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25ポンドから始めるジョージア朝成り上がり 男爵家の跡取りは金と情報で大英帝国を駆け上がる  作者: ひまえび
第一章「秘密には値段がある」

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第8話(後編)「戦争が値札を変えた」 1775年5月29日~8月31日

 5月29日の朝。


 ウェッブの事務所へ入ったエドワードは、いつもより人の出入りが多いことに気付いた。書記たちが新聞や書簡を運び、ウェッブも机に座らず立ったまま書類を読んでいる。


「アメリカから知らせが来ました」


 エドワードはその声でただ事ではないと分かった。


「何があった」


「戦闘です。マサチューセッツのレキシントンとコンコードで、正規軍と植民地民兵が衝突しました」


「いつだ」


「4月19日です」


「1か月以上前か」


「大西洋を渡ってきた知らせですから」


「死者は?」


「出ています。ただ、誰が最初に撃ったのかを含め、細部はまだ情報が食い違っています」


 ウェッブから渡された新聞には複数の話が載っていた。細かな数字には違いがあっても、イギリス軍と植民地民兵が実際に撃ち合ったことだけは疑いようがない。


 エドワードが確認するには、それで十分だった。


「僕が買った商品は、しばらく勝手に売らないでください」


「値上がりを待ちますか」


「売る相手を変えます」


 昨日まで北アメリカ向けの売れ残りだった毛布、靴、帆布、工具、斧、シャベル、釘は、軍が動けばそのまま必要になる。兵士には衣服と毛布が要り、船や野営地には帆布や工具が要る。


