第7話(中編)「公爵の土地」 1775年2月21日~3月25日
2月21日。
エドワードはキャサリン、ヘンリーとともにロンドンへ戻り、翌日にはウェッブの事務所を訪れた。
「土地を探してください」
ウェッブは手元の書類から顔を上げた。
「グレイミア領があるでしょう」
「あれは父上の土地です。僕のものではありません」
「いずれ相続します」
「父上には長生きしてもらいます。それまで土地を持たずに待つつもりはありません」
ウェッブは筆を置いた。
「どのくらいの規模をお考えです?」
「年間3,000ポンド以上の収入がある土地が欲しいです。農地だけでなく、森林や水にも価値がある方がいい。地下に石炭、鉄、石灰などがあれば、なおいい」
「それは土地というより、一つの領地を買う話ですな」
「そのつもりです」
「場所は?」
「イングランドなら構いません」
ウェッブは呆れながらも、必要な条件を書き留めた。
「大きな買い物になりますぞ」
「金ならあります」
「一度その言葉を言ってみたかったのでしょう」
「少しだけです」
◇ ◇ ◇
数日後、エドワードはヘンリーとロンドンの夕食会へ出席した。
屋敷の前には何台もの馬車が並び、暖炉と多数の蝋燭で温められた室内には、肉料理や香辛料の匂いが満ちていた。
海賊討伐から帰った後、エドワードを見る周囲の目は明らかに変わっていた。
17歳で船を買い、大西洋を渡り、国王の命令で海賊を討った男爵家の跡取りである。しかも18歳になったばかりで大金まで手にしたという話が広がっている。
事実より金額を大きくして語る者までいた。
ヘンリーが会場を見渡した。
「娘を持つ家からも、かなり見られているぞ」
「何をです?」
「お前をだ。いずれ爵位を継ぐうえ、金まである。18歳で大きな借金もない」
「僕自身より条件を見ているのでは?」
「結婚とは、そういう面もある」
「まだ結婚する気はありません」
「それも知っている」
ヘンリーの視線が別の方へ動いた。
「お前が気にしている相手もな」
エドワードが見ると、少し離れたところに30代半ばほどの女性がいた。若い娘たちのように目が合った途端に視線を外すこともなく、こちらを見ている。
「誰です?」
「ウェイクリッジ侯爵夫人、エレノアだ。夫は第4代ウェイクリッジ侯爵。長男が16歳、次男が13歳だったはずだ」
「ずいぶん詳しいですね」
「社交界にいれば、そのくらいは覚える」
「夫婦仲は?」
ヘンリーは義弟を見た。
「私はお前の女遊びの案内人ではないぞ」
「聞いただけです」
「仲が悪いとは聞いていない。ただ、互いの私生活には細かく口を出さない夫婦らしい」
「シャーロット夫人の時と同じですか」
「同じとは言っていない。それに相手は侯爵夫人だ。何か問題を起こせば、家の力は向こうの方がはるかに強い」
「分かっています」
「その返事が一番不安なんだ」
話しているうちに、エレノアの方から近づいてきた。
「レイヴンズクロフト卿」
「夫人」
ヘンリーが礼を取り、エドワードも続いた。
「こちらが噂の義弟君ね」
エドワードは顔を上げた。
「どの噂でしょう」
「それを聞くところが面白いわ。海賊を3隻捕まえた話かもしれないし、1年で大金持ちになった話かもしれない」
「前者は事実です。後者は金額によります」
「10万ポンド」
「誰からお聞きになりました?」
「ロンドンで金の話を秘密にできると思っているの?」
「思っていません」
「それなら安心したわ」
エレノアはヘンリーへ尋ねた。
「少しお借りしても?」
「私の所有物ではありませんので、ご本人に聞いてください」
「義兄上」
「自分でどうにかしろ」
ヘンリーは笑って離れていった。
エレノアはエドワードを眺めた。
「海賊よりロンドンの人間を相手にする方が面倒でしょう」
「海賊は撃ってきます。でも、何を欲しがっているかは分かります」
「ロンドンでは違う?」
「笑いながら別のものを欲しがる人もいます」
「18歳らしくない答えね」
「なったばかりです」
「それなら、まだ悪い大人になる時間は十分にあるわ」
「それは安心しました」
エレノアは声を上げて笑った。
