第1話(中編)「25ポンド」 1774年1月11日~1月20日
1月11日。
エドワードは朝から自室にある物を調べ始めた。
窓の外には前夜の雪が残っていた。暖炉の火は小さく、部屋の隅には冷気がたまっている。
机や椅子、寝台は屋敷の物であり、本も多くは父か祖父が買ったものだった。しかし、自分の所有物もいくつかある。16歳の誕生日にもらった銀の懐中時計、猟銃1丁、乗馬用の鞍、予備の長靴、銀の留め金が付いた靴、使っていない外套、小さな望遠鏡などである。
どれも男爵家の跡取りが持つには不自然ではない品だった。
しかし、置いておくだけでは金を生まない。
エドワードは銀時計を手に取った。
手のひらに冷たい金属の重みが伝わる。気に入っていた品だったが、だからこそ欲しがる人間もいるのではないかと考えた。
自分でさえ欲しくない物なら、他人も高い金を払おうとは思わないはずだ。
翌日、エドワードは馬に乗って領地の外にある町へ向かった。
従僕は連れていかなかった。
雪解け水で街道はぬかるみ、馬の蹄が泥を跳ね上げた。冬の風は冷たく、革手袋をしていても指先がかじかんだ。
町へ入ると、煙突から石炭の煙が上がっていた。通りには馬車の車輪の音、店主の呼び声、鍛冶屋が鉄を打つ音が重なっている。パン屋の前には焼いた小麦の香りが漂い、その向こうからは家畜の匂いも流れてきた。
エドワードは時計職人、馬具屋、古物商を順に回るつもりだった。
最初に時計職人の店へ入った。
狭い店内には金属と油の匂いがあり、壁には大小の時計が並んでいた。それぞれの振り子が違う間隔で動き、かすかな音を刻んでいる。
エドワードは銀時計を出した。
「これならいくらになります?」
職人は時計を受け取り、蓋を開け、裏側まで確かめた。
「3ポンドですな」
エドワードは眉を上げた。
「買った時はいくらだと思う?」
「7ポンドか8ポンド」
「半分以下か」
職人は当然という顔だった。
「中古品ですから」
エドワードは言った。
「昨日まで僕が使っていた」
職人は時計から目を上げなかった。
「昨日まで誰が使っていたかで銀の量は増えません」
エドワードは、その返答が気に入った。
「4ポンド」
職人は即答した。
「3ポンド」
エドワードも譲らなかった。
「男爵家の跡取りの時計だぞ」
職人は初めて顔を上げた。
「では男爵家でお使いになればよろしい」
結局、3ポンド10シリングで売った。
その後、猟銃、鞍、外套なども別の店で処分した。
町の商人たちは、相手が男爵家の息子だからといって高く買ってくれなかった。むしろ、急いで金が必要なのではないかと察すると、値を下げようとした。
夕方までに得た金は、合計11ポンド余りだった。
帰り道、エドワードは何度も財布の重みを確かめた。革袋の中で硬貨が触れ合い、小さな音を立てている。
朝まで自室にあった物は消えた。その代わり、金貨と銀貨になった。
自分には使わなくなった物でも、他人にとって価値があれば金になる。考えてみれば当たり前のことだったが、自分の所有物を売って初めて、その仕組みを実感した。
◇ ◇ ◇
屋敷へ戻ると、母アンが待っていた。
外套を脱いだエドワードを一目見るなり、その腰元へ目を向けた。
「時計はどうしたの?」
エドワードは答えた。
「売りました」
母はすぐ続けた。
「猟銃も?」
「売りました」
アンの顔色が変わった。
「エドワード」
母は息子の顔を見た。
「いったい何をしているの」
「金を作っています」
「何のために?」
エドワードは正直に答えた。
「まだ決めていません」
母は呆れた顔をした。
「決めてもいないのに物を売ったの?」
エドワードは濡れた手袋を外しながら答えた。
「現金があれば、何をするか選べます。時計しか持っていなければ、時間を見ることしかできません」
母は目を細めた。
「あなたはそんな言い方をどこで覚えたの?」
「今日です」
アンはしばらく何も言わなかった。
やがて尋ねた。
「お父様には?」
「言っていません」
「怒るわよ」
エドワードは平然としていた。
「父上の時計ではありません」
アンは椅子に座った。
「借金のことを聞いたのね」
エドワードもうなずいた。
「はい」
「全部?」
「1万5000ポンド」
アンは目を閉じた。
「本当に何でも話してしまう人ね」
エドワードは父をかばった。
「話したくて話したわけではないと思います」
母は目を開けた。
「あなたは家を救うつもりなの?」
エドワードはすぐには答えなかった。
財布の中にある11ポンド余りを思った。
「分かりません」
母は聞き返した。
「分からない?」
エドワードは率直に答えた。
「11ポンド持っている17歳が、1万5000ポンドの借金をどうやって救うんです?」
母は黙った。