 倉庫の品物は昨日と同じだったが、欲しがる相手が変わった。


「カートライトを呼んでください。18隻のうち、すぐに使える船を改めて確認します」


「政府から注文が来たのですか」


「まだです」


「では、なぜ?」


「注文が来てから船を探したら遅いでしょう」


 ◇ ◇ ◇


 その日の午後、エドワードはヘンリーを訪ねた。


「義兄上、政府の調達に関わる人を紹介していただけませんか」


「お前が『お願い』と言う時は、たいてい話が大きいな。何を売る気だ」


「物資と船です」


「もうあるのか?」


「あります」


 ヘンリーは今朝届いたばかりの新聞へ目を向けた。


「戦闘の知らせが来たのは今日だぞ」


「商品は3週間前から買っています」


「戦争になると読んでいたのか」


「可能性は考えていました。でも、和解しても売れる物しか買っていません」


「だから毛布や靴か」


「はい」


 ヘンリーは納得した。


「紹介はできる。ただし、私の名前だけで契約が取れると思うなよ」


「会わせてもらえれば十分です」


「それなら、お父上にも頼んでみろ」


「父上に?」


「金の管理が苦手でも、グレイミア男爵として長く付き合ってきた相手はいる。お前が知らない人間も知っているだろう」


 エドワードは以前父から聞いた言葉を思い出した。


 金や数字だけでは世の中は動かない。最後に決めるのは人である。


 その日のうちにハートフォードシャーへ使いを出した。


 翌日届いた父の手紙には、軍や政府へつながる数人の名前が書かれていた。


「金については、お前に教えることはもうない。人についてなら、まだ父親の方が少し上だ」


 エドワードはその一文を読んで笑った。


 父に家計を任せないことと、父の持つ人脈を使わないことは別の話だった。


 ◇ ◇ ◇


 政府側との話し合いは、紹介されたからといってすぐ契約になるほど簡単ではなかった。


 18歳の若者というだけで警戒する担当者もいた。しかしエドワードには国王の命令による海賊討伐の実績があり、今回は何より、商品と輸送手段をすでに押さえていた。


 調達担当者との席で、エドワードはまず必要な品を聞いた。


「毛布、靴、帆布、工具類、それに輸送船だ」


「数量を教えてください。明日までに、どこまで用意できるか回答します」


 担当者が必要量を読み上げると、エドワードは順に書き留めた。


「毛布と帆布、工具類はすでに在庫があります。船については18隻の候補がありますが、すべて同時に出せるとは申し上げません。船体と乗組員を確認します」


「18隻も持っているのか」


「所有はしていません。私が必要な時に優先して借りられる契約です」


「つまり、まだ全部の船賃を払ったわけではない?」


「使う船に払います。18隻を買っていたら、物資を買う金がなくなりますから」


 担当者は初めて笑った。


「それで、安く売ってくれるのか」


「急がないのでしたら安くできます」


「どのくらい待てばいい」


「3か月ほどでしょうか」


「そんなに待てると思うか?」


「思いません。ですから今の値段があります」


 最初の会談では契約まで決まらなかったが、翌日には担当者が倉庫を見に来た。その次には船の検査が始まった。


 エドワードが売ろうとしているのは、将来集められるかもしれない物資ではない。今、実際に倉庫にあり、運ぶ船まで手配できる物資だった。


 ◇ ◇ ◇


 6月中旬、最初の大口契約がまとまった。


 商品、船、倉庫、金融を一つの事業として扱う必要が出てきたため、エドワードは商売上の名称として「ヘイル商会」を使うことにした。


 所有者はエドワードで、ウェッブが金融と契約を担当し、カートライトが船を担当する。


 最初の政府契約では、毛織物、毛布、帆布、靴、工具類などと輸送船をまとめて提供することになった。


 契約総額は約18万ポンドである。


 ただし、18万ポンド分の品を今から買い集める必要はない。売れ残っていた時に押さえた商品があり、船の条件も戦闘の知らせが届く前に決めている。不足する分だけを追加すればよかった。


 それでも、目先の支払いには手元の現金だけでは足りなかった。


 ウェッブが計算書を示した。


「すぐに4万ポンドほど必要になります。出航まで含めれば、もう少しかかります」


「銀行へ行こう」


「土地を担保にしますか」


「必要なら」


「買ったばかりの土地ですよ」


「売るわけじゃない。使うんだ」


 銀行へはスタッフォードシャーの土地の証書、領地収入の記録、政府との契約書を持ち込んだ。


 担当者はそれぞれの書類を確認した。


「納品が予定どおり進めば、政府から代金を受け取れるわけですな」


「はい」


「しかし船が沈む危険はある」


「一つの船に全部の荷を積むわけではありません」


「政府の支払いが遅れれば?」


「領地収入があります。土地そのものも残ります」


 銀行は返済の裏付けを確認したうえで、まず5万ポンドの信用枠を認めた。


 エドワードは、自分の財布にない金を商売へ使える立場になった。


 ◇ ◇ ◇


 最初の契約は順調に進んだ。


 カートライトは18隻の候補から12隻を選び、必要な修理と乗組員の確認を進めた。各地の倉庫にあった商品も、船積みに都合のよい場所へ集められた。


 戦争の知らせが届いた後になって、契約済みの商品を以前の値段では渡したくないと言い出す商人もいた。


「今ならもっと高く売れる」


「だから先月買ったのです」


「まだ代金を全部受け取っていない」


「支払日は契約書に書いてあります。その日に払います」


「今の相場は違う」


「契約を変えるなら、法律家を通してください」


 相手が金に困っている時に安く買った以上、エドワードも約束した支払日を守る必要がある。値上がりしたから売り手が条件を変えてよいのであれば、値下がりした時には買い手も約束を守らなくてよいことになる。