シャーロットとは違う女性だった。最初から興味を隠さず近づいてきたシャーロットに対し、エレノアは会話そのものを楽しみながら、相手を見極めているように感じられた。
その日は、互いの名前と話し方を覚えただけで別れた。
◇ ◇ ◇
2月末、ウェッブが条件に合う土地を見つけた。
「スタッフォードシャーに一つあります。およそ1万1,400エーカーです」
「所有者は?」
「ハートウェル公爵家です」
「公爵の本領ですか?」
「いいえ。先代公爵の母方から入った土地で、主な所領から離れています」
「なぜ売るのでしょう」
「現金が必要だからでしょうな。希望価格は7万5,000ポンドです」
「高い」
「ですから、まだ買い手が決まっておりません」
ウェッブは調査書を机へ広げた。
領地には農地と牧草地だけでなく、森林、複数の村、小さな町まで含まれている。現在の年間収入は約3,000ポンドだった。
ただし、管理状態には問題がある。古い条件のまま続く賃貸契約があり、排水の悪い農地も残っていた。森林も長期的な伐採と植林の管理が十分ではない。
さらに、過去には小規模ながら石炭の採掘も行われていた。
「今も掘っているのですか?」
「一部だけです。深い坑では水が問題になり、放棄された場所もあります」
エドワードは調査書を読み直した。
「現地を見ます」
「スタッフォードシャーですよ」
「土地はロンドンへ来てくれませんからね」
「少し休むという話は、やはりなくなりましたか」
「海には出ていません」
ウェッブは反論を諦め、旅の手配を始めた。
◇ ◇ ◇
その夜、エレノア侯爵夫人から正式な夕食会への招待が届いた。夫のウェイクリッジ侯爵も同席する席だった。
夕食では北アメリカの情勢が何度も話題に上った。2月20日にはノース卿が植民地との妥協を探る案を庶民院へ提出している。
「植民地側が自分たちで税を負担するなら、これで収まるでしょう」
そう考える客がいる一方で、別の男は反対した。
「問題は税額ではない。議会に課税する権利があるかどうかで争っているのだ。簡単には終わらんよ」
「軍隊を見れば考えも変わる」
「その軍隊が撃てば、もっと悪い方へ変わるかもしれん」
エドワードは自分から議論へ入らず、客たちの話を聞いていた。海賊討伐へ出たころより、戦争という言葉が具体的な出来事として語られるようになっている。
食後、エレノアが声をかけた。
「今夜は随分おとなしいのね」
「聞いていました」
「戦争になると思う?」
「分かりません。海賊より議会の方が読みにくいです」
「それはそうね」
エレノアは笑い、そのまま別の話へ移った。
「土地を探しているそうね」
エドワードは彼女を見た。
「そこまで知られているのですか」
「ハートウェル公爵の土地を見に行くのでしょう」
「誰から聞いたのです?」
「夫のところにも売却の話が来たの。あの人は土地なら十分に持っているし、場所も遠いから買わなかったけれど」
「公爵はいくらを欲しがっていました?」
「最初は6万ポンド以上を現金で欲しがったそうよ」
「今は7万5,000と言っています」
「困っている人ほど、最初は高い値段を言うものよ」
エドワードも同じ考えだった。
エレノアはさらに続けた。
「3月25日までに大きな支払いがあるそうよ」
「Lady Dayまでですか」
「ええ」
「金額は?」
「そこまでは知らないわ」
「十分です」
売り手が現金を必要とする期限を知っているのと知らないのとでは、交渉条件がまるで違う。
「この話も金にするの?」
「できます」
「私には何をくれるのかしら」
「何が欲しいです?」
「今は何も」
「今は、ですか」
「あなたは何でもすぐ値段を聞くのね」
「値段を知らなければ、買うかどうか決められません」
「女にも?」
エドワードは少し考えた。
「値段を付けられたら買いません」
エレノアは一瞬言葉を止めた後、楽しそうに笑った。
「シャーロットがあなたを面白がった理由が分かったわ」
エドワードは、そこまで知られているとは思わなかった。
「ご存じだったのですか」
「だから言ったでしょう。ロンドンで秘密を守るのは難しいのよ」
