第1話(中編)「戦利品の取り分」 1777年2月11日~3月31日
護衛航海から戻ったエドワードは、2月11日にウェッブの事務所を訪れた。
外では冷たい雨が降っていた。馬車が通るたびに石畳から泥水が跳ねていたが、事務所へ入れば、紙とインク、暖炉で燃える石炭の匂いに変わる。ウェッブは机いっぱいに書類を広げていた。
エドワードは濡れた外套を脱ぎながら尋ねた。
「私掠免許はどうなった?」
「まだです。政府では反乱植民地側の船や財産を海上でどう扱うか、具体的な手続きを詰めています。免許を出す話も進んでおりますが、受付の開始日は決まっていません」
「カートライトにも、お前なら何か知っているだろうと言われたんだがな」
「船長は私へ押しつけましたか」
「役所の話は自分より詳しいそうだ」
「それは間違っておりません。ただ、私でも決まっていない日付までは分かりません」
エドワードが椅子へ座ると、ウェッブは別の書類を差し出した。
「待っている間にできることは進めてあります。申請が始まれば、グレイミア号についてはすぐ書類を出せるよう準備しています」
船名、所有者、船長、船の規模、砲数、乗組員などが整理されていた。保証金などを求められた場合に備えた資金も確保してある。
「金額が決まれば払えますね?」
「もちろんだ」
「2年前なら、その返事はできませんでしたな」
「2年前は25ポンドしか持っていなかった。今の金勘定は、お前の方がよく知っているだろう」
「帳簿を預かっておりますからな」
エドワードは書類を読みながら、以前から気になっていたことを聞いた。
「免許が出た後、敵船を捕まえて英国へ持って帰れば、それで僕の物になるのか?」
「すぐあなたの物になるわけではありません。拿捕してよい相手だったかどうか確認を受け、正式に認められた後で船と積荷を売ります。相手を間違えれば返還を命じられることもあります」
「命を懸けて捕まえた後で、間違いでしたでは困るな」
「ですから船籍や所有関係を確かめる必要があります。免許を持てば何をしてもよいわけではありません」
エドワードは書類を机へ戻した。
「拿捕した後の処理は、お前の方で手抜かりがないようにしてくれ。戦って取った船を、紙の不備で失うのは御免だ」
「承知しています。それともう1つ、海へ出る前に戦利品の分配を決めておきましょう。以前と同じく、船主8割、乗組員2割でよろしいですか」
「ああ。必要な費用を差し引いた後、8割を僕が取り、残り2割を乗組員へ回す。給金はそれとは別に払う」
私掠船によっては、戦利品の取り分を与える代わりに普段の給金を抑えるところもあるとウェッブは説明した。エドワードはその方法を採らなかった。
「獲物が見つからない月でも水夫には暮らしがある。僕の商売に付き合わせる以上、そこまで賭けをさせる気はない」
「その分、船主の負担は増えますぞ」
「船も砲も火薬も僕の金で用意する。給金も修理費も払う。失敗した時の損を僕が引き受ける代わり、成功したら8割を取る。それでいい」
「では乗組員へ渡す2割の内訳を決めましょう」
「全員同額にはしない。船長と士官、砲手、水夫では責任も違う。拿捕した船へ移って港まで運ぶ者には上乗せしたい」
ウェッブは条件を書き留めた。
「役職と仕事に応じて持ち分を決め、出航前に全員へ知らせて署名を取ります。金額を見てから条件を変えたと思われるのが一番まずいですからな」
「その方がいい。大金を前にしたら、僕だって2割が惜しくなるかもしれない」
「そこまで自覚しておられるなら、先に決めてしまいましょう」
◇ ◇ ◇
数日後、グレイミア号の船長室で、エドワードとカートライトはウェッブがまとめた分配案を確認した。
雨粒が船窓を叩き、川の流れに押された船体が時折軋んでいる。
「船主8割、乗組員2割。給金は従来どおり別払い。人を集める条件としては悪くありませんな」
