第2話(中編)「期限まであと7日」 1799年3月21日~3月27日
3月21日、ニューヨーク市の造船所では、夜明け前から鍛冶場に火が入っていた。
イーサン・マーサーは作業台に広げた図面を見ながら、主任技師と修理の順序を確認していた。
前日の試験で軸受けが傷み、蒸気船は動かせなくなっている。州法の条件を満たすための試験航行まで、残された時間はわずかだった。
「新しい軸受けは明日の朝にはできる。だが、補強材を取り付けて位置を調整するには、さらに時間が必要だ」
主任技師の説明を聞いたイーサンは、船体の図面を引き寄せた。
「軸を支える場所を2か所増やします。ただし、船体の補強材を切り取る必要はありません。こちらの位置へ取り付ければ、船体を傷めずに済みます」
「その位置では、作業する場所が狭すぎるだろう」
「だから、先に部品を組み立ててから船内へ運びます。取り付ける時の作業を減らせば、時間も短縮できます」
イーサンは手順を説明し、職人たちの意見も聞きながら作業を割り振った。
全員を同じ場所へ集めても、仕事が早くなるわけではない。鍛冶職人には部品の製作を任せ、船大工には補強材の取り付けを準備させる。機関を担当する者には、軸を外している間に弁と歯車の調整を進めてもらった。
イーサン自身も作業場を回り、寸法を確かめ、問題が見つかればその場で図面を直した。
午後にはリヴィングストンが様子を見に来た。
「どうだね。期限までに間に合いそうか」
「間に合わせるつもりです。ただし、まだ成功を保証できる状態ではありません」
「君は契約の時には、ずいぶん自信があるように見えたが」
「成功できると思っています。でも、実際に試していないものを完成したとは言えません。19日の試験でも僕の計算に問題が見つかりましたから」
リヴィングストンは少し驚いた。
「君は自分の失敗を隠さないのだな」
「隠しても機械は直りません。失敗した理由が分かれば、次は同じことを繰り返さずに済みます」
「なるほど。では、君に任せよう」
リヴィングストンは造船所の責任者へ、必要な資材と人員を優先して使えるよう指示した。
作業は夜まで続いた。
翌22日、新しい軸受けが完成し、補強材の取り付けも進んだ。
23日には蒸気機関から水車へ力を伝える装置が組み上がり、船を岸に固定した状態で試験を行った。
水車は滑らかに回転した。
前回のような異音はなく、軸受けの温度も許容できる範囲に収まっていた。
主任技師は何度も確認した後、イーサンへ顔を向けた。
「今度はよさそうだ。少なくとも、前のように軸が焼き付く心配は減った」
「ありがとうございます。明日は川へ出して、速度を測りましょう」
イーサンは試験の準備を進めた。
◇ ◇ ◇
3月24日、改造した蒸気船がハドソン川へ出た。
船体は20トンを超える規模を持ち、中央には蒸気機関が取り付けられている。左右の水車が回転すると、船は岸を離れてゆっくり前進した。
見物に集まった船員や職人たちは、帆を張っていない船が進む様子を珍しそうに眺めていた。
イーサンは船上で回転数と速度を確認した。
水車は安定して動いている。しかし、予定したほどの速度が出ていなかった。
試験を終えて岸へ戻ると、主任技師が測定結果を示した。
「平均で時速4マイルに届かない。今のままでは条件を満たせないぞ」
「原因は水車の抵抗だと思います。回転数は予定どおりですが、水を押す効率がまだ十分ではありません」
「それなら羽根を大きくするか」
「大きくすれば抵抗も増えます。まず、羽根が水へ入る角度と、回転して水から出る時の形を変えましょう」
イーサンは船体の周囲を調べ、水車の動きを何度も観察した。
模型では理想的な形だと思った羽根でも、実際の川では流れの速さや船体の揺れによって効率が変わる。
そこで、水車の羽根の形を変更し、さらに機関の回転数に合わせて推進力が最大になるよう調整することにした。
主任技師は残された日数を心配した。
「27日まであと3日だぞ。今から羽根を作り直して、試験する時間があるのか」
「全部作り直す必要はありません。今の羽根を加工して、角度を変えられるようにします。まず1組だけ交換して、結果を確かめましょう」
イーサンは職人たちへ作業を依頼した。
その夜、造船所では再び明かりが灯った。
イーサンも職人たちと一緒に働き、部品の寸法を確認した。
翌25日、改良した水車を使って短い試験航行を行った。
速度は前日より上がった。
しかし、法定条件を十分に上回るほどではない。川の流れや風によっては、結果が変わる可能性があった。
「まだ余裕がありませんね」
イーサンは測定結果を見ながら、機関の動きについて考えた。
回転数を上げれば速度も増すが、蒸気の消費量が大きくなる。長く運転すれば燃料の消費も増え、機関の負担も重くなる。
必要なのは、一時的に速く走ることではなかった。
安定して速度を保ち、上り下りの航行で条件を満たすことである。
イーサンは再び図面を調べ、弁を切り替える時期を調整する案を出した。
主任技師は計算を確認し、試験する価値があると認めた。
26日、最後の調整が行われた。
その日の夕方、イーサンは試験を終えて岸へ戻った。
結果は良好だったが、翌日の正式な試験まで、確実に成功すると言えるわけではない。
イーサンはリヴィングストンへ報告した。
「明日の試験に進めます。今の状態なら条件を満たせる見込みです」
「本当に成功できると思うかね」
「ええ。ただ、最後は実際に走らせてみなければ分かりません」
リヴィングストンは青年を見た。
「君は初めて会った時、1万ポンドを要求したな。あの時は無茶な若者だと思ったが、今は君の仕事に期待している」
「ありがとうございます。明日成功したら、約束どおりお支払いください」
リヴィングストンは笑った。
「君は最後まで金の話を忘れないのだな」
「大事な約束ですからね」
◇ ◇ ◇
3月27日、ニューヨーク市のハドソン川沿いには、多くの見物人が集まっていた。
州の関係者や船主、商人、造船所の職人たちが、蒸気船の試験航行を見守ろうとしている。
船体には大きな蒸気機関が収まり、左右には改良された水車が取り付けられていた。
イーサンは機関室で最後の確認を終えると、甲板へ上がった。
リヴィングストンが近づいてきた。
「いよいよだな」
「ええ。機関も推進装置も準備できています。あとは予定どおりに動かすだけです」
リヴィングストンは川面へ目を向けた。
「もし失敗すれば、私は多くの金を失うことになる」
「僕も1万ポンドを受け取れません。でも、今の僕には失う財産がほとんどありませんから、その点ではあなたの方が大変ですね」
「こんな時にも冗談を言うのか」
「緊張しても船は速くなりませんから」
リヴィングストンは苦笑した。
やがて出航の準備が整った。
機関室では石炭が燃え、ボイラーから蒸気が送り込まれる。ピストンが動き始め、歯車を通じて左右の水車が回転した。
船体がゆっくり岸を離れる。
帆は張っていない。
それでも蒸気船は、水車で川の水を押しながら前へ進んでいった。
岸にいた見物人から歓声が上がった。
イーサンは機関の回転数を確認し、操舵を担当する船員へ進路を指示した。
最初の区間では、川の流れに逆らって進む。
船の速度は安定していた。機関の音にも異常はなく、水車は予定した回転数を保っている。
計測地点を通過すると、記録係が時間を記入した。
続いて船は向きを変え、流れに沿って戻る。
今度は川の流れに助けられ、船体はさらに軽快に進んだ。
やがて試験を終えた蒸気船が岸へ戻ってくると、見物人たちは大きな声で迎えた。




