第5話(中編)「発明を狙う男」 1799年6月11日~6月20日
6月11日、イーサンはニューヨークの法律家から届いた報告書を調べていた。
アイザック・フレッチャーは44歳で、機械製造工場を経営する実業家だった。船の金具や製粉所の歯車などを製作しており、近年は蒸気機関にも手を広げているという。
その男が、3月に蒸気船の改造へ参加した職人に接触し、推進装置の設計図を譲ってほしいと持ちかけていた。
職人は断ったものの、別の職人にも同様の話をしているらしい。
イーサンは法律家へ、職人たちの証言を記録するよう依頼した。フレッチャーが独自に新しい装置を造るのは自由だが、契約に基づいて渡された設計資料を無断で利用することは認められない。
3月の工事では、主任技師や職人たちに必要な図面を渡している。実物を製作した以上、装置の構造を知る者がいるのは当然だった。
だからこそ、誰がどの資料を管理しているのか、確認する必要があった。
イーサンは法律家に調査を任せ、自分はポーターとの商談に集中することにした。
◇ ◇ ◇
6月13日、ジョナサン・ポーターから手紙が届いた。
フレッチャーが彼にも接触し、イーサンより安く蒸気船の推進装置を提供できると申し出たという。
ポーターは両者の技術を比較したいと考え、ニューヨークでの面会を求めてきた。
イーサンは承諾し、15日に約束の事務所を訪れた。
室内にはポーターと2人の技師が待っており、フレッチャーも自分の図面を持参していた。
「マーサー君。君の蒸気船が評判になっていることは知っている。しかし、船の左右へ水車を取り付ける方法なら、昔から考えられてきたものだろう」
フレッチャーは机に図面を広げた。
「私の工場でも同じような装置を製作できる。しかも、ずっと安い。わざわざ君の技術を使う必要はないはずだ」
イーサンは図面に目を通した。
蒸気機関から歯車を介して水車を回す仕組みだが、実際の船で十分な性能を発揮できるかは分からない。3月に経験した問題も、いくつか残っているようだった。
しかし、イーサンはその欠点を指摘しなかった。
「フレッチャーさん。この装置は実際の船へ取り付けて、試験なさったんですか」
「まだ製作していない。だが、理屈の上では動くことが分かっている」
「では、どれほどの重さの船を、どのくらいの速度で走らせられるのかは、まだ確認されていないんですね」
「図面を見れば、機械に詳しい人間なら判断できるはずだ」
「実際の船では、計算した性能が出ないこともあります。僕は試験を繰り返して、性能を確かめました」
フレッチャーは不満そうだった。
「君は自分の装置だけが優れていると言いたいのか」
「いいえ。あなたの装置が優れている可能性もあります。ただ、まだ造っていない機械と、実際に船を走らせた機械では、確かめられていることが違います」
イーサンはポーターへ向き直った。
「僕の装置は3月に20トンを超える船を走らせ、時速4マイル以上の性能を確認しています。記録も残っています。判断に必要なら、正式な試験結果をご覧いただけます」
ポーターは技師たちへ意見を求めた。
技師の1人は、フレッチャーの図面について、実物を造って試験するまでは性能を保証できないと説明した。
ポーターは考え込んだ。
「確かに、安く造れても満足に走らなければ困る。だが、船の建造費を抑えられるなら、それも重要なことだと思うがね」
「もちろんです。ただ、船の値段だけで運送事業の利益は決まりません」
イーサンは紙を借り、船の建造費、燃料費、船員の賃金、荷物の積載量を書き並べた。
「例えば、安い船でも故障が多ければ、修理費がかかります。川を上るのに何日も余計にかかれば、船員の賃金も増える。それに、船が止まっている間は荷物を運べません」
さらに、1年間に可能な航行回数と、1回の航行で得られる収入を計算するための式を書いた。
「船を安く買うことと、安く荷物を運ぶことは別です。最初の費用だけでなく、何年間にどれだけの利益を生むかで比較する方がよいと思います」
ポーターは計算を確かめ、技師たちへ見せた。
