第9話(後編)「冬の海へ」 1775年11月1日~12月31日
11月6日。
ハンター号と6隻の輸送船はテムズを下った。
空は朝から曇り、川面を渡る風は冷たかった。水夫の吐く息が白くなり、甲板を踏む靴の音に索具の軋む音が重なる。
6隻の船倉には、政府向けの毛布、衣類、靴、工具、帆布、食糧などが積まれていた。
一方、護衛を務めるハンター号には大量の商品を積まない。16門の6ポンド砲と火薬、砲弾、予備の帆や索具、それに乗組員が航海するための食糧と水を優先した。
乗組員も以前の72人から80人へ増やしている。
護衛だけを考えれば多いようにも見えるが、外洋では病人や負傷者が出る。戦闘になれば砲を扱う人手も必要になる。人数をぎりぎりまで減らしてしまえば、事故や病気が重なっただけで船を十分に動かせなくなる。
カートライトが船尾から後ろを見た。6隻の輸送船が間隔を取りながら続いている。
「今度は捕獲船ではありませんな」
「沈めたら僕が賠償する方です」
「それは嫌でしょう」
「かなり嫌です」
「なら守りましょう」
「お願いします」
ハンター号は船団の前を進み、周囲の海面を確かめた。風向きや天候によって位置を変え、遅れる船があれば速度を合わせる。
ハンター号だけなら、もっと速く進めた。
しかし護衛する側だけが先へ行っても意味はない。
前年、海賊船3隻を捕らえて帰国した時にも同じことを経験している。複数の船で航海する場合、全体の速さを決めるのは最も速い船ではなく、遅い船の方だった。
◇ ◇ ◇
出航から6日目。
大西洋へ出てから風が強くなった。
夜になると雨が甲板を激しく叩き、船首を越えた波が甲板を流れた。船体が波へ持ち上げられては落ち、足元が大きく傾く。暗い海では、後ろを進む船の灯りを見失わないよう注意する必要もあった。
真夜中を過ぎたころ、後方から信号が上がった。
輸送船の1隻が帆を傷めていた。
見張りから報告を受けたエドワードは、カートライトへ尋ねた。
「どのくらい持ちます?」
「この風のままなら無理をさせない方がいいでしょう」
「船団を止めますか」
「完全に止まれば別の危険が出ます。速度を落とし、ハンター号を戻すのがいい」
「そうしてください」
カートライトの指示で帆が調整され、ハンター号は向きを変えた。
強い風を横から受けると甲板が傾いた。水夫たちは雨に濡れた索具へ取り付き、互いに声を掛けながら帆を扱った。
エドワードも甲板に残った。
雨具を着ていても首元から冷たい水が入り込み、濡れた手袋は重くなっていた。風を正面から受けるたびに顔が痛むほど冷える。
傷んだ輸送船へ近づくと、帆の一部が大きく裂けているのが見えた。
「直せますか」
エドワードが尋ねると、カートライトが答えた。
「船は沈みません。帆を減らして朝まで耐えれば修理できます」
「なら待ちます」
「他の5隻が先へ行きますよ」
「合流できます?」
「天候が落ち着けば」
「では信号を送ってください。速度を落として進ませる。こちらはこの船を直して追います」
帆の修理方法までエドワードが口を出す必要はなかった。作業はカートライトと船員に任せた。
エドワードが決めるべきなのは、この1隻を守るために船団を分けるか、それとも遅れた船を置いて進むかである。
そこは迷わなかった。
数千ポンドの荷を積んだ船を、帆が傷んだという理由だけで置き去りにはできない。
翌朝には風が弱まった。
雲の切れ間から白い光が差し、前夜には不規則に崩れていた波も落ち着き始めた。
輸送船では替えの帆を使って修理が進められ、昼過ぎには再び航行できる状態になった。
その日の夕方、先行した5隻の帆影も水平線の向こうに見えた。
カートライトが望遠鏡を下ろした。
「全員います」
「良かった」
「船団長らしくなってきましたな」
「僕は船団長ですか」
「6隻を連れて海を渡っている人間を、何と呼ぶつもりです」
「商人」
「あなたは何でも最後はそこへ戻しますな」
◇ ◇ ◇
11月下旬。
天候が安定した日の午後、見張りから船影の報告があった。
右舷後方に2隻いるという。
エドワードは甲板へ上がり、カートライトから望遠鏡を受け取った。
見えたのは小型の帆船だった。こちらと同じ方向へ進んでいるが、まだ距離があり、掲げている旗までは見分けられない。
「商船ですか」
エドワードが尋ねた。
「分かりません」
「近づいています?」
「少しずつ」
エドワードは望遠鏡を下ろした。
「砲を用意してください」
「撃ちますか」
「撃ちません」
カートライトが乗組員へ指示を出した。
砲門が開かれ、火薬と砲弾が運ばれた。16門の6ポンド砲が、いつでも発射できる状態になる。
輸送船にも信号を送り、互いの間隔を詰めさせた。ハンター号は船団の後方へ回り、近づいてくる2隻との間へ入った。
2隻はその後も距離を縮めた。
夕方になり、片方の船体側面に砲門らしいものが見えた。
カートライトが言った。
「武装しています」
「何門?」
「ここからでは分かりません」
「向こうが撃つまでは撃たないでください」
「分かりました」
エドワードは船尾から相手を見続けた。
海賊なのかもしれない。植民地側の武装船かもしれず、単に自衛用の砲を積んだ商船という可能性もある。
正体が分からない相手を、怪しいという理由だけで攻撃することはできなかった。
エドワードには私掠免許もなく、敵船を自由に捕獲する権限もない。前年の海賊討伐では国王の命令書があったが、今回は政府物資を運ぶ船団を守るため、自分の判断でハンター号を付けている。
