第9話(中編)「ハンター号を買う」 1775年10月1日~10月31日
10月1日。
ウェッブの事務所へ入ったエドワードは、机の上へ1枚の紙を置いた。
「これを調べてください」
ウェッブは紙を取った。
「ハンター号?」
「はい」
海賊討伐の際、王室の費用で購入した約300トンのブリッグである。
16門の6ポンド砲を積み、72人を乗せて海賊を追った。エドワードはその船で大西洋を渡り、海賊船3隻と根拠地を制圧してロンドンへ戻っている。
「どうするのです?」
「買います」
「国王陛下の金で買った船ですよ」
「だから、こちらの都合で勝手には使えません」
「新しい船を造っているでしょう」
「完成まで待ちません」
エドワードは椅子へ座った。
「王室が今も必要としているなら諦めます。不要なら売ってもらえるか聞いてください」
「あなたは船を見ると欲しくなる病気ですか」
「ハンター号は知っています。速さも癖も、どこまで砲を撃てるかも知っている」
「だから買う?」
「知らない中古船を一から調べるより早いでしょう」
ウェッブは紙を机へ戻した。
「船のことになると、あなたは急に金の使い方が荒くなりますな」
「去年より金があります」
「そこが怖い」
ヘイル商会から政府側へ正式に問い合わせた。
ハンター号は海賊討伐という特定の任務のため、王室の費用で用意された船である。その後も政府側で使う予定があるなら、エドワードに売る理由はない。
エドワードも、そこを無理に曲げるつもりはなかった。売却できなければ別の船を探せばよい。
10月8日。
ウェッブから連絡が来た。
「売却できます」
エドワードは書類を受け取った。
「砲も?」
「現在積んでいる16門を含みます」
「いくらです?」
「船体、砲、残っている装備を合わせて5,000ポンド」
「買います」
「もう少し値切りませんか」
「状態は?」
「カートライト船長が見ています」
そこへ本人が入ってきた。
「船体に大きな問題はありません。帆と索具には替えた方がいい部分があります。去年かなり使いましたからな」
「いくらかかります?」
「きちんとやれば500ポンドほど見た方がいいでしょう」
エドワードはウェッブを見た。
「では買ってください」
「本当に値切らない?」
「去年、海賊船3隻を取った船です。5,000ポンドなら高くありません」
「あなたがそう言うなら手続きを進めます」
こうしてハンター号は、今度こそエドワード個人の船になった。
◇ ◇ ◇
数日後、エドワードとカートライトはハンター号へ乗った。
秋のテムズには冷たい風が吹き、甲板には前夜の雨が残っていた。靴の下で濡れた板が鈍く光り、船内へ入れば木材とタールの匂いが鼻へ届いた。
エドワードは砲甲板を歩いた。
両舷には16門の6ポンド砲が並んでいる。海賊の入り江へ突入した時には、この砲が左右から火を噴いた。甲板や船体には戦闘で傷んだ場所を直した跡も残っていた。
カートライトが言った。
「懐かしいですな」
「まだ1年もたっていません」
「あなたの場合、その間に起きたことが多すぎます」
「前に乗った時は僕の船ではありませんでした」
「今度は全部あなた持ちです」
「給金も?」
「当然です」
「火薬も?」
「当然です」
「修理も?」
「当然です」
エドワードは砲の側面へ手を触れた。冷えた金属の感触が手のひらに伝わった。
「王室の金は楽でしたね」
「ようやく気付きましたか」
「でも今回は、これでいい」
前回は国王の命令で海賊を討った。船の購入費、武器、弾薬、人件費、食糧、修理費など、任務に必要な経費は王室が負担した。
今回は違う。
エドワード自身が海へ出たいから船を買った。修理代も乗組員への給金も火薬代も、自分で払う。船を失えば損をするのも自分だった。
それでも、その方がよかった。
国王から与えられた任務ではなく、自分で選んだ仕事だからだ。
「以前の乗組員は集められますか」
カートライトが答えた。
「何人かにはもう声をかけています」
「早いですね」
「買うと思っていました」
「まだ決まっていなかったでしょう」
「あなたがハンター号の値段を調べろと言った時点で、買わずに終わるとは思いませんでした」