書類を読んでいたカートライトが、途中で指を止めた。
「拿捕船へ移る者には持ち分を加算するのですか」
「ああ。降伏した後でも、相手の船へ乗り込むのは危険なんだろう?」
「火災や浸水が残っていることもありますし、武器を隠した船員が抵抗することもあります。傷んだ船を港まで運ぶにも腕が要ります」
「なら余分に出す。それから死傷者についても決めておきたい。その戦闘で死んだ途端に取り分がなくなるのでは、家族が納得しない」
「死亡した者の分は遺族へ渡し、負傷して途中から働けなくなった者も、その戦闘については持ち分を残すということで?」
「そうしよう」
カートライトはすぐに賛成した。
「戦いが終わってから金で揉めれば、次の航海で船がまとまりません。それでよいと思います」
「今回は船も武器も人件費も僕が持つ。その代わり、約束した2割には後から手を付けない」
「大きな商船を取れば、水夫にもかなりの金が入りますな。敵の帆を見る目が変わるでしょう」
「帆が金貨に見えるかもしれない」
「それで相手も確かめずに追われては困ります。近づいたら戦列艦だった、では笑えませんぞ」
「勝てない相手とは戦わない。そこはお前にも止める権限を持たせる」
「船長としては、その一言を契約書より大きな字で書いてほしいくらいです」
「値段の計算まで止めるなよ」
「計算するだけなら好きになさってください」
◇ ◇ ◇
2月下旬から3月にかけて、グレイミア号では実戦を想定した訓練を続けた。
砲撃に加えて、敵船へ接近する際の帆の扱い、火災時の消火、船腹を破られた場合の応急修理、負傷者を甲板下へ運ぶ手順も繰り返した。砲弾が当たれば、砕けた船材そのものが人を傷つける。索具が切れれば重い滑車が落ち、火薬へ火が回れば拿捕どころではなくなる。
必要な物について、エドワードは出費を惜しまなかった。予備の帆と索具を増やし、砲弾と火薬を確保する。負傷者のために包帯や酒、手当に使う道具も積ませた。
増えていく請求書を前に、ウェッブだけは素直に喜ばなかった。
「まだ敵船を1隻も捕らえていないのに、随分先に金が出ていきますな」
「戦闘の途中でロンドンへ買いに帰れない物ばかりだろう」
「払うなとは申しません。私まで気前よくなったら、誰が帳簿を締めるのかという話です」
「だからお前に任せている」
「よく分かっておられますな」
ヘイル商会では、その間も政府向けの物資調達や輸送、民間商船の護衛が続いていた。ウェッブが契約と決済を処理し、重要な案件だけを報告するため、エドワードは日々の取引に張り付くことなく、私掠の準備に時間を使うことができた。
◇ ◇ ◇
3月下旬、ウェッブから急ぎの連絡が届いた。
事務所へ入ると、机の上には私掠免許の申請に使う書類が広げられている。
「動きがあったのか?」
「免許が出たわけではありません。ただ、申請受付に備える段階まで来ました。こちらも、いつ始まっても出せる状態にしておきます」
所有関係、船体の規模、砲数、船長、乗組員、保証に使う資金まで確認は終わっている。カートライトの署名が必要になる書類についても準備できるという。
「受付が始まれば、すぐ出せるんだな?」
「前もっていただける署名は済ませておきます。本人でなければできない手続きが出た時だけ戻っていただきますから、あなたが海にいてもこちらでは動きます」
「それで頼む」
エドワードは書類へ目を通した。
「やっと先が見えてきたな」
「まだ免許は出ておりませんよ」
「分かっている。今日出航するとは言っていない」
「顔はそう見えますが」
「カートライトにも似たようなことを言われた」
「船長とは気が合いそうですな」
帰り際、エドワードは申請書類をもう一度手に取った。1775年にグレイミア号を注文してから、すでに1年以上が過ぎている。
翌朝も、彼はいつもどおり船へ向かった。




