第3話(前編)「西部の土地を買い占めろ」 1799年4月1日~4月10日
1799年4月1日。イーサン・マーサーは義兄ダニエル・カーターとともに、アルバニーの銀行を訪れた。先月、蒸気船の推進装置を改良した報酬として受け取った1万ポンドを、今後の事業にどう使うか相談するためだった。
銀行の支配人は、18歳の青年がこれほどの大金を自分で稼いだことに驚いていた。しかも、イーサンは発明の権利を売却していない。リヴィングストンに認めたのは、ニューヨーク州で5年間独占して使用する権利だけだった。
「マーサーさん。1万ポンドもお持ちなら、危険な商売へ手を出す必要はありません。国債や信用のある商人への融資に回してはいかがでしょう。毎年かなりの利息が入りますよ」
「利息を受け取るだけでは面白くありません。僕は西部で大きな事業を始めたいんです」
「西部ですか。土地を買って値上がりを待つおつもりなら、よい物件をご紹介できますが」
「それより、資金に困っている土地開発会社をご存じありませんか。土地を少しずつ買うより、まとまった土地と開発に必要な資料を手に入れたいんです」
支配人は意外そうな顔をした。西部の土地を買いたいという客は珍しくないが、土地会社の保有地をまとめて取得しようという18歳の青年は初めてだった。
「フィラデルフィアに、オハイオ土地開発会社という会社があります。相当な土地を保有していますが、資金繰りが悪化しているようです。銀行への返済も迫っていると聞いております」
説明によると、同社はオハイオ川流域に約2万8,000エーカーの土地を保有していると称していた。しかし、入植者への販売が進まず、測量費や人件費もかさんでいる。経営者は借金を返すため、土地の売却を検討しているらしい。
イーサンは会社の所在地と経営者の名前を控え、紹介状を書いてもらった。
銀行を出ると、ダニエルが心配そうに話しかけてきた。
「まさか、本当にその会社の土地を買うつもりなのか。まだ場所さえ知らないだろう」
「だから調べるんだよ。価値があるなら買うし、なければ買わない。会社が困っているからといって、僕まで損をする必要はないでしょう」
「それにしても、1万ポンドを手にしたばかりなのに、ずいぶん大胆だな」
「西部へ行くなら、今から準備を始めないといけないんだ。土地を買うだけじゃなく、道路も倉庫も必要になるからね」
イーサンはその日のうちにフィラデルフィアの土地会社へ手紙を送り、土地証書、測量図、債務の一覧を見せてほしいと申し入れた。
◇ ◇ ◇
4月3日、イーサンは姉アンに誘われて、アルバニーの教会を訪れた。
アンは教会の婦人たちとともに、西部の開拓地へ送る書物や衣類を集めていた。その日は荷物を運ぶ人手が足りず、弟にも手伝ってもらうことにしたのである。
教会の一室には木箱が並び、数人の女性が本を種類ごとに分けていた。聖書や祈祷書のほか、読み書きや算術を教えるための本、農業に関する書物などもある。
イーサンが木箱を運んでいると、栗色の髪をした若い女性が声をかけてきた。
「そちらの箱は、まだ閉じないでください。中に入れる本が残っていますから」
「分かりました。こちらへ置いておきますね」
女性はイーサンと同じくらいの年齢で、明るい茶色の瞳が印象的だった。質素な服装をしていたが、身のこなしは落ち着いており、作業をしている婦人たちとも親しげに話している。
そこへアンがやってきた。
「イーサン、紹介するわ。こちらはエレノア・アシュフォードさん。アシュフォード司祭のお嬢さんよ。エレノア、こちらが弟のイーサンです」
「初めまして。エレノア・アシュフォードです。アンさんから、弟さんのお話は伺っています」
「イーサン・マーサーです。姉さんが何を話したのか分かりませんが、あまり信用しない方がいいですよ」
エレノアは楽しそうに笑った。
「蒸気船を走らせた方なのでしょう。新聞でも読みました。18歳であんな発明をなさるなんて、驚きました」
「僕1人で造ったわけではありません。職人たちの協力がなければ完成しませんでしたから」
「それでも、難しい問題を解決なさったのでしょう。私には機械のことは分かりませんけれど、風がなくても進める船があれば、遠くの町へ本を運ぶのも楽になるかもしれませんね」
イーサンは彼女の前に積まれた本へ目を向けた。
「西部へ送る本ですか」