船を所有し、大砲を積み、80人の乗組員を雇ったからといって、海上で何をしても許されるわけではなかった。
やがて2隻の船は進路を変えた。
ハンター号が輸送船の後方へ回り、砲門を開いたことを見たらしい。日が沈む前には、目に見えて距離が広がり始めた。
エドワードは追わなかった。
カートライトが尋ねた。
「追えば追いつけるかもしれません」
「何の船か分かりません」
「分かったら?」
「敵船を捕らえていいという紙があれば追います」
「今は?」
「船団を守るのが仕事です」
エドワードは遠ざかっていく2隻を見た。
「腹は立ちますけどね」
「何に?」
「追いつける船がいて、追ってはいけないことにです」
カートライトは声を上げて笑った。
「新しい船が完成するころには、もっと我慢が必要になっているかもしれませんな」
「それは困ります」
◇ ◇ ◇
12月に入ると、気温はさらに下がった。
朝の甲板では冷たい風が吹き続け、水夫たちは厚い服を着ても体を動かしていなければ寒さがこたえた。
そんな時には、温かな食事がありがたかった。
食事は塩漬け肉を煮た汁、乾燥豆、硬いパンなどが中心である。ロンドンの屋敷で食べる新鮮な肉や野菜とは比べようもないが、冷たい風に何時間もさらされた後なら、湯気の立つ煮込み料理だけでも体が温まった。
エドワードは船長室で食事を取るだけではなく、甲板や船内へ出て、水夫たちがどのように働いているのかを見る時間を増やした。
新造船では80人ではなく、その倍以上を乗せる予定である。
人数が増えれば、必要な食糧と水も増える。砲が増えれば火薬と砲弾の置き場所も必要になる。戦闘で負傷者が出れば、治療して寝かせる場所も必要だ。
さらに拿捕した船へ人を移せば、残った乗組員だけで自分の船を動かさなければならない。
造船所の図面を見ているだけでは気付かなかった問題が、海へ出ると次々に見えてきた。
エドワードは新造船へ反映したい内容を帳面へ書き留めた。予備の帆を増やし、飲料水は1か所へ集中させず分けて積む。火薬庫への出入りを整理し、船大工も複数乗せる。負傷者を寝かせる場所も最初から確保しておく。
書き終えると、カートライトにも見せた。
「全部、新造船へ?」
「必要なものだけです」
「船大工は増やした方がいいでしょうな」
「やはり?」
「拿捕するつもりなら、相手の船も直さなければならない時があります」
「追加してください」
「まだ造っている途中ですよ」
「だから今なら直せます」
陸で完成を待っていただけなら、こうした問題に気付くのは出航してからになった。
エドワードには、自分が海へ戻った意味がようやくはっきりしてきた。
◇ ◇ ◇
12月下旬。
船団は目的地へ到着した。
ハンター号が護衛した6隻は、1隻も失われなかった。途中で帆を傷めた船も荷を失うことなく港へ入り、岸では荷役人夫が船を待っていた。
船倉が開かれると、毛布や衣類、靴、工具、食糧などが次々に運び出されていった。
戦争が始まる前なら、同じ毛布や靴はアメリカへ売れなくなった在庫だった。
今は兵士へ届ける軍需物資として、大西洋を越えて運ばれている。
商品そのものは変わっていない。
戦争が値段と買い手を変えたのだ。
エドワードは荷下ろしの様子を見ながら、ウェッブと最初の政府契約を取った時のことを思い出した。
あの時はロンドンの倉庫で商品を見ていた。
今は海の向こうまで来ている。
自分で売った物資を、自分が手配した輸送船へ積み、自分の金で買った武装船を付けて守りながら運んできた。
金を増やすことだけを考えるなら、ロンドンへ残った方が効率はよい。
しかし、ロンドンにいては分からないことも多かった。
船団では何が原因で船が遅れるのか。荒天で最初に傷むのはどこか。乗組員にどれだけの余裕が必要なのか。見知らぬ武装船が近づけば、どの距離から警戒しなければならないのか。
それを実際に見てきた。
カートライトが隣へ来た。
「次は帰りです」
「分かっています」
「もう新造船のことを考えていますな」
「分かります?」
「顔に書いてあります」
エドワードは港に並ぶ船を見た。
「28門では少ないと思います?」
「また増やすつもりですか」
「聞いただけです」
「速さが欲しいなら増やしません」
「では、そのままにします」
「珍しく素直ですな」
「専門家の話は聞きます」
「自分に都合のいい時だけでしょう」
「それでも聞かないよりいい」
12月31日。
エドワードはハンター号の船長室で帳面を開いた。
翌日には19歳になる。
17歳の誕生日には、父が約1万5,000ポンドの借金を抱えていることを初めて知った。
18歳の誕生日は、海賊船3隻を連れて大西洋を渡っている途中で迎えた。
そして19歳になる前夜も、船の上にいる。
自分の現金は、新しい船の建造を始め、ハンター号も買ったことで減った。しかしヘイル商会そのものはウェッブが動かし、政府との商売も続いている。
ハンター号は王室の船ではなく、自分の船になった。
テムズでは、自分の金だけで新しい快速武装船の建造も始まっている。
まだ敵商船を自由に捕らえることはできない。許可がない以上、今できるのは政府の物資を運び、輸送船を守り、海で経験を積みながら船と人を整えることだった。
エドワードは帳面の最後へ書いた。
「敵船を捕らえてよい日が来る前に、捕らえられる船と人を用意する」
その下に、もう1行加えた。
「許可が出てから準備するのでは遅い」
ペンを置くと、頭上の甲板から水夫たちの声が聞こえてきた。
間もなく年が変わる。
エドワードは帳面を閉じた。
戦争はまだ始まったばかりだった。




