第5話(後編)「2万ポンドの男」 1799年6月21日~6月30日
6月21日、イーサンはポーターとの契約書を確認していた。
使用を認めるのは、オハイオ川と契約書に記載された支流における5年間の独占使用権である。ポーターは自分の事業に使う船を何隻でも建造できるが、その権利を別の事業者へ譲渡することはできない。
発明そのものの権利はイーサンに残る。契約区域外で使用する場合には、別の許可が必要となる。
正式な特許の成立前であるため、その点についても双方が理解したうえで契約する。技術資料は代金を全額受領してから引き渡す条件だ。
イーサンは法律家とともに書類を仕上げ、25日の面会に備えた。
◇ ◇ ◇
6月25日、ポーターが再びアルバニーを訪れた。
法律家を交えた最終確認が終わると、ポーターは契約書を机に置いた。
「マーサー君。これで私が何隻船を造っても、追加の使用料は取らないというわけだな」
「ええ。契約区域内であなたの事業に使う船なら、何隻でも構いません」
「それはありがたい。最初の船が成功すれば、すぐに2隻目、3隻目を造るつもりだ」
イーサンはポーターの言葉を聞き、別の提案をした。
「それなら、船を増やす前に、修理の仕組みを整えた方がいいと思います」
「修理なら、造船所でできるだろう」
「もちろんです。ただ、船が故障するたびに造船所まで戻していたら、長い時間を失います。特にオハイオ川は距離が長いですから」
イーサンは紙を借り、船の推進装置を簡単な図に描いた。
「同じような大きさの船なら、軸受けや歯車など、共通の寸法で造れる部品があります。製作時に同じ型板や測定器具を使い、交換できるようにしておけば、故障しても部品を取り替えるだけで済むでしょう」
ポーターは興味を示した。
「だが、船によって大きさが違えば、装置も変わるのではないかね」
「全部を同じにする必要はありません。船の大きさに合わせる部分と、共通にできる部分を分ければいいんです。大切なのは、故障した時に専用の部品を最初から作り直さなくて済むようにすることです」
さらに、川沿いに設ける修理拠点についても説明した。
主要な船着き場へ交換部品と修理道具を置いておけば、故障した船を遠くの工場まで戻す必要がなくなる。船が修理中でも、別の船が荷物を引き継げるようにしておけば、運送の遅れも減らせる。
「つまり、船を1隻ずつ造るだけではなく、何隻もの船が協力して働ける仕組みにするわけです」
ポーターは腕を組んだ。
「私は船を増やせば運べる荷物も増えると思っていた。しかし、船を増やすほど修理や管理も大変になる。君は、そこまで考えているのか」
「船が増えれば、1隻が故障しても別の船で荷物を運べます。それに、定期的に運航できれば、商人は船の到着を見込んで商品を準備できます。運送する側にも、利用する側にも都合がよくなるでしょう」
イーサンは、各船の積載量、航行日数、修理に必要な時間を記録し、船を増やした時の利益を比較できるようにする方法も説明した。
ポーターは紙に並んだ数字を見て、声を上げて笑った。
「まったく、君には驚かされる。私は蒸気船の発明家と商談しているつもりだったが、今度は運送会社の経営まで教わってしまった!」
「船を何隻も造ると伺ったので、必要になることを考えただけですよ」
「それを簡単に考えつくから、たいしたものなのだ。私の技師たちにも、ぜひ話を聞かせたい」
「契約が成立すれば、装置の導入について必要な指導もいたします」
ポーターは満足した様子で契約書へ署名した。
イーサンも署名を終えると、2人は握手を交わした。
使用料は1万ポンド。支払い期限は6月28日で、全額を受け取った後に技術資料を引き渡す。
ポーターは、帰り際にも楽しそうだった。
「マーサー君。君と仕事をすると、新しい商売のことを次々と考えたくなる。私もまだまだ働かなければならんな」
「ぜひ大きな運送会社にしてください。僕の装置も、たくさんの船で使っていただければ嬉しいですから」
「任せてくれ。今度は私が君を驚かせてみせよう」
2人は笑いながら別れた。
◇ ◇ ◇
6月28日、銀行から入金の知らせが届いた。
イーサンは支払いを確認し、使用許諾料1万ポンドが自分の資金として利用できる状態になったことを確かめた。
これで3月の契約と合わせ、蒸気船の推進装置によって得た収入は2万ポンドになった。
しかも、発明の権利は依然としてイーサンの手元にある。
ポーターはオハイオ川流域で蒸気船事業を始めることができるが、イーサン自身は船を所有する必要も、船員を雇う必要もない。
契約に従って技術資料を引き渡す手配を終えると、イーサンはカーター家へ戻った。
ダニエルが結果を尋ねた。
「約束どおり、全額支払われたのか」
「うん。これで使用許諾料の合計が2万ポンドになったよ」
「まったく、お前には驚かされるな。3月にはニューヨークへ行く旅費を稼ぐために働いていたのに、たった4か月で2万ポンドだぞ」
「僕も、これほど早く2人目の契約相手が現れるとは思っていなかったよ。でも、欲しいという人がいるなら、商売にしない理由はないからね」
ダニエルは帳簿を取り出した。
土地の購入に5,500ポンドを使い、測量や法律家への報酬、旅費なども支払っている。それでも、手元には十分な資金が残っていた。
「これだけあれば、西部の開拓もかなり進められるだろう。今度は何を始めるつもりなんだ」
