第7話(後編)「土地の下にも金がある」 1775年3月26日~4月18日
3月27日。
エドワードは新しく買った領地へ戻った。
前回は買う価値を調べる客だったが、今度は所有者として入ることになる。
公爵家から帳簿、建物の鍵、土地と賃貸契約に関する書類が順に引き渡された。公爵家の私物は運び出され、屋敷では朝から使用人が慌ただしく出入りしている。
翌朝、エドワードは主だった管理人と使用人を広間へ集めた。
ほとんどが自分より年上で、中には何十年もこの領地で働いてきた者もいた。公爵家から土地を買った新しい主人が18歳だと知り、不安そうな顔をしている者もいる。
エドワードは全員を見渡した。
「最初に言っておく。持ち主が公爵家から僕に変わったからといって、明日から何もかも変えるつもりはない。利益が出ていて問題のない仕事は続けてくれ。うまくいっていないものは、何が原因なのかを先に調べる」
集まった者たちは黙って聞いている。
「僕は農業も森林も専門家ではない。農地のことは農地を知っている者に聞くし、森林のことは森林を管理してきた者に聞く。ただし、事情を確かめた後で最終的に決めるのは僕だ。『公爵家の時からそうしていた』というだけでは続ける理由にしない」
給金についても、その場で方針を示した。
「給金は決めた日に払う。仕事をした者への支払いを遅らせるつもりはない。その代わり、仕事をしていない者を給金だけのために置いておくつもりもない」
何人かが隣の者と顔を見合わせた。
「最初の3か月は現状を見る。僕の許可なく使用人を辞めさせるな。小作人の地代も勝手に上げるな。修理が必要な場所、使っていない土地、収入が落ちている農地を一覧にして出してくれ」
経験のある者の知識は使う。しかし、責任まで他人に預けるつもりはなかった。
集会が終わった後、ウェッブが声をかけた。
「随分、主人らしくなりましたな」
「何です、それは」
「去年、私の事務所へ来た少年は、自分より年上の人間へこんな話し方はしていませんでした」
「船に72人乗せれば変わりますよ。砲撃の時に『お願いですから撃ってください』とは言えませんから」
「なるほど」
「ウェッブにも今まで以上に働いてもらいます」
「それは聞かなかったことにしたいですな」
「給金は払います」
「なら仕方ありません」
◇ ◇ ◇
領地の調査はすぐに始まった。
エドワード自身も管理人たちと農地や森林を歩き、現場を確かめた。
農地そのものは、最初に考えていたほど悪くない。問題は、長年少しずつ先送りされてきた修繕だった。
排水溝が詰まり、雨が続くと水のたまる畑がある。橋は2か所で補修が必要だった。森林では伐採時期を過ぎた木が残る一方、若木を手入れしていない場所もある。
エドワードは担当者から、問題だけでなく直す費用と見込める効果まで聞いた。
「この畑は排水を直せば使えるのか?」
「はい。工事には300ポンドほどかかりますが、普通の作柄が続けば数年かからず回収できると思います」
「では工事を進めてくれ」
炭坑へ通じる道路についても同じだった。
「重い荷車を通すには?」
「今のままでは難しいです。橋の補修まで含めれば、700から800ポンドほどかかるかと」
「詳しい見積もりを出してくれ。1,000ポンド以内で収まるなら検討する」
大金を持ったからといって、支出の判断まで変える必要はない。使った金によって何が改善され、どれほどの収入が増えるかを見る点では、25ポンドしか持っていなかったころと同じだった。
◇ ◇ ◇
4月2日、エドワードが呼んでいた鉱山技師が到着した。
技師は過去の採掘記録を読み、古い坑道と周囲の地形を調べた。その結果、石炭層はかなり広い範囲へ続いている可能性があるという。
問題は、やはり水だった。