「侯爵も知っているのですか?」
「さあ。それは私に聞かれても困るわ」
エレノアはそれ以上教えなかった。
帰りの馬車に揺られながら、エドワードは土地の情報とは関係なく、もう一度彼女と話したいと思っていた。
◇ ◇ ◇
3月5日。
エドワードはウェッブとともにスタッフォードシャーへ入り、売却予定の領地を見て回った。
早春の空は曇り、前日の雨で街道は柔らかくなっていた。農地の間には村が点在し、その向こうにはまだ葉の少ない森林が広がっている。領内を流れる川には十分な水量があった。
一方、道路には深い轍が残り、重い荷を運ぶには補修が必要な場所も多い。
公爵家の別邸も土地に含まれていた。石造りの大きな館で、グレイミア館より新しく、客室も多い。
エドワードは玄関前で建物を見上げた。
「僕には大きすぎますね」
「公爵家の別邸ですから」
「維持費まで公爵並みなら困ります」
領地管理人から帳簿を見せてもらうと、年間収入は約3,050ポンドだった。悪い数字ではないが、1万1,400エーカーという広さを考えれば、十分に活用されているとは言いにくい。
古い小作契約が多く、ほとんど使われていない土地も残っている。森林では伐採時期を過ぎた木があり、植林後の若木の管理も不足していた。
翌日は、過去に使われていた炭坑を見た。
坑口の周囲には石炭屑が積もり、雨を吸った地面は黒くぬかるんでいた。木製設備は傷み、使われなくなった部材も放置されている。
「ここを止めた理由は?」
エドワードが現地の監督へ尋ねた。
「水でございます。深く掘るほど排水が難しくなります」
「排水設備を入れれば掘れる?」
「できます。ただし、かなり金がかかります」
「ニューコメン式の蒸気機関は?」
「別の坑で使われています。ただ、燃料を大量に使います」
「ここには石炭があるでしょう」
「ございます。しかし、売れる石炭を排水のために燃やすことになりますので、採算が悪くなります」
地中に石炭があっても、利益を出せる方法で地上へ運べなければ財産にはならない。
エドワードはウェッブへ言った。
「鉱山技師を呼んでください」
「まだ買っていない土地ですよ」
「だから買う前に調べるのです」
「公爵は7万5,000ポンドを希望していますが」
「払いません。最初は4万5,000から入ります」
「公爵家が怒りますよ」
「怒るのは無料です」
◇ ◇ ◇
交渉はロンドンへ戻ってから始まった。
最初の席にハートウェル公爵本人は現れず、代理人が売却条件を示した。
「7万5,000ポンドでございます」
「4万5,000ポンド」
代理人は聞き違いを疑った。
「公爵家の土地でございます。1万エーカーを超え、館、村、森林まで含まれております」
「知っています。しかし年間収入は3,050ポンド程度です」
「将来性もございます」
「それほど将来性があるなら、公爵家で持ち続ければよいでしょう」
代理人の顔が険しくなった。
「この金額ではお話になりません」
「では今日は終わりですね」
エドワードは席を立ち、ウェッブも続いた。
外へ出ると、ウェッブが尋ねた。
「本当に帰ってよかったのですか?」
「向こうが売りたければ、また連絡してきます」
「来なければ?」
「別の土地を探します」
「かなり気に入っていたでしょう」
「欲しいことと、高く買うことは別です」
4日後、代理人から6万8,000ポンドの提示が来た。
エドワードは4万8,000ポンドと返した。その後、売り手が6万2,000ポンドまで下げれば、こちらは5万ポンド。6万ポンドに対して5万1,000ポンドと、双方が少しずつ金額を動かした。
3月20日になって、ようやくハートウェル公爵本人が交渉の席へ現れた。
60歳近い男だった。
「そなたがグレイミアの息子か」
「はい、公爵閣下」
「海賊を捕まえて、大金を得たそうだな」
「運に助けられました」
「その大金を持ちながら、私の土地を半値近くまで値切るのか」
「私がいくら持っているかと、この土地の値段は別です」
「公爵家が100年以上持ってきた土地だぞ」