エドワードは財布を机に置いた。硬貨が木の天板へ当たり、鈍い音を立てた。
「だから、まず金がどうやって増えるのか知りたい」
そう言ってから続けた。
「土地の収入だけでは足りない。それなら土地以外から金を取るしかないでしょう」
母は尋ねた。
「商売をするの?」
エドワードは首を横に振った。
「商売というものが何なのかも、まだよく分かりません」
アンはしばらく息子を見ていた。
「あなたのお父様は嫌がるわ」
エドワードは答えた。
「父上には父上のやり方があります。僕はまだ何も持っていないから、自分のやり方を探します」
アンは立ち上がった。
何も言わず、部屋を出ていった。
エドワードは怒らせたのだと思った。
ところが、しばらくすると母は戻ってきた。手には小さな袋を持っている。
机の上へ置くと、袋の中で硬貨が触れ合った。
エドワードは尋ねた。
「これは?」
母は言った。
「開けなさい」
エドワードが紐をほどくと、中には金貨が入っていた。
母が告げた。
「10ギニーあるわ」
エドワードは母を見た。
「母上の金ですか」
アンは答えた。
「結婚する前に祖母からもらったものよ。全部ではないけれど」
エドワードは袋を置いた。
「借りるつもりはありません」
母は少し笑った。
「貸すとは言っていないわ」
エドワードはすぐ返した。
「では、もらえません」
「ずいぶん偉そうになったわね」
「母上の金まで失ったら困る」
アンは袋を息子の方へ押した。
「なら失わないように使いなさい」
エドワードは黙った。
母は続けた。
「ただし条件があります」
「何です?」
「賭博には使わない。女にも使わない。お父様の借金をそのまま払うためにも使わない」
エドワードは尋ねた。
「では何に?」
母は答えた。
「それを考えるのが、あなたでしょう」
エドワードは笑った。
「分かりました」
母はまだ終わらなかった。
「もう一つ」
「まだあるのですか」
「全部失ったら、きちんと私に言いなさい。隠すことだけは許しません」
エドワードはうなずいた。
「分かりました」
母が部屋を出ていった。
エドワードは袋の中の金貨を机へ並べた。
10ギニーは10ポンド10シリングになる。売った品物の代金と、もともと持っていた小遣いを合わせると、自由に使える金は全部で25ポンドほどになった。
1万5000ポンドと比べれば600分の1にすぎない。
それでも父の金でも領地の金でもない。自分で使い道を決められる金だった。
その夜、エドワードは蝋燭のそばで紙を広げ、25ポンドを50ポンドにし、その先は100ポンド、1000ポンド、1万ポンド、最後には1万5000ポンドへ増やす道筋を数字で書いた。
数字だけを見れば遠い。
しかし最初から1万5000ポンドを作る必要はない。まず25ポンドを50ポンドに増やせばよい。その次を考えるのは、それからだった。
エドワードは紙を折り畳んだ。
◇ ◇ ◇
1月18日、姉キャサリンから手紙が届いた。
20歳になる姉は2年前、第3代レイヴンズクロフト子爵ヘンリー・グレイと結婚し、現在はロンドンで暮らしている。
封を切ると、紙には微かな香りが残っていた。
手紙には新年の挨拶と、弟の誕生日を祝う言葉が書かれていた。
最後にこうあった。
「2月にはロンドンへいらっしゃい。ヘンリーもあなたに会いたがっています。こちらでは毎晩のように誰かが何かをしでかしています。田舎にいては退屈でしょう」
エドワードは最後の2行を2度読んだ。
特に「誰かが何かをしでかしている」という一文が妙に気になった。
その晩、夕食の席で母に尋ねた。
「姉上の家には、どんな人が来るのです?」
アンは答えた。
「いろいろよ。ヘンリーは顔が広いから」
「貴族?」
「もちろん。政治家、軍人、地主、劇場関係者もいるわ」
エドワードはさらに尋ねた。
「商人は?」
母が少し嫌な顔をした。
「時には」
「金貸しは?」
母がたしなめた。
「エドワード」
エドワードは肩をすくめた。
「聞いただけです」
新聞を読んでいた父が口を挟んだ。
「ロンドンへ行きたいのか」
エドワードは答えた。
「姉上に招かれました」
父は新聞から目を上げずに言った。
「行けばいい。少しは都会を見てこい」
エドワードは言った。
「金がかかります」
父が新聞を下ろした。
「男爵家の跡取りが、姉を訪ねる旅費まで心配するな」
エドワードは父を見た。
その考え方が家をこうしたのではないか。
そう思った。
だが口には出さなかった。
「分かりました」
1月20日。
エドワードは25ポンドを机の引き出しへしまった。
まだ何に使うかは決まっていない。
ただ、一つだけ決めていた。
ロンドンでは金を使うことよりも、金がどこから来て、どこへ消えていくのかを見る。
そのために行くつもりだった。