 それでは次の取引が続かない。


 7月初めまでに最初の納品の大半が終わった。


 仕入れ、船賃、倉庫、保険、手数料、銀行利息などを差し引いた後、エドワードが自由に使える現金は約9万ポンドになった。


 まもなく政府から次の注文が来た。


「次も用意できるか」


 前回より多い数量を示され、エドワードは資料へ目を通した。


「できます」


 ウェッブはその場では何も言わなかった。


 事務所へ戻ってから、改めて確認した。


「本当にできますか?」


「今からできるようにする」


「先ほどは、できますと答えていましたが」


「最初は商品を持ってから買い手を探した。今回は買い手が先にいる。必要な物と量が分かっているなら、その契約を使って仕入れればいい」


 ウェッブは契約書を見た。


「ずいぶん仕事が大きくなりましたな」


「だから僕の現金だけで全部払う方法はやめる」


 ◇ ◇ ◇


 2回目の契約では、将来政府から受け取る代金も信用の裏付けになった。


 取引先へは一定期日後の支払いを約束する手形を使い、すぐ現金が必要な相手は銀行などで割り引けるようにした。


 銀行側にとっても、最初の融資時とは条件が違う。エドワードには土地と領地収入があり、最初の政府契約を履行した実績が加わった。その上で、次の政府契約も存在する。


 取引が増えるにつれて銀行の信用枠も広がり、最終的には18万ポンドまで認められた。


「全部を一度に借りるつもりではありません」


 銀行側の担当者へエドワードが説明すると、相手は苦笑した。


「船の契約でも似たようなことを言ったそうですな」


「必要な分だけ使う方が安く済みます」


「もっともです」


 ◇ ◇ ◇


 7月下旬、エドワードはエレノア侯爵夫人と会った。


 彼女は顔を見るなり尋ねた。


「あなた、戦争を待っていたの?」


「待っていません」


「始まる前に毛布も靴も船も押さえていたそうじゃない」


「安かったので」


「本当にそれだけ?」


「戦争になれば値段が上がる。和解すればアメリカへ売れる。どちらでも売れる物を選びました」


 エレノアは呆れたように笑った。


「嫌な答えね」


「よく言われます」


「それで、いくら儲けたの?」


「それは言いません」


「以前は25ポンドしかないと教えてくれたでしょう」


「あの時は隠すほど持っていませんでした」


「今は隠すだけあるのね」


「その質問にも答えません」


「本当に可愛くなくなったわ」


「18歳ですから」


「そこは前に会った時から変わっていないでしょう」


 エレノアはグラスを置いた。


「でも、少し安心したわ。戦争が始まったと聞いたら、すぐ船に乗って出ていくと思っていたから」


「今はロンドンにいる方が儲かります」


「海より?」


「今は、です」


「またその言い方をするのね」


 エドワードは海へ出ることを嫌いになったわけではない。


 ただ、今は自分が1隻の船へ乗るより、ロンドンで複数の船と商人を動かす方が大きな商売になる。それなら、自分がいるべき場所も変わる。


 ◇ ◇ ◇


 8月10日、エドワードはグレイミア館へ戻った。


 アンが家計を引き受けてから数か月が過ぎていたが、使用人の給金は決められた日に支払われ、肉屋や石炭商への未払いもない。西翼棟の修理も必要な箇所だけ進み、高価な家具を買い戻した形跡はなかった。