「深く掘れば、かなりの量が入ります」
「ニューコメン式では排水できないのか?」
「できます。ただ、燃料を多く使います」
「石炭ならここにある」
「ございます。しかし掘り出した石炭を排水のために大量に燃やせば、その分だけ売れる量が減ります」
エドワードは坑口の方を見た。
「もっと燃料を使わずに排水する方法はないのか?」
「蒸気機関の改良を進めている技師はおります。ジェームズ・ワットという男で、バーミンガムのマシュー・ボールトンと組んだという話です」
「今、この坑で使えるのか?」
「将来は有望だと思います。ただ、今すぐ持ってきて確実に動かせる完成品があるかと聞かれれば、別の話です」
「なら待ちません」
エドワードは坑口を見た。
「今使える設備で、まず1坑を動かします。ワットの機関が実用になって、こちらの方が得だと分かった時に替えればいい」
新しい技術が完成するまで何年かかるか分からない。その間、採掘できる石炭を地中に置いたままにする必要はない。
炭坑の再整備、排水設備、道路、荷車、労働者用の施設などを合わせ、最初の投資額は最大1万ポンドとした。
ただし、一度に全額を使うのではなく、まず1坑を動かして採算を確認する。利益が見込めることを確かめてから広げる方針だった。
「金がある時ほど、まとめて使わない方がいいですね」
ウェッブが笑った。
「海賊討伐で10万ポンドを得た方のお言葉とは思えませんな」
「あれは船の費用を王室が出してくれました。自分の金を使う話とは別です」
「なるほど。それならよく分かります」
◇ ◇ ◇
4月5日。
エドワードは領地の仕事を管理人たちへ任せ、ロンドンへ戻った。
レイヴンズクロフト邸へ入ると、キャサリンは弟の顔より先に靴を見た。乾いた泥が革にこびりついている。
「何、その靴」
「土地を歩いてきたので」
「それは見れば分かるわ。10万ポンド持った人が、どうして去年より汚くなって帰ってくるの?」
「炭坑へ入ったからです」
「炭坑?」
そこへヘンリーも入ってきた。
「今度は何を始めた?」
「石炭を掘ります」
「船の次は炭坑か」
「土地に付いていました」
「普通は1万エーカーを超える土地を『付いてきた』とは言わないぞ」
「付いていたのは石炭の方です」
「そちらでも大して変わらん」
キャサリンは呆れながら尋ねた。
「それで、いくら使うの?」
「土地に5万3,000ポンド。実家の借金整理に約1万1,000ポンド。領地の改善と炭坑には最大1万ポンドほどです」
「残りも使うの?」
「3万ポンドほどは手元に残します」
ヘンリーは意外そうに弟を見た。
「全部使わないのか」
「さすがに学びました」
「去年は2,500ポンドをほとんど全部使っただろう」
「あの時は2,500ポンドしかありませんでしたから」
「それでは説明になっていないぞ」
キャサリンはそれ以上追及せず、別のことを聞いた。
「少しは休んだ?」
「海には出ていません」
「それを休んだとは言わないのよ」
「毎晩きちんと寝ています」
「それは普通の生活です」
ヘンリーが妻をなだめた。
「もう諦めろ。こいつにとっては、沈まない地面の上で金を使っているだけでも休暇らしい」
「海よりはましだけれど」
キャサリンも最後には笑った。
この家は、エドワードにとってもう遠慮しながら暮らす場所ではなかった。1年前、何も持たずにロンドンへ来た弟を迎え、住まわせ、人に紹介してくれた姉夫婦の家である。
いつか自分のロンドン邸を持つとしても、その関係まで変える必要はなかった。
◇ ◇ ◇
数日後、エドワードはエレノア侯爵夫人と再び会った。
その夜は人数の少ない夕食会で、食事が終わると客たちは順に帰っていった。
エドワードも帰ろうとしたところで、エレノアに呼び止められた。