「なるほど。船が安くても、運航に時間がかかれば、その差額などすぐになくなるかもしれん」
「そうです。特に川を上る時間を短縮できれば、同じ船で年間に運べる荷物が増えますから」
ポーターは笑った。
「私は安い機械が欲しいのではない。利益を生む船が欲しいのだ。君と話していると、商売の見方まで変わってくるな」
イーサンは、公開済みの試験結果と採算を判断する方法だけを説明した。発明の詳しい構造も、今後の改良案も明かしていない。
フレッチャーは自分の装置を完成させ、性能を証明してみせると言い残して帰っていった。
イーサンは引き止めなかった。相手が新しい機械を造るのは自由であり、自分の仕事を妨げない限り、競争することに問題はないからだ。
◇ ◇ ◇
翌16日、イーサンはニューヨークで法律家と面会した。
3月に提出した特許申請については、まだ手続きが残っていた。
「水車を使う考えそのものは昔からありますから、発明として認められる部分を明確にする必要があります」
「承知しています。僕が守りたいのは、具体的に改良した機構です。昔からある水車まで独占したいわけではありません」
法律家は追加の書類を整理することになった。
イーサンはフレッチャーが職人へ接触した件についても確認した。現時点では設計図を入手した証拠はないが、少なくとも職人から話を聞き、記録を残しておく必要がある。
「無断で設計資料を使っていることが分かれば、対応してください。ただ、今はその疑いだけで騒ぎを大きくするつもりはありません」
「承知しました。必要な証拠を集めておきましょう」
イーサンは法律家に仕事を任せ、アルバニーへ戻った。
◇ ◇ ◇
6月18日、アルバニーの集会所で演奏会が開かれた。
エレノアは両親とともに会場を訪れていたが、イーサンは仕事の都合で参加できなかった。
休憩時間になると、ヘンリー・ハリントンがエレノアを誘い、庭に面した回廊へ向かった。
ヘンリーは以前からエレノアと親しくしており、結婚するなら彼女のような女性がよいと考えていた。
「エレノア、今日は君に伝えたいことがあるんだ。私たちは長い付き合いだけれど、私は以前から君との結婚を考えていた。君にも、私との将来を考えてもらえないだろうか」
エレノアはヘンリーの顔を見た。
彼は昔から親切で、仕事にも真面目だった。エレノアも信頼しているし、友人として大切に思っている。
しかし、結婚相手として考えたことはなかった。
「ヘンリー、あなたが私を大切にしてくださっていることは分かっています。今までの親切にも、本当に感謝しています。でも、あなたとは、これからも友人でいたいと思っているんです」
「そうか。君の気持ちは決まっているんだね」
「ええ。曖昧なお返事をして期待させる方が、あなたに失礼だと思いました」
ヘンリーは残念そうだったが、彼女の答えを受け入れた。
「率直に話してくれてありがとう。私も君に無理を言うつもりはないよ。しばらくは気持ちの整理が必要だろうが、これからも君の幸せを願っている」
「ありがとう。私も、あなたが幸せになってくださることを願っています」
2人は会場へ戻り、残りの演奏を聴いた。
エレノアはヘンリーに申し訳ない気持ちもあったが、自分の答えを後悔していなかった。
そして、イーサンと会う日を楽しみにしている自分の気持ちにも、改めて気付いた。
◇ ◇ ◇
6月20日、イーサンのもとへポーターから手紙が届いた。
技師たちと相談した結果、イーサンの推進装置を採用したいと決めたという。フレッチャーの装置は、実際の船で性能が証明されていない。事業開始が遅れる危険を考えれば、採用する理由はなかった。
ポーターは使用料1万ポンドを認め、翌週に最後の条件を確認したいと申し出ていた。
イーサンは返事を書き、法律家へ契約書の仕上げを依頼した。
その日の夕方、エレノアからも手紙が届いた。最近読んだ本の感想とともに、29日に一緒に散歩へ出かけたいと書かれている。
イーサンは予定を確かめ、喜んで承諾する返事を書いた。
大きな商談がまとまりかけているうえに、エレノアからも誘ってもらえた。イーサンは、6月がなかなか楽しい月になったと思っていた。




