こちらより小さい。商船でしょう」
「どちらへ向かっている?」
「東ですな。このままなら少し北を通ります」
エドワードも望遠鏡を覗いたが、まだ船体までははっきり見えなかった。
「近づいて確かめよう」
「確認するだけなら問題ありません」
カートライトが操舵手と水夫へ指示を出し、グレイミア号は進路を変えた。帆が風を受け直し、船体が波を斜めに切って進み始めた。
しばらくすると、相手もこちらに気付いたらしく、進路を変えてさらに帆を増やした。
「避けているな」
「そのようです」
「追いつけるか?」
「この風なら大丈夫でしょう。向こうも速い船ですが、こちらの方が速い」
グレイミア号も帆を調整した。距離は少しずつ縮まり、1時間ほどすると相手の船体まで見えるようになった。
2本マストの商船だった。船尾には何人もの人影が集まり、こちらを見ていた。小型の砲も積んでいるようだった。
「武装しているな」
「商船でも珍しくありません」
「逃げ切れないと分かったら、撃ってくると思うか?」
「撃つか、降伏するかでしょうな」
「できれば降伏してほしい。火薬も砲弾も修理費もただじゃない」
「敵船を前にして、もう経費の心配ですか」
「船主なんだから当然だろう」
グレイミア号から停船を求める信号を送ったが、商船は従わず、さらに帆を張った。
「逃げる気ですな」
「なら止めて調べよう」
「まだ正体は分かりませんぞ」
「分かっている。そのために止めるんだ」
やがて船尾に書かれた文字まで読める距離になった。船名の下にはボストンと書かれていた。
「見えたな」
「ええ。ただし所有者と船籍は書類を確認するまで断定できません」
「なら、その書類を見せてもらおう」
カートライトは砲手へ準備を命じた。砲門が開き、9ポンド砲の黒い砲身が海へ突き出された。
それでも商船は帆を下ろさなかった。
「まず警告します」
「任せる」
砲声が響き、白煙が風へ流れた。砲弾は逃げる商船の前方へ落ち、大きな水柱を上げた。
停船を求める警告だったが、商船はそのまま走り続けた。
「ここで止まれば、船だけで済むかもしれないのにな」
「向こうはまだ逃げられると思っているのでしょう」
「だったら、その考えを変えてもらうしかないな」
その時、商船の甲板で煙が上がった。
「来ます!」
小型砲の音が響き、最初の砲弾がグレイミア号の手前で海面を跳ねた。続く1発が舷側へ当たり、砕けた木片が甲板へ飛んだ。近くにいた水夫が腕を押さえて座り込み、袖に血が広がった。
カートライトの声が飛んだ。
「砲手、用意!」
砲列が一斉に動き始めた。
「船体は狙うな!」
「分かっています!」
「帆と索具を狙え。沈めたら売れない!」
「それも承知しています。ここからは私に任せてください!」
「分かった。任せる」
グレイミア号はさらに距離を詰め、逃げる商船を射程に収めた。
◇ ◇ ◇
商船は必死に逃げたが、距離は開かなかった。
砲手たちは船体を避け、帆や索具を狙った。片舷の砲が次々に火を噴き、白煙が甲板を覆った。相手の周囲に水柱が立ち、何発かは帆を突き抜けた。
索具が切れ、帆の1枚が大きく垂れ下がった。
甲板から歓声が上がった。
「騒ぐな! 次を装填しろ!」
カートライトの怒声で、砲手たちはすぐ砲を引き戻した。火薬と砲弾が運ばれ、砲手たちは次の装填に入った。
テムズで何度も繰り返した動作だったが、今度は目の前に本物の敵船がいた。
商船も撃ち返した。1発がグレイミア号の帆を破り、別の砲弾が舷側へ当たって木片を飛ばしたが、船足を落とすほどの損傷ではなかった。
2度目の砲撃を受けると、逃げる船の大きな帆が裂け、さらに何本かの索具が垂れ下がった。目に見えて速力が落ちていった。
「もう逃げ切れないな」
「ええ。あとは降伏するかどうかです」
グレイミア号が再び停船を命じた。
今度は商船の帆が次々に下ろされ、砲撃も止まった。やがて甲板に白い布が上がった。
「取ったぞ!」
「最初の1隻だ!」
「2割だ!」
甲板に歓声が広がった。
「まだ金になっていないぞ!」
エドワードが叫ぶと、あちこちから笑いが返った。
カートライトが近づいてきた。
「拿捕隊を出します」
「訓練どおり頼む。書類を調べて、本当に対象なら英国へ持って帰る」
「まず25人移します。武装解除を済ませた後、相手の船に必要な者だけ残し、ほかの船員はこちらへ移しましょう」
「任せる」
小艇が海へ下ろされ、武器を持った水夫たちが乗り込んだ。
エドワードは、波の間を進んでいく小艇と、その先で帆を垂らした商船を見ていた。
1年以上待って手に入れた私掠免許で、ようやく最初の船を止めた。あとは書類を調べ、英国まで持ち帰れる船かどうかを確かめるだけだった。