「土地は爵位で小麦を作るわけではありません」
隣にいたウェッブが視線を外した。
公爵はエドワードをじっと見た。
「口の悪い若者だ」
「申し訳ありません。ただ、3月25日までに現金を必要としているのは閣下で、私ではありません」
公爵の顔から笑いが消えた。
「誰から聞いた」
「情報をくださった方に迷惑がかかりますので、それは申し上げられません」
「いくら出す」
「5万2,000ポンドです」
「6万」
「5万2,000」
「5万8,000」
「5万3,000。これ以上は出しません」
「現金か」
「契約に問題がなければ、すぐに支払えます」
「抵当は?」
「閣下の側で整理してください。私は抵当のない土地を買います」
「年金その他の負担は?」
「引き受けません」
「使用人はどうする」
「必要な者は残します。ただし、公爵家から引き継ぐのではなく、私が改めて雇います」
公爵はしばらく考えた。
「5万5,000」
「5万3,000です」
「若造」
「18歳です」
「同じだ」
「では、その18歳の若造から5万3,000ポンドを受け取るか、別の買い手を探すかお決めください」
公爵は椅子の背にもたれた。
「お前の父親は、どんな教育をした」
「借金を作ると何が起きるか、よく見せてもらいました」
ウェッブが横で咳き込んだ。
公爵はしばらく無言でエドワードを見ていたが、やがて笑い出した。
「分かった。5万3,000だ」
「ありがとうございます」
「後で高かったと泣きついても、私は買い戻さんぞ」
「私も売り返すつもりはありません」
こうして売買価格は5万3,000ポンドで決まった。
◇ ◇ ◇
3月22日、エドマンド・バークが庶民院でアメリカとの和解を訴えた。
その内容はすぐにロンドンでも話題となり、植民地へ譲りすぎだと批判する者と、戦争を避ける最後の機会になると期待する者に意見が分かれた。
レイヴンズクロフト邸で新聞を読んでいたエドワードは、向かいにいるヘンリーへ尋ねた。
「義兄上は、まだ戦争を避けられると思いますか?」
「避けられるなら、その方がいい。ただ、互いに相手を信用しなくなっているのが問題だな」
ヘンリーは新聞を畳んだ。
「政治でも商売でも、信用を失った後の交渉は難しい」
「やはり商売と同じではありませんか」
「似ているところはある。しかし国同士は、失敗しても店を畳んで終わりにはできない」
「最後に決めるのは人でしょう」
「それはそうだ」
ヘンリーは義弟を見た。
「お父上も以前、似たようなことを言っていなかったか?」
エドワードは父の書斎で交わした会話を思い出した。数字だけでは世の中は動かず、最後には人が決めると教えられたことがある。
「言っていました」
「借金をした父親からでも、学べることはある」
「本人にも何度か言いました」
「それは知っている」
大西洋の向こうで何が起こるかは、まだ誰にも分からない。それでも政治の変化が自分の商売や船と無関係ではないことだけは、エドワードにも分かっていた。
◇ ◇ ◇
3月24日、ハートウェル公爵との契約が正式に成立した。
翌25日はLady Dayであり、土地の賃料をはじめ、多くの支払いの期日として使われる日だった。
公爵は必要な時期までに現金を得た。エドワードは5万3,000ポンドを支払い、約1万1,400エーカーの土地を自分名義で取得した。
領内には館、森林、複数の村、農地があり、以前に石炭を掘っていた場所も含まれている。現在の年間収入だけでも3,000ポンドを超え、管理を改善できる余地も大きかった。
父リチャードが存命である以上、グレイミア男爵位は父のものだ。エドワード自身にはまだ爵位がない。
それでも18歳で、自分の名義による大規模な領地を手に入れた。
その夜、エレノアから手紙が届いた。
「買ったそうね。53,000とは、あなたらしい値段だわ」
エドワードは返事を書いた。
「夫人から教えていただいた日付が、4,000ポンドほど役に立ちました」
そこで一度筆を止めたが、もう1行加えた。
「お礼とは別に、またお会いしたいと思っています」
インクが乾くのを待ち、手紙を閉じた。