数日で、以前の乗組員のうち40人以上が戻る意思を示した。
海賊討伐に参加した者たちは、すでに大きな賞金を受け取っている。別の船へ移った者もいたが、再びハンター号へ乗りたいという水夫は少なくなかった。
足りない人員は新しく募集した。
ただし今回は、海賊討伐の時のように戦利品の分配を約束することはできない。敵商船を自由に捕獲してよいという免許がないからだ。
その代わり、一般の商船より高い給金を出し、危険な航海を無事に終えた場合には賞与も支払うことにした。
募集に来た水夫の1人が尋ねた。
「海賊退治ではないのですか」
エドワードは答えた。
「今の仕事は船を守ることだ」
「戦わない?」
「向こうが撃ってこなければな」
「撃ってきたら?」
「撃ち返す」
男は満足した。
「なら乗ります」
◇ ◇ ◇
10月20日。
政府から追加の輸送契約が来た。
北アメリカで戦闘が続けば、兵士だけを送っても軍は動かない。食糧、毛布、靴、衣服、帆布、工具、医薬品、弾薬などを海の向こうへ運び続ける必要がある。
ヘイル商会には、すでに物資と輸送船をまとめて用意した実績があった。
ウェッブが必要量を確認しながら言った。
「また船を出します」
「何隻?」
「今回は6隻で足ります」
「出航は?」
「11月上旬を求められています」
「ハンター号も出します」
ウェッブが紙から顔を上げた。
「護衛に?」
「6隻だけで大西洋へ出すよりいいでしょう」
「政府が護衛艦を付けるとは限りません」
「だから自分で付けます」
「護衛料を取りますか」
「今回は取りません」
今度はウェッブが驚いた。
「あなたが?」
「輸送契約では十分に利益が出ます」
「だから無料?」
「それだけではありません」
エドワードは言った。
「僕も乗ります」
ウェッブは椅子の背へ体を預けた。
「ようやく本当の理由が出ましたな」
「冬の大西洋を忘れないうちに、もう一度出ておきたい」
「去年、散々乗ったでしょう」
「去年の僕は72人を動かしていました。これから造る船では、その倍以上を動かします」
「だから練習?」
「海の上でしか覚えられないことがあります」
「商会は?」
「10万ポンド以下の取引は任せると言ったでしょう」
「本当に任せて海へ行くつもりだったとは思いませんでした」
「そのために任せたんです」
ウェッブはため息をついた。
「いつ戻ります?」
「分かりません」
「一番嫌な答えです」
◇ ◇ ◇
出航の話を聞いたキャサリンは、夕食の途中で弟を見る目を変えた。
「また行くの?」
「行きます」
「今度は国王陛下の命令?」
「違います」
「政府から行けと言われたの?」
「荷物を運べとは言われています」
「あなた自身に乗れとは?」
「言われていません」
「では、なぜ乗るの」
エドワードは肉を切る手を止めた。
「姉上。僕は18歳です」
「知っているわ」
「21万ポンドあります」
「それも聞いた」
「なら、もう金を持っているだけでは誰も驚かないでしょう」
キャサリンは眉を寄せた。
「十分驚いているわよ」
ヘンリーが横から口を挟んだ。
「こいつが言いたいのは別のことだ」
エドワードは義兄を見た。
ヘンリーが続けた。
「金持ちの男爵家跡取りでは足りないんだろう」
「はい」
「今度は何になりたい」
エドワードは答えた。
「誰もやりたがらない仕事へ、自分から行く男です」
キャサリンが呆れた。
「それを普通は命知らずと言うのよ」
「それなら覚えてもらいやすいですね」
「褒めていないわ」
エドワードは食事を再開した。
ヘンリーはしばらく弟を見ていた。
「死ぬなよ」
「死なないために5,000ポンドの船を買いました」
「金で全部解決できると思うな」
「思っていません。だからカートライトも連れて行きます」
それを聞いたキャサリンは夫を見た。
「あなたまで止めないの?」
「止めて聞く男なら、去年の4月に船を買っていない」
「家族が全員諦めるのが早すぎるわ」
エドワードは返事をせず、姉の皿へ残っている肉を見た。
「食べないならもらっていいですか」
「駄目」
キャサリンは皿を自分の方へ引いた。