 夕食前、エドワードは父へ尋ねた。


「母上の財布は厳しいですか」


「お前が任せたのだろう」


「そうですが」


「馬を1頭買おうとしたら、3日待たされた」


 アンが横から口を挟んだ。


「本当に必要か調べただけです」


「必要だった」


「だから買ったでしょう」


「3日後にな」


「馬は逃げなかったでしょう」


 文句はあっても、父は決めた予算を守っているらしい。


 夕食後、エドワードは母とキャサリン、それにエリザベスを別室へ呼んだ。


「母上。以前話した件です」


「何だったかしら」


「エリザベスのための金です」


 妹が驚いて兄を見た。


「私?」


「そうだ」


「何を買うの?」


「今は何も買わない」


 エドワードは母へ書類を渡した。


「1万ポンドを別にしました。社交界へ出る時の衣装やロンドン滞在、将来の結婚にも使えます」


 アンは数字を見直した。


「1万ポンド?」


「はい」


「多すぎない?」


「借金するよりいいでしょう」


 キャサリンも書類をのぞき込んだ。


「私の時より多いのではない?」


「姉上の時は、その一部を借金で用意したでしょう。同じことにはしません」


 エリザベスはようやく話の意味を理解した。


「そのお金を私がもらうの?」


「今は母上に管理してもらう」


「お兄様ではなく?」


「僕が持っていたら商売に使うかもしれないからな」


 アンが笑った。


「よく分かっているのね」


「だから母上へ渡すんです」


「お父様には話すの?」


「もちろん。妹を社交界へ出して、結婚の話をまとめるのは父上と母上の役目です。僕は金を用意しただけです」


 父親としての役目まで取り上げる必要はなかった。


 借金だけ作らせなければよい。


 ◇ ◇ ◇


 8月末。


 ヘイル商会では2回目の大規模取引の決済も進み、ウェッブが数か月分の帳簿を整理していた。


 商品代、船賃、倉庫代、保険料、銀行利息などを差し引き、さらにエリザベスのための1万ポンドを別口座へ移した後で、エドワードが自由に使える現金は約21万ポンド残った。


 ウェッブは続けて銀行関係の書類を出した。


「銀行から必要に応じて使える信用枠は18万ポンドです。それとは別に、政府との契約を裏付けとして商取引へ回せる手形が約27万ポンドあります」


 エドワードは数字を確認した。


 現金21万ポンド、銀行信用枠18万ポンド、手形約27万ポンド。


 合計すれば66万ポンド規模の取引に対応できる。


 もちろん、66万ポンドを持っているわけではない。銀行から借りれば返済が必要で、手形にも決済日がある。政府との契約を果たせなければ信用そのものを失う。


 それでも、手元の現金だけを数えていたころとは、商売の仕方が変わっていた。


「ウェッブ」


「はい」


「僕が去年25ポンドを持ってここへ来て、金を貸してくれと言ったらどうしました?」


「貸しません」


「1,000ポンド持っていたら?」


「何に使うのか聞いたでしょうな」


「今は18万ポンドまで借りられる」


「返せると銀行が判断していますから」


「土地だけじゃないな」


「政府との契約もありますし、これまで支払日に遅れていない実績もあります」


「人もいる」


 ウェッブは顔を上げた。


「私とカートライト船長ですか」


「それだけじゃない」


 父は人を紹介し、母は実家の家計を守る。キャサリンとヘンリーはロンドンで助けてくれた。カートライトは船を選び、ウェッブは金融と契約をまとめる。その周囲には船主、商人、倉庫業者、銀行家、政府の担当者がいる。


 金だけを持っていても、18隻の船を同時に動かすことはできない。


 エドワードは帳面を開いた。17歳のころに書いた「金、信用、情報、人」という4つの言葉が残っている。


 今の商売は、ウェッブだけでもカートライトだけでも動かなかった。商人が商品を売り、船主が船を出し、銀行が金を貸し、政府が代金を払う。そのどこかが止まれば、18隻の船も動かない。


「これからは、小さな取引を全部僕へ持ってこなくていい」


 ウェッブが眉を上げた。


「どのくらいからが小さいのです?」


「10万ポンド以下なら、まずウェッブが判断してください。迷った時だけ僕に回してもらえればいい」


「ずいぶん偉くなりましたな」


「偉くなったわけじゃありません。時間が足りないんです」


「何に使うおつもりで?」


 エドワードは机に広げられた北アメリカの地図へ目を向けた。


 戦闘が始まれば兵士が増え、兵士が増えれば食糧、衣服、靴、武器、火薬が要る。それらを大西洋の向こうへ運ぶ船も必要になる。


 戦争が続けば、動く金も船もさらに増える。


「次は、戦争そのものから稼ぎます」


 ウェッブが尋ねた。


「今までと何が違うのです?」


「今までは、始まる前に安く買っただけです」


 エドワードは帳面を閉じた。


 北アメリカの戦争は、まだ始まったばかりだった。

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