「まず現地の調査結果を確かめるよ。道路や倉庫を造るにも、土地の状態が分からなければ費用を決められないからね」
「それにしても、全部自分の金でやるつもりなのか」
「必要ならほかの人と共同で事業をすることも考えるよ。でも、今は借金をする理由がないし、手元の現金を減らしすぎたくもないんだ」
イーサンは帳簿の金額を確かめた。
財産が増えたからといって、急いで何かを買う必要はない。よい機会が現れた時、すぐに使える資金があることの方が大切だった。
そこへアンが入ってきた。
「2人とも、またお金の話をしているのね。仕事が成功したのなら、今夜は少しご馳走を作りましょう」
「それは嬉しいな。姉さんの料理なら何でも大歓迎だよ」
「そう言うと思ったわ。それから、明日はエレノアさんとお会いするのでしょう。仕事の話ばかりしていてはいけませんよ」
「分かっているよ。僕だって、彼女と会うのを楽しみにしているんだから」
アンは弟の嬉しそうな顔を見て、笑いながら台所へ戻っていった。
◇ ◇ ◇
6月29日、イーサンはエレノアとハドソン川沿いを散歩していた。
初夏の日差しは暖かく、川から吹く風も心地よかった。岸辺では船員たちが荷物を積み、遠くには白い帆を張った船が見えている。
エレノアは最近読んだ旅行記について話していた。
「西部へ行った方の記録を読むと、自然は美しいけれど、生活にはずいぶん苦労しているようですね。家を建てるために森を切り開き、食料を確保するだけでも大変そうです」
「そうだね。でも、僕はそういう場所にこそ、新しい仕事があると思っているんだ」
「マーサーさんは、難しい仕事ほど楽しそうにお話しするんですね」
「困っている人がいるということは、もっと便利にできる余地があるということだからね。もちろん、何でも簡単に解決できるとは思っていないよ」
エレノアは川面を眺めながら、自分の希望を話した。
「私は、いつか西部で子供たちに読み書きを教えてみたいと思っています。立派な学校でなくても構いません。最初は小さな部屋でも、勉強できる場所があればいいんです」
「それなら、エレノアさんはきっとよい先生になると思いますよ。教会でも、子供たちが楽しそうに勉強していましたから」
「ありがとうございます。でも、私はまだ教えるのが上手ではありません。子供たちから学ぶことも多いんですよ」
「僕も同じです。仕事では、経験のある人たちに教えてもらうことがあります。自分の知らないことを知るのは楽しいですから」
2人は川沿いの腰掛けに座った。
エレノアはイーサンへ顔を向けた。
「マーサーさんとお話ししていると、遠くの土地へ行くことも、前ほど怖くなくなりました。大変なことがあっても、いろいろ工夫して乗り越えられるのではないかと思えるんです」
「僕も、エレノアさんと話していると、仕事だけでは思いつかなかったことを考えるようになります。町を造るなら、そこで暮らす人たちが安心して生活できる場所にしたいですね」
「ええ。商売が繁盛するだけでなく、子供たちが元気に育って、大人たちも楽しく暮らせる町なら素敵です」
イーサンは彼女の言葉を聞きながら、これからの人生について考えた。
西部には、まだ知らないことがたくさんある。困難な仕事も待っているだろう。
しかし、エレノアと一緒なら、その生活も楽しいものになると思えた。
帰り際、彼は自分の気持ちを少しだけ伝えた。
「エレノアさん。僕はあなたとお話しする時間が、本当に好きなんです。これからも、いろいろなことを一緒に経験できたら嬉しいと思っています」
エレノアは彼を見つめ、微笑んだ。
「私もです。マーサーさんとご一緒していると、毎回新しいことを知ることができます。それに、何でもないお話をしている時間も楽しいんです」
イーサンは嬉しかった。
2人は次に会う約束をして別れた。
◇ ◇ ◇
6月30日、イーサンはカーター家の書斎で、西部から届いた測量報告を読んでいた。
以前から調べさせていた別の運搬路について、利用できる可能性が高いという知らせだった。
既存の道より少し遠回りになるが、高台を通る部分が多く、増水時にも利用しやすいと考えられる。ただし、森林の伐採と橋の建設が必要であり、工事費についてはさらに調査を進めなければならない。
イーサンは報告書を確認し、測量士へ追加の指示を書いた。
ハーディングとの道路問題は、まだ完全には解決していない。それでも、別の道を確保できれば、相手に高い通行料を払わずに済む可能性がある。
資金にも余裕ができた。現地の調査が進めば、いよいよ開拓事業を本格的に始められる。
しかし、その前に大切なことを決めたいと思っていた。
エレノアとの結婚である。
4月に知り合ってから、何度も会ってきた。読書や音楽の話を楽しみ、西部の生活についても考えを交わした。
エレノアは自分の仕事を持ちたいと考え、新しい土地で学校を作ることにも興味を示している。
イーサンは、そんな彼女と人生をともにしたかった。彼女が望むことも大切にしながら、夫婦で新しい生活を始めたいと思っている。
もちろん、申し込めば必ず承諾してもらえるわけではない。
それでも、自分の気持ちははっきりしていた。
イーサンは仕事の書類を片付け、翌月の予定を確かめた。
大きな契約を2度成功させ、2万エーカーの土地も手に入れた。西部には、これから始めたい仕事がいくらでもある。
だが、今の彼が最も楽しみにしているのは、新しい商談ではなかった。
エレノアに結婚を申し込み、彼女の返事を聞くことだった。




