第6話(前編1)「18歳の求婚」 1799年7月1日
1799年7月1日。アルバニーには朝から夏の日差しが降り注ぎ、ハドソン川を行き交う帆船が穏やかな風を受けて進んでいた。岸辺では荷役人夫が小麦粉の樽を運び、市場には野菜や果物を積んだ荷車が集まっている。
イーサン・マーサーは、いつもより早く朝食を終えた。今日は仕事のために出かけるのではない。エレノア・アシュフォードに結婚を申し込むつもりだった。
姉のアンは、弟が新しい上着を着ていることに気付いた。
「イーサン、今日はずいぶん身なりに気を遣っているのね。エレノアさんに会いに行くのでしょう?」
「そうだよ。今日は結婚を申し込もうと思っているんだ」
アンは手にしていた紅茶の杯を置いた。
「まあ、本当に結婚するつもりなのね。私は嬉しいけれど、アシュフォード司祭にはもうお話ししたの?」
「5月に、これからも真剣にお付き合いしたいと伝えてあるよ。でも、結婚については今日、改めてお願いするつもりなんだ」
向かいに座っていた義兄ダニエルが笑った。
「お前は4か月で2万ポンドを稼ぎ、2万エーカーの土地まで買った。だが、結婚だけは金を出して手に入れるわけにはいかないぞ」
「そんなことは分かっているよ。エレノアさんが断ったら、それまでだ。本人が望まない結婚をするつもりはないからね」
「それなら安心だ。西部へ一緒に行きたいというお前の希望も、きちんと話しておけよ」
「もちろんだよ。結婚してから西部へ行くつもりだったと知らせたら、それこそ怒られてしまうだろうね」
アンは笑いながら立ち上がり、弟の上着の襟元を整えた。
「あなたが結婚する日が来るなんて、少し前までは考えもしなかったわ。お母さんが生きていたら、どんなに喜んだでしょうね」
「姉さんと義兄さんにも、ずいぶん世話になったからね。僕がこうして暮らしていられるのも、2人のおかげだよ」
「そんな話は結婚式の日に聞かせてちょうだい。今日はエレノアさんを待たせないように行ってらっしゃい」
イーサンは姉夫婦に見送られ、アシュフォード家へ向かった。
◇ ◇ ◇
アシュフォード司祭は書斎でイーサンを迎えた。窓の外には手入れされた庭が広がり、木々の間から鳥の声が聞こえてくる。
「マーサー君。今日は娘のことで大切な相談があると聞いたが、結婚についての話だろうか」
「はい。エレノアさんと結婚したいと思っています。まず、お父様に正式にお願いしたくて伺いました」
司祭は青年へ椅子を勧めた。
「君が娘を大切に思ってくれていることは分かっている。ただ、君たちはまだ18歳だ。結婚を急ぐ理由があるのかな」
「急がなければならないわけではありません。でも、僕は8月に西部へ向かうつもりです。もしエレノアさんも望んでくださるなら、夫婦として一緒に行きたいんです」
「結婚したばかりの妻を、不便な開拓地へ連れていくことになるわけだね」
「その心配はもっともだと思います。ですから、最初はシンシナティで家を借りるつもりです。僕が買った土地には、まだ十分な道路も建物もありません。いきなりそこで暮らすようなことはしません」
司祭は以前から、娘が西部で暮らすことを心配していた。アルバニーなら教会も商店もあり、医師を探すことも難しくない。しかし、西部では同じような生活ができるとは限らない。
「君は事業で大きな成功を収めたそうだね。アルバニーで暮らすなら、娘に不自由をさせることもないだろう。それでも西部へ行きたいのは、やはり自分の能力を試したいからなのかな」
「それもあります。でも、今はそれだけではありません」
イーサンは、これから始める事業について説明した。
「僕が買った土地には、これから大勢の人が移り住むかもしれません。道路を通し、倉庫や商店を造れば、農民も職人も仕事をしやすくなるでしょう。僕は、そこで暮らす人たちが豊かになれる町を造りたいんです」
「なるほど。娘からも、学校や教会を造りたいという話は聞いているよ」
「学校については、エレノアさんの考えから始まったんです。僕は最初、道路と船着き場のことばかり考えていました。でも、彼女と話しているうちに、人が暮らす町にはほかにも必要なものがあると気付きました」
司祭は青年の話を聞き、表情を和らげた。
「君が娘の考えを大切にしてくれているのなら、それは嬉しい。ただし、事業がうまくいかない時もあるだろう。その時、娘の生活をどう守るつもりなのかな」
「生活のための資金は、事業へ使う金とは分けておきます。手元の現金を全部工事へ投じるつもりはありません。それに、姉夫婦もアルバニーにいます。何かあれば、家族で相談できます」
「それなら、私から反対する理由はない。ただし、最後に決めるのはエレノア自身だ。娘が君と結婚したいと望むなら、私は祝福しよう」
「ありがとうございます」
イーサンは礼を述べ、司祭に案内されて庭へ出た。
◇ ◇ ◇
エレノアは庭の木陰にある腰掛けで本を読んでいた。淡い青色のガウンを着て、栗色の髪を後ろでまとめている。
イーサンに気付くと本を閉じ、立ち上がった。
「マーサーさん。今日は父とお話ししていらしたのでしょう。何か大切なご相談だったのですか?」
「ええ。あなたにもお話ししたいことがあるんです。少し庭を歩きませんか」
「もちろんです」
2人は花壇の脇を通り、庭の奥へ向かった。
「エレノアさんと初めて会ったのは、教会で西部へ送る本を整理していた時でしたね。あのころ、僕は土地を買うことばかり考えていました」
「覚えています。蒸気船を動かした方が、どうして本を運んでいるのか不思議に思いました」
「姉に頼まれたんですよ。でも、あの日に教会へ行って、本当によかったと思っています」
エレノアは嬉しそうに笑った。
「私もです。あれから、マーサーさんとお話しするのが毎回楽しみになりました」
イーサンは立ち止まり、彼女へ向き直った。
「エレノアさん。僕はあなたと一緒に暮らしたいと思っています。結婚して、これからの人生をともに歩んでいただけませんか」
エレノアはイーサンを見つめた。
「西部でのお仕事も、これから本格的に始まるのでしょう?」
「ええ。順調に進むとは限りません。道路のことで争っている相手もいますし、工事が始まれば別の問題も出てくると思います。でも、あなたとの生活を大切にしながら仕事を続けたいんです」
「私は、あなたが新しいことに挑戦している姿が好きなんです。でも、私自身にも、やりたいことがあります」
「学校のことですね」
「ええ。西部へ行ったら、子供たちに読み書きを教えたいんです。立派な建物がなくても、最初は小さな教室から始められると思います」
「ぜひ実現させましょう。僕もできるだけ協力します」
エレノアは微笑んだ。
「それなら、喜んでお受けします。私も、あなたと結婚したいと思っていました」
イーサンは彼女の手を取った。
「ありがとう。そう答えてもらえて、本当に嬉しいです」
「私も嬉しいです。これからは2人で相談して決めることが、たくさん増えそうですね」
「そうですね。今までは自分1人の都合で何でも決めていましたが、これからはそういうわけにはいきませんね」
「お仕事のことまで、すべて私に相談していただく必要はありませんよ。でも、住む場所や家族のことは、一緒に決めたいです」
「もちろんです。あなたと暮らす家ですからね」
2人は手をつなぎ、屋敷へ戻った。