「少し残らない?」
彼女が何のために引き止めたのか、改めて確かめる必要はなかった。
他の客がいなくなってから、エレノアは尋ねた。
「新しい土地は気に入った?」
「かなり」
「私のおかげかしら」
「公爵が現金を必要とする日を教えていただいた分なら、4,000ポンドくらいの価値はあったと思います」
「また値段を付けた」
「でも、土地そのものは自分で見てから買いました」
「それでいいのよ。私はあなたに無理に買わせたかったわけではないもの」
「では、なぜ教えたのです?」
「あなたなら、知った情報をどう使うのか見たかったから」
「5万3,000ポンドで買いました」
「公爵は怒ったでしょう」
「かなり」
「あなたは?」
「楽しかったです」
「嫌な18歳ね」
「最近よく言われます」
「シャーロットにも?」
「何度も」
「やはり聞かなければよかったわ」
「夫人から聞いたのではありませんか」
「そうだったわね」
2人の会話は、その後もしばらく続いた。
その夜、エドワードは屋敷に残った。
翌朝、エレノアが尋ねた。
「次は何を買うの?」
「しばらく大きな物は買いません。炭坑が先です」
「戦争は?」
エドワードは少し考えた。
「近いとは思います。でも、いつ始まるかは誰にも分かりません」
「始まったら、また海へ行く?」
「国王陛下から命令があれば行きます」
「なければ?」
「金になる仕事がある場所へ行きます」
「やっぱり、あなたらしい答えね」
◇ ◇ ◇
4月15日、新領地から最初の本格的な報告が届いた。
農地では排水工事が始まり、道路の補修も進んでいる。炭坑では古い坑道の確認を終え、排水設備を設けるための準備に入っていた。
まだ石炭の売上はないが、帳面には地代の入金と修繕費、炭坑を動かすための支出が並び始めている。エドワードは報告書を読み終えると、次に確かめるべき数字へ印を付けて帳面を閉じた。
◇ ◇ ◇
4月18日の夜。
レイヴンズクロフト邸では、エドワード、キャサリン、ヘンリーの3人だけで夕食を取っていた。
キャサリンが弟に尋ねた。
「次はいつ実家へ行くの?」
「来月には行くつもりです」
「お母様へ手紙は書いた?」
「昨日出しました」
「本当に?」
「姉上は僕を何歳だと思っているのです?」
「18歳」
「合っています」
「だから心配なのよ」
ヘンリーが笑った。
「18歳で10万ポンドを作り、公爵から領地を買って、炭坑まで始めた男を子供扱いできるのは、たぶん君くらいだ」
「弟ですもの」
キャサリンは当然のこととして答えた。
エドワードには言い返すことがなかった。どれほど金を稼ぎ、土地を買っても、姉にとって弟であることは変わらない。
食事の後、ヘンリーと2人で居間へ移った。暖炉では石炭が赤く燃え、部屋には酒と煙の匂いがわずかに残っている。
ヘンリーは酒を注いでから尋ねた。
「それで、この2か月半は少し休めたのか?」
「海賊には撃たれませんでした」
「休息の基準が低すぎる」
ヘンリーは酒杯を渡した。
「今夜くらい金のことは忘れろ」
「努力します」
「それでは駄目だ」
「姉上と同じことを言いますね」
「夫婦だからな」
エドワードは酒を口にした。
暖炉の中では石炭が燃えている。その赤い火を眺めていると、自然にスタッフォードシャーの炭坑と、坑道から排水する設備のことが頭に浮かんだ。
ヘンリーはすぐに気付いた。
「今、炭坑のことを考えていただろう」
「少しだけです」
「もう寝ろ」
「まだ早いでしょう」
「金持ちになっても睡眠時間は買えん」
「それは確かですね」
翌日、1775年4月19日。
大西洋の向こうでは、レキシントンとコンコードでイギリス軍と植民地民兵が衝突する。
エドワードがその報せを知るのは、まだ先のことだった。