「ええ。向こうでは学校も先生も足りませんから、子供たちが勉強できるようにしたいんです。ただ、本を集めても、遠くまで運ぶのにはお金がかかります」
「どの町へ送る予定なんですか」
「ピッツバーグや、オハイオ川沿いの町です。父の知り合いの牧師さんたちが、受け取って配ってくださいます」
「それなら、運送費を減らせるかもしれません。商人の荷物と一緒に運んでもらえれば、本だけを送るより安く済むでしょう」
「そんなことができるんですか」
「引き受けてくれる商人を探す必要はありますが、今度相談してみますよ」
「それは助かります。浮いたお金で、もっと本を買えますから」
2人は本を箱に詰めながら話を続けた。
エレノアは読書が好きで、歴史や地理にも興味を持っていた。音楽も習っており、教会では子供たちに読み書きを教えることがあるという。
イーサンが西部の土地開発に関心を持っていると話すと、彼女は興味を示した。
「蒸気船の発明を続けるのではないんですか」
「発明もしますが、それだけを仕事にするつもりはありません。西部で土地を買って、道路や倉庫を造り、人が暮らせる町を大きくしてみたいんです」
「それなら、そこに住む人たちのことも考えないといけませんね。土地があるだけでは、子供たちが学校へ通えるようにはなりませんから」
「確かにそうですね。学校も必要になるでしょう」
「それに、お医者様も教会も。町を造るというのは、家を並べるだけではないと思います」
イーサンは彼女の考え方に感心した。自分は土地の価値や道路の位置、商品を運ぶ方法を考えていたが、そこで生活する人々に必要なものについては、まだ十分に調べていなかった。
「エレノアさんのおっしゃるとおりです。西部を調べる時には、学校や病院のことも調べてみます」
「新しい町に学校ができたら、私も見に行ってみたいです」
仕事を終えたアンが戻ってくるまで、2人は西部の暮らしについて話し続けた。
帰り道、アンは弟に尋ねた。
「エレノアさんは素敵なお嬢さんでしょう。まだ18歳だけれど、しっかりしているのよ」
「うん。話していて面白かったよ。町を造るなら、商売だけ考えていてはいけないんだね」
「あなたは何かに夢中になると、それ以外のことを忘れてしまうところがあるから」
「そうかもしれない。でも、知らないことは誰かに教えてもらえばいいんだよ」
アンは弟がいつになく楽しそうなのを見て、それ以上は何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
4月6日、フィラデルフィアの土地会社から返事が届いた。
土地の売却について話し合う用意はあるが、すでに別の買い手とも交渉しているため、早急に訪問してほしいという。
同封された資料によれば、約2万8,000エーカーのうち、少なくとも8,000エーカーについて権利関係の確認が必要だった。
イーサンは測量図を広げ、川の位置と土地の境界を調べた。オハイオ川に面した土地の背後には、農地に適した平地や森林が広がっている。ただし、会社の説明だけで価値を判断するつもりはなかった。
翌7日、必要な資金の信用状を用意してフィラデルフィアへ出発した。旅立つ前、アンからエレノアがよろしく伝えてほしいと言っていたと聞き、帰ってきたらまた教会へ行こうと思った。
道中の宿では商人たちと話し、西部の土地について情報を集めた。値上がりを期待する者は多かったが、現地を見たことのある者は少ない。地図に描かれた道を、実際より立派な街道だと思い込んでいる商人さえいた。
4月10日、フィラデルフィアに到着したイーサンは、翌日の面会に備えて資料を整理した。
そのころ、オハイオ土地開発会社の事務所では、先に交渉を始めていた大商人サイラス・ハーディングが、会社の経営者と話していた。
「ほかにも買い手が現れたそうだな。どこの商人だ」
「アルバニーのイーサン・マーサーという青年です。蒸気船の発明で大金を稼いだそうです」
「発明家か。金を持った途端に地主になりたくなったのだろう」
ハーディングは笑い、机の上の売却条件を指した。
「この土地は私が買う。会社の借金まで処理できる人間が、ほかにいるとは思えんからな」
しかし、イーサンが狙っていたのは会社そのものではなかった。過去の借金を背負うことなく、開拓に必要な土地だけを取得するつもりだった。